第20話 警察官

警察学校を卒業後、翌日にエミリーから告白を受け付き合い始めるという予想していなかった出来事が発生し浮かれていたのだが、いざ警察署での勤務が始まればそんな気分も直ぐに吹き飛んでいった。

私は初任科を卒業したばかりの新人であり、これからの勤務態度や実績の1つ1つが今後の警察人生に影響を及ぼすため何事にも真面目に取り組む必要があったし、それ加え一線(蔵山警察署)での生活は忙しかった。


初当務日。

長年の夢であった警察官として、本当の職務執行を行える日を迎えた。

入校時に約1週間、制服研修で交番勤務をしたがそれとは訳が違う。

今日からは、現場での自分の行動・発言全てに「警察官」という大きな責任が伴ってくるし、市民にとって新人かベテランかは関係無いからだ。


朝の身支度をしながら、どんな事件・事故を引くのだろうか…と考えていた。

警察署に着いてから、先輩方に新人の朝の一連の作業を教えてもらいながら机拭きなどの掃除、毎訓(地域課の朝礼)の資料準備などを行った。

毎訓が行われる毎訓室は、ホワイトボード・長机・椅子・パソコン。金属の棚が置かれているだけの小さな会議室だった。

準備を終え、先輩たちと毎訓室で話をしていると勤務員が続々入ってきた。

勤務員の皆さんに挨拶をしていると私の相勤者であり警察の師匠となる”田中巡査長”が入ってきた。

(数日前、警察学校入校中に知り合った3期先輩の窪田先輩が元山科交番の勤務員であったため先輩の御好意で交番内の説明をしてもらっていた。

その際、田中さんと初対面し、挨拶をしていたのだが、年齢は自分の両親ぐらいで寡黙な人であったため「良い関係が築けるかなぁ」と少し心配に感じていた。)

私は「おはようございます、今日からよろしくお願いします!」と言うと田中さんは前回と同じくボソッと「おはよう」と言うと着席した。

これが田中さんの標準なのか、それとも私に興味が無いのか…それはまだ分からなかったのでこの人のことを1日でも早く理解できるように、認めてもらえるように頑張ろうと思った。

そうこうしていると、当班の係長『蒲島警部補』が入ってきて声を掛けてきた。

「ノリト君おはよう。急遽だけど簡単でいいから自己紹介と挨拶してもらうから心の準備しといて」と言われた。

私は「おはようございます、了解です。」と返事をしたが「え?唐突すぎだろ…何言おうかな…」と考えていると地域安全官・課長・企画の係長等地域課の幹部が集結し毎訓が始まった。

「おはようございます。◯月◯日、毎訓を始めます。先ず当班に来ました新人のノリト君に挨拶をしていただきます。」という蒲島係長の指示を受け、私は席を立ち、幹部に一礼してから幹部の前に立たないよう会議室の隅に移動した。

そこで勤務員の皆さんに敬礼をし、「おはようございます!ノリトリュウタと言います。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。」と挨拶をすると温かい拍手で迎え入れていただいた。


毎訓後、警察手帳と拳銃の出納を行い、警電(業務用電話)で前当務員に交番で必要な物品等の確認を行った後、交番に向けて出発した。

通勤の間は、警察官ということを認知されないように上っ張り(制服や装備を隠せる大きさのジャケットなど)を着るのだが、市民とすれ違う時に「警察ってのバレてんのかな?それとも皆警察がここにいるなんて分からないのかな?」と周囲の目が気になっていた。

交番につくと前日の勤務員である交番所長の狭山部長と相談員さんがいた。

「おはようございます。ノリトリュウタです。これからよろしくお願いします。」

と挨拶をすると皆さん元気よく「おはよう、よろしく〜」と挨拶を返してくださった。

彼らと雑談をしていると田中さんが入ってきた。

狭山部長が田中さんと引き継ぎ事項の話をした後、私に「ノリ、初当務頑張れよ!」と声を掛けて本署に帰っていった。

田中さんから引き継ぎ事項内容について簡単な説明を受け、対人防護衣等の準備をするように言われた。

ロッカールームで対人防護衣と他の装備品を装着し、遂に当直勤務開始となった。


私は、蔵山警察署山科交番という交番に配属された。

県下で3本指に入ると言われていた激務の交番で、先輩方から

「ノリト、初任地で蔵山かつ山科交番はもってるわ!」

「大変だと思うけど頑張れよ〜」

「初任地で山科経験したら即戦力になれる。」と慰められたり、励まされたりしていた。

その言葉どおり、初当務から山科交番の洗礼を浴びるのであった。

午前中、しばらくは勤務指定どおり巡回連絡や警らなどを実施していたのだが、次第に事案が入り始めた。

最初の事案は、喧嘩口論だった。

当初の入電ではただの喧嘩口論であったが事情聴取していく内に暴行事案であることが判明し、当事者を任意同行することになったため実況見分調書を作成することになった。

初めて現場での見分ということで少し緊張をしたが、警察学校での現場想定訓練と師匠の指導のおかげで何とか見分を終わらせることが出来た。

(色々不備があって刑事に叱られたのは後の話…。)

そうこうしているとあっという間に昼になり、「やっと休める」と思ったが続けて交通事故が発生し、これが主要幹線道路での人身事故であったため事故処理+交通整理で時間が掛かり昼休憩は無くなった…。

それから万引き、侵入窃盗と休憩をする暇もなくずっと現場に出っぱなしだった。

初当務は昼・晩飯はおろか小休憩すらまともに取る時間もなく、激動の1日だった。

何とか仮眠時間は確保出来たため、就寝前に2人で晩飯を食べている時「こんな勤務が毎当務続いたら俺、もつんだろうか…」と心の中で思った。

ふと師匠を見ると黙々と晩飯を食べていた。

師匠は無駄な会話をしない人で私も初当務日ということで様子見状態だったため、1日を通して現場対応に関する指導と私の勤務に関する質問以外はほとんど会話が無かった。

「3日に1回は、24時間以上は一緒に過ごすことになるから早く仲良くなりたいな」と思った。

仮眠後の朝は、通学の見守りと事故処理であっという間に勤務終了時間を迎えていた。


当務明け、書類作成をしていると昼飯の時間になった。

同じ部の駅前交番で勤務している松野先輩が隣に来て「ノリト君、書類作成中にごめんね。若手皆で昼飯を食いに行こうと思っているんだけどどうかな?」と飯に誘ってくださった。

直ぐに「行きます」と返事をしたかったのだが、師匠にわざわざ残っていただいて書類作成について教えていただいていたので「どうしようかな…」と考えているとそれを見越してか隣の席に座っている師匠が「折角だから行っておいでよ。あとは大したものないから、また次当務もあるし」と言ってくださった。

「すみません、お言葉に甘えて行ってきます。」と断りをして先輩についていった。

「田中さん、忙しい時にすみません」と松野先輩も師匠に断りをし、私達を待っていた他の先輩方と合流し、近くの喫茶店に行った。

喫茶店では、先輩たちに改めて自己紹介をし、初当務についての感想と先輩たちからの質問、あと勤務内容などについて花を咲かせた。

(その喫茶店は『イーグル』という名前で、署から近いこともあり職員御用達だった。

そこの日替わり定食がボリューミーでコーヒーも付いているので、蔵山警察署勤務時代は何度もお世話になっていた。)


警察官は公務員という性質上多くの書類を作成するが、その中に実況見分調書という書類がある。

現場状況を検証した資料なのだが、これが他の書類に比べて作成に膨大な時間を要するため敬遠されがちな書類だった。

実況見分は事件・事故の軽重によって書式や内容も変わるのだが、侵入窃盗は本見分という書式になっており、もっともページ数や図面の数が多くなるため本気で嫌われていた。

(応援に来た他交番の勤務員に実況見分を押し付けてくる人もいるぐらいで、特に書類作成に不慣れな新人にとっては、これの話だけで酒が飲めるくらい一大事だった。)

なので、初当務で受けた侵入窃盗の実況見分調書は初めてなのに量が多すぎて目玉を食らっていた…。


その後の当務も連日のように激務で、多くの事案対応をし、たくさんの書類を作成したが、そのおかげで様々な課の人たちと関わる機会があり、多方に名前と顔を売ることができ、職務について多くのことを学ぶことが出来た。

書類に関して言えば、地域課員が作成した他部署(刑事・生安・交通等)の書類は、担当部署に引き継ぐのだが、書類をするだけ書類訂正で突き返されていた。

当務になる度に「交番に行く前に書類訂正しに来て」「寮に帰る前に書類訂正しに来て」と書類訂正の電話や付箋が地域課にある各交番用ロッカーに貼られていた。

ある時は、労休日に私電に電話が掛かってきた。

3交代だと平日も休みがあるが、刑事課などは基本平日はフルで働いているので、休み関係なく書類訂正に呼ぶのは理解できるし、それが新人であれば尚更だと思う。

あと、事件の軽重によって急ぐ必要があることも承知していた。

こればかりは、自分の書類作成能力が無いからであって書類が出来るようになればそうはならないから今は我慢しか無いと割り切っていた。

色々な課の人に叱られ、教えてもらいながら書類や仕事のやり方を覚えていった。


一線での生活は、大変かつ忙しかったが先輩や上司に恵まれていたおかげでとても楽しいものだった。

師匠とも次第に打ち解け、勤務中に仕事のことからプライベートまで色々な話をできる間柄になっていた。

また、機動警ら係(パトカー)に職質の師匠とも言える先輩もできた。

休みの日は、先輩や同期たちと遊びに行ったり、飲みに行ったりととても充実していた。


エミリーとはどうなっていたかとうと、忙しかったものの連絡は欠かさずに行っていた。

警察学校時代とは違い、携帯電話をいつでも自由に使えるためエミリーとはよく長電話をしていた。

非番日の夜に電話をしていると当直日に仮眠をほとんど取れないせいか寝落ちをよくしていた。

朝起きて携帯を見るとエミリーから「おやすみ」というメッセージがいつも届いていた。

エミリーと付き合うまでは「長電話ってそんなに何の話すんの?」と思う派で電話はほとんどしないタイプだったのだが、エミリーとは会えない分、声を聞いて側に感じておきたいと思っていたから長電話が苦では無くなっていた。


ある日の電話でエミリーが「来年、日本に留学しようと思っている。」と話し始めた。

(私達は、付き合う前から「いつか会いたいね」と話をしていたが、付き合い始めてからはより一層そう思うようになっており、エミリーはペンパルして出会う前から日本に興味があって日本で働きたいという願望があったため、「日本に再度留学したい」とよく言っていた。)

エミリーは続けて「前から日本に留学しようと思っていたけど、リュウタに早く会いたいからなるべく早く行けるようにしたいと思っている。」と言った。

私はこの言葉がとても嬉しかった。

エミリーにはいつも会いたいと思っていたし、それが現実味を帯びてきたことが素直に嬉しかった。

ただ、大学のことは詳しくわからないので何とも言えないが、そんな理由で留学を決定して大丈夫なのか?と疑問に思った。

私は「俺も早く会いたいからすごく嬉しいけど、そんな理由で決めて大丈夫なの?」と率直に気持ちを伝えた。

するとエミリーは「うん、全然問題ない。ちゃんと考えているし、親にも説明するから任しといて。」といつも通り自身満々に答えた。

(出会った頃からそうだったが、エミリーはいつも自信に満ちあふれていて自分の道を切り開こうとする強さがあった。

だから、エミリーが大丈夫というなら任せておこうと思っていた。)

エミリーの自身満々の声を聞いて、私は妙に納得し「OK、じゃあ進捗があったらまた教えてよ。」と言った。


エミリーと会える日が段々と近づいてきていることが凄く嬉しく、そして周囲に隠すこと無く交際が出来る日が早く来ればいいなと思うのであった。

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