「◯◯に恋したひとからのお便りです」

間貫頓馬(まぬきとんま)

「◯◯に恋したひとからのお便りです」

 趣味でラジオの配信をしている。


 ふと思い立ち配信サイト上で始めたものだったが、数週間、数ヶ月と続けていくうちにリスナーも少しずつ増えてきた。そこで、人気番組がやっているような形式に憧れていたこともあり「おたより」を募集してみることにした。すぐに「何でも歓迎」の言葉をつけて、メッセージ募集のお知らせを投稿する。


 するとありがたいことに、リスナーからいくつかメッセージが送られてきた。受け取り通知のピコンピコンという軽快な音を聞きつつ、ラジオで話題にできそうなものはないかと、順番に目を通していく。


 読んでいくなかで、ふとおかしな内容のものが目に留まった。


 最初の部分はラジオ番組宛のお便りによくあるものだった。文章から少し硬い印象は受けるものの、挨拶のようなそれに違和感はない。しかし、その後につづく一文こそが異様だった。


「死体に恋をしてしまいました」


 緊張か、恐怖か。理由はわからないが「死体」という文字を見た瞬間嫌なふうに心臓が跳ねた。それを落ち着かせるように、一度深呼吸をする。きっとこんな物騒な話は無視してしまった方がいい。それは分かっている。


 しかし、自分の中のほんのわずかな好奇心が、この「おたより」から眼を逸らすのを拒んでいる。この話への純粋な好奇心と、話の種になりそうだと思う下心。それに抗うことができずに、もう一度「おたより」の冒頭へ目線を戻し、初めから読んで見ることにした。


 ◇◇◇◇


 ◯◯さん、はじめまして。


 お知らせにて「何でも歓迎」という文言を目にしまして、初めてこちらにお便りを送ります。拙い文ではございますが、お目通し頂けますと幸いです。


 わたくしごとで恐縮ですが、実は、死体に恋をしてしまいました。


 それは、完璧と言って差し支えのない恋です。


 突然このようなことを言われて、戸惑われていることかと思います。すみません。経緯をご説明します。


 私はつい先日まで、精神を病んでおりました。何をする気にもなれず、何もできない現状をどうする気にもなれず、といった具合に。やっていることといえば息を吸って吐くくらいのもので、ただ時間が過ぎ去るのを待つだけ。そんな日々を過ごしていました。


 しかしある日、どうしたことか、本当に突然「どこか遠くへ行きたい」という衝動が湧き上がったのです。私はコートを羽織って、財布だけをポケットにねじ込んで、他は何も持たず、何かに突き動かされるようにして、早足に家を出ました。


 着いた場所は、もう何年も人の手が加わっていないような深い山奥でした。


 どうしてそこへたどり着いたのか、今となってはよく覚えていません。何せその時は心を病んでおりましたので、そのままのたれ死んでも誰にも迷惑がかからない場所を選んだのでしょう。何も産み出せない、日々を無為に過ごすことしかできない人間が、そのままこの世を去ってもいいように、と。


 道とも呼べない山道を行ったその先で、私は「それ」と出会いました。


 もしも私が「それ」と普通に出会っていたならば、きっとこんなにも心打たれることは無かったはずです。血の通った健康的な肌の色であったならば、黄土色のその皮膚を綺麗と思うことは無いでしょうし、傷ひとつない身体であったならば、腹の内に何が存在しているのか分からない薄気味悪さに苛まれていたでしょう。言葉を発するのであれば、その一言一句に一喜一憂し続けて、今以上に精神を病む可能性だってありますし、眼が開いていれば、この国に生まれた大半の人間が持つ、泥沼のようなその色に嫌気が指していたことでしょう。


 だから、「それ」を視界に収めた瞬間、私は恋に落ちていたのです。



 血の気の引いた雪のような白い肌に。

 鮮やかな赤色が至る所にべったりと広がるその身体に。

 無防備に小さく開かれたままのその口元に。

 長い睫毛が影を落としたまま、ぴくりとも動かないその目元に。



 きれいだ、と掠れた声で呟いた瞬間、ほとんど死んでいた私の身体に、血が巡り始めたのを感じました。心臓は脈打ち、興奮のあまり、後頭部が軽く締め付けられるような感覚さえありました。


 それが持つ全てを美しいと感じて、全てを愛おしいと感じました。

 枯葉と土に塗れた黒髪から、力なく投げ出された足先まで、その全てが、この世で何よりも美しいものであると、信じて疑わなかった。


 ただひとつ。かすかに上下しているその胸元だけが、気に食わなかった。


 ◯◯さん、私は、それへの恋心を完璧なものにしたかったのです。


 跳ねるように脈打つ心臓を、興奮で血液がのぼって熱くなる頬を、多幸感のあまり震える指先を、それら全ての「生きている」という感覚を、何よりも確かなものにしたかった。


 そのためには、どうしようもなく、邪魔だったのです。


「それ」の胸元が、かすかに上下しているという事実が。


 どうか、誤解のなきように。私は、何もしませんでした。

 文字どおりに、何もしませんでした。


 ただ、しばらく経って、「それ」から、邪魔だと感じていたものが無くなった瞬間、私は恋をしていたのです。完璧と言って差し支えのない恋を。


 微動だにしなくなった身体が、あとは冷たく、硬くなることを待つだけの存在が、どうしようもなく美しくて、愛おしくて。


 気づけば、感動のあまり眼から涙を溢していました。


 そしてようやく、確かに生きているという実感を、私は得ることが出来たのです。


「それ」は死体となりました。しかし、私は「それ」から、「生きている」という実感をもらい、今もこうして生活をしています。


 尽き果てたはずの命は、私という存在に、確かに受け継がれたのです。人とはこうして生を繋いでいくのだと、身をもって知ることが出来たのです。


 なんて美しい話だと、そうは思いませんでしょうか?

 よろしければ、◯◯さんのご意見を教えていただけますと幸いです。


 ◇◇◇◇


 綴られていた内容を読み終えたとき、嫌な汗が背中を伝っていることに気がついた。見てはいけないものを見てしまったような感覚。立っていた床が突然抜け落ちたような感覚。どうにかしなくては、という焦燥感と、どうしてこんなものが送られてきたんだ、という戸惑い。


 だって、この話が真実ならば、人がひとり死んでいるというのだ。


 しかもそれを知っているのは、この「おたより」の送り主と、自分だけ。


 ——どうしよう、どうするべきだ? 焦燥と混乱でいっぱいの頭を抱えて机に突っ伏す。警察に通報する? でもこの「おたより」には明確な場所までは書かれていない。でもだからってこのまま放っておくわけにもいかない。どうするのが正しいんだ。というかそもそもなんでこんなものが送られてきたんだ。ああ、こんなことになるならおたよりを募集しようなんて思わなければよかった。なんで、どうして、どうすれば。


 頭を抱えたまま唸っていると、端末から突然、メッセージの受け取りを告げるピコンという軽快な電子音が鳴った。


 現実逃避の意味も込めて、のろのろとした動作で新しく届いたメッセージを確認する。「おたより」にしては短いメッセージには、おどろきの内容が記されていた。


 ◇◇◇◇


 すみません、先ほど死体がどうのというおたよりを送った者です。


 私は趣味で小説を書いていまして、先ほど送った内容は江戸川乱歩の『人間椅子』という作品を参考にして書いたものです。


 ということをさっきのおたよりの末尾に書こうと思ったのですが、途中で送信されてしまったようです。ごめんなさい。


 作品はいかがでしたでしょうか? 驚かせてしまっていたらすみません。


 次のラジオも楽しみにしています。


 ◇◇◇◇


「は」


 驚きなのか笑いなのか気が抜けて思わず飛び出たのか、口からそれだけ吐き出して、自分はへにゃへにゃと崩れ落ちた。

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「◯◯に恋したひとからのお便りです」 間貫頓馬(まぬきとんま) @jokemakoto_09

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