10話「最後の夜」






   10話「最後の夜」




 その日、花と父親である宝石の瞳のテディベアは凛の工房を見学させてもらえる事になった。

 凛が「ぜひ見ていきませんか?」と言って、案内してくれたのだ。



 工房には窓側に木製のテーブルが荷台並んでいた。壁には設計図やオーダー表がかかれており、逆側の壁面には棚が天井まで並んでいた。広い室内は小さな手芸店のように布やビーズ、綿や糸が並んでいた。彩り取りの材料は花屋にも見える。



 「……テディベアだけじゃくて、お洋服も作ってるんだね」

 「そうだね。オーダーがあれば何でも作るよ。ドレスやタキシード、メイド服。それにどこかの学校の制服も作ったことがあるよ」

 「一人で全て作ってるの?あ、でもテーブルが2つあるから、他にスタッフさんがいるの?」

 「………いや、一人だよ」



 凛は右側のテーブルを見つめながら、しばらく考えた後にそう教えてくれる。その視線は何か遠くを見ているようだった。花は、前店主である祖父の面影を見ていたのだろうか、と思った。




 右側のテーブルにはクマのぬいぐるみの材料が多く置かれており、左側は様々な布が整理されて棚にしまってある。こちらでは洋服を作ってるようだった。仕事毎に場所を分けているのだろうか。



 「花ちゃん、テディベア作ってみる?」

 「え!?わ、私、出来ないの。編み物だったら出来るけど縫い物とかは苦手で」

 「編み物出来るの?」

 「えぇ……レース編みが好きで」

 「花のレース編みはとても上手で妻のストールやブックカバー、テーブルクロスなんかも作っていてね。文化祭ではかなり売り上げていたんだよ」

 「お、お父様。それは昔の話で……」



 昔を懐かしみながら、父の言葉が弾む。

 娘である花の自慢話を始めると、父は止まらなくなってしまうのだ。それぐらいに誇らしくしてくれるのは嬉しいが、パーティーなどで止まらなくなってしまう父親の横で恥ずかしくなる、という事が多々あったのを思い出し、花は苦笑してしまう。



 「レース編みの洋服はやってみたかったんだけど、どうも難しくてね……。もしよかったら、作ってくれないかな?もちろん、お金は払うよ」

 「でも、小さな洋服なんて作ったことない」

 「時間があるときでいいから考えてみない?花ちゃんが好きなことなら、ぜひ。趣味としてやってくれてもいいから。興味はあるかな?」

 「きょ、興味はある」

 「そっか。じゃあ、型紙とか教えるよ」



 凛はそういうと、左側の棚から型紙を取り、説明をしてくれる。花はそれに目を注ぎ彼の話を聞く。


 フッと後を向くと、床に置かれてあった段ボールの上に父親と凛のテディベアが並んで座って何かを話していた。父の表情はわからない。けれど、明るい雰囲気を感じられ、きっと変わらない穏やかな表情をしているのだろうな、と思った。








 夜になると、4人は移動を始める。

 凛が運転する車に乗ってある場所へと向かっているのだ。いつもならば寝ている時間だが、寝れるはずもない。後部座席の中央にちょこんと座るテディベアを見つめると、切なさが込み上げてくる。


 もう会えるはずもない人だと思っていた。

 四十九日の奇がなければ、こうやって並んで座ることも、泣いて怒ることも、許すことも、父に自慢してもらうこともなかった。

 そう思うと、人より多く別れる時間を過ごせた事は幸せだったのだろう。


 けれど、まだ心残りがあった。



 「………お父様。本当にお母様に会わなくていいの?」

 「あぁ。こんな姿になってしまったと聞いたらビックリして倒れてしまうよ」



 わざと冗談を言って場の雰囲気を明るくする父。

 本当に母を愛していたのに、母は父の葬式にも現れなかった。それぐらいに、母は傷ついているのかもしれない。だからこそ、母に本当の事を伝えて欲しかった。


 「……電話でもいいです。少しだけでも話しませんか?きっとお父様の口から話を聞けばわかってくださいます」

 「ありがとう、花。でも、大丈夫だよ。私は1度は死んだ人間なんだ。だから、もういいんだ」

 「お父様……」

 「でも花に1つだけ頼んでいいかな?」

 「……なんなにと」

 「目的地に着いたら話をするよ」



 横にいるのはテディベア。

 けれど、花の目に映るのは父親そのものになっている。それぐらいに父の声は優しく、昔の姿を思い出されるものになっていた。

 大好きな父。

 死んでしまった、2度と会えないと思っていた父。


 四十九日の奇で再会できた。

 それは幸運で、とても尊い時間で、ありがたいもの。


 けれど、花はある感情が別に芽生えてきていた。






 大きな音と真っ暗闇が支配する場所。

 耳に入るのは風の音と、迫り来る波の音。

 月明かりも多少はあるが、目の前に広がるのは黒。

 花の父がこの世の最後の場所に選んだのは、花が住んでいた家から1番近くにある海岸だった。


 「……妻と初めてのデートはここだったんだ。それに花が初めて海水浴に行ったのもこの海だった。妻の水着姿はとても綺麗だったし、波に驚いて泣いてしまう花はとても可愛かった。ここは、私にとって幸せだった記憶しかない。大切な場所なんだ」

 「……私も覚えています。夏になると、この場所に連れてきてもらったことを。海外旅行も好きだったけれど……この海の方が何故か好きで、いつも海にいきたいとお父様にせがんだ思い出があります」

 「あぁ、そうだったな」



 父は亡くなってから四十九日がとうに過ぎている。あの世に送らなければ、どんどん帰れなくと言われている。四十九日が過ぎてからは、供養は早ければやはいほど良いとされている。


 そのため、花は早くに送ることに決めた。それに、父もそれを望んでいたようだった。



 四十九日の奇で必要なものは、ただ1つ。

 火。

 それだけだった。亡くなった時に持たせるといいと言われる小銭や短剣などは必要はなかった。それらは火葬時に行っているからだ。

 それに、よく燃えるように着火しやすい木や新聞紙なども必要なかった。

 四十九日の奇で魂がうつったものは、何故かどんなものでもよく燃えるのだ。金属でもダイヤモンドでも何でも、だ。

 花は変哲もない白い蝋燭とマッチを持ってきていた。

 

 4人はサクサクと砂浜を歩く。

 それをうっすらとした月明かりが照らしてくれる。その時間は花にとってとても短く感じられた。このまま、もう少しだけ話をしなくてもいいから父親の隣に居たかった。

 けれど、無情にもテディベアの足はすぐに止まった。



 「………ここにしよう」

 「はい……」



 父は足を止めると、そう呟き、花を見上げた。



 「花、君に渡したいものがあるんだ」

 「お父様?」

 


 そう言うと、父は少し後を歩いていた凛のテディベアと凛の方を見た。2人は小さく頷くと凛は父の近くでしゃがみ持っていたバックから布切り用の大きなハサミを取り出した。そして、あろうことかその刃先を父のテディベアに向けた。



 「り、凛さんっ!?何やってるんですか?」



 思わず父に向けて手を伸ばす。けれど、それを父が「大丈夫だ」と言って止めてくる。

 どういう事かわからずに、花は思わず不安げな表情のまま凛を見つめる。凛はにっこりと微笑んで先ほどと同じように頷く。隣の歪なテディベアの視線を優しいものだ。それを受けてしまえば、花は伸ばした手を戻すしかない。


 不安のままに両手を自分の胸の前で握りしめて凛の行動を見守る。

 すると彼は父親の腹を切り始めたのだ。ちょきんちょきんと腹を切る様はまるで童話の赤ずきんの一幕のようにみえる。当然、そこからは綿が出てくる。


 「お、お父様。これは痛くない、のですか?」

 「大丈夫だよ。痛いは感じない感覚というものがあまりないんだ。けど、不思議な事に人の感触だけは感じる。ぬくもりはね」

 「それは………安心しました」



 見ているだけでも痛々しいが、痛みがないと聞いて花は少しだけ安心する。

 と、凛の手が止まり「花ちゃん」と呼んだ。花もしゃがみお腹が裂けたテディベアの前に座る。すると、綿が出てきた後に他にも何かが入っている。



 「花、そして妻へ。私からの最後のプレゼントだよ」



 その声は、寂しさを感じられないとても晴れ晴れとした明るい父の声だった。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る