Steal・28 サヨナラのプレゼント


「あら、こんなところにもヘアピンが」


 スーツのジャケット、左手の裾に縫い込んであったヘアピンも見つかった。


「ねぇヘイズ。どれだけ鍵を開けるつもりなの?」

「あるだけ全部」

「そこに鍵があるから?」

「まぁ、そんなとこかな」


 俺は小さく肩を竦めた。

 山があるから登るってのと同じさ。


「さて、それじゃあお昼までゆっくりしててね」


 苺はさっさと取調室を出ようとしたので、俺は呼び止めた。


「トイレに行きたくなったら、どうすればいい?」

「漏らしてもいいわよ。でも、あとでちゃんと掃除してね」


 苺は笑顔でそう言って、そのまま取調室を出た。

 その時に、外から鍵をかける音が聞こえた。

 本当に念入りだ。


「逃げないってのに……」


 実際、俺が逃げるのは爆殺トカゲが捕まるか死ぬかしてからだ。

 途中で放り出して逃げるのは簡単だが、簡単すぎて退屈だ。

 正直な話、ただ逃げるだけなら昨日の夜でも良かったのだから。

 とりあえず、室内を見回してみる。

 撮影用カメラの電源はオフ。

 マイクの電源もオフ。

 部屋の隅にある監視カメラは生きているので、笑顔で左手を振っておいた。

 まぁ、誰も見ていない可能性もあるが。

 ついでにマジックミラーにも手を振った。

 向こう側に誰かいればいいのだけど、まぁいないだろう。


「……寝るか」


 やることもないので、俺は机に突っ伏して目を閉じた。



 目を覚ますと、苺が取調室に戻っていた。

 俺はどれぐらい寝ていたのだろう?


「ごめんね、ヘイズ」


 苺が酷く申し訳なさそうに言って、俺の頭を撫でた。

 とっても優しい手つきだった。

 子供を撫でる時みたいな、そんな不自然な優しさ。

 そして俺が何か言う前に、苺はそそくさと取調室を出た。

 俺は意味が分からなかった。

 もしかして夢の中なのかな?

 そんなことを考えた。


「おおおおお、お前が、ブラブラ、ブラッドオレンジか!?」


 苺と入れ替わりで、男が取調室に入ってきた。

 その男は全身に爆弾を巻き付けていて、右手で起爆装置を握っている。

 俺は驚きすぎて、完璧に目を醒ましたね。

 おい、ふざけんなよ!?

 これ、俺あれだよな?

 苺ちゃんたち情報局に売られたんだよな?

 ごめんねじゃ済まないぞマジで!

 つーかごめんで済んだら警察も捜査官もいらねーよ!


「いや違う。落ち着け」


 俺は左の掌を見せながら言った。

 どう考えても、こいつは爆殺トカゲである。

 なんで爆殺トカゲをここまで案内したんだ?

 逮捕するか殺すかしろよ。


「ううう、嘘を吐くな! お前のお前の、お前のせいでででで」


 爆殺トカゲは興奮しすぎて上手く喋れていない。

 お前知能犯だろうが!

 なんでそんな興奮状態なんだよ!

 俺は頭を掻いた。

 おや?

 ヘアピンがあるぞ?


 俺はソッとヘアピンを抜き取った。

 なるほど、苺が頭を撫でた時に置いて行ったのだ。

 俺は深呼吸をして、爆殺トカゲを真っ直ぐに見た。

 ヘアピンがあれば何も怖くない。

 ヘアピンがあれば俺はどこにだって行ける。

 ああ、我が神器よ!


「俺の名前はヘイズ。ブラッドオレンジじゃない」

「ううう、嘘だ。捜査官がががが、お前がそうだと、言ったぞぞぞ」


 爆殺トカゲの握っている起爆装置をよく見ると、すでにボタンが押されている。

 デッドマンスイッチだ。

 簡単に言えば、爆殺トカゲが死んだ瞬間に起爆するスイッチ。

 つまり、殺せないのだ。

 爆殺トカゲを殺せないのだ。

 殺したら周辺全部吹っ飛ぶ。


 だから情報局は爆殺トカゲの要求を飲んだということ。

 いや、でも、と俺は思考する。

 ここで爆発させても被害は甚大なはず。

 まぁ、死者が俺1人で済むというメリットはある。

 情報局ならそれを選択するが、苺はしない。

 神器であるヘアピンを俺に渡したのがその証拠。

 つまり、今もまだ作戦遂行中なのだ。

 俺はヘアピンで手錠を外し、ゆっくりと立ち上がる。


「身分証を見せるぞ? いいな?」


 言いながら、俺はスーツの内ポケットに手を突っ込んだ。


「ははは、早くしろ。ブラッド、ブラッドオレンジを、殺す殺す早く殺す」


 爆殺トカゲは完全に正気じゃない。

 知能犯のくせに、心はあまり強くないようだ。

 逆恨みに近いが、ずっと狙っていたブラッドオレンジに近づいたと思って興奮している。

 たぶん、たくさんの人を殺したことも影響しているはずだ。

 あるいは、苺が壊したか。

 この部屋に案内している間に、苺が爆殺トカゲの心を完全に破壊した可能性がある。

 もちろん俺のためだ。

 そして、たぶんそれが正解。


「みみみ、見せろ、早く見せろ」


 バカだなぁ、と俺は思う。

 身分証に『詐欺師のブラッドオレンジです』って書いてるわけねぇじゃん。

 頭が良くても、心が弱いと最後にはこうなるわけか。

 ああ、違うか。

 もっと前からこいつは壊れていたのだ。

 そうでなければ、マフィアの事務所を爆弾で吹っ飛ばしたりしない。


 苺はトドメを刺したに過ぎないのだ。

 俺は少し哀れに思った。

 俺は身分証を出しながら、さり気なく爆殺トカゲに近寄る。

 そして右手で身分証を見せて、爆殺トカゲの視線を固定。

 その隙に左手でデッドマンスイッチを奪った。

 要は、誰かがボタンを押しておけばいいのだ。

 生体リンクしているわけじゃない。

 たぶん。


 もし爆殺トカゲの生命反応とリンクしていたら、俺は死ぬ。

 爆殺トカゲが目を丸くする。

 俺は少し微笑んで、スッと自分の位置を調整。

 同時に、銃声。

 マジックミラーが割れて、爆殺トカゲの頭に穴が開いた。

 爆殺トカゲが力なく後方に倒れる。

 俺がマジックミラーの方を見ると、啓介がライフルを構えていた。

 PDWではなくてライフル。

 臨機応変に装備を変えたのだろう。

 俺がホッと息を吐くと、苺が入って来た。


「よく私の意図が分かったわね。偉いわ」

「そりゃね。わざわざ連れてきたんだ、俺にデッドマンスイッチを盗んで欲しかったんだろ? だからヘアピンを頭に差した。違うか?」

「違わないわ。これで被害者はゼロ。犯人は死亡。完璧な戦果よ。ヘイズが他人から何かを盗むのが得意で良かったわ」


 苺は上機嫌だった。

 それからすぐに爆発物処理班の連中が入って来て、爆殺トカゲの爆弾を無効化した。

 少し時間がかかったのだけど、俺はのんびりとコーヒーを飲んで待った。

 コーヒーは苺が淹れてくれた。

 まぁとにかく、これで1つのゲームが終わった。



 俺たちはオフィスで報告書を書いていた。

 すでに時刻は15時を過ぎている。

 俺は報告書の制作を終え、小さく息を吐いた。

 そろそろ始めよう。


「苺ちゃん」と俺。

「何かしら?」と苺。


 苺はパソコンの画面を見たままで、俺の方を見なかった。

 俺は立ち上がり、苺の方へと歩いた。

 苺がチラッと俺を見る。

 俺は苺の背後の窓を開けた。

 涼やかな風が入り込んで、苺が髪の毛を抑えた。

 その仕草がとっても可愛くて、俺は微笑みを浮かべた。


「窓を開けたかったの?」

「ああ。いい気持ちだ。特に、爆殺トカゲを始末したあとは」

「そうね。満点だったわ」

「苺ちゃんがあいつの精神を乱したのか?」


「そうかもね?」苺は少し笑った。「でも情報局に現れた時点で、やや錯乱気味だったわね。だから簡単だった。冷静な敵より、狼狽したり興奮している敵の方が御しやすいもの」


 秋口苺は他人の心が読める。

 だから、ある程度は他人の心を操れる。


「右手出して」俺が言う。「プレゼントだ」


「何?」


 苺が右手を持ち上げながら、椅子をクルッと回して俺の方を見た。

 俺は苺の右手首に、追跡装置をはめた。

 少し前まで、俺の足首にあったやつだ。

 苺は最初、それが何だか分からなかったようだ。

 俺は窓枠に尻を乗せて座る。

 苺が俺のプレゼントを理解して、目を見開いた。


「怪盗ファントムヘイズに、追跡装置なんざ通用しねぇよ」


 俺はヒョイッと窓枠の上で屈む姿勢に移行。

 両足の靴裏が窓枠の上に乗っている状態。


「バカなっ!」苺が言う。「最新のやつよ!? いくらあなたでも、外せるわけない! 電子的にロックされているのよ!?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る