そんなつもりじゃ

 基本魔法学はその名の通り、魔法における基本を習う授業だ。物を浮かせる、移動させるなどの最も汎用性の高い魔法を基本的に扱う。

魔法使いとして認められていない者でも、攻撃を目的としない場合のみ使用可能な魔法でもあり、簡単であると同時に最重要であるとも言える。

 座学と実技を織り交ぜた授業形式を展開しているが、退屈だと言う理由でミリセントの中ではあまり好きな科目ではない。

初回の試験を終え、完全に力尽きてしまったミリセントは書かれていく文字の羅列をぼんやりと眺めるのが精一杯だった。

試験問題が少しも解けなかったのは言うまでもない。


(一年生からやり直すってほんとにだるすぎる…もう知ってるやつだし…。)


 授業において行かれたミリセントでも、流石に1年の最初の頃の内容までは理解している。

周囲の生徒が真剣にペンを走らせているにもかかわらず、少しもノートを取る気にはなれなかった。


 ちらりと横を見ると、真剣にペンを走らせるシャルルの横顔が映る。不意に彼女と目が合うと、ふにゃりと柔らかな笑みを浮かべた。未だに彼女が生きていることが夢のようだ。

新しいノートに、綺麗な文字が書き連ねられていく。


 細かく丁寧に説明している教師の声も、今のミリセントにとっては子守唄とさして変わらない。


(陽が当たって暖かいなぁ…あーー寝そう…。)


 思わずあくびをすると、銀色の瞳に涙がたまる。ぽかぽかとした日差しに包まれ、知らず知らずのうちに船を漕いでいた。


 まあいっか、と半ば諦めて完全に机に突っ伏して眠りにつく。穏やかに時間がすぎ、肩をゆすられるまで目が覚めなかった。


「…ト!…ミリセント!」


「あ、あと5分…。」


 適当な返事をしてからここがベッドの中ではなく講義室の席であることに気がつく。

まだ半分寝ぼけたまま顔を上げるととなりに座っていたシャルルが青ざめた顔でこちらを見ていた。

数分寝ただけで何を大袈裟な、と顔を上げれば、先ほどまで教壇に立っていた初老の教師がすぐそばに立ち、こちらに氷の様な冷たい視線を送っていた。


「すすすみませんコーレイン先生…。」


 正面に立つ男、ギルロイド・コーレインの瞳は変わらず冷たいままだ。

素人詐欺師の様な愛想笑いとヘッドバンキングの要領で繰り出す高速謝罪で免れようとしたが、すでに遅かったらしい。


「長年教師を務めていますが…初回の授業から堂々と居眠りする生徒は初めて見ました。」


「ですよねすみません…。」


(長くなるぞこれ…。)


 言い逃れできないことを悟り、明後日の方向を見ながら長引くであろう説教に身構えた。


 コーレインは2年間基本魔法学を担当していた教師だ。眉間に皺を寄せ険しい顔をしているため、怖そうと生徒からは避けられている。

中年教師特有の話の長さはいやでも記憶に残っていた。


「一つ、質問をします。」


「?はい。」


「風の魔法は基本魔法学で習うものの一つですが、派生魔法である竜巻の魔法の『魔星図』を答えられますか?」


「?はい?」


 予想外の言葉に固まる。



 この世界で、全ての魔法は星の力を借りることで放つことができる。神話では、星を統べる女神アストラがもたらした力だと言われている。このことから星空は崇拝の対象であり、ミリセント達魔法使いは「星の魔法使い」とも呼ばれる。


 魔星図はその魔法を使うための陣だ。宙に浮かぶ目に見えない魔法の粒子を杖で特定の形に繋ぎ合わせ、魔法を放つ。その軌跡のことを魔星図と呼ぶ。



 授業の中でさまざまな魔星図を習ったが、半分以上は記憶から抜け落ちている不真面目なミリセントに答えられるはずがない。


(ちっともわからん…でもわかりませんって言うのやだな……。それに、魔法も使いたくない…。)



 これなら普通に説教を食らったほうがマシだ、と目を瞑り時間が過ぎることを願う。夕食にでも思いを馳せようかと思ったその時、記憶に何かが引っかかった。


(少し前に、習った気がする…?)


 記憶をたどりながら、辿々しく杖を振り魔星図を描く。

それが完成したと同時に、ミリセントの目の前に小さな風の渦ができ、瞬間爆発的に巨大化し一本の大きな風柱を作り上げた。

想像以上の強風に思わず声を上げ目を瞑る。


 しまった、とミリセントは心の中で舌打ちをした。派手に魔法を使うつもりはなかった。しかし、ミリセントには力の調節ができない。


 魔法使いはそれぞれ持っている魔力量が違う。魔力量が多いほど魔法も強大なものになるが、制御や調節は難しくなる。逆に魔力量が少ないほど、放つ魔法は弱くなってしまう。その分、制御や調節は多い人より簡単になる。


 ミリセントは生まれつき持っている魔力が異常なまでに多い。そのせいで3年間まともに魔法を使うことができなかった。


 再び目を開けると竜巻は消えていた。正面に立つコーレインが不機嫌そうな顔で杖を持っている。その様子から、彼が竜巻を消したのだと理解した。


「…天井を破壊した生徒も初めて見ました。」


 その言葉につられ天井を見上げると、そこには大きな穴が開いていた。ぱらぱらと木片が降ってくる。


「す、すみません…。」


 特に言い訳をできないので平謝りするしかない。しょんぼりと肩を落としていると再びコーレインが口を開いた。


「しっかり勉強している様なので今回は見逃しましょう。ただし、次は大幅に減点しますよ。」


 そう言うと杖を軽く振り、天井の穴を修復して教壇へと戻った。

こちらを見ていた生徒たちも再び教科書に目を落とした。


 ぽかんとしていると、シャルルに袖を引っ張られる。


「すごいよミリセント!まだ魔法もほとんど使ったことないのに3年生で習う魔星図描けるなんて!」


「え、うそ。」


「嘘じゃないって。私も勉強しなくちゃなぁ。」


 一人で勝手に納得しているシャルルにおいていかれたが、言われてからこれが初回の授業だったことを思い出す。記憶に新しい魔星図だったのも、それなら納得がいく。


(って、絶対解けない問題出されたってこと?やっぱ苦手だこの先生…。)





 それから何事もなく授業は終わり、終業の鐘が聞こえるとミリセントは大きく伸びをした。


 質問してくる、とシャルルが足早に先生を追って消えてしまったため一人で荷物をまとめることになった。

山積みの教科書を抱え、次の授業を確認していると聞き覚えのある声が聞こえた。


「ね、君さっき竜巻の魔法使ってた子だよね?」


「まあ一応…。」


 そう答えてから声の主に向き直り、それがよく知っている顔であることに気がつく。


「あれ、ルーク?」


「俺のこと知ってるの?」


 言われてからこの世界では初対面であることに気がつく。まごつきながら曖昧な返事をすると、変なのー、と笑われてしまった。


「まあ、一応挨拶。俺はルーク・ヴランシュト。面白そうな人だなぁっておもって、声かけようかなーって。」


「あ、そうなの…。私はミリセント・スコーピオン。さっきのはただのまぐれだけどね。よろしく。」


 ルークは以前の世界でミリセントと仲の良かった友人だ。サボり癖のついたミリセントと同じくめんどくさがりで、よく授業を放棄しておしゃべりに興じていた。

黒いさらさらの髪に金色の目を持ち、いつも浮かべる柔らかい笑顔は、ザ・好青年といった印象を周囲に与える。


 小走りで戻ってくるシャルルに気付いたのか、ルークは踵を返しまたね、と手を振った。

応えるようにミリセントも手を振りかえすと、ルークは男集団の元へ戻って行った。


 何やら冷やかされている様子を眺めながら、戻ってきたシャルルに声をかけ教室を後にした。

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