第4話 救いの手

 乗合馬車でカンタラリア方面に向かっている途中で、盗賊に襲われてもうダメかというその時だった――


「お前達、何をやっている!」


 少し離れた場所に馬車を止めて、三人の若い男達が剣を抜いて五人の盗賊の方へ駆け寄る。


「なんだぁ? ガキが三人来やがった!」

「剣を持ってやがるぞ?」

「あんなガキどもにやられるかってんだ。しかもたった三人だぞ?」

「そうだ、やっちまおう! 獲物が向こうから来てくれたんだ」

「おかしら!」


 盗賊達が三人の男達を迎え撃つ事を決めて、エミリアを森の奥に連れ込もうとしていた盗賊頭にも声が掛かった。

 エミリアは、これでひとまず貞操の危機は逃れたと思ったが、「すぐ済ませる。五人いりゃ充分だろ?」と取り合わなかった。


(な! 何てこと……)

「お、お仲間は大丈夫なの?」


 エミリアはショックで気が遠くなりそうになりながらも、気丈に聞いた。

 馬車の方では既に剣戟けんげきの音がしていた。

 頭はエミリアの質問などお構いなしに、森の奥へと歩を進めている。


「ここらでいいだろ」


 頭がそう言うと、エミリアは自分の人生もここまでかと覚悟を決めた。

 その時、茂みを掻き分けるガサガサッという音と共に「待てっ! その子を離せ!」という声が聞こえた。


 頭が「チッ」と舌打ちして、エミリアから手を離して声の方を振り返った。


「あいつ等は何やってやがる! こんなガキ相手に……。おいっ! 殺されたくなきゃすっ込んでろ!」

「黙れ! 外道が」


 追ってきた男と頭が、数度言葉を交わしたと思ったら、戦闘が始まる。

 エミリアは少しでもこの場から遠ざかりたかったが、腰が抜けてしまって動けないでいた。


「う、動けない……」


(もし、助けに来て下さった方がやられてしまったら、もう本当に後が無いわ。少しでも逃げないとっ!)


 エミリアは力を振り絞って、頭達に背を向けて這うように進んだ。



 数度の剣と剣のぶつかる音の後、「ぐわぁ!」と悲鳴が聞こえ、すぐにガサガサという音がエミリアに向かってきた。


(ああ……もう終わりね)


「大丈夫ですか?」

「ふぇっ?」


 諦めかけていたエミリアに掛けられた予想外の言葉に、思わず変な声で応えてしまった。

 エミリアが振り返ると、森の淵から差す光の逆光で、黒い影となった男がそっと手を差し出してきた。


「立ち上がれますか?」

「はっはい!――あれ?」


 エミリアは立ち上がりたいのに、まだ腰が抜けていて上手く立ち上がれない。


「無理しないで、ゆっくり立ちましょう」


 空を彷徨うエミリアの手を、男は優しく掴んだ。

 男は確か若いはずなのに、エミリアを力強く自分の方に引き寄せて、まだ足のおぼつかないエミリアの足にもう片方の腕をまわして抱き上げた。


「きゃっ」

「失礼。こんな所にいつまでも居たくないだろう?」

「……はい。ありがとうございます」


 男はエミリアを抱き抱えているのを物ともせずに、茂みをズンズンと抜けていく。

 日差しの方向が変わって、エミリアが望めばその男の顔を見ることができるが、エミリアは見ることができなかった。

 エミリアには、男からの石鹸の香りと乱れの無い呼吸音が届いている。


(こ、このように男性に抱きあげられたのは初めて……。恥ずかしくてお顔を見られないわ)


 エミリアは、自分の顔が赤くなっていくのを感じた。そして、真っ赤な顔を見られたくないので、両手で顔を覆った。


「おっ! マックス! 王子様のご帰還か?」

「おいセイン! お嬢さんを見ろ!」

「あっ! ……す、すまん。悪気があったわけではない。許してくれ」


 両手で顔を覆うエミリアを見て、手遅れで泣いてしまっていると思ったのだろう。軽口を叩いていた男が、エミリアに謝罪の言葉をかける。


「この子は無事だよ。僕が間に合わないはずないだろ? 腰が抜けているだけだと思うよ」

「そうだな。マックスが行ったんだからな」

「お嬢さん、もう大丈夫ですよ。賊はもういませんからね」

「おーおー、ベルントは優しいことで。賊をぶっ刺したとはとても思えないな」


(この方は、マックスさんと仰るのね)


 マックスは、セインやベルントと話しつつも歩みを止めず、他の乗客の元へエミリアを連れていき、優しく降ろした。


「お嬢ちゃん、大丈夫だったかい? 心配したんだよ?」


 馬車で隣だったおばさんが、エミリアの元に来て抱き寄せた。


「この方達がいらしてくれて良かったね」


 ようやく顔の赤らみが引いたエミリアは、思い切ってマックスを見た。

 マックスは、一七〇センチメートルのエミリアの兄クリスよりも少し大きく、筋肉としなやかさが同居したような締まった体型に清楚なシャツスタイルで立っている。


「あのっ! この度は本当にありがとうございます!」


 マックスは、銀色で緩く螺旋らせんを描くようなクセっ毛を風に揺らしながら、バイオレットブルーの瞳でエミリアを見つめて優しく微笑んだ。


「無事でなによりです。お怪我はありませんか?」

「は、はい! 大丈夫です」


 マックスはその場を離れて、セインとベルントに合流した。

 最も大柄――エミリアの祖父グランツ程――なセインが盗賊達の遺体を一か所に集めて、エミリアと同じくらいの小柄なベルントが、麻袋に入れられた金品を確認を取りながら返却していった。

 マックスは、男性乗客と何やら話しあっている。


「皆さん。大変な目に遭われましたね」


 マックスがエミリア達乗客に語りかけるように話し始めた。


「残念ながら、この乗合馬車の御者は賊に殺され、もう一名の乗客も殺されてしまいました。幾人か怪我を負ってもいます」


 確かに数人の負傷者がいて、ベルントが応急処置を施している。


「幸い馬車も無事で、皆さんの中に馬車を操れる方がいましたので、一度リーンに戻られた方がいいでしょう」


(そんな……リーンに戻るなんて嫌! どうしたらいいの?)


 乗客たちが手を取り合って馬車に戻る中、エミリアは途方に暮れていた。


「どうした? 嬢ちゃん。急がねえと置いていかれるぞ?」


 セインがエミリアに気づいて話しかけてきた。

 そこにマックスとベルントも加わる。


「あ、あの……私、リーンに戻りたくないんです! 戻れないのです!」


 エミリアの訴えに切実な事情を感じ取ったマックス達三人は、少し相談して「自分たちの馬車に乗せてもいい」と言ってくれた。


「ありがとうございます!」


 エミリアはお礼を言い、急いで乗合馬車から自分の麻袋を持ち出し、世話になったおばさんに挨拶をして馬車を見送った。

 マックスが手で合図を送ると、離れた場所にいた彼らの馬車がこちらに向かってくる。

 彼らの馬車は立派な二頭引きの馬車で、客車も屋根部分に荷物を積めるしっかりとした構造の客車だった。


(これは……随分と高位な貴族の御子息に違いないわ。馬車には紋章が描かれていないけれど、帝国の方かしら?)


 エミリアは思ったが、詮索する様な真似はいけないと思いとどまった。


「どうだった? トムソン」

「盗賊以外居りませんでした」

「……そうか」


(御者さんは、トムソンさんとおっしゃるのね。遠くから盗賊に仲間がいないか見張っていたのかしら? いけない詮索はダメ!)


 マックスとベルントが先に客車に乗り、セインはエミリアの乗車をエスコートし、ベルントも車内から手を差し出してエミリアの着席をエスコートした。

 客車内には何故かルノワがいて、大あくびでエミリアを迎えた。


(もう! ルノアったら、大変な時にどこにいたの? 危なかったんだから、私)

(ニャオ?)

(生きているじゃないかって? そ、そうね……)


 セインも乗車し、ドア側の席に着くと、馬車は静かに動き始めた。

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