余波

 シャルルによると、使い魔が暴走した件はかなり大ごとになったらしい。その影響で午前の授業は全てなくなってしまった。

 それからしばらく、他愛もない話をした。欠席していた授業のノートは全て後日渡すことになり、一安心する。渡されたところで勉強をするかは別だが。


「ウェンダーさん、夕食は大丈夫かしら?」


「あっ、すっかり忘れてた!ごめんミリセント、私少し行ってくるね。」


「わかった。いってらっしゃい!」


 クランドールに言われ、はっと思い出す。軽く手を合わせて謝罪をすると、ぱたぱたと保健室から出ていった。


 二人取り残され、一瞬しんと静まり返る。クランドールと目が合うと、彼女は少し口角を上げた。


「…スコーピオンさん、聞いてもいいかしら?その左目のこと。」


「…?ああ、これですか?」


 そう言われて左目を触る。気付けば視力はなくなり、眼帯をしていた。少しもこれに関する記憶はない。


「私もよくわからないんですよねぇー、気付いたらというか…。」


「あら、そうなの?私の魔法でも治らなかったから気になっていたのよ。」


「え、そうなんですか?!」


マーニャ・クランドールといえば、ステラの中でも数少ない回復系魔法を得意とする魔法使いだ。


(以前の世界で傷を受けたとか…?その影響で治せないのかな…。)


首を捻りながら思案していると、クランドールに遮られた。


「ごめんなさいね、こんなこと言って。でも今日はゆっくり休んでほしいから、この話はまた今度。ね?」


有無を言わさぬ圧を感じ、渋々首を縦に振った。クランドールは満足げに頷く。


「さて、私もそろそろ部屋に戻ろうかしら。何かあったら使い魔を私のところに呼んでね。」


「はい、ありがとうございます。」


 ぺこりと頭を下げると、クランドールはふわりと微笑む。再度安静にするよう釘を刺し、ミリセントを抱き締める。柔らかな感触に埋められ、あわや窒息しかけた。


 軽やかな足取りで保健室を出て行く彼女を見送り、ベッドに倒れ込む。なんだか急に疲れが襲ってきた。


 休む間もなく、ドアがたたかれた。咄嗟に上体を起こすと、見知った顔が瞳に映る。ミリセントは目を丸くした。


「ろ、ロラン先生!」


「やあ、体調はどう?」


 軽く会釈をすると、クランドールが置いていった椅子に腰をかける。


「ほとんど治りました…一応まだ安静にしとけらしいです。」


 ぱちぱちと目を瞬かせ、安堵の息を吐く。背もたれに体を預けるといつもの笑顔を浮かべた。


「そっか、安心したよ。君は右腕がもうダメになったって聞いてたから…。」


「え、全然平気なんですが…なんか話誇張されてません?」


「あはは、そうかもね。」


 よかったー、と笑うと、ミリセントを見据えた。


「まず、事故を止めようとしてくれてありがとう。おかげで怪我人は主に君だけだ。」


「そ、そうなんですか…いえ、もっと上手くやれたのに…。」


 包帯が巻かれた右腕を見つめ、しゅんとする。もう少し上手くやっていれば、こんな怪我をする必要もなかったのに。


「まあ、校内で勝手に魔法を使ったから多少罰則は食らうと思うけど…。」


「ですよねぇ…。」


 覚悟はしていたが、やはり思うところがあった。小さなため息をつくが、諦めるしかない。


 ロランは、ミリセントの胸ポケットから顔を覗かせている手帳を一瞥し、声を潜めて話を続ける。


「今回の…君が言う『以前も見た事故』であってる?」


「!そ、そうです。あの時は、ひどい怪我を負った人が何人か出てて…。」


「止めようとした、ってことか。」


 こくりと小さく頷く。しばらく目を瞑ってなにやら考えていたロランだが、ややあって口角を上げた。一人で何かを勝手に理解したようだ。


「あ、あの…なにか?」


「最初は半信半疑だったんだ、君の話。…でも、もう信じるほかないなって思ったんだ。」


 ミリセントの中に小さな罪悪感があった。しかし、それを打ち明けるタイミングは今しかないだろう。きゅっとベッドのシーツを握り、意を決して口を開く。


「…ごめんなさい、先生。私まだ先生のこと信じきれてないんです…。」


 ロランはきょとんとしたかおでミリセントを見た。


「…どうして?」


「どうしてって、普通ありえないじゃないですか…魔法を使わないで、時間が戻るはずがないです。時間の魔法は禁止魔法だから…私のこと、魔法警察に突き出してもおかしくないって…思って…。」


 言葉に詰まりながらどうにか言葉を絞り出す。ロランは眉を顰め、顔を曇らせた。


「…僕ってそんなに信用ない?」


「そう言うわけじゃないんですけど…。」


 ごにょごにょと言葉に困っていると、彼は椅子から立ち上がりミリセントに近づく。その容姿が非常に美しいと感じた。


「君が人助けのために行動していることは知っているよ。だから、もし君が魔法を使っていたとしても警察に引き渡すつもりはない。その未来を知っているのが君だけなら、尚更だ。…僕も、ノクスを自由にさせるわけにはいかないからね。」


 諭す様にそういうと、彼は少しだけ笑った。


(信じても…いいのかな。)


 どうにも頭を使うのは苦手だ。ぐるぐると目が回ってしまう。


「それに、少し、心当たりもあるからね…。」


小さな声で、独り言の様にロランが呟く。その言葉は、ミリセントには届かなかった。


「心当たりって…?」


「…そのうち話すよ。」


そういうと優しく微笑む。しかし、その顔にはどこか翳りが見えた。

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