国が滅びるから悪役令嬢を演じてくれと頼まれましたが、嫌です
新 星緒
《1》土下座する国王と怒り狂う第一王子
「頼む。国を滅ぼさないためには、君に悪役令嬢になってもらう他はないのだ。この通り」
そう言って、私の足元で土下座する国王。それに連なる宰相や大臣、枢機卿たち。狭い応接室の中、我が国のトップたちが体が触れそうなぐらいの距離で平伏している。
両親と兄が慌てふためいて自分たちまで床に座り込んで、顔を上げて下さいなんて騒いでいる。
私は大きなため息をついた。
◇◇
私はシャンタル・カヴェニャック17歳。同い年の第二王子レアンドルの婚約者にして、由緒ある公爵家の長女。
家族は両親と兄、弟と妹がひとりずつ。兄は宮勤めしているので都住まい、両親弟妹は領地で暮らしている。
私は貴族の子供専用高等学校の二年生で、全寮制だから普段はそこで生活をしている。
それが突然王宮に家族揃って呼び出された。何事かと思ったら、我が国が誇る稀代の聖女が予知夢を見た、それによると私が『悪役令嬢』として学園で繰り広げられる第二王子レアンドルと男爵令嬢クラリスの恋路を邪魔しないと国が滅びると言うのだ。
私の激しくて狡猾な嫌がらせ(というより犯罪レベル)の数々により、クラリスは光の魔法に開眼する。その光の魔法とレアンドルとの愛のパワーで、侵攻してきた隣国ユゴニオを退けるのだ。
彼女が光魔法を会得しなければ、我が国は滅ぼされるし、彼女が会得するには私の嫌がらせが必須。
だから侵攻が始まる一年半後まで、私に悪役令嬢を演じてくれというのだ。
聖女の予知夢はここ半世紀の間、一度も外れたことがないらしい。齢五歳の時に初予知夢を見て以来、その力を保つために純潔を守り、王宮の奥深くで社会との接触を断って清貧の生活を送っているという。
そんな彼女の予知夢は絶対的な信頼を得ているのだ。
どのような訳かひとつの出来事につき、必ず吉凶両方の夢を見るそうで、関係する者は吉夢が実現するよう努力しなければならない。そして五十年の間、努力は必ず報われてきた。
だから国王は土下座して私に頼んでいるのだけれど、これは依頼なんかではない。拒否不可能な決定事項で、私は全身全霊で悪役令嬢に徹しなければならないということだ。
王、その他重要人物たちと家族は床に座ったまま、やり取りを続けている。
――あまりのことに、泣きそうだ。
私が大好きだったアニメの世界の悪役令嬢に転生していると気がついたのは、12歳の時だった。この光景に見覚えがあると思った次の瞬間、前世の記憶がなだれ込んできた。
私がデジャブを感じたものは、シャンタルの回想としてアニメに出てきたシーンだった。
それからの私は転生モノによくあるように、フラグ折りに励んだ。レアンドルとの婚約が破談になるよう画策し(残念ながら失敗)、ヒロインを苛めない人間になろうと寛容と忍耐我慢を身につけ、親孝行もがんばった、使用人の信頼と好意が得られるよう良き主人としての振る舞いも覚えた。
なにより隣国ユゴニオが攻めて来ないようにできないかと、家族や親戚を頼って情報を集め対策を練ってきたのだ。
子供のすることと侮るなかれ。私は家族にだけ予知夢を見たと説明をして、本格的に動いてきたのだ。
この世界には『予知夢』は存在するから、家族は信じてくれた。そして予知夢を見る聖女がいかに大変な人生を送っているかは周知のことだから、私のことは外に漏らさないでくれた。
由緒正しい公爵家であるカヴェニャック家は縁戚が多い。侵攻してくるユゴニオ王国にも、別の大国ジャンメール帝国にもいる。だから私たち家族は内外から情報を得て対策を練ることができた。
だけどあまり良い結果が出ているとは言い難い。特に我が国の王や大臣たちには『予知夢』と明かさずに、親戚から伝え聞いた噂という姿勢をとったせいで、危機感を持ってもらうことができなかった。ユゴニオは表向きには大変に友好的なのだ。
しかも友好の印としてあちらの第一王女と我が国の第一王子は婚約している。
第一王子テオフィルはレアンドルの双子の兄で、私も昔から知っている。ただ、かなり苦手だ。
表向きはハイスペックの完璧王子なのだけど、プライベートだと我が強く他人を見下し、嫌味たらしいヤツなのだ。
それでもがんばって、それとなくユゴニオと婚約への注意を促したけれど、理解されなかった。
レアンドルとクラリスは先日、友人関係から一歩進んだらしい。でも私は一切意地悪をしていない。このままでは国が滅ぶかもと心配していたけれど、きっとこの世界の神が干渉してきて聖女に予知夢を見せたのだろう。
私は五年間の努力むなしく、悪役令嬢にならなければいけないらしい。
「カヴェニャックの話を信じなかったこと、本当にすまなかった」国王が言う。この短時間で何回も聞いた。「この通り謝罪するから、シャンタルはどうか聖女の予知夢通りに悪役令嬢を演じてほしい。全てが終わったら国を救うための演技だったと公知するし、カヴェニャック家には私の持つ所領をひとつ譲る、勿論のことシャンタルの新しい婚約者も用意する」
「そういうことではないのです」と父。
先ほどから何度となく繰り返されたやり取りだ。だが今回は。
「その通り。公爵の言い分が正しい」
そんな声が会話に割って入った。
見るといつの間にか、テオフィルが部屋の中に立っていた。集団土下座を迂回して、私たち家族の元へ来る。
「カヴェニャック家の話を信用しなくて申し訳なかった。落ち度は我々為政者側にある」
申し訳ないと言いながらも頭を下げるでもなく、胸を張り顎を上げて尊大な態度のテオフィル。彼は鋭い目で私を見た。
「シャンタルは悪役令嬢を演じる必要はない」
態度とセリフの落差に、頭が混乱する。
「無責任なことを言うな」国王が立ち上がり、長男に詰め寄る。「だいたい何故お前がここにいる。学校は?」
「突然王家の紋章付きの馬車がやって来て、授業の
……ということはテオフィルは不審を感じて追いかけて来たということだろうか。
「無責任は父上のほうです。一年半、悪役令嬢を演じろ? 犯罪まがいの嫌がらせをやれ? バカじゃないですか?」
ズズイと父親に迫るテオフィル
「私が入学するとき、あなたは式辞で何と言いましたか。『勉学も重要だが、貴重な学生生活を楽しむことも必要だ、それが人間の幅を広げるのだ』です」
「そ、そんなことを言ったかね」
毎年言ってますと宰相が小声で答える。
「彼女にどれだけの友人がいるか知っていますか? 学業に勤しみ、放課後は仲間と立ち上げたバイオリン同好会の練習に励み、休日は学校周辺の町で演奏会を開いては収益金を福祉団体に寄付している。
こんな彼女に、意地悪な女になれと言うのは、この有意義で満ち足りた学生生活を全て捨てろと言っていることと同じですよ」
テオフィルの弁舌に
「その通り!」と両親と兄が賛同する。
「後で名誉を回復する? ふざけているのですか? 失われた日々は二度と戻りません。
何より、心優しい彼女が一年半も悪役を演じなければならない心理的負担はとてつもないものでしょう。もしこのことで彼女の精神が壊れたらどうするのですか?」
「だが国を守らねばならん!」
「当然です!」テオフィルは父親の叫びに叫びで返した。「だけどそれと、未成年の令嬢の人生を狂わせることは別問題だ。あなたも私たちも、カヴェニャック家の話を蔑ろにしてきた。それに耳を傾け対策を講じていたら、こんなことにはならなかったかもしれない」
両親と兄が深くうなずく。
「責任を取るのは、我々です。予知夢によれば、まだ一年半もの猶予があるのでしょう。今から全力で侵攻を回避するのです。例えば聖女の予知夢だと言って、私と姫の結婚を早めるのも良いでしょう。姫に人質の価値があれば、ユゴニオ王も考え直すかもしれない」
「駄目だ、聖女の予知夢通りにしないと」
王の言葉にお歴々がうなずく。
「しないとどうなるのです?」とテオフィル。「予知夢に従わなかった例を上げて下さい」
国王は口を固く結び宰相以下は下を向く。
「ゼロですよね」とテオフィル。「この五十年、必ず予知夢に従ってきた。何故ならそれが楽だからだ。吉夢通りに行動しておけば、悪いことは起きない。自分の頭で対策を考えなくていい。その影で、今回のシャンタルのように犠牲になった者がいたかもしれない」
「だが聖女の吉夢をなぞらず国が滅んだとき、お前はどう責任をとるつもりだ」
「取れないでしょうね。第一王子など処刑されるでしょうから」
さらりと言ってのけたテオフィルは、父王から目を反らして私を見た。すぐに視線は戻る。
「彼女はレアンドルの婚約者だし、それを決めたのは父上、あなたです。だというのに息子が他の女にうつつを抜かすのを、叱るのではなく励行するのですか。おかしいでしょう。今時点で彼女がどれほど傷ついていると思いますか」
……意外だ。テオフィルに私が傷つくなんて発想があったとは。散々、見下し嫌味を言ってきたくせに。
ただ、レアンドルのことで傷ついてはいない。アニメの私は彼を好きだったけれど、今の私は友人以上の気持ちはない。良い人だけどテオフィルに強さを全て持っていかれたのか、なんというか、優秀ではあるけれど人の良さだけが取り柄の人なのだ。浮気しているけど。
「だいたい婚約者のいる男を奪うような女が光の魔法を使って救国の英雄になるなんて、納得できない」
「仕方ない、そう予知夢に出たのだ」
「教会的にはこの不道徳は赦せることなのですか」
テオフィルの問いに枢機卿たちが顔を伏せる。
「彼らを困らせるな。聖女の予知夢だから見過ごすしかないのだ」
「父上、今日であなたへの尊敬の念は消えました。仕方ありません、予知夢なので」
国王が顔をしかめる。
「いい加減にしろ。あまり調子に乗るならば、考えがあるぞ」
「ご勝手に」そう言ったテオフィルは華麗にターンして父王から数歩離れ、また向き合った。
「レアンドルとクラリスは三日ほど前に晴れて思いを告げあって、恋人同士になったそうです。すでにキスも済ませたとか。舞い上がっているアホ弟が友人に自慢し、今朝方、私の耳に入りました」
「そうか」と国王。「ならばシャンタルが……」
「始業前に」とテオフィルが父親の言葉を遮る。「クラリスに告げました。婚約者のいる王子を奪うのならば、王家と公爵家を敵に回す覚悟があるということだな、と。彼女は泣きながら震えていました」
「……彼女、今日は欠席だったわ」
朝食の席にはいたのに学校は休みだった。おかしいと思っていたのだけど、そのせいだったの?
「レアンドルには前々から、婚約者を裏切り王家に泥を塗るならば片玉を潰すと伝えていたので、実行しました。絶叫していましたね」
片……?
国王をはじめ、皆青ざめている。
「もっともすぐに回復魔法師を呼んだようですから、治ってしまったのでしょう。裏切る限り、何度でも潰しますが」
「……テオフィル!」国王が息子の名前を呼ぶ。
「ということで、どのみち悪役令嬢ごっこはしようがありません。他の方法を考えましょう」
誰もが呆然とする中で、ひとり胸を反らし尊大な顔つきをしたテオフィルは、つかつかと私の元に来たかと思うと、
「ほら、学校に戻るぞ」
と手首を掴んだのだった。
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