兆し
石畳の廊下をコツコツと音を立てながら歩く。
今日の授業は残り一つ。シャルルの待つ講義室へ向かい、基本魔法学を受けるのみだ。
終われば待ちに待った夕食の時間だ。
(なんか今日は疲れたし早く食べて早く寝ようかな…。)
「あ、あ、あ…」
「?」
先ほどから聞こえていた何かの音が人の声であることにようやく気付く。
振り返ると、そこには先程の少女が立っていた。改めて見るとかなり小柄だ。
飛行術が終わったからか一つに括られていたストレートヘアーはほどかれていた。
緊張しているのか、髪をくるくると指先でいじりながらこちらを上目遣いで見つめる。
その瞳は鮮血のように赤く、禍々しさすら感じる。
「!さっきの!大丈夫だった?」
「ひええぇぇ…」
思わず話しかけると、少女はびくりと肩を震わせ、一歩後ずさる。両目に涙を浮かべこちらを見る姿は子ウサギを彷彿とさせる。
「え、ごめんびっくりした?」
「だだだ大丈夫ですごめんなさいぃぃ…。」
全く大丈夫そうには見えないが、話が始まらないので言葉を続ける。
「それで…わたしになにか…?」
「は、はい…。え…と、さっき、助けてもらって…その…お礼…を…。」
「そんなん別にいいって、怪我なかったんだし。」
「ごごごめんなさいぃぃ…。」
なにに対して謝っているのかよくわからないが、とにかく彼女が想像以上に話しにくい人物であることは伝わった。
刻一刻と次の授業の時間が迫りつつあることに気付き、早く切り上げよう、と心に決めた。
「ほんとにお礼とか大丈夫だから…とにかく、無事でよかったよ。」
「ああああの!」
「?」
「わ、わたし…アリス、です。アリス・ヘルキャットと言います…。」
「あ、ああ…。私はミリセント・スコーピオン。ミリセントでいいよ。」
徐々に少女__アリスの顔が赤くなっていく。それが緊張によるものなのか酸欠によるものなのか、ミリセントにはわからなかった。
アリスは手に持っていた箒を固く握りしめ、俯きながら話を続ける。
「入学してから、なにをやってもダメで…ひ、人見知り、で話すのも…苦手で…。だから、助けてもらったのが、本当に嬉しかったんです…。」
話が終わるにつれ俯き加減が強くなっていく。消え入りそうな声でどうにか言い切ると、バッと赤らんだ顔をあげ、ミリセントを見つめる。
「そ、それで!都合の良い日曜日とかお時間あれば!…お礼を…どうしても…。」
「わ、わかった…月末とかは?」
なんだか受け取らなければ逆に失礼になりそうだったので、思わずそう答える。ちょうど暇な日だったため、都合は悪くない。
「!は、はい!」
アリスは少し口角を緩め、ふにゃりと笑う。
お礼と謝罪を織り交ぜた高速お辞儀をすると、足早に去っていった。
残されたミリセントはなにやら微妙な感覚が残ったが、とにかく講義室へ向かうことにした。
当たり前のように遅刻したミリセントは再びこそこそと講義室へ入り、苦笑いを浮かべるシャルルのとなりへ座る。
授業は始まったばかりだったらしく、少しばかり人目を集めた。
「お疲れ様、遅かったねぇ。」
「まあいろいろあってね…。」
ねぎらいの言葉をかけるシャルルに曖昧な返事を返し、教師の様子を伺いつつ飛行術の授業で起こった事のあらましを説明した。
シャルルは話が終わるまで相槌を打ちながら聞いてくれた。
「頭ではわかってるつもりなんだけど…いらないことしちゃったなって…。」
一通り話し終えると、シャルルは口を開く。
「ミリセントはいいことしたと思うけどなぁ。そんなに気にする必要ないよ!」
励まそうとしてくれている心遣いがありがたい。にしても、と言葉を続ける。
「運動得意なのは知ってたけど飛行術まで得意だとは…いいなぁ。」
「ふふん、数少ない取り柄だからね!」
少し調子に乗ってみせると、くすくすと鈴を転がしたように笑った。
シャルルは勉強は得意だが運動は全般苦手だ。それは飛行術も例外ではない。
入学前に行われた適性検査で、ただ一人箒に跨ったまま少しも飛行できなかったシャルルは問答無用でCクラスへ振り分けられた。
シャルルは再び口を開く。
「その女の子…アリスちゃんの箒はどうして暴れてたんだろ?」
「さあ…だれかのイタズラだと思うけど…。」
箒が勝手に暴れ出すことはあり得ない。原因はやはり外部からかけられた何かしらの魔法だろう。寒気のような嫌な感触も、その類だろうか。
ミリセントの脳裏に挙動不審でおどおどとしたアリスの姿が浮かぶ。
いじめられている可能性は0ではないだろう。
(次会った時、それとなく聞いてみようかな…。)
そう思った瞬間、終業の鐘が鳴り現実に意識が引き戻される。
どうやら話し込んでいるうちに授業が終わってしまったらしい。
教壇に立つコーレインはかわらず不機嫌で、簡単な挨拶をするとすぐさま消えてしまった。
(やばっ、全然ノートとってない…!)
慌てて黒板に残された内容を書き写す。そもそも今日何の魔法を習っていたのかすらもわからない。
残された板書には、灯りの魔法について書かれていた。基本魔法なので問題はない。
初めて習った頃の苦戦した思い出に浸りながら、ほっ、と胸を撫で下ろした時、一つの記憶が蘇った。
____校内で暴れる鳥のような魔獣。
人ほどの大きさで大きな飾り羽根が目を引く。鮮やかな赤の体色をした魔獣が、校内で暴れたという話を思い出す。
(そういえばあれが初めて学校で見た事故だったっけ。灯りの魔法習ってた週だし…)
曖昧な記憶だが、何人か怪我人も出たため大事になっていたはずだ。ミリセントは直接関わっていなかったが、友人の友人が怪我をしたとか何とか言っていた気がする。
(そうだ。知ってるなら止められるんじゃない…?)
先生の信頼とか取れちゃったりして、と淡い期待を持ちつつ、忘れないうちに手帳に書き込む。
ペンを走らせていると教室の外で待っていたシャルルが痺れを切らし呼びかけてくる。
慌てて手帳を閉じ、山積みの教材を両手で抱きかかえるとシャルルの後を追う。
おそいよぉ、と頬を膨らますシャルルに軽く謝罪をする。
「ごめんごめん、ノートとってなくて…。」
「だと思った。ノートくらい見せるよ。」
半ば呆れながら返事をするシャルルに感動する。正直なところ、ミリセントはその言葉が聞きたかった。
「シャ、シャルルウゥ〜〜〜好き〜〜〜!」
「もう、調子良いんだからぁ!」
ミリセントのタックルをひらりとかわし、笑いながら応える。
小さな手帳が落ちた音は、ふざけ合っている2人の耳に届かなかった。
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