2話「花浜匙」




   2話「花浜匙」




 「どうぞ」



 男が案内したのは、彼がクマのぬいぐるみを落とした橋の少し先にある2階建ての店だった。

 目の前に川が流れており、桜並木が近いせいか店先には桜の花びらが溜まっていた。真新しいわけではないが、古くもない。クリーム色の壁とダークブラウンの屋根、店先は大きな出窓。玄関の扉は木目が見える素朴な造りになっていた。同じく木製のつるされた看板には『花浜匙』と感じで書かれており、スプーンを持ったクマと花が描かれている。出窓には、薄茶色の毛をしたクマのぬいぐるみが、エプロンをしており両手には大きなスプーンを持って座っている。全体的に綺麗に整理された店先のおかげで比較的新しい家に見えるのかもしれない。


 男がドアをあけると、カランカランとついたベルが鳴った。


 店内に入ると、沢山のテディベアが迎えてくれる。棚にはいろいろな色の毛や瞳をしたクマが並んでおり、まるで絵本の世界に入ったようだった。

 その下には小さなトルソーにテディベア用の洋服も飾られている。ドレスやワンピース、スーツなような正装もみられ、こちらも種類が様々だ。店先から見えた窓側には、木製のテーブルがあり、ソファがテーブルを挟んで向かい合って置かれていた。



 「ソファに座って待っててくれるかな。今タオルを持ってくる」

 「ソファ濡れちゃうから、立ってまってます」

 「気にしなくていいから、座ってくださいっ」



 黒髪の男は、そういうと濡れた花の肩を押して、ソファに座らせる。革製のものだとわかったので、なるべくソファ自体が濡れないように、クッションに腰を下ろすようにして座った。

 すると、部屋の中央にある扉を開けて男は別室へと向かった。きっと、その扉の向こうが店とは別の生活スペースなのだろうな、と花は思った。


 ぽたぽたと、足元にもソファにも水が落ちる。

 それ以外は自分の呼吸しか聞こえない。静かな空間。

 花は、男が持っていてくれた自分のカバンと紙袋を見つめる。そして、腕の中で抱きしめていたクマのぬいぐるみに視線を戻す。よくみると、このクマのぬいぐるみの形はいびつで、目の位置も左右少しずれているし、鼻もどこか変だった。身に付けている服も少しサイズが合っていないようでだぼっとしたつくりになっている。本当にこの店のテディベアなのだろうか?と手の刺繍を見るが、そこにはその店のマークである刺繍もガタガタで本当にこの花浜匙のものなのだろうか、と疑問に思ってしまう。けれど、店長だという男が持っていたのだのだから、きっとこの店のものなのだろう。



 「どうして、君は川に落とされちゃったの?」

 「………」



 もちろん、そのクマは返事をする事も動くこともない。

 失敗作だったのだろうか。だから、この川へと捨てた?

 やはり、可愛くないと、綺麗じゃないと売り物にならないのだろうか。


 綺麗だからって、何がいいのだろうか。

 綺麗なものなんて………。



 その少し不格好なクマのぬいぐるみを、見つめ考え込んでいると、花の背中に大きな柔らかいものがかかった。

 いつの間にか戻って来たのか、男が大判のタオルケットを花にかけてくれていたのだ。



 「とりあえず、これで体を拭いてね。今、お風呂沸かしてきたから……」

 「え、お風呂なんて大丈夫です。私が勝手にやった事だから」

 「もしかして、家が近いの?」

 「いえ、電車で来ましたけど。タクシーで帰りますので」

 「そんな濡れた体じゃ、タクシーも乗せてくれないと思うけど………」

 「じゃあ、歩いて帰ります」



 花はフッと男から視線を外し、髪を拭きながらそう言うとすくっと立ち上がった。



 「このタオルだけお借りします。お邪魔しました」

 「えっ、もう帰るの?」

 「はい」

 「ちょ、ちょっと待って。俺の店のマークを知ってるって事は、この店に用事があったんじゃないの?」

 「もういいです………」

 「よくないよ。それに、そのクマのお礼もしてないし」

 「捨てたんですよね?」

 「す、捨てた?まさか、そんな事はしないよ」

 「でも、あなたが故意に落としたのを見てました」

 「あー、故意じゃないよ?」

 「なんですか、その嘘っぽい疑問形は……」



 花はため息をついた後に、持っていた不格好なクマのぬいぐるみを男に向けて渡した。

 水分を吸ってしまったのか、随分重くなっていたが、それがかえって本物ように思えて不思議な感覚を覚える。自分が川に飛び込んで助けただけのクマのぬいぐるみ。たったそれだけなのに、男に返しがたくなったのだ。

 男は「ありがとう。綺麗にしてあげなきゃね」と、クマを見て男がとても愛おしそうに微笑むのを見ると、大切にしてたのがわかる。

 手からクマのぬいぐるみの重みが消える。それが妙に悲しくてジッと男の手に戻ったぬいぐるみを見つめてしまう。



 「このぬいぐるみ、気に入った?」

 「え、そ、そんな事は……」

 「そうだ、じゃあ、お礼に俺がぬいぐるみを作るよ。どうかな?」

 「いらないです」

 「えー」



 即、断りの言葉を伝えると男は残念そうに肩を落とす。

 きっと自分よりだいぶ年上であろう男が、ふくれっ面を見せながら不服そうにしている姿は妙に幼く見える。見た目はクールな印象なだけに、やはりギャップがある。



 「このぬいぐるみは特別だから、あげる事が出来ないんだよ」

 「特別なのに、捨てたんですか?」

 「だから、捨ててないんだって!」

 「じゃあ、どうして」

 「いろいろ、あってね。だから、代わりのクマを作らせて欲しいんだ。このクマの恩人だから」



 ぬいぐるみを助けた恩人だなんて、変な人だ。

 だが、何かお礼をしたいと言うのならば話は早い。と思い、花が口を開こうとしたが、それより先に男がとても楽しそうに話しを始める。



 「君の綺麗な黒の髪とお揃いの色のクマもクールでかっこいいよね。目は青色にしたらすごい素敵だと思うんだ

。でも、その黒髪に映える真っ白とか灰色も捨てがたいよね。お姫様みたいに白い毛にしてドレスとか着せたらかわいいんじゃないかな。あ、それとも女の子らしく淡い色のピンクとか黄色とかがいい?結構そういう色も人気だったりすんだよ」



 職人のスイッチが入ってしまったのか、男はニコニコとしながらテディベアの語り続けている。

 どうやら、この男は花のテディベアを作る気満々になってしまったようだ。花が話したかった事は伝えずらくなってしまった。

 それに、どうやらクマのぬいぐるみを川へ投げ捨てたのは花に教えるつもりはないようだった。

 花が最後に茶色のクマをジッと見つめた後「帰ります」と告げようとした時だった。

 先程男が出てきた扉から、軽快な機械音が流れてきた。

 


 「あ、お風呂がもう少しで沸くみたいだよ。服は俺ので悪いけど、使ってね。さ、こっち」

 「だから、いいですから」

 「いいからいいから」



 言葉は優しいが、やることは強引だ。

 また男に手を引かれて、部屋の中へ入れられてしまいそうになる。


 「待ってください!初めて会った人の家の中に入ってお風呂に入るなんてできません!私だって女ので……」

 「あー、そっか。そうだよね。あ、でもやましい事はないよ?でも、そういっても信じられないか……」

 「はい。なので、だいじょうぶ……」

 「じゃあ、俺は店の外で待ってる。だから、君は店の中から鍵をかけて。お風呂は、2階に上がって正面にあるからね」



 そういうと、男はポケットから店の鍵を取り出し花に渡すと濡れたテディベアをもって店の外に出てしまう。

 唖然としてしまうが、そこまでやられてしまうと、断る事も出来ずに花は内側から鍵をかけてしまう。




 「お風呂入るためにこの店に来たわけじゃないのに……」



 どうして、こんな展開になった?と、頭の中が疑問でいっぱいだったが、先程から体の震えが止まらなくなってきた。こうなったら厚意に甘えてしまおう。そう思い、「お、おじゃまします」と無人の部屋への扉を開けたのだった。






 

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