救援部隊③
目が開けば前を見られた。
手足があれば前に進めた。
愛花に才能なんてなかったが、それでも諦めないで前進することだけは出来た。
けれど、もう、無理だ。
別の存在の別世界の愛花ができた。ならば、と私にもできるはずだと立ち上がる。そんな情熱は残っていない。もう頑張った。私もう限界まで頑張り続けているのだ。しかし解答がでてしまった。
別の愛花とは違う私の努力は、足りなかったのか、方向が違っていたのか、それとも判断を間違えたのか、全力で頑張った結果がこの私には不可能だ。
復讐と祖国奪還という目的さえ失ってしまったら、本当にどうしようもない。進むことも退くことも出来ない。
肉体がなくなっていくようだった。
精神が崩れていくようだった。
自分を稼働させていた熱量が失せる。
想像してしまえば、次に訪れるのは恐怖だった。何も感じられないことが恐ろしい。動けないことが耐え難い。叫び出したくなるが、声を出す口も喉も存在しない。
誰かいないのかと声を上げる。
返事をしてくれと必死に叫ぶ。
手足を伸ばそうと力の限り足掻く。
肉体を動かそうと生命の限り藻掻く。
自分の持てる全てを総動員して、自らの存在を主張する。
――そうしたつもりで、もちろん全てが無駄だった。
正気を失いそうだった。
自分はどんな形だったのか、どんな人格だったのか、それすら見失ってしまいそうだった。
もう考えるのを止めてしまいたい。思考を放り出してこの苦しみから逃れたかった。
……ふと、それこそが正解答なのではと、そんなことが思い浮かんだ。
時間感覚すら曖昧な中、狂いそうな喪失感と戦いながら、自分は意識をつなぎ止めている。
だがそれは何のためにだ。時間を稼いだところで事態が好転する当てなど何もないのに。
信念だとか、願いなんて言葉もはるか昔の遠い言葉に感じられる。
肉体を動かしていた燃料は失われた。後はこの意識を手放してしまえば、鎖部愛花は本当の終わりを迎える。
終わり――すなわち"死"だ。
その確信がある。手放しさえすればそれは訪れると。ただ諦めればそれでいい。こんな状態となっては死こそが救いだ。
……ああ、もう無理だ。
これ以上は、耐えていられない。
闇すら見えない無明。空気にすら触れられない無感。
発狂してしまいそうだ。絶望しかないこの場所で抗う意味なんてない。
ここには何もなくて、自分にこれ以上の先はない。それは十分に理解した。
理解したから、後はただ受け入れるだけ。それはなんて簡単なことだろう。
――さあ、これで終わり――――――もう何も――考えなくていい――――――自分は――ここで――終わるんだ――――――だから――もう――なにも――しなくて――いい―――――――――――これで――――何もかもが―――――――――さぁ、銃口を自分の心臓に当ててトリガーに手をかける。
目的は別の私が果たした。
時間は戻らない。
努力や選択を間違えたこの世界の愛花に価値はない。何故なら、もう、不可能だと悟ってしまったからだ。
私の努力し続けた十数年間、その結果は無様なものだった。ならこれ以上、努力したところで意味はない。努力して一番強いのは今が最高だろう。あとはむしろ年を取って劣化する日の方が近いのだから。
だから終わりだ。
愛花に意味がなかった。
復讐に身を捧げた人生は、それは遂げることなく終わる。ならば惰性で生きる意味はない。
終わり。
バットエンド。
ああ、無意味な人生だった。もしあの何かが違ったのなら、私は遂げられた筈なのに。しかしそれが分からない。
「酷い顔をしているね」
振り返る。
そこにはラプラスさんが立っていた。
◆
「ラプラスさん」
「私の世界では、出会って、意気投合して、笑いあって、夢を語り合う暇なく、死んでいく―――よくある事だったよ」
「強化衛士が当たり前なんですよね」
「安全で、強く、信頼性のある強化衛士手術を私が作った」
「貴方の世界の私は幸せですね。そんなものが生まれるなんて」
「そうだね、代償は色々あったけど愛花ちゃんは幸せそうだったし、希望を持っていたよ」
「羨ましいです、貴方の世界の私が」
「まぁ、私のいたのは戦況が苦しい世界だから貴方は貴方で幸せなことあったんじゃない? ぬるいじゃん、こっちの世界」
「ぬるい、ですか」
「ぬるいよ、デストロイヤーは弱いし、G.E.H.E.N.Aはあんまり動いていないし、この世界の衛士はまぁこの世界の中では強いし」
「はは、そのぬるいヒュージに精一杯なんですけどね」
「まぁでも勝てるんじゃない? 私がもたらした技術があるんだし。私の世界はもう絶望的だけど」
「世界が終わる代わりに個人の復讐を果たしたか、世界が救われる代わりに復讐を果たせないか。どっちが良いんでしょうね」
「さぁ? でも生きてればなにか良い事あるんじゃない? 今死ねばもう何もないよ」
気がつくと愛花は戦術機を手放していた。
『もうとっくにゲームオーバーだって分かんないの? コンテニューの仕様なんてないから』
……ああ、どうやら自分は随分と追い詰められているらしい。
この声が誰のものか、自分にはわかる。
それは愛花の声だ。他の誰でもない愛花の絶望した精神が声となって聞こえている。
どうやら誰かと話した程度で死ぬのをやめてしまう自分に、自分は苛立っているようだった。
『私、負けましたよね。なのに目標なく惰性だけ生き延びようとするとか何様ですか? 散々努力して、諦めず、頑張った結果が駄目だったんだから、これで終わりですよ』
『私自身が選んだ道ならば、如何なる結果でも拒むことだけはしてはならない、無様な悪足掻きは、晩節を汚すばかりですよ』
『お姉ちゃんもお兄ちゃんと同じ場所に行きたくなったんだよね。早く一緒に行きましょう。お兄ちゃんも待ってるから。みんなでお茶会しましょう』
『もう足掻かなくていいんです。私は十分やった。後は眠むりましょう、愛花』
『理解できません。速やかな終わりを』
『受け入れましょう。貴女の力ではデストロイヤーには届かなかった。それが結論です。結論が出た以上、この戦いでそれを拒むことは許されない。それは貴女もよく分かっているでしょう』
今、自分は敗者としてここにいる。ならば、自らの終わりを受け入れなければいけない。
どんな道理があっても、そこだけは曲げてはならないことだ。
敗者には死を。今まで世界が課してきた絶対のルール。
納得なんてしていない。それでも死を承知した上で、自分は衛士となり強くなって頑張ってきた。それを相手には強要し、いざ自分の番になってそれを反故にするなんて、そんな身勝手が許されるはずがない。
死の線引きデッドラインの先、見届けてきた結末を、自分が受ける時がきたというだけ。
疑問の余地はない。自分は世界に敗北した。残された力なんてなく、後は潔く結果を受け止めるのみだ。
――――――――――――そう思っているのに、納得できないのは何故なんだろう。
『貴方さ、どんだけ面倒くさい奴なんだよ。ホント、恥ずかしいね。あーあ、身の程を弁えてたとこ自分でも気に入ってたのに、いつの間にかウザい奴になっちゃったなぁ』
……うん、確かにそれは、自分でもそう思います
『愚かですね。その行動は勇気ある者の抵抗ではない。ただの現実からの逃避にすぎん』
みっともない。恥ずかしい。往生際が悪すぎる。返す言葉なんてない。自分でもその通りとしか言えないから。正直、もう止めてほしい。ここで休みたい。何もかもが限界だ。まだ何処かへ向かわせようとする、内に秘める何かにも、無意味だと悟ってほしい
『来てくれないの? 天国のお兄ちゃん達にこんなに寂しい思いをさせてるのに。意地悪するお姉ちゃんなんて大嫌い!!』
……ああ、責め立てる幼い私の声が辛い。こんなものはただの妄想だ。精一杯生きている者に対しての侮辱だ。怒りの声も無理はない。誰もが死にたくなかった。それでも最期は死の定めに消えて逝った。そこから逃れようとしている。これ以上の不義理があるだろうか
『不可能な復讐に取り憑かれた悪霊にでもなるつもりか? やめておいたほうが賢明ですよ、あんなものに縋っても不幸しか残せない』
(唯一つの執着を拠り所に、狂気の域で自身を存続する。そんな行為に意味はない。その救われなさはこの目でしかと見た。あらゆる者にとっての害悪となってまで自らを繋ぐ。その様は想像するだけでもおぞましい)
『あなたの生存に正当性はありません。全ての結論からあなたはあなたの自己消去を推奨します』
意味がない。
価値がない。
行動の理由が何一つ思い浮かばない。
あらゆる声が自分を責め立てている。
その無様な姿を批難している。
それは正しい。今の自分こそ間違っている。だから早く、もう一度、戦術機を握って、胸に突き立てよう。
『貴女が戦った理由は自らに対する無力感だ。己に課した復讐という願いを果たせるか知らないままに潰えることを許容できない。その思いこそ貴女の原点でしょう。貴女はすでに答えを得ている。なら後は自らの結末に精算をつけるだけです』
それが分からない内は死ねないと思った。
忘れてしまった空白の中に、譲れないものがあるかもしれないと思ったから。だがそれに対する解答は出ている。
この愛花の存在に理由はない。その戦いに意義はない。戦うべきではなかった。生き残るべきではなかった。自分にそんな価値は何もなかった。だから、もういいだろう。生き残るべきでない者が生き残った。これはその精算をつけるだけなのだ。あるべきでない道理は元の鞘に収まる。
「違う」
なぜだか、否定の意志が沸いた。
自らの行いなら意味がないのなら自らもまた終わりを受け入れるべきだと思ったのだ。
だけど、それは違うと思う。
理屈で考えるよりも早く、その答えを確信した。
終わりを受け入れようとする心の動き。その心にどうしようもなく耐え難いものを感じている。
この気持ちは一体なんなんだろう。
終わりに対し抗う意志。それを確信させるに至らしめた思いとは何か。
『もうさぁ、はやく死しんで! 鬱陶しくて目障りなんですよ! ホラ、さっさと消えてください!』
『もう眠れ。それが道理だ。これ以上無様を晒すのは美しない』
『死んじゃえ! 消えちゃえ! 愛花お姉ちゃんなんていなくなっちゃえばいいんだ!』
自分のことを執拗に責め立てる声は、自分のものだ
……決まっている。
これは愛花自身の内にある声だ。
『ここで終われ、愛花。これ以上抵抗しないでください』
私の心は自身を死に向かわせている。懺悔というシステムがあるように、人の心は自らの罪に対し強くない
いつだって私達は罪業を禊ぎ許されるための機会を求めている。
遠く、大きく、辛い茨の道を歩いて平然としていられる心を保っていられる強さなんて自分は持ち合わせていない。
終わりを望んでいたのは愛花自身だ。
『消滅を要求します。完結を断言します。あなたに可能性はありません』
愛花は平凡だ。何度だって断言できる。
絶対の判断を下せる指揮性なんて持ち合わせず、英雄のような定まった強さもない。
自らの判断に苦しみ、その罪業に迷ってしまう、どこまでも平凡で、けれど自由な人間だ。
だからこそ確信を持って言える。
死による未来の断絶、その結論だけは絶対に間違っている。
自分の命には意味がない。その生存には正当性がない。
そんな言葉こそ言い訳だ。死を納得するための理由を探しているに過ぎない。
『なぜ抗うのですか? そうまでして終わりを拒む理由など、貴女には無いはずだ。求めていた答えは手に入れたはずです。いったい貴女に、どんな理由があると?』
愛花の意志の発端は、自身の祖国や家族を理不尽に対しての怒りの奮起。どうしてなのか分からない。そんな疑問だけを寄る辺にした、衝動じみた発露だった。
では疑問の答えを得てしまえば、自分はそれで諦められるのか。自分は生命の価値はない。その答えで満足か。
――否。
そも、愛花は理不尽への怒りと復讐のため立ち上がったんじゃない。理由の一つではあったと思う。けれど根本のところでは違っていた。
疑問なんて言葉じゃない。あの時の奮起は、もっと原始的なものだったと確信できる。
――――そうだ。純粋に、生きることを望んで立ち上がったんだ。家族を失い、自らも怪物に殺される未来を予測した死に瀕した始まりの時、自分は自らの弱さを認められなかった。
諦めるなんて認められなかった。
あのまま理不尽に理不尽なまま未来で命を放棄することが我慢ならなかった。
それは恐怖というよりも怒りに近い。何一つ理解のないまま死の運命に囚われる事がどうしても容認できなかった。
「だから、私は生きる。復讐よりも、生きる為に私は生きていく」
復讐したい。
故郷を奪還したい。
だけど、なら、だったら、生きなければ。
「答えは得た?」
「貴方の力ですか? あの私自身の声達は」
「私は少し特別なんだ。人の心に干渉することができたりする」
「もし私があの声に屈したらどうするんですか?」
「殴って、拷問して、生きたいと言いたくなるまで痛めつける」
「貴方……本当は悪魔なんじゃないですか?」
「悪魔だよ、ラプラスの英雄って名前の悪魔」
その時だった。
走ってくる音が聞こえる。
それはラプラスを通り過ぎて、そして愛花の顔に拳を叩き込んだ。そして馬乗りになって体を押さえつける。
「馬鹿愛花!! 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!」
「え? え? 葉風さん? なんで殴られたんですか私。なんで体を押さえつけられてるんですか?」
「死のうとしたからだよ!! 愛花は強くて! 真面目で! 優しくて! 頭が良くて! 努力を続ける頑張り屋さんで、だからそんな素敵で最高な愛花が死んだら私は悲しいよ!! どんな想いを愛花が抱えているか分からない!! だけど愛花がいなくなったら私は泣くよ!! 私だけじゃない!! 一ノ瀬隊のみんなが泣いちゃうよ!! それだけ愛されてるんだよ!! だから!! 生きて!! 愛花!!」
その泣きながら叫ぶ葉風に、愛花は笑いかける。
「はい、死にません。それを今、確認したところです。大丈夫ですよ、葉風さん。私は、これからも戦っていきます。それを、ラプラスさんに教えられたところでした」
「へ?」
「状況的にね、自殺しそうな愛花ちゃんが、私との問答で心の決着をつけて生きる決心をしたところでぶん殴ったんだよね」
「ええ!? ご、ごめん!! 愛花!! 少しだけ声が聞こえきて死ぬとか言ってたから焦っちゃって!!」
「はい、許します。私を愛してくれてありがとうございます」
「う、うん。先走っちゃってごめん」
「そうだ、葉風さん私の知ってる言葉に朋友という言葉があるんです。簡単に言えば親友より更に強い同性の恋人のような存在ですね。もし良ければ私のことを思ってくれる葉風さんに、初めての朋友になってくれませんか?」
その答えは、聞くまでもない。
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