1話「沈むぬいぐるみ」

   




   1話「沈むぬいぐるみ」






 冬が長い街にも桜の季節がやってきた。

 朝も早くなり、鳥たちのさえずりで起きるようになり、寒さを感じて頭まで布団をかぶる事もない。街を歩く女性たちもパステルカラーの色鮮やかな服を着こなす人も多い。花の模様やピンクや水色、うぐいす色にラベンダー色。まるで妖精のようにかろやかに歩く。そんな人たちを見ると、「みんな幸せそうだな」と勝手に想像してしまうものだ。

 特に気持ちがギスギスしている時は。



 「えっと、ここら辺だと思うんだけどな」



 春になっても陽が沈み始める夕方は肌寒くなる。

 #花__はな__#は、灰色のニットのロングカーディガンに片手を入れて、寒さで体を震わせながら逆の手でスマホに映し出された画面を見る。長い黒い髪をなびかせる風は冷たい。少し薄暗くなってきたので、自然に画面の光も強くなる。花は地図を見ながら目的地へと向かってうろうろと歩いていた。


 栄えている街から数駅離れたこの土地は、駅前の商店街を抜けると住宅街になっていた。

 訪れた事のない街を歩くと、花はいつも不思議な気持ちになる。自分の知らない場所で、知らない人が沢山住んでいる。そこにはあたりまえに暮らす人々がいるはずなのに、自分には知らない世界。旅行でしか他の土地や国に足を運んだことのない花にとって、知らない場所で知らない生活をしている人が沢山いる。それが、不思議で仕方がなかった。そして、その知らない土地に自分から飛び込もうとする人々は、みんな物語の中の勇者に見えた。

 きっと、自分は勇者が旅する途中に訪れる町の1人の住民で、勇者と話す事もなく、自分の当たり前の生活を守り続ける事に必死なただの1人なのだ。

 

 平凡が1番幸せ。

 今まで生きて来て、花が学んだ教訓だった。



 そんな事を考えていると、フッと目の前にヒラヒラと白いものが舞い落ちた。

 顔を上げるとそこには川沿いに薄桃色の桜並木が続いていた。そんな木々は固まって1つのピンク色の雲のようだなっと思ってしまう。そこから雨のように花びらがこぼれる。そして、地面と川に花の絨毯がひかれていく。

 きっとこの景色を見たら、皆が綺麗だな、と感銘を受けるのだろう。

 けど、自分は………。そう思った時だった。



 川に掛かる少し古びた赤レンガの橋の調度真ん中に一人の男性の姿が花吹雪の合間に見える。桜の花の時期もそろそろ終わりを告げるように、風が吹くと次々に花びらの雨が降る。男性はそんな幻想的な雰囲気に気にとれる事もなく、橋の下の川を見つめている。

 穏やかな水の流れ。ピンク色の花びらがいくつも水面にありその上を歩けそうなぐらいだ。


 そして、その男性の手元に何かを持っているのがわかり、花はそれがなんとなく気になり凝視してしまう。



 「……もしかして、クマのぬいぐるみ………」



 男が手にしていた、茶色の毛のぬいぐるみだった。半円形の耳に、まあるい顔、少しお腹がぷっくりとしたテディベアだった。遠目なので正確ではないが#あのクマだ__・__#とわかった。

 成人男性がクマのぬいぐるみを持っているのには不思議に思ったが、あの人ならば、探している場所について知っているはずだ。そう思い、橋へと駆け出した。


 が、その途端、男の手がクマの体を離れ、みるみる内に川へと向かって落ちていく。そして、無情にもポチャンッという小さな水音をたててクマは川へと落ちた。水面が揺れ、それに合わせてクマのぬいぐるみを避けるように花びらが離れていく。



 普段ならば「何やってるんだろ?」「変わった人だな」と、それで終わっていたはずだった。

 それなのに、その時の花は違っていた。そのクマのぬいぐるみと#自分のクマ__・__#が重なってみえたのだ。



 「……ものをぞんんざいに扱うなんて最ッ低ッッ!」



 憎悪の言葉を漏らした時には、もう花の体は勝手に走り出していた。

 それほど多くな川ではないので、低い柵しかないため、荷物を橋に置いた花はそれをふわりと飛び越えた。



 「え、君ッ………!!」



 体が重力に従って落ちていく。

 驚き戸惑う声が後ろから聞こえて来て、花は顔をしかめる。あながが落としたからこうなったんじゃない、と叫んでやりたくなる。


 が、そんな言葉を発する前に、大きな水しぶきをあげて花の体は川へと落ちていった。川の底は思ったよりも深かったようで、体を強打することはなかった。花は顔についた水や花びらを拭いながら周りをキョロキョロと見た。すると、少し先に目的であるクマのぬいぐるみが半分沈んだ状態で浮かんでいた。



 「あった!今、助けるからね………」



 その言葉をかけると、クマのぬいぐるみがピクッと動いたように見えた。が、それは花が音を立てながらジャバジャバとそちらに向けて泳いでいるからだろうとわかり、一安心をした。まさか、これも、というわけではないようだ。

 洋服が水分を含み、体が重くなり思ったように動けなくなりクマを救出するのが困難だった。川も緩やかだが流れているので、ドンドンぬいぐるみが流れていってしまうのだ。必死に体を動かし、もう少しのところまでくるのには大分時間がかかったような気がしていた。

 ピンッと手を伸ばして、クマのぬいぐるみを掴んでやっとの事で胸に抱いた瞬間、花はホッとして体全体から息を吐きだした。




 「おーい!君ッ!大丈夫かい?」




 気づくと、川岸から男の声が聞こえた。花はそれを無視しながらクマのぬいぐるみを抱いたままバシャバシャとそちらの方まで泳いでいく。川岸に近づくと一気に浅くなりようやく歩けるようになった。

 ボタボタと全身から水と花びらが落ちていく。川岸に上がると花の周りには大きな水たまりが出来る。まるで何かの妖怪のようだな、と自分自身の体を見つめ思ってしまう。



 「………君、どうしてこのクマのゆいぐるみを?」



 先程橋からぬいぐるみを投げた男は、おろおろしながら花を心配そうに見つめる。

 黒い髪を少し伸ばし、首の後ろの髪を束ねている。切れ長の瞳も漆黒で、黒真珠のように艶があり綺麗だった、容姿端麗という言葉がよく似合う男で、小さな顔とシュッとした鼻筋と顎のライン、唇は薄いが妙に赤みがあり色気を感じさた。が、口調は妙におどおどしており、優し気な雰囲気が伝わってくる。ギャップ萌えというのは、こういう事をいうのだろうか、と冷静に男を見た後に、花は彼を思い切り睨みつけた。



 「何で、川に投げるなんてかわいそうな事をするんですか!?いらないなら誰かに譲るなり、供養するなりしてください!」

 「ご、ごめんなさい」

 「それにこれクマのテディベアですよね。そして、やっぱりこの手にある刺繍。ここら辺にある店でつくられたもののはずです。作った人に申し訳ないと思わないんですか!?」

 「も、申し訳ないというか、なんというか……」

 「いらないなら私が貰います。というか、店の人に綺麗にしてもらいます」



 花が持っていたクマをギュッと抱きしめる。

 が、腕に上手く力が入らない事にその時ようやく気付いた。寒さのせいでガタガタと全身が震えていたのだ。そのせいでクマも震えているようだ。春になり温かくなったとしても水温は低い。そして、冷えた体に夕方になりぐっと下がった気温は冬のように感じてしまう。花の長い髪もべったりと体に張り付いて、そこから体温が奪われていくのがわかる。


 この男と離れてさっさと自分の家へ帰ろう。

 そうしないと体調が悪くなってしまう。


 男に震えている体を身まれないように、ギュッとクマを抱きしめて背を向けて立ちさろう。

 が、腕に温かいモノが触れられる。それがあの男だとわかり手を払ってしまいたかったが、予想以上に体力を消耗していたのだろう。かくんッと足の力が抜けて体が落ちそうになる。それを支えたのはもちろんクマのぬいぐるみでもない、黒髪の男だ。



 「なんですか?!は、離してください………!」

 「あの…………その、クマのぬいぐるみ、俺が綺麗にします。僕がそれを作ったので」

 「え……」

 「俺はぬいぐるみ店『花浜匙』の店長なんだ」



 人の人生を変える出会いというのは、その時はわからない。

 後から「あれが分岐点だったんだな」「運命だったんだ」と実感するのだ。だから、本当はどこから繋がっていた運命なのか、その時が運命なのか、わからない。分岐点とは人間が勝手に決めているものなのだろう。



 けれど、この日、この時に花とその男は出会った。

 それはまぎれもない真実。

 運命の日になるのか、ならないのか。

 その時の花とその男にはわかるはずもなかった。









 

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