◇意見箱◇ 「『子は親の鏡』と混同されたのだと思いますが」—(後編)

 さて、ここからご意見を下さった晁衡さんの「この親にしてこの子あり」が「子は親の鏡」の影響を受けて変化したのではないか、ということについて考えてみましょう。


「この親にしてこの子あり」が誤用として使われている資料は、1965年のものが最初です。

 そして「子は親の鏡」が世に出たのが1954年。

 日本にその詩がいつ入って来たのかまでは調べられませんでしたが、仮に1965年までの間に翻訳されていたものが入ってきたとして、「子は親の鏡」=「子供の行動を見ればその親の生き方がわかること」として広がるまでにどれくらいの時間を要するでしょうか。


 今であれば、SNSがあるので新しい言葉の拡散も早いですが、それでもそれなりに時間はかかります。2020年に流行語大賞を取った「ぴえん」も、最初に出始めたのは2010年末頃です(時期については『三省堂国語辞典 第八版』に掲載されています)。

「この親にしてこの子あり」の誤用が1965年、「子は親の鏡」が1954年……。11年の差がありますが、当時の環境を考えると「子は親の鏡」が「この親にしてこの子あり」の影響を直接受けたかどうかは少々難しいのかなと私は思いますが、いかがでしょう。


 もちろん、二つの言葉が広がった後であればお互いが影響し合っていると思うので、「子は親の鏡」と「この親にしてこの子あり」の意味が近くなってくるかもしれません。

 しかし、「この親にしてこの子あり」の誤用が資料として残っているこの時点では、少し難しいように思います。


 最後になりますが『広辞苑』以外の辞書に「子は親の鏡」が掲載されていなかったのは、詩のタイトルだったからかもしれません。『広辞苑 第六版』では慣用句として捉えていましたが、詩のタイトルということもあって、他の辞書では慣用句もしくはことわざとして捉えていないのだろうと推察します。


 また慣用句やことわざの辞典や用例集のようなものもいくつか開いてみましたが、「子は親の鏡」はありませんでした。慣用句やことわざの厳密な定義はよく分かりませんが、作品のタイトルだと慣用句やことわざとして扱うのは違うと考えているのかもしれません。


 いかがだったでしょうか。

 素人の考えなのでこれが正解ではありませんし、拙い文章で書きましたので、上手く伝えられたのかは分かりません。しかし、考え方の一つとして参考になれば幸いです。



*参考URL*

PHP INTERFACE ドロシー・ロー・ノルト Dorothy Law Nolte

https://www.php.co.jp/books/dr.php


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