刻まれた英雄の証③

 金色一葉は病室をノックした。

 はい、と元気のような、それでいて無理をしたような声が聞こえてくる。ドアをあげて中へ入る。

 相手を見る。

 道川深顯を見る。


「こんにちは、えっと、その」


 金色一葉と道川深顯にはほぼ面識はない。だから名前がわからず戸惑っているのだろう。その姿を見て、一葉は……なんとも言えない気持ちになった。


「一葉、金色一葉です」

「金色一葉さん。真名しかと受け取りました。その信頼のお返しに私の名前をお伝えします。道川深顯です」

「そう……」


 沈黙。

 長い沈黙が病室で続いた。

 一葉は道川深顯を眺めているだけだ。

 重苦しい沈黙に耐えきれず


「あの、何の御用でしょうか?」

「……優珂さんに言われて顔を見にきました。マディックでありながら英雄になった者の顔を。酷い顔です。相当、酷いものを見た様子ですね」


 一葉は言う。


「自分だけ生き残って仲間が死んで、犠牲は多く、それで英雄って言われて何も言えない気持ち、少しだけわかるんです。私にも」


 一葉は窓の外を見ながら話し始めた。


「横浜基地は旧GE.HE.NA.の真昼様率いる親GE.HE.NA.部隊が鹵獲した。それは知ってますね?」

「はい。真昼様のかつて誰もが夢見た光速いムーブメントで必ず敵をジェノサイドしていました」

「そ、そうですか。あれはネストに侵入した後の事だった」


 過去の記憶が蘇る。



 ネスト攻略大隊は衛士、アーマードコアを含めた混成大隊だった。およそ1000人の人間がネストに飛び込んだのだ。

 作戦はネスト内のデストロイヤーを掃討しつつ狂ったアストラデストロイヤーに有効な真昼の持つ破壊ウィルスを持つストライクイーグルを刺して破壊して脱出する流れだった。けれどそうはいかなかった。破壊ウィルスは未完成で、半壊したアストラデストロイヤーは私達を道連れにするためにその体で私達をネストに閉じ込めた。死ぬまでの時間を稼ぐ為に衛士とアーマードコア部隊からマギを吸い取って。


 そこで会議が開かれた。

『まず状況確認を』

『私達は死にかけのデストロイヤーに閉じ込めれています。そしてマギを吸われている』

『おそらくそれは個体を維持する為でしょう。魔力が尽きた時、私達は死んでデストロイヤーも死ぬ』

『大隊の状態は?』

『各部隊の連携は安定してます。秩序は保たれています』

『装備は?』

『戦術機は短時間なら使用可能。アーマードコアも火力支援可能です』

『資源は?』

『電撃作戦でしたのでありません』

『外部との連絡は?』

『できません。全ての通信機能がシャットアウトされています』

『外部からの救援はない。作戦は失敗とされる』

『全力攻撃によってアストラ級デストロイヤーの破壊を提案します』

『その意見に反対します。魔力スフィア戦術は魔力スフィアにチャージすることで成り立ちます。この魔力が吸われるフィールド内では無駄に終わるでしょう。ここは自壊を待つべきです』

『自壊するまでの予測時間は?』

『およそ12日です』

『では自壊するまでの人数は?』

『およそ、三名』

『脱出する人間を決めます。まずはイェーガー女学院序列一位・金色一葉、GE.HE.NA.の汎用実験被験者・松村優珂、そして最後に最高戦力の私』


 真昼さんは指を差し、最後に自分を指さした。

 その場は沈黙に包まれた。


『どうやら決議が通ったようですね、すぐに部下に知らせます』


 最初で最後の「全体会議」が終わった後。

 真昼は一葉に言った。


『一葉ちゃんからは何か他の意見が出ると思った』


 真昼は驚いた表情をしていた。

 悔しそうに一葉は言う。


『理想を言いたい。だけど、それは全員の死を意味します。それだけは避けなければ』


 それに他の部隊の隊長達も頷いた。


『ご心配なく、我々は決定を受け入れます』

『デストロイヤーを倒せるなら本望です。それに加えてネストを占領できるなら言うことはありません』

『私達の仲間が貴方達で良かった。それと皆んなと戦えたことを光栄に思います』

『こちらこそ、地上で人類が次のステージに行くのに立ち会いたかった』

『私は先に失礼するわ。貴方達が追いついてくるのはだいぶ後だから。すぐに追いついてこないで』



「そこからは知っての通り。ネストを占領して脱出した。私達は英雄扱いされました」


 一葉は深顯の側に近寄る。


「同じことを真昼様に言われました。だから、今ここにいるのは私と貴方だけです。似た者同士の、生き残りです。言いたいことはないですか? 苦しいことはないですか? 吐き出したい事はありませんか?」


 深い喪失感が、深顯胸の中を暴れまわっていた。抑えきれず溢れでた感情は、眼に現れる。白いシーツに、ぽた、ぽた、と水滴が落ちる。

 胸に痛みを感じる。悲しいという感情は、今やナイフと化していた。肉も骨も無視して、心の臓の奥を抉る恐るべきナイフだ。だけど、声を上げることはできない。大声で泣くことはもう、許されない。

 

「………っ」

 

 納得できていない。失いたくない仲間が、理不尽に失われることは。

 失ってしまった。なのに失ったあの戦場を誇れという。だけど、強いる理屈は圧倒的な正論であった。


 頭では納得できる、それほどの正論に、しかし納得したくない自分がいる。だけど、現実はそれを許してくれなくて。目まぐるしく押し寄せる言葉と現実は、どうしてこんなに多くの矛盾を孕むのか。


 途方も無く大きい何かが胸の中より湧き出してくる。止める術など考えようもなく、眼には見えない堤防が決壊したことを悟った。それは胸中を駆け巡って脳髄を駆け上がって上に。

 

 溢れかえった感情が下瞼より下に。頬を流れ、床へと落ちていく。

 ―――感情というものは、一度でもたがが外れれば、止めることはできない。理論だてた理屈など、吹っ飛んでいく。あるのは、途方も無い悲しみだけだ。

 

 思い浮かんでくるのは、失われた光景。

 

 良い思い出だからこそ、悲しい。もう二度と、あの子の声を聞くことができないと知ったから。

 

 何より残された遺品が、彼女の最後の凄惨さを物語っている。一体、あの子はどのような思いを抱いて死んだのだろう。絶望のままに、死んだのだろうか。その時の光景が、頭の中に浮かび上がる。遺体が無くなるぐらいまでに、壊されていく。

 

 だけど、せめて醜態は見せないと自分の眼を覆う。

 

 視界が真っ暗になる。いよいよもって、耐えることはできない、そんな時に暖かい腕に包まれたことを感じた。気づけば、抱きしめられていた。それが誰のものであるのか。

 意識をする前に、心は決壊した。


「あぁ、っ」


 その病室の前で優珂は立っていた。

 同じ補欠衛士で、衛士になれた自分と補欠衛士のままだった彼女。

 衛士だったら助けられたかもしれない、と後悔し続けるのだろう。しかし現実は非常だ。


 衛士は一人では何もできない。犬死するだけだ。しかし、そんな一人の衛士を役立ててくれる存在がいる。

 世界を救ってくれるかもしれない存在がいる。だから、こそ優珂は真昼についていく。


 衛士を次のステージに引き上げて、強い武器を作り、非人道的な実験を中止させた。

 彼女についていけば救われるかもしれない。そんな希望を抱かせてくれるのだ。だから松村優珂は付き従う。あの扇動者に。

 仲間を使い捨てるのに何も思わないわけではない。だが、彼女ほど有用に死なせることはできないと確信できる。だからこそ嫌悪と尊敬が両立する。


 松村優珂は優れていない。

 事実、XM3強化手術を受けた後に金色一葉に挑んでも勝てなかった。頭脳も負けている。劣等ではない。凡庸な人間だ。しかしそれでも死ぬならば必要とされて死にたい。犬死は嫌だ。

 一ノ瀬真昼は躊躇いなく死を命じるだろう。それはラプラスによって強制されて死ぬ。しかしらその覚悟と準備と納得ができる。

 だから松村優珂は一ノ瀬真昼に付き従う。

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