慰めのひと時
しばらくして、シャルルがティーポットとティーカップを二つ持って戻ってきた。
ふわりと漂う果実のような甘い香りがミリセントの気持ちを落ち着かせた。
少し笑顔を取り戻したミリセントを見て、シャルルは嬉しそうに微笑んだ。
「いつも天真爛漫なミリセントも泣くことあるんだね。」
「ま、まあね。」
少しだけ現実を受け入れられるようになり、安堵とともに恥ずかしさが込み上げてくる。赤面を隠すように、まだ湯気の立つ紅茶を一気に流し込んだ。
翡翠色の髪を揺らし、にこにこと隣で微笑むシャルルは、ミリセントの初等学校の頃からの幼馴染だ。正義感が強くまじめであり、心優しい性格で自慢の友人だ。同時に過度の心配性でもある。
学年トップを取り続けた才女と万年補習組の関係は昔から変わらない。
ふと、気になっていたことを口にする。
「あ、あのさ。私の目ってなんでこんなんだったっけ…。」
見覚えのない眼帯とそれに隠された左目を指差してみせる。
以前までのミリセントにこのような傷はなかったはずだ。
それに対しシャルルはんー?と怪訝な顔をして小首を傾げた。
「ミリセント昔からつけてたじゃん〜。なんでつけてるのか教えてくれなかったし…。」
「え、そうなの?」
「覚えてないの!?」
ショック!と冗談めかして驚くシャルルに、ミリセントは本当に困惑していた。
死にかけた際にも目には傷を負っていなかったこともあり、少しも思い当たる節は無かった。
「ね…ほんとに大丈夫?」
「えっ!だ、大丈夫だよ!!」
「…そう。」
微妙な空気が流れたまま、紅茶と一緒に持ってきた甘いスコーンを朝食代わりに頬張っていると、シャルルがあっ、と小さく声を上げる。
そして、ミリセントの方に向き直るとぱあっと顔を輝かせながら口を開いた。
「ねえねえ、せっかく早起きしたんだし今から学校探検しに行かない?」
「えっ、探検…?」
「そう!こんなに広い校内ってなんだかワクワクしない?それに、明日から授業始まるんだし、今のうちに学校の中見ておかなくちゃ!」
目を輝かせる今のシャルルには、わくわくという言葉が一番似合うだろう。
既に3年通ったミリセントからするとあまり好奇心は湧かないが、それでもたまに迷ってしまうくらい、この学校はとにかく広い。
校庭や森など学校が所有する敷地全てを合わせれば小さな町に匹敵するほどだ。
(状況整理したいけど、情報収集できるかもしれないし…。)
逡巡し、すぐに顔を上げ口を開いた。
「いいよ、行こっか!」
「わあ、ありがとう!!ちょっと待ってて!」
すぐ支度する、とシャルルはパタパタとトランクの方へ駆け寄った。
慌てる彼女を見て、ミリセントはくすりと笑った。
__なんだか、拍子抜けするほど平和だ。
自分が死の淵に立たされ、友人が大勢死に、絶に追いやられたあの世界は本当に夢だったのかもしれない。
少し気分が明るくなり、ミリセントも支度を始めるため腰を上げた。
ここエストレル学園はアエリエル王国一の魔法学校としてその名が知られている。
のどかな田園風景の先に広がる小高い山々。うっすらと雲がかかる山の頂に、エストレル学園は位置する。雲を裂き天高くそびえるその荘厳な姿は見るものを圧倒する力を持っている。古城と表現したほうがより正確だろう。
この学園では、中等教育を修了した15歳の生徒が、学園の寮に入り3年間魔法について専門的な授業を受けることができる。
黒を基調とし、金の装飾が施された制服は非常に人気が高い。魔法使いらしい大きなつばあり帽子と黒いローブが正装である。
寮は二つに分けられており、太陽寮、月寮と名付けられている。寮カラーは赤と白であり、それぞれローブの裏地や差し色に使われている。
自由度の高い校風とレベルの高さが魅力であるが、もちろん誰でも入学できるわけではない。
まず第一に、魔法を使える人だけが入学できる。
他の魔法学校では、魔法学科と普通科の2つの学科が用意されていることが多い。しかしエストレル学園は魔法学科のみ置き、優秀な魔法使いを育てることに重きを置いている。
この世界において、魔法を使えるのは生まれつき適性のある類稀な子だけだ。魔法を使える者を「杖あり」、使えない者を「杖なし」と呼ぶこともある。魔法の適性は主に遺伝により発現するが、その人数は人口の約3割と極少ない。
その分、エストレル学園含む魔法学校を卒業すれば、卒業後の未来は約束される。魔法使いはその有用性から各業界で重宝され、高待遇を受けることが多い。
第二に、学力が重視される。
ただ魔法が使えるだけであっても、基礎知識が足りなければ魔法を学ぶラインには立てない。そのふるいにかけるため、エストレル学園の入学試験は特に厳しいと有名だ。
つまり、エストレル学園に在籍する生徒は皆賢く優秀な魔法使い見習いと言えるだろう。
___ミリセントを除けば。
「あんなに魔法使いになんてならないって言ってたのに、どうしてここに進学したの?」
大理石と触れ合うローファーが硬い音を立てながら、シャルルはミリセントに訪ねる。
中等学校にいた頃、留年候補のあだ名を付けられたミリセントの学力は伊達ではない。
時間が戻る前、3年生だったミリセントの学力もそこまで伸びず底辺だったことに変わりはない。
痛いところをつかれたと言わんばかりに、ミリセントは少し顔を歪めた。
「…まあ、それが条件だったから…」
「ふぅん…?」
言葉を濁しながら、ボソボソと小声で返答する。シャルルがすぐに引き、また違う話題を投げかけてきたためその話題はそこで終わった。
1時間ほど歩き回り、疲れ切った2人は廊下に置かれていたベンチに腰掛けた。
美しいステンドグラスから差し込む早朝の光が、優しく2人を包み込む。
ここまで大まかにしか目を通していないが、ミリセントは確信していた。
いまいるこの場所は、間違いなくミリセントが1年生の時のものだと。シャルルの話す話題や細かな現象は2年前のそれと全て一致していた。
そして、あの惨劇は起こっていないということ。
この二つから導かれるのは「時間が巻き戻った」という一つの真実。
ミリセントの仮説は立証されたのだと、認めざるを得なかった。
そんな気はしていたけど、とさまざまな感情が入り混じり大きなため息に変わる。
その様子を見たシャルルは心配そうにミリセントの顔を覗き込んだ。
「やっぱり、まだ体調悪い…?」
「!全然!大丈夫!!」
ごまかすように、ぶんぶんと大げさに手を振ってみせたミリセントとは逆にシャルルの表情には翳りが見えた。
「ごめん、朝から連れ回しちゃって…今日はもう部屋戻ろっか。」
「うっ…気使わせちゃってごめん…。」
「気にしないで!私がそうしたいの!」
行こっか、とシャルルがベンチから立ち上がりふわりと笑う。
親友の笑顔にどこか懐かしさを感じ、つられるように、ミリセントもほおを綻ばせた。
___ああ、その笑顔が、大好きだったんだ。
後を追うようにミリセントもベンチから立ち上がる。
その瞬間ぞくりと嫌な気配を感じた。
思わず身震いしてしまうような、心臓まで凍ってしまうかと思うような寒さ。
金縛りにあったかのように、体は少しも動かない。
何かが、とても嫌なものがすぐ背後にいる。
つう、と冷や汗が背筋を伝う。無意識にミリセントの手は震えていた。
耳元で何か聞こえたような気がした。
何者かの囁き。それが伝言なのか呪いの言葉なのか、ミリセントにはわからなかった。
ただ恐怖だけがそこにあった。
「ミリセント!!」
その声が聞こえた瞬間、ふっと嫌な気配は消えた。自分の荒い呼吸音に気付き、現実へ引き戻されるような感覚を覚えた。
今たしかに、何かがいた。
同意を求めるつもりで顔を上げると、訝しそうな顔をしたシャルルがこちらを見つめていた。
「もう、話しかけてるのに聞いてないんだから。」
「いっいま、何かいなかった!?」
「何か…って?何もなかったよ。」
怖い夢見たからじゃない?とにやついた笑顔を貼り付けていた。
子供扱いされるのが癪だったので、ミリセントは意地を張って反論した。
くだらない会話を重ねるうちに、気のせいかと思えるようになっていた。
(ここに来る前のこと、意識しすぎてるのかも。)
ぶんぶんと首を左右に振って、しっかりしなくちゃ、と頬を平手で軽く叩いた。
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