12月

Column1 「くだらない」って、「百済ない」が語源って本当?

 最近、知人が私に「『くだらない』って『百済くだらがない』が語源って本当?」と尋ねてきました。訳を聞くと、どうやら昔におじさんから教えてもらったようで、ずっとそうだと思って来たというのです。


 確かに、昔朝鮮半島西南部に「百済」という王国がありましたが、「ない」とはどういうことなんでしょう。


 もちろんどこか胡散臭いとは思っていたらしいのですが、自分で調べることもなくここまできてしまったようです。

「分かったら教えて~」

 というので、「『百済ない』が間違いなのは確かだろうなぁ……(笑)」と、私は心の中で呟きつつも調べてみました。


「くだらない」は「まじめに取りあげるだけの価値がない。低俗だ(『明鏡国語辞典 第三版』より)」という意味です。

 結論から言うと、この言葉の成り立ちは「百済ない」ではなく、動詞「くだる」の未然形と打消しの助動詞「ない」が合わさった言葉です。


「くだる」は「下る」です。しかし、よくよく考えてみると、「下る」と「ない」の組み合わせは不思議な気がします。何故、下に下がることを否定するのでしょう?


 調べてみたところ、大野晋氏の『大野晋の日本語相談』に、「お腹を下す」という用例で説明していたので、私も同じように試みようと思います。


 皆さん、「お腹を下す」という言い方をしますよね。これはお腹の状態を示していますよね。お腹の中のものが、すーっと下に下がっていって、外へ出るということでしょう。

 それはどこにもとどまらずに、通るという意味でもあります。その「通る」が否定されたのが「くだらない」ということだというのです。しかし、それでもよく分かりませんよね。

 次に『大野晋の日本語相談』では『日葡辞書』(1603年)の引用をしていました。


 ――この経の義理がくだらぬ


 これは、「このお経の道理の意味が分からない」を意味しています。

 つまり「くだらない」は「意味が通らない」とか「筋が通らない」というような意味だったということです。

 それが次第にいろんな場面で使われるようになり、「まじめに取り上げるだけの価値がない(『明鏡国語辞典 第三版』より)」や「価値が低(くて興味が起こらな)い。つまらない(『三省堂国語辞典 第八版』より)」という風に、使い方が広がっていったのです。


 ――と、いうことを一通り調べて、知人に説明したところ、「やっぱり『百済ない』じゃなかったな。あースッキリした!」と言っていました。長年の謎が解けて良かったです。



*参考資料*

大野晋『大野晋の日本語相談』(河出文庫 2014.1.20)

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