魔獣学と友人と
微妙な空気が漂ったまま、ミリセントは講義室内で授業が終わるのを待っていた。朗らかに話す教師とは対照的に、ミリセントの気分は水に沈んだかの様だった。
魔獣学はミリセントが好きだった授業だ。その名の通り魔獣の生態や能力について学ぶ学問だが、易しい内容だったのが何よりミリセントにとって都合が良かった。その恩恵をありがたく受けるべきだが、今はイヴァンやロランのことで頭がいっぱいだった。
(ああもう、どうしてこうも面倒ごとが重なるのかな…。)
頭を抱えながら机に伏す。シャルルは変わらずこちらを不安げに見ていた。
「やっぱり、さっきのこと気になる…?」
「…うん、あいつが考えてることよくわかんないし…。」
嫌味ったらしく都度絡んできて、喧嘩をふっかけてきたかと思えば責任をとって一人で説教を受けにいく。ミリセントは少しも理解できなかった。
(シャルルのこともあれだけ悪く言ってたのに、よくわかんない…。)
もんもんと考えていると、ふと違和感を覚えた。
(…1番に固執して嫌味言ってきたのはそうだけど、手を出したり悪口言ってたのって取り巻きの方だったっけ…。)
それを止めようとしなかったのは事実だが、なんとなく腑に落ちなかった。
「少し早いですが、今日はこれくらいにしましょう。皆さん、お疲れ様でした。」
終業の鐘が鳴る前に教師が優しげな口調でそう告げる。ミリセントは教師の中で彼がかなり好きな部類に入る。もちろん、授業が易しく性格が良いからだ。
周囲の生徒も先ほどの騒ぎであまり集中できていなかった様だ。ざわざわと話しつつ、自身の寮へと戻っていく。
「あ、ごめんミリセント。私少し質問してくる!」
「おっけー、私も行くよ。」
「ほんと?ありがとう!」
翡翠の髪を靡かせて小走りで教壇へ向かうシャルルの背中を追い、ミリセントも駆け足で向かう。
教師、ディヴィッド・ラロは快く質問に受け答えしてくれた。白髪が混じった浅葱色の髪に薄い水色の瞳。少しシワが刻まれた顔には優しげな笑みをいつも浮かべており、生徒からの人気も高い。
シャルルは使い魔についての質問をしていたようだ。
(熱心だなぁ…私ももう少し勉強するべきかぁ…。)
シャルルの分の荷物を持ち、質問が終わるのを待つ。終業時間には少し早いが、遠くから生徒の騒めきや笑い声が聞こえてくる。夕刻を知らせる赤い日差しに入り混じったそれは、とても心地よいものだった。
「以上で、大丈夫ですか?」
「はい!ありがとうございます!」
お待たせミリセント、とシャルルが戻ってくる。片手を振りそろそろ帰ろうかと思った瞬間、ラロと目があう。軽く会釈をすると、にこりと笑った。
「スコーピオンさんは、質問大丈夫ですか?」
「えっ、なんで私の名前…。」
この世界でラロとは一度授業を受けたきりだ。大人数の授業で、特に会話をかわしていないミリセントを知っているはずがない。
「いえ、今教師間で貴女のことが話題になっていますから。」
「え"っ、なんでですか?!」
「天井を壊し、飛行術で危ない飛び方をし、教師の不在時に魔法の勝負をしていた…などと聞きました。もちろん、多少脚色されていると思いますが…。」
身に覚えがありすぎて言い訳のしようがない。ふわふわと微笑んだままのラロの隣で、シャルルはミリセントより青ざめていた。
「ミミミミリセント思ったより大事になってるね…?」
「わわわそんなことより先生!あの、私も質問が!!」
悠長に話を続けようとするラロを遮り口から出まかせを言う。これ以上触れられるとミリセントのメンタルに重大なダメージが入ってしまう。とは言え授業もまともに聞いていなかったのでこれと言った質問も思いつかなかった。
「向上心のある生徒さんは好きですよ、何でもどうぞ。」
「あ〜、えっと……あ、そうだ!鳥みたいな魔獣ってどんなのがいますか?赤くて、人くらいの大きさで凶暴なやつとか…。」
「鳥のような魔獣…ですか?」
はて、といった様にラロは首を傾げる。
ミリセントが覚えている事件、それは春学期に魔獣が暴れ、多くの怪我人が出た、というものだ。
防げるのなら、それに越したことはない。しかし、今のミリセントは情報が足りなすぎた。
「…いくつか心当たりはありますが、どれも大人しく凶暴とは言えないので…もしかすると、お役に立てないかもしれません。」
「そ、そうですか…。」
「その魔獣がどうかしたの?」
シャルルは不思議そうにこちらを覗き込み、頬に指を当て考え込む。
「い、いやぁ…夢に出てきたかなぁーって…。」
「赤化個体のネヴァンや、不死鳥、アルマなど、鳥のような魔獣はいくつかいますがどれも条件と合いませんね。」
「?ラロ先生、アルマってなんですか?」
ネヴァンはシャルルの使い魔であるカラスに近い魔獣だ。おそらく、ステルラフィアもそれに近い種族だろう。アルマはミリセントにとって、聞き覚えのない魔獣だった。
「アルマはここよりずっと北に生息している魔獣です。人と同じほどの大きさではありますが、体色は青、非常に臆病な性格をしています。」
「うーん…そもそもここら辺にいないのか…。」
がっくりと肩を落としたミリセントに、ラロは申し訳なさそうにしていた。
「よければより詳しく調べておきましょうか?」
「え、いいんですか?…お願いします!」
「了解しました。」
口角を上げ、壁にかけられた大きな時計を見上げる。時計の短針は、もうじき終業時間を刺そうとしていた。
「わっ、もうこんな時間!ありがとうございました!シャルル、帰ろ!」
「う、うん!すみません先生。」
「いえ、またいつでも。」
二人は慌てて荷物をまとめ講義室から駆け足で出る。
静かな廊下に二人がばたばたと走る音だけが響く。夕陽に照らされ、伸びた影が石畳に映し出される。そろそろ食堂が混み合う時間だった。
厨房から程近い場所に、食堂がある。食堂というよりは大広間の様な雰囲気で、常に人で溢れている。天井には星を模した灯りがいくつも浮かんでおり、煌々と広間を照らしている。
ミリセントとシャルルは向かい合って座り、互いに好きなものを卓に広げていた。
「ミリセントとこうして一緒に食べるの、久しぶりかも。」
「うっ、最近付き合い悪かったよね…ごめん…。」
痛いところをつかれ、平謝りをするしかない。すぐにシャルルは首を振り否定する。緩い三つ編みが、遅れて揺れる。
「んーん!ちがくて!…嬉しいの。友達と一緒に食べるご飯が一番美味しいから…。」
「より一層申し訳なくなるんだけど!?ごめん〜〜!」
「わ〜いいんだって!」
それからしばらく他愛のない会話をし、気付けば結構な時間が経っていた。だらだらと会話をしている時間に懐かしさを感じる。久しくシャルルと夕飯をとっていなかったことを思い知らされ、少なからず罪悪感を覚えた。
(せっかくシャルルがまだいる時に戻ってきたんだし、もっと一緒にいたほうがいいよね…。)
かなり遅くなってしまったが、ようやく寮へ戻り始めた。疲労感もあり、ゆったりとした歩幅だった。
講義室につながる廊下の前を通り、寮へ戻ろうとしたとき、見覚えのある姿が横をすり抜けた。はっとして振り返ると、相手もこちらに気づいたようだ。
「げっ、イヴァン。」
「…お前らか。」
珍しく一人でいた彼は、バツが悪そうに苦々しい顔をしていた。
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