6話「穏やかで驚きの朝」




   6話「穏やかで驚きの朝」



 それから、凛がパラパラと伝票を捲る音を聞きながら、夜中のおしゃべりが始まった。

 少し肌寒い春の夜だったけれど、石油ストーブの温かさを感じ、花は途中ウトウトしてしまった。



 「one sinで働くなんてすごいよ」

 「そこのスタッフさんと知り合いだったから。働かないかって言われて……」

 「お父さんを亡くしたら、ショックも大きいだろうし、今はゆっくり休むといいよ」

 「…………うん」



 花は今は仕事をしていないが、もう少しで高級ブランドであるone sinで働くことになっていた。「高級ブランドといえば?」と聞かれると必ず名前が出てくる、国内だけではなく全世界で有名なブランドだった。そこで働くとなれば優秀な人材、キャリアを求められる事が有名でもあった。そのため、ファッション業界ではone sinで働く事がある種のステータスになっていた。地位を求めていたわけではないし、one sinが好きというわけではない花にとって申し訳なくもあった。

 けれど、#あんな事__・__#があった花を雇ってくれるところはなかなかないはずなのだから。




 「テディベアっていうのは、あの有名なドイツののシュタイフ社やイギリスのメリーソート社のものだけをさすんじゃなくて、今はクマのぬいぐるみ全般をテディベアと呼んでいるね」

 「そう、ですね……」

 「デティというのは、あるクマを助けた大統領の愛称から来てるらしくて、それを知った人がクマのぬいぐるみをつくって『テディベア』と名付けた事が由来だと言われているらしいよ」

 「………」

 「………ん?寝ちゃったか……無理もない。川に飛び込むし、知らない人の家に来ていて緊張してるだろうし、疲れたんだろうね」




 凛が何かを話している。

 耳には入ってきているのに、頭では理解出来ないし、瞼も指一本さえも動かせない。

 ソファに座り、首をぐらぐらさせながら花はウトウトとしてしまう。そのうちに、体に何か温かいものを感じ、そしてすぐにそれは離れた。少し名残惜しい気もするが、いつの間にか体が横になっており寝やすくなっていた。花はそれだけで満足だった。


 温かい部屋に、パラパラとページを捲る音。

 誰かが居る部屋で寝ることなど、いつぶりだろうか。安心する。


 そう思い、花はあっという間に眠りに落ちたのだった。







 それから、どれぐらい時間が経ったのだろうか。

 花はある物音が聞こえたような気がして、意識を覚醒させる。

 それは人の声だった。凛の声だ。

 けれど、声はそれだけではない。



 「だから、〇〇も話せばよかっただろう」

 「俺の事はクマって呼べ」

 「大丈夫だよ。この子はよく寝てる。調べものも終わったし、続き教えてるよ。時間は限られてる」

 「あぁ。ちょっと待て」



 まだ半分寝ている状態なので、会話はよく聞こえないし、視界もぼやける。

 が、凛の横で何か小さなものがトコトコと動いている。

 そして、持っていた大判のブランケットを持って、花が寝ているソファの方へと近寄ってきた。



 「ん、届かないか。やってくれ」

 「クマ様は優しいね」

 「一応恩人だからな」



 そんなやり取りの後にふわりと何かを掛けられる。それが大判のブランケットだとわかるやいなや、花はまた眠りについた。


 クマ様って何者なんだろうか。

 いや、これは夢なのだろう。


 気になりつつも眠気には勝てなかったのだった。












 「ん………あ、れ?」



 結局、花が目を覚ましたのは朝になってからだった。レースのカーテンから、朝日が射し込んできており、眩しさを感じたのだ。

 このカーテンは自宅のものではない。自宅のものはもって安いものでこんな繊細なレースではないな。不思議に思いながら、体を起こす。

 と、目の前のテーブルには分厚いファイル達が積まれ、店内の棚にはこちらを向いて穏やかな表情を見せる彩り取りのテディベア達。そして、向かい側にソファには黒い髪の男がソファに座り毛布にくるまって寝ていた。その横には仰向けに倒れた、凛のぬいぐるみがあった。体が随分乾いたようで、毛がふわふわに戻っていた。


 花は靴を履いて(いつの間に脱いだのだろうか?)、凛を起こさないように彼が眠るソファに近づき、少し不格好なクマを見つめる。少しバランスが悪い顔は愛着さえも感じられる。



 「……君、昨日ブランケットをかけてくれたの?」

 「………」




 花は寝ていたクマを抱き上げて、目の高さまでもってくる。すると、なぜか瞳がこちらに向いたように感じる。それは普通の作られた瞳だ。光の加減でそう見えたのだろうか。まじまじとクマを見つめると、花はニッコリと微笑む。

 このクマを自分が助けたからだろうか。妙に愛着がわくのだ。自分の腕に抱いても、体にフィットするし、何だか話しかけたくなる。



 「君には何だか不思議だね。話したくなる」

 「………」



 返事がないのはわかっている。

 けれど、そんな風に言ってしまう自分に気づき、昨夜の凛と同じだな、なんて思ってしまうのだ。



 「あれ?……もう朝かー」



 ぬいぐるみを抱きしめていると、ソファで寝ていた凛が大きなあくびをし、目を擦りながら起きてきた。まだ大分眠いようで、半分ぐらいしか目が開いていない。夜遅くまで花の依頼をこなしていたのだろう。

 早々と寝てしまった自分が申し訳なく、花は「すみませんでした」と頭を下げた。



 「自分が依頼をお願いしたのに、寝ちゃうなんて。……すみません」

 「あぁ、花ちゃん!おはよう」

 「お、おはようございます……」



 花の謝罪を受けても、にこやかに笑い挨拶をする凛。そして、その後に花への返事が続くが全く気にしていないようで、笑みのままだった。



 「花ちゃんは依頼主なんだから。寝てていいんだよ。依頼料は貰ってるしね」

 「そ、そうなの、かな?」

 「そうそう。それにしても……そのクマ様、気に入ってるんだね」



 すっかり目を覚ましたのか、凛はクマを抱きしめている凛を見て目を細めて嬉しそうに言った。

 花は気恥ずかしさを感じて、すぐに後ろを向いた。



 「依頼の件、わかったよ」

 「えっ!本当に……っ!」

 「でも話は腹ごしらえをしてからにしよう。昨日の牛丼屋さん、朝食もやってるんだ」

 「………朝から牛丼?」

 「違う違う。行ってみる?」

 「………」



 昨晩からご飯に釣られる動物のようだなと、思いつつも誘惑と空腹には敵わず、悔しさを浮かべた表情のまま頷いてしまったのだった。





 牛丼屋に初めて入った花はキョロキョロし、店内を見回していた。注文方法などは全くの未知だったので、凛と一緒でよかったと思った。

 サラリーマンの男性が多かったが、若い女性もおり賑わっているのがわかった。朝食を出先で食べるなど旅行でしかしたことがなかった花にとって特別な経験で、気持ちが高まっていた。

 注文した、焼き魚定食では白米に味噌汁、鮭の塩焼きにのり、というシンプルなものだった。けれど、その味噌汁がおいしくて、花はまた「すごいすごい!」と、あっという間に食べ終えてしまったのだった。

 すっかり牛丼屋の虜になった花は、機嫌もよくなり花浜匙の店内に戻ってきた。

 昨日から座っていたソファに座り、今度は温かい紅茶が運ばれてくる。ほんのりと甘いホットティー。こちらも花好みの味で、安心してしまう。


 昨日は警戒ばかりしていたのに、男にも店にも、飲み物にも慣れてしまっている。懐柔されているようにも思えてしまう。



 「さて、では依頼の話をしようか」

 「う、うん。お願いします」

 「結論から話そう。あのテディベアは君のお父さんがオーダーしたもので間違えないよ。あれはね、君のウエイトドールなんだよ」

 「ウエイトドール?」



 聞きなれない単語に花はすぐに聞き返す。

 父親がなぜテディベアなど注文したのか、花には全く想像がつかなかったのだ。

 あの男が買ったものなど汚れているのだから、欲しいと思える人などいないはずなのに。



 「ウエイトドールは生まれた時の体重でつくる人形の事で、通常は結婚式に両親に感謝を込めて自分の生まれた時の体重のぬいぐるみをプレゼントするんだ。けれど、それを花ちゃんのお父様が注文したんだ。プレゼントする相手は、花ちゃんのお母さんだったみたいだよ」

 「………そんなの嘘に決まってるっ!!」



 ありえるはずがない。

 凛が調べてくれた依頼内容に納得がいかない花は勢いいよく立ち上がり、声を荒げた。



 そんなはずがない。

 お父様が……あんな男がっ!


 怒りと戸惑いの感情が渦巻き、花はどうすることも出来ず、泣きそうな顔のまま凛のテディベアを抱きしめ、凛を見つめていた。





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