第2話「婚約者」

「レイラお嬢様、ルーカス・ドレファー様がお見えになられました」


「まあ! まだ髪が上手く纏まっていないわ、どうしましょう」


 今日は私の婚約者であるルーカス様がおいでになる日だ。だから私は目一杯おめかしをしている真っ最中なのだが、さっきから気に入る髪型にならなくてメイドを困らせてしまっていた。


「アンジェリカお嬢様が客間にてお相手なさっているようです」


「アンジェリカが? そう……それならルーカス様を少しお待たせしてしまっても大丈夫そうね」


 私は僅かに胸がチクリと痛んだのを無視する事にした。最近、妹がルーカス様と積極的に仲良くしようとする事に複雑な気持ちを抱くのが、自分でも不快だったからだ。

 それは嫉妬という感情なのかもしれない。だとしたらそれは醜い事なのだろう。


──嫌な私。


 ひとつ溜め息をついた私は、これ以上メイドを困らせては可哀想だと髪型の事は諦めて、客間へと向かったのだった。


「やあ、レイラ、今日はまた一段と綺麗じゃないか」


「あら、ルーカス様ったら、お世辞でも嬉しいですわ。このドレスは先日お父様から頂いた遠国の反物たんもので作ったのです」


「ほう、どうりで異国情緒があると思ったよ。けど綺麗なのはドレスではなくて、君自身の事だよ?」


 ルーカス様はそういう甘いお言葉を平気で仰る方なのだ。ドレファー伯爵家の次男で、その性格から社交界の淑女たちにも人気がおありだった。

 もちろんお父様がルーカス様を我が家の跡継ぎとして選ばれたのは、そういう人気からではない。外交の任に就く事の多いカーミリア家では、ルーカス様の外交手腕を高く買っていたからだ。


 そんなお方の婚約者になれた私は幸運だと思う。むしろ自分には過ぎたお人の様にさえ思えた。


「だけどお姉様、その髪型は見苦しくありませんこと? もう少し気を使うべきですわ」


 ルーカス様の甘いお言葉に頬を赤く染めていた私だったが、アンジェリカの容赦のない意見で水を差されていまう。

 それは事実であっただけに、私は思わず別の意味で顔を赤くしてしまった。


「そうね、その通りだわ」


 そう苦笑いをしてうつむいた私の事などもう忘れて、妹はルーカス様の腕に触れながら自分のドレスの自慢を始めたようだ。

 それは本当なら私が着ているはずのドレスだった。お父様から土産で頂いた反物は、今はアンジェリカの可憐なドレスとなって妹を輝かせている。


──とってもよく似合っているわ。


 まるで始めからこのドレスは、妹の為にあったかの様だった。


「ルーカス様、私のドレスもよくご覧になって。スカートの部分の花の刺繍がとっても可愛いのよ!」


 そう言って妹はスカートの裾を持ち上げながら、ルーカス様にひらひらと舞ってみせる。


「確かにとても可愛いな、アンジェリカが花畑で舞う蝶の様に見えるよ」


「ほんとに? 私、可愛い?」


「ああ、可愛いとも」


 一瞬私は自分がそのドレスを着ている事を想像してみたが、すぐに無意味な気がしてめた。

 結局のところそのドレスを着るのが私である必要はないのだ。こうして妹が似合っているのだから。


 私は、遠くでいつかのカナリアの鳴き声が聴こえた様な気がした──




 その日の夜、お父様が珍しくアンジェリカをお叱りなさっていて、滅多にない事だけに私を含めた家中かちゅうの者すべてが驚いてしまった。

 しかしその理由を知った私は、驚くよりもむしろ困惑してしまう。


「だって! ルーカス様の婚約者には、お姉様よりも私の方が絶対に相応しいもの!」


「馬鹿な事を言うな、伯爵家同士が国王陛下の祝福を受けて成立させた婚約を、そう易々やすやすと変えられる訳がなかろう!」


「そんな事ないわ、私調べたんだから。過去にはそういう事例が沢山あったのを、お父様がご存知ないだけよ」


 要するにアンジェリカがルーカス様と婚約したいので、私との婚約を破棄して欲しいとせがんでいるのである。

 まだルーカス様の意思も確認していない様な、妹の独り善がりな話ではあったが、正直少し我が儘が過ぎるとも思えた。


「それは両家の合意の上での話だ。レイラとの婚約破棄など、ドレファー伯爵がお認めになるはずがなかろう」


 すると妹は全く悪びれもせずに言ったのだ。私にも聞こえている事を承知の上で。


「じゃあ逆に訊きますけど、ドレファー伯爵にとって、お姉様じゃなければならない理由ってあるのですか?」


 そうアンジェリカに質問されたお父様は絶句してしまわれた。呆れて絶句したのではなく、答えられずに絶句なされたのだ。


「ほら! 別にないじゃありませんか」


 何だか私はとても恥ずかしい気持ちになってきて、その場から逃げ出したくなる衝動に駆られる。


「私はお姉様とカーミリア家の為に言っているのですわ。見映えも私の方が良いですし、結婚して恥をかく前に婚約破棄なさるべきです!」


「そんな、アンジェリカ……」


 多分私の顔面は蒼白になっていたと思う。そんな私をさすがにお母様は見かねた様だった。


「いい加減にしなさいアンジェリカ。貴女あなたには貴女に相応しい婚約者を探します、はしたないですよ!」


 お母様にまで叱られた妹は唇を尖らせて不貞腐り、そのまま黙って部屋から出て行ってしまったのだった。


 それからと言うもの妹は誰とも口をきかなくなり、挙げ句の果てには食事まで拒否しだす有り様だ。

 妹の強情さは筋金入りで、一度こうなると自分が納得出来るまで決して止めはしない。その事を知っているお父様はとうとう折れてしまい、婚約についてルーカス様とお話しすると約束してしまった。


「いいか、ルーカス殿の気持ちを確かめる話をするだけだからな? レイラとの婚約を破棄する話でないと承知しておけ」


 アンジェリカはそれでとりあえずは満足したらしい。機嫌を直すと今度は婚約披露に着るドレスを物色しだした。

 妹の中ではもうルーカス様がお心変わりをして、自分と婚約するものだと決めつけているのだ。


 私の気持ちが置き去りにされているのはいつもの事だし、これも妹のいつもの我が儘だと思えば日常の出来事のひとつなのだろう。

 それなのに何故だか今回に限っては、そんなアンジェリカを憎く思ってしまい、私にしては珍しく感情が揺れ動く。


──私がルーカス様をお慕い申しているからなのかしら?


 だけどアンジェリカが私よりも自分の方がルーカス様に相応しいと言った言葉が、私を気弱にさせていく。


──私はルーカス様の為にも身を引くべきなのかもしれない。


 妹の言う様に、ルーカス様の婚約者が私であるべき理由はないのだと思う。アンジェリカが婚約者となっても、きっとルーカス様は幸せになれるのだ。


──いつかの様に、茶会の女主人は私でなくてもいいのだわ。


 その考えに囚われた私はルーカス様との婚約を、以前のような幸福な気持ちで見る事は出来なくなっていた。



  ◇*◇*◇



「今日は忙しいところわざわざ来て貰って済まないな。実はルーカス殿に確認しておきたい話があってね……いやなに、大した話では無いのだが」


「まあ、お父様! とても大切なお話しですことよ」


「お前は黙っていなさいっ」


 アンジェリカはお父様が少し不機嫌である理由が自分の我が儘にある事を知りながらも、全く気にしている様子はなかった。

 むしろ今日でルーカス様のお気持ちが、自分との婚約へと傾く事への期待で胸をふくらましている様にさえ見える。


「なるほど、カーミリア卿にとっては大した話ではなく、アンジェリカ嬢にとっては大切な話という訳ですか……」


「まるで謎かけの様だね」と、ルーカス様がおどけた顔を私に向けなさったのは、少し不安気に黙っている私を気遣きづかっての事だろう。本当にお優しい方だ。

 それなのに私は気の利いたお返事もできぬまま、曖昧な笑顔でしかお応えする事が出来なかった。


 別室でなされたお父様とルーカス様の話は、ごく短時間で終わった様だ。

 その短い間、私はずっと自分の気持ちに折り合いが付けられずに困りながら、所在なげにバルコニーから外を見ていた。


 もしルーカス様がアンジェリカを好ましく思っていたのなら、結婚前に知れた事を私はルーカス様の為にも喜ぶべきなのだと思う。

 そう思う反面、ルーカス様との別れを考えると、私の心は勝手に千々ちぢに乱れていくのであった。


 やがて部屋のドアが開かれて、ルーカス様が戻ってこられた。アンジェリカはすぐに駆け寄って「どうでした? 大切なお話しだったでしょ」と、目を輝かせる。


 そんなアンジェリカへ「うん、そうかもしれないね」と、掴みどころのない返事をしたルーカス様は、そのまま真っ直ぐに私のいるバルコニーへと歩いて来た。


「ねえレイラ、ちょっと話があるんだ。いい天気だし、紅葉も綺麗だから庭を散歩をしながらでもどうかな?」


 お父様との話の結果を、私に伝えて下さるつもりなのだろう。ルーカス様と庭を散歩をするだなんて、本当なら嬉しくて仕方がないはずなのだけれど……

 今日に限ってだけは話の結果を知るのが怖くて、出来れば逃げ出したい様な気持ちになってしまうのであった。

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