愚痴を聞くだけのバイトを始めたオレ

@konohahlovlj

第1話 プロローグ

 平田は必死に歩道を走っていた。かぶりを何度も振り、周囲の人影に警戒する。休日の早朝ということもあってか、彼以外人は外に出ていないようだ。

 平田は偶然見つけた置き看板がもうすでに出ているカフェに入った。奥の席を選び腰を下ろすと、それと同時に店長と思われる白髭を生やしたおじいさんが平田の後に続いていた。右手に水入りのポットを持ち、左手に空のコップがのったお盆を支えている。おじいさんは、お盆だけを自身の懐に留めてこう言った。

 「注文が決まりましたら、こちらのベルでお呼びください」

彼は卓上の呼び出しベルに手を向けた後、続けて端に立てられているメニューにも手を向けた。

 平田はメニューを抜き取り、商品を品定めするふりを始める。すると、おじいさんはお盆を脇に挟んで下がっていった。

 平田は、おじいさんが見えなくなると自身のポケットからスマホを取り出した。そして、それをメニューで隠すようにしてLINEを開く。返信メッセージは0件だった。

 くそっ。

 平田は心の中でそう呟いた。彼のお目当てはガールフレンドの香織だ。いや、元ガールフレンドという表現の方が正しいのかもしれない。

 香織は平田に何も言わず、彼の前から姿を消した。久しぶりに会ったかと思うと、彼女はなんと平田の高校時代からの友人、ヒロシと付き合い始めていた。平田はカッとなり、丁度昨晩、ヒロシに制裁をくらわしたばかりだ。その場に香織も居合わせていたため、ヒロシを片付けた後、香織に寄りを戻さないかと持ち掛けるつもりでいた。しかし、気が付くと彼女の姿はなく、たまたま鏡の自分と目が合い、自身の狂気に気付くこととなった。

 慌てて一人暮らしのヒロシの部屋を飛び出した平田は走りながらLINEを開き、香織に電話をかけた。2,3分、コール音が彼の耳に鳴り響いたが、香織は電話に出ることはなかった。今ごろ香織は警察にすべての経緯を暴露している、と考えると平田は頭をぐしゃぐしゃにして、半分狂人のようになりながら、自宅に続く方とは真逆の方角に走り出した。

 

 平田は店長が運んできたブレンドコーヒーを口に含んだ。

 やはりさっきのおじいさんは店長だった。呼び出しベルを押すと、さっきまで寂しかった胸元あたりに[店長]とかかれたネームプレートを付けて同じおじいさんがやってきた。珍しい早朝の来客に慌てていたのか、注文を受ける時のネームプレートは少し傾いて見えた。コーヒーを運んでくる時にやっと、綺麗な身なりが拝めたといった具合だ。

 平田はコーヒーで心が落ち着くと、自分の今後について考え始めた。

 まず今務めている会社を辞めるのは確実だ。人殺しを自社に置いておく馬鹿な会社は存在しないだろう。次に、一人暮らしのマンションを出なければならない。これに関しては、退社より難易度は高い。住む場所を失い、さらには新しい住処を見つけなければならないからだ。これからは、アウトロウな男たち相手に話をつけないといけなくなる。それが嫌なら、ホームレス人生一直線だ。

 平田はコーヒーを一気に飲み干すと、ちゃっちゃと会計をすませ店を出た。外に出ると、活動し始めている人々が目に映る。平田は怪しまれないように平静を装いながら、自宅に向かって歩み始めた。


 平田は、何もない新居の部屋でパソコンをいじっていた。仕事場への辞表はすでに出し終わっている。

 スクリーンにはアルバイトの募集がズラリと並んでいる。平田は時給の高い順から表示させた。時給1万級のものが順に上からズラリとそろう。一つ一つ詳細をクリックすると、特殊技能が必要なものばかりで、何もしてこず高卒で働きだした平田にとって手の届かないものばかりだった。

 平田はやけくそになって、マウスで一気にスクロールバーを下まで動かした。100項目くらい飛ばしただろうか、次のページへ案内するボタンと時給3000円~の募集が映った。3000円なら警備員みたいな能力のいらない仕事くらいがあるだろう、と平田は思い、マウスをころころさせて少し上にスクロールした。

 一つの募集が平田の目をとらえた。人の愚痴を聞くだけの仕事、日給2万円。詳細を開くと深夜疲れがたまった大人の愚痴を否定せずただただ聞くだけでいいという。しかも完全匿名で行うため、仕事中は特製の覆面を被らされるらしい。追われ身の平田にとってここまで好都合な職場はなかった。

 平田はさっそく会社にメールを送信し、返事を待った。


 あっさりとした面接を難なく受かった平田は、1週間後、早速初出勤ということになった。

 職場は、キャバクラ街と平行な寂しい通りからのびた路地裏の入口付近に存在する。5階建てビルの3階だ。営業開始2時間前の午後7時に出勤した平田は軽い説明を受けた。

 1,お客様と従業員の本名は明かさないこと。また、明らかにさせるような言動は控えること。

 2,従業員はお客様に物理的及び精神的な攻撃は極力控えること。また、お客様同士の喧嘩には必ず仲裁に入ること。

 3,お客様と従業員の覆面は必ず外さないこと。また、外させるような言動は控えること。

 4,お客様と従業員は、当日あったことを次の日には持ち出さないこと。聞いた話は、全て忘れること。

 5,上記のことを従業員はお客様に守るよう強制させること。


 時計の針が九時を示した。平田は呼ばれるまで控室で待機するよう指示を受けた。

 


 

 

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