第3話 ぼっちの一人と一匹と

 晴明は、白に浮かぶ一対の蒼い瞳から視線を逸らせずにいた。

 快晴の空のように、澄み渡る蒼(あお)。見詰めていたら、吸い込まれてしまいそうなくらい美しい。毛並みは雪のような白。

 小さな狐は、上目遣いに晴明を見ている。

 大きさからして、まだ生まれてから一年は経っていないだろう。


(コイツが、あれ程の瘴気を?)


 にわかには信じられない。

 しかも人語を操るのだから、もっと歳を重ね、老いた獣だと勝手に思い込んでいた。


(先入観を持っていては、やはり見誤ってしまうな……)


 もっと疑り深く、幾つもの可能性を考えられるようにしなくては。

 だがそれより、なによりも。


「美しいな」


 小狐の眉間が寄り、鼻の上にもシワが寄る。唇の端も、少しだけ捲れ上がった。なにを意図しての表情なのか、皆目見当もつかない。

 小狐は、プイとそっぽを向く。


『そんなことを言われたのは、初めてだ』

(なるほど。照れていたのか)


 人間ならば、顔が赤くなっていることだろう。

 巣穴の中で話をしていたときと比べ、今のほうが小狐に話しやすい印象を受ける。軽口を叩いても、大丈夫かもしれない。

 晴明は、ニンマリと意地の悪い笑みを浮かべた。


「そうか、初めてか。ならば慣れぬであろう。どうだ? こそばゆいか? むず痒いか?」

『う、うるさい』


 小狐は、フサリと大きな尻尾で顔を覆う。その様子が、なんとも可愛らしい。気付けば笑みを浮かべ、声を立てて笑っていた。


「はは! 恥ずかしいか。それもまた、初めての経験だろう」

『う、うるさい、うるさい! うるさいと言っている! いちいち心を読むな』


 晴明は軽く目を見開き、アハハ! と膝を打つ。


「心など読まずとも、初めて言われた言葉が嬉しいのなら、感ずる気持ちはどれも全て似通ったものだ。心を読むまでもない。想像の域だよ」

『そ、そうなのか……?』

「ああ。そういうものだ」


 小狐は少しだけ尻尾を下ろし、晴明の顔を窺う。まるで、小さな子供が大人の機嫌を伺っているときのように。もしくは、檜扇で顔を隠して殿方の様子を伺う女官のようだ。


(そもそも、コイツは雌なのか……雄なのか)


 見ためでは、ちっとも判断がつかない。犬や猫でさえ引っくり返して見なければ判断がつかないこともあるのだから、狐も見ただけで分からなくても当然と言えよう。


『だって……誰も、教えてくれなんだ……』

「え、ん? 誰も?」


 他のことを考えていた晴明は、危うく小狐の呟きを聞き逃すところだった。小狐はそんな晴明に気付くことなく、シュンと下を向く。ダラリと尻尾を垂らし、小さな肩を竦めた。大きな耳も、ペタンと頭の丸みに沿う。耳や尻尾の動きが逐一愛らしく、庇護欲を掻き立てられそうだ。


『おとーは、物心ついた頃にはもう居なかった。おかーは、猟師に撃たれて食われちまった。仲間からは、蒼い瞳が気味悪いと爪弾きにされているから、俺だけの力で生き抜いていかなきゃならんのだ』

「天涯孤独というやつだな」


 頼れるのは己だけという孤独に打ちひしがれ、場の空気を陰気に淀ませる瘴気を発するほどには、気持ちが落ち込み滅入ってしまっているのだろう。


『生きていくには、俺だけでは限界がある。この世界は、優しいようで優しくない。食べられる物も食べられない物も、教えてもらうか自らを実験体にしなくては分からない。ならばもう、いっそのこと……おかーの所へ行けば楽になれる……寂しくなくなるのではと思って』

(なるほど。自ら命を絶つつもりだったのか)


 それは、惜しい。欲しがるモノからすれば、喉から手が出るほど自分のモノにしたい容姿なのに。

 神から与えられた、神と繋がりが強い証の白い毛並みと蒼い瞳。

 その価値を知らなければ、爪弾きにされるだけの要因にしかならない。宝の持ち腐れ。勿体ないにもほどがある。

 しかし、そんな気持ちの中にありながら、なぜ小狐は晴明に応じたのだろう。

 晴明は手の中にある小石をカラリと鳴らし、小狐に尋ねた。


「どうして、巣穴から出てくる気になった?」

『それは……あんたから、俺と同じ匂いがしたから』

「匂い……?」

『ああ。あんたも、力を持て余している。孤独に寂しさを感じてるのに、虚勢を張っているんだ』


 しまった……と、胸中で舌を打つ。


(同調し過ぎてしまったか)


 霊力の強い獣なら、晴明の思念のほうが引きずられることもあるだろう。

 大舎人という役職に就いているとはいえ、もっと修行を重ねておかなければならなかった。

 今だけではない、これから先も同じようなことが起これば、足元をすくわれてしまうかもしれない。

 気を引き締め、用心しなければ。

 だが、今一番の問題は、この小狐を野放しにはできないということ。

 これほどまでに霊力の高い獣が、野生のまま己のためだけに力を行使するようになってしまっては、都にどんな禍をもたらすか。考えただけでも恐ろしい。

(なんとか、俺の手元に置いておくことはできぬものだろうか)

 神の使いである神使からすれば、黒いほど位が下で、白は上位にあたる色だという。そして、神の力が宿ると言われる蒼い瞳。

 このまま、野に放ち、命を絶たせるのは惜しい。

 この場で巡り会ったのも、なにかの縁と捉えてよいだろう。

 晴明が小狐に対してできることはなにか、一生懸命に思考を巡らせる。


(式神を使役するのと、同じ手筈でいけるだろうか?)


 生身の……しかも獣を相手に契約ができるのか。

 前例があるかもしれないけれど、今の晴明が蓄えている知識の中には見当たらない。前例があるのであれば、それこそ手順を踏まえた儀式かなにかが必要になってくるだろう。

 ただ、名で縛るだけなのに。


(そうか。名で縛るだけ……か)


 単純にできるか、やってみることにしよう。


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