怪獣二十八号

ムラサキハルカ

怪獣はどこから来たのか 怪獣は何物か 怪獣と我々はどこへ行くのか

 怪獣二十八号が東京に到達してから三十分程が経った真夜中。

 今年はもう来ないと思ってたんだけどなぁ。珊瑚はそう考えながら居間で頭を掻く。

 既に年も末に近付いた。例年、この日本国内において怪獣たちの活動が頻発化するのは夏頃から秋頃にかけて。上陸した怪獣たちはその後、海の中に姿を晦ましたり、他の国に再上陸してちょっかいをかけに行くのが恒例だった。

 それがなぜこんな時期に? 珊瑚の中での疑問は尽きない。

「まあ、そういう気分になることもあるんじゃないの?」

 美鶴は眠たげな目で手元にあるコーヒーを見ている。警報で真夜中に起こされたせいか、どことなく投げやりな声だった。たしかに怪獣も生き物のかたちである以上、心があってもおかしくはない。そうかもしれないねと頷きながら、テレビ画面を見つめる。

 どこのチャンネルを回しても話題は怪獣二十八号一色だった。今回の怪獣は蟹のかたちをしていて、都内を横歩きしている姿をたえずカメラが映している。前回、十月頃に上陸した三つ首の犬に比べると、大分見慣れたかたちの怪獣だった。

『怪獣二十八号は、東京湾から上陸した後、神谷町方面へと時速十キロほどの速度で進んでいます。避難はすでに完了しており、人的被害は見られませんが、ビルや民家など百棟ほどが倒されており、依然警戒が必要であり――』

 ニュースキャスターの声のかたわら、怪獣二十八号は東京タワーの前を横切っている。これは久々に倒されてしまうのではないか、と珊瑚は内心どきどきしていた。だが、蟹型の怪獣がタワーの周りを何度かぐるぐる回ったあと少しずつ遠ざかっていったのを見て、ほっと胸を撫で下ろす。

「倒れなくて良かったね」

 どこか他人事じみた声で応じる美鶴に頷いてから、珊瑚はコーヒーを啜った。

 最初の東京タワーができてから既に半世紀以上の月日が経った。それからおおよそ、十年に一回ほどの頻度で怪獣たちは赤と白の電波塔を倒していった。もはや江戸城の天守よろしく、壊れたら修理しなければいいのでは? 度々、そんな話題が出る。怪獣の襲来に備えて予備の電波塔がいくつか設置されているうえ、メインの電波塔の役割もスカイツリーに奪われた昨今、そんな世論も年々強くなりつつあるが、日本人の誇りだとか象徴だとか、東京タワーに勇気を与えられているだとか、直さなかったら負けたことになるだとか、それらしい理屈が捏ねられては、国家事業の一端として東京タワーは今日まで保たれている。まあ綺麗だしね、と、珊瑚もまた納得しなくもない。

「でも、実は本当は倒れて欲しかったりする?」

 いたずらっぽく微笑む美鶴に、まさかと、応じたものの、実のところ少しだけ思わなくもない。一生懸命、建て直している人には悪いが、正直なところ、タワーが倒れるか倒れないかを祭りじみたものとして楽しんでいないと尋ねれれば、そうかもしれない、とおずおず頷いてしまうかもしれなかった。

「そっかそっか」

 訳知り気な顔をする美鶴を無視してテレビの方へと向き直ると、怪獣二十八号は既に東京タワーには目もくれず、別の場所へと向かっている最中だった。


「っていうか、そろそろ怪獣を倒せる兵器とかできないのかな?」

 美鶴がそう尋ねてきた時、テレビ内では、怪獣二十八号が浅草の雷門の前を横切っている最中だった。珊瑚は無理じゃないの、と平坦な声で告げる。直後に美鶴は、エーッと、大袈裟に叫んでみせた。

「だって、ずっと科学は発達し続けてるんでしょ? だったら、いくら怪獣が頑丈だからって、どうにかなりそうなもんじゃん」

 無邪気そのものな美鶴の振る舞いに、珊瑚は仮にできるとしても東京ごとふっ飛ばさないと無理じゃないの、と応じる。もっとも、それだけの威力で兵器を撃ちこんだところで無駄なんじゃないか、という確信もあった。なにせ有史以来、人類が怪獣を殺したことはおろか、外傷を与えたことすら一度としてなく、いまだ克服の目処すらたっていない。何度か、砂漠に出現した怪獣に軍事大国が核を打ち込んだことがあったが、それでも傷一つつけられなかった。そして、それは怪獣の大きさやかたちにかかわらず、現代にいたるまで例外はいない。

「夢がないなぁ、サンゴは」

 ほっといてよ。心の中でそう思う。テレビ内では、蟹のかたちをした怪獣が雷門の前で固まって動かなくなっていた。女性アナウンサーが、突如として怪獣二十八号が停止しました、と告げてから、エネルギー不足か気まぐれか、はたまた息絶えたのかもしれない、と存分に仮説を披露した。最後だけはないな、と珊瑚は心の中で切り捨てたものの、考えるだけだったら誰でも自由だし、と割りきる。程なくして、怪獣二十八号は浅草からも遠ざかりはじめた映像を目にして安堵する。怪獣が年に何度かやってくる都合上、町が壊されるのなど日常茶飯事ではあったものの、壊れないなら壊れないに越したことはない。

「でも、嫌だなぁ。今回は警戒地域に入ってなかったからいいけど……また避難することになったら面倒くさい」

 だったら死ぬ? などと物騒に問いかけると、美鶴は大袈裟に肩を竦め、そりゃ死にたくないけどさ、と不服そうに口にする。とはいえ、珊瑚もこの女の同居人の気持ちは十分に理解できた。

 怪獣に対してはいまだにほぼほぼ無力を露呈する人類文明であるが、唯一、予測という点においては卓越した成果を発揮した。波の揺れや、膨大な怪獣の上陸データなどから算出されたデータにより、だいたいどこら辺に怪獣が上陸し、どのような規模で移動するのかは算出された。もちろん、怪獣は生き物のガワをしているだけに、最終的な経路は未知数であり、時折、予測外の行動をとらなくもなかったが、そんな例は最初の東京タワーができてからで数えればせいぜい四五回程度である。こうなるともはや運が悪かったとしか言いようがないので、多少の諦めもつく。それとは別に、報道機関以外の野次馬が怪獣に踏み潰されたり食べられたりもしたが、ちゃんと警報に従い避難しているかぎりはよっぽどのことは起こらない。現に、今回は怪獣の移動地域でないと判断された珊瑚と美鶴たちの住むマンションは今のところ襲われる気配はなかった。

 テレビ画面を囲むテロップで被害状況を確認した。建物の被害はそれなりに出ていたが、人はまだ誰も死んでいない。


 夜明けの少し前。怪獣二十八号は再び東京湾の辺りへと戻ってきていた。その間、皇居前や、上野動物園、渋谷、東京ドーム、スカイツリー、東京ディズニーランド……時には県を跨いだりしつつ、様々な観光名所の前を通り過ぎては、遠ざかっていくという行動をとった末の行動だった。

「なんだったんだろうね、この怪獣?」

 美鶴の問いかけに、さあ、と応じる。怪獣の考えていることなどさっぱりわからない。とはいえ、これだけで話を終わらせるのもどうかと思い、たしか沖縄辺りから上陸してから、海を通って福岡でまた上陸して、その後、また海に潜ってから京都と大阪を冷やかしからこっちに来たんだっけ、となんとはなしに進路についての話をしてみる。

「案外、観光とかかもね」

 それこそ、まさかだ、と考えたものの、実際に、この間燃えたばかりの首里城跡だとか、博多の太宰府天満宮だとか、大阪の道頓堀や通天閣、京都の銀閣金閣の辺りを通っていたなと思い出し、もしかしたらもしかするのかと思い直す。首里城跡はともかく、他の施設はどこも壊れていないのだから。

「次は函館に上陸予定だっけ?」

 珊瑚の心を読んでいるのかいないのか、美鶴はそんなことを言ってみせてから、百万弗の夜景でも観に行くのかな、と楽しげに付け加える。どうだろうね、と答えるかたわら、珊瑚は段々、同居人の言うとおりな気がしてならなかった。

「それにしても、怪獣ってどこで生まれてどこへ行くんだろうね?」

 頬杖をつく美鶴の言葉に、それがわかったらノーベル賞ものだよ、とやる気なさげに応じる。

 有史以来、様々な賢者や学者たちが怪獣たちの生まれ故郷や行き先を調べようとした。とりわけ、産業革命後の著しい科学技術の発達は、きっと目覚しい成果をあげるであろうと期待を寄せられたものの、今現在にいたるまで詳しいところはわからないままだった。

 おそらく、海の底のどこかであろうというところまではわかったが、それ自体は海から出てきているのだから、猿でもわかること。潜水艦などでの追跡も試みられたものの、大抵、いつの間にか撒かれてしまうか、最悪徹底的に破壊された。いまだに無人探査艇による追跡が試みられているが目覚しい成果は上がっていない。その上、怪獣の屍骸や骨はいまだに発見されておらず、もしかしたら死なないのではないのか? なんて仮説まで唱えられている。おまけに海から出てくる怪獣のかたちは多種多様であり、似たような固体であってもまったく同じ怪獣であるのかの同定はできず、便宜上、やってくる度に~号というような名前がつけられるに留まっている。……長々と語ったが、謎が謎を呼ぶ存在であるのがわかるだけで、それはなにもわからないのとほぼ同義であった。

 そうこうしているうちに怪獣二十八号が海に身を沈めはじめた。どことなくニュースキャスターの声も熱を帯びている。

「この調子だと、今日も出勤かぁ……」

 どことなく残念そうな調子で呟く美鶴に、そうだね、と欠伸で応じた。ニュースを見たかぎり、蟹型の怪獣は線路や道路をほとんど破壊しておらず、インフラは問題なく機能しているだろう。この状態で仕事とか行きたくないなぁ、と珊瑚は心の底から思ったものの、どうせ、周りも寝不足だろうしなんとかなるだろうとタカをくくっていた。

 どっかでモーニングでもしにいかない? 気が抜けるのと同時に珊瑚は同居人にそう持ちかける。

「ええ、寝ようよぉ」

 美鶴の声に、ここまで来たら寝ても寝なくてもたいして変わんないんだから、いっそ起きたままの方がいいって、と口にした。明らかにこの同居人の言っていることの方が正しかったし、そもそもモーニングをやっている店があるかどうかも怪しかったが、解放感からかハイになっている珊瑚は、怪獣がいなくなったあとの朝を味わいたかった。

「……もう、しようがないなぁ、珊瑚は」

 苦笑いする美鶴に珊瑚は、そうこなくっちゃ、と声を弾ませながらテレビを覗きこむ。 

 昇ってきたばかりの日の出に照らされながら、怪獣二十八号は海の中に完全にその姿を消す。やがて海面はおだやかになって、なにごともなかったかのように揺らめいていた。


 そして東京は平和になった

 

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