第二噺 空き家

 これは建築関係の仕事をしている、Kさんという男性から聞いた話だ。

 

 彼が高校生まで住んでいた実家の道路を挟んで向かい側には、一件の空き家があった。

 木造二階建てで、特徴といえば赤い屋根ぐらいの至って平凡な家。

 庭は背の高い草に覆われており、奥に見える倉庫のようなものの屋根は老朽化によって潰れ始めている。

 敷地に入ってすぐにある手作り感あふれるも木の屋根があるトイレは、いかにもといった雰囲気を放っていて微妙に薄気味悪い。

 母屋はしっかりと建っているが、あちこちに汚れやヒビが入り、屋根の瓦は所々剥がれていた。

 窓はカーテンで閉め切られており、中の様子は全く分からない。

 

 家の壁際にはバケツや錆びついたスコップなどが放置されており、それもまたこの家の雰囲気を出すのに一役買っていた。

 玄関には頼りなさげな鎖が南京錠と共にかけられており、一応は入れないようになっていた。

 

 住んでいた住人がどんな人間だったのかは、彼には分からない。彼が物心ついた頃にはすでに空き家で、誰も住んでいなかったのだ。


 幼心に彼は空き家に興味を持ち、家族にあそこには誰が住んでいたのかとか、どうしていなくなったのかなどの質問を無邪気に投げかけたが、それにすんなりと答えてくれる人間は皆無だった。


 家族はもちろんの事、親戚や近所の人間もあまり話したがらない。

 いつもはお喋りな三軒隣の家に住むおばさんも、空き家の事となると途端に口が回らなくなってしまう。


 そういった感じで、周りの大人たちは皆一様に言いづらそうな雰囲気を出しながら、K少年の質問に口をつぐむのであった。


 そんな背景も関係しているのか、その空き家には幽霊が出るという話が常について回った。

 窓から青白い女が見ていたとか、夜になるとうめき声が聞こえるといったまあよくある話だ。

 だがそれが嘘だという事は、他ならぬKさんが自身が一番よく知っていた。

確かに気味の悪い家だったが、近くに住んでいる彼が噂のような体験をする事は一度も無かったからだ。


 彼の空き家に対する興味はしだいに薄れ、中学生になった頃には完全にその興味を失ってしまっていた。

 空き家の噂は無くなってはいなかったが、周りの友人たちもKさん同様に興味を失い、たまに話にでてくるくらいだった。


 月日は流れ、Kさんは高校生になった。

 勉強や部活動、そして少しの青春を楽しむ彼にとって、もはやあの空き家はほとんど視界にすら入っていなかった。

 

 そんなある日、Kさんの住む地域を少し強めの地震が襲う。

 震度は五弱くらいだっただろう、恐怖を抱く程度には大きな地震だった。

 

 幸いにも大きな被害は無く、家の中では食器が落ちたり棚が倒れたりするくらいのものだった。

 一、二週間は話題になっていたが、世間は別の話題に流れKさんたちも日々の営みの中でそれを忘れて行った。


 地震の話題がほとんど聞かれなくなったある日の夕方、Kさんは家の近所を散歩していた。

 彼は何もない日は無線式のイヤホンを耳にさし、好きな音楽を聴きながら散歩するという趣味を持っていた。


 夏の夕暮れ時、まだ昼の熱が残る空気を感じながら道を歩く。

 耳に流れる少しセンチメンタルな曲を聴きながら、彼は気分よく歩いていた。


 Kさんは家の近くまで戻ってきた時に、ふと例の空き家に目をやった。

 興味を失ったとはいえ、隣に住んでいる以上は否が応でも目に入る。

 だがそれは文字通り目に入っていただけで、細部まで目をこらして見ていたわけでは無く、ただ漠然と全体を見ていたに過ぎなかった。


 ずいぶん久しぶりに見たな、そんな少し懐かしいような気分で彼はまじまじと建物を見た。

 最後に見た時よりもずいぶんとさびれたような気がする、壁は昔よりもボロボロになっているし、屋根も瓦が落ちている箇所が昔よりも多い気がした。


「……ん?」


 家のあちこちに向けられていたKさんの視線が、ある一点で止まった。


 二階の窓が開いている。


 誰の部屋だったのかは分からない、いや今はそんな事は関係ない。


 ただ事実として、Kさんの記憶の中にある二階の部屋の窓は確かに閉まっていたはずだ。


 にもかかわらずなぜか窓は開いている。


 Kさんは最初こそどきりとした、だが少し考えてみてこの前の地震で窓が開いたのだと結論づけた。

 この前の地震はそこそこの大きさだったし、あんなぼろい家だ窓が揺れで勝手に開く事もあるだろう。彼はそう結論づけた。


 正確にはそうとしか考えられなかった。

 なぜならあの家は空き家で、誰も住んでいない。

 窓を開ける人間は、一人だっていやしないのだ。


 そう思ってしまえば恐怖は無い、彼は開いた窓の奥を道路から眺めた。

 夕暮れ時で、中の様子はよく分からずさして面白そうなものも見れそうになかった。


 帰るか、そう思ったKさんが視線を窓から離そうとした時だった。


 すっ、と何かが動いた。


 え? と思った彼は目を凝らしてみるが何が動いたのかは分からなかった。

 

 だが気のせいで片づけるには、あまりにはっきりと何かが動いたという事を感じてしまった彼は、少し目をこすってからもう一度だけ窓に目をやった。


「あっ」


 Kさんは思わず声を出してしまった。


 窓の奥に広がっている薄闇、それよりも遥かにどす黒い色をした何かがこちらを見ていたのだ。

 

 それは人の形をしているようにも思えるが、もしあれを仮に人とするのならあまりにも黒すぎる。

 それこそ焼死体のような……、とそこまで考えてKさんは自分がどんどん嫌な想像をしている事に気付く。


 焼死体だなんて馬鹿らしい、あそこはそんな曰くのある家じゃないだろう。

 それが分かっているはずだというのに、今の自分が見ているどす黒い何かが何なのか理解できずにいた。


 一つ分かる事は、自分が向こうを見ているように向こうもこちらを見ているという事だ。

 Kさんは背中にびっしょりと汗を掻きながら、逃げ出すタイミングを伺っていた。


 そんな時だ。


 すっ、とその黒い何かは窓枠に手……といっていいのか分からないが、とりあえず手をかけた。


「え?」


 おい、嘘だろう? おい……おい……!


 彼の心臓は今まで生きてきた中で一番早く脈打っている。


 そして黒い何かは、ぬぅーっと窓枠から体を出すと下半身だけを残してすとんと窓の下へ落ちてきた。


 仮にあのどす黒い影を人型とするなら、人間の腹の辺りがそれこそ蛇みたいにぐにゃーっと伸びたのだ。


「あ」


 窓から落ちた上半身が、ぼうぼうに生えた草むらの向こうでぐっと体を起こした。


「あ……うううわああああああ!」


 Kさんは絶叫と共に地面を蹴り、駆け出した。

 すぐ目の前にあるはずの家を、ひどく遠く感じながら彼は走った。


 後ろを振り向かず、ただひたすらに走った。

 家に帰ってきた彼の顔を見た家族は、後に口を揃えて人でも殺して来たみたいな顔だったと語ったそうだ。


 彼はそれからあの空き家を見なくなり、近づかなくなった。

 部活で遅くなってしまった夕暮れ時や夜など、どうしても近くを通らなければならない時は両親などに迎えを頼むほど彼はあの家を恐れていた。


 それから彼は高校を卒業すると、親戚のツテで建設系の仕事に就職した。

 仕事は楽ではなかったが、人間関係に恵まれた事が幸いし未だにその仕事を続けている。


 彼は家を出てからあの空き家に近づきたくなかったため、忙しさを理由に帰省していなかったが、三年目という区切りもあり意を決して実家へ帰った。


 するとあの空き家はすでに解体され、更地になっていた。

 家族に話を聞くと、Kさんが家を出てから一年ほどで不審火があり母屋が半分ほど燃えてしまったらしく、それを機に自治体が解体したらしい。


 ちなみに、彼は帰省のついでにあの家の元の持ち主がいなくなった理由を改めて家族に聞いたところ、借金を作っての夜逃げだったそうだ。


 拍子抜けした彼がなぜ教えてくれなかったのかと尋ねると、ペラペラと話すような事でも無かったからだと言われた。

 

 つまるところ、あの家には特にこれといって曰くがあったわけでは無かったのだ。


 だが彼はそれで胸を撫で下ろす事ができなかった。

 じゃああれは一体何だったのか、そんな疑問が彼の脳裏にこびりついてしまった。


 あのどす黒い影はいったいなぜあそこにいたのか、何をしようとしたのか。

 それを考えると、十年以上経った今でも怖くなるとKさんは語った。


「……俺はね、あれはきっと理由があってあそこにいたんじゃないと思うんですよ。なんかこう……良くない気っていうか……まあそういうのが空になってた箱、つまりあの空き家にひゅっと入っちゃったんじゃないかって思うんですよ。で、たまたま俺と目が合ってあんな事に……って思うんですよね」


「だから建物を造る時は、なるべく長く人が居るようにって思いながら作業してますよ。やっぱり建物……とりわけ家なんかは人が住んでないと駄目でしょうから」


 そう言って彼は笑いながら話を終えた。


 家と言うのは、私たちの生活に必要不可欠なものだ。

 休む場所であり、身を守る盾でもある。

 だが、使われなくなった家はどうなるのだろうか。

 

 あなた住んでいる場所の近くにある空き家。

 空になった大きな箱として朽ちていくだけの家、もしかしたらそこには人以外のが住み着いてしまっているかもしれない。

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