死んだカナリアは戻らない~ある伯爵家姉妹の異常な関係~

灰色テッポ

第1話「姉妹」

 お父様が遠国での外交のお仕事からお戻りになられた日、我がカーミリア伯爵家では家族だけでのささやかな晩餐会が開かれた。

 その席では執事がメイドたちに運ばせた数々のお父様からの土産物が主役となって、お母様や妹のアンジェリカ、そしてもちろん私を楽しませてくれている。


 特にお父様が私の為に買ってこられた反物たんものは本当にとても可憐で、一目で私も気に入ってしまったほどだ。


「レイラお姉様のその反物、すごく素敵ですわね! 私の反物と交換しましょうよ、いいでしょ?」


 そう不躾ぶしつけにせがむ妹のアンジェリカは私より二つ歳下の十五歳。姉の私が平凡な顔立ちなのと違って、妹は美少女と言えるほどあでやかである。

 姉妹で似ている所があるとすれば、揃って豊かなブロンドの髪に恵まれた事くらいだろう。性格も全く違い私が内向的なのに比べて妹は社交的なのだ。しかしながらその他人ひとへの積極性は、時に度が過ぎる様な事も平気でしてくる。


「だって、だって、お姉様より私の方が、絶対に似合う柄だと思うの! 宝の持ち腐れになったら勿体ないでしょ?」


──ああ、また始まった。


 何で妹は私に対してはこんなにも遠慮がないのだろうか。ままも私にだけは当たり前の様にしてくるのだ。

 でもそれは私にも原因がある。ちょっと自分でも信じられないような事だが、私は妹の我が儘を絶対に拒めないのだから。


「いいわよアンジェリカ。でもお父様に頂いた反物ですから、お父様の許可を貰ってからにしてね」


「えーっ、めんどくさいわ。そんなのお姉様がしておいてよ」


「はいはい、仕方のないね」


 本当は仕方がないなんて言いたくはないのだ。あの反物は私だって、とても気に入っていたのだから。

 だけど──ほら、また聴こえている。あの時のカナリアの鳴き声が。


 カナリアの鳴き声が聴こえると、決まって私の心にもやがかかって自分の感情が見えなくなるのだ。

 これは一体なんなのだろうと思うのだけれど、何故かその正体を知るのが怖くて考えるのをめてしまう。


 もちろん我が儘をきくことが妹の為にもならないと事は分かっていた。でもかれこれ十年続いているこの関係は、今や日常にまでなってしまっていたのである。


「ところでお姉様。最近ルーカス様が私を見る時の、熱っぽい眼差しに気が付いていらっしゃる?」


「えっ!?」


「本当ですのよ。私、あの瞳を見る度に胸がドキドキしてしまいますの」


 妹は流し目で私を見ながら、胸に当てた手を妖しく動かしてニヤリと笑う。

 ルーカス様は私の婚約者で、そんな破廉恥な事をする方ではない。分かってはいるのだが、妹の意地悪がとても辛く思えてしまう。


「アンジェリカ、どうしてそんな意地悪な事を言うの?」


「まあ! 私は本当の事を申し上げただけですわよ。意地悪だなんてお姉様こそ酷い事を仰いますのね」


「そんな……」


「後でお姉様がショックを受けてはお気の毒だと思ったから、わざわざ親切心でお伝えしましたのに、心外ですわ」


 私の心はアンジェリカに嘘つき! と叫びたかったのだろう。けれどその感情はまるで他人事の様に無視される。

 誰に無視されたかと言えば、私自身に無視されたのだ。


──さっきからずっと、カナリアが鳴いているわ。


 私と妹との関係がこんなにも異常になってしまったのは、多分このカナリアから始まっていた。


 あれは私が七歳の時だった。妹のアンジェリカは一羽のカナリアをとても可愛がっていて、絶対に他人に触れさせようとはしないほど大事にしていた。

 当時の私はそのカナリアを独り占めする妹に対し、不満を抱いていた事を思い出す。


 澄んだ美しい声で鳴く愛らしいその小鳥を、私がこの手で優しく撫でてあげたいと願っても、妹は決して叶えさせてはくれなかったからだ。

 だから私は妹の目を盗んで、こっそりとカナリアを籠から出し、その手に取ってしまったのである。


 しかしそこで悲劇が起こった。手の中から逃げようとしたカナリアに驚いた私は、思わず強くカナリアを握ってしまったのだ。


「ダメっ! 逃げちゃダメッ!」


 加減という事を知らない子供は、得てして残酷な事をしてしまうものなのだろう。果たしてそのカナリアは私の手の中で死んでしまったのだった。


 私はとてもショックを受けたのを覚えている。生き物を殺してしまった恐怖で、泣く事も忘れて呆然としてしまうほどに。

 もちろんその時の妹の悲しみは、言葉では表せないほどに痛々しかった。私の謝罪なんか全く耳に入ってはいないかの様に泣き続けるその姿に、私は胸が潰れそうになる。


「ごめんね、アンジェリカごめんね」


 妹は私の事など見向きもしないで号泣していた。そんなひたすらに泣く妹を見ていたら、その時までカナリアを死なせてしまった罪悪感で一杯だった私の心が、ようやくカナリアの死そのものへの悲しみへと辿り着く。


 おかしな言い方ではあるが、私はやっと自分も泣ける気がしてホッとした。


 しかし──


「お姉様は泣かないで! 私のカナリアを殺したお姉様が泣くなんて、そんなのズルいもんッ!」


 ズルいというその言葉が何故か私の心に突き刺さる。何がズルいのかは正直分からなかったが、私は妹が正しい様な気がした。


「そうだよね、ごめんねアンジェリカ、私が泣いたらイヤだよね」


「ヤダっ! 絶対ヤダーッ!」


「うん、ごめんね」


 アンジェリカは私が泣く事を絶対に許さなかった。泣いていいのは自分だけだと言い張る妹の声が、ずっと私の頭の中で木霊こだまし続けていたのが忘れられない。

 すると不思議な事に、私に泣くなと訴え続けている木霊は、だんだんと人の声でなくなっていき──


「ピューイ、ピューイ、ピピピ……」と、カナリアの鳴き声となって聴こえてくる様になったのだ。

 私はただただ怖くなって死なせてしまったカナリアに謝り続け、悲しくて泣きたかった自分の感情を、あわててカナリアから隠したのだった。


 アンジェリカが私に我が儘を言う事を躊躇ためらわなくなったのは、その日を境にしてからだったと思う。

 私もカナリアを死なせてしまった負い目があるので、子供心にも妹の我が儘に応えてあげようと努力した。きっと私なりの贖罪のつもりだったのだろう。


 繰り返し繰り返し妹の我が儘を叶えてあげる事が増えていくうちに、何だかそれが自分でも当たり前の様な気になっていくのだが、当時の私自身にその自覚があった訳ではない。

 それを自覚する様になったのは、ある時催された子供だけの茶会での出来事からだと思う。


 その時の私は確か十歳くらいだったはずだ。貴族の子供たちの間では大人のサロンを真似る茶会が流行っており、その日は我が家の庭で私が女主人の役をして数人の友人たちにお茶を振る舞っていた。

 単なるごっこ遊びの様なものなのだが、子供にとっては女主人の役はとても名誉な事で、私は誇らしい気持ちで一杯だったのである。


 ところが、そんな私の気持ちに水を差したのは妹のアンジェリカだった。


「どうしてお姉様が女主人なの? 全然似合わないわ! 私の方が女主人に相応しいと思うの。代わってよお姉様!」


「えっ!? そんなの嫌よ」


 その場にいた子供たちは一斉にざわつき始める。当然私も戸惑いを隠せぬままに妹の要求を拒んだ。


「どうして嫌なの? どうして私ではなくてお姉様なの? ねえ教えてよ!」


「どうしてって……それは……」


 私は妹が投げ掛けてきた問に答えられなかった。自分の中にその理由が見付からなかったからだ。

 多分、自分が女主人をやりたいからだという、そんな単純な理由で良かったのだろう。でも私は自分の中にあったはずの素直な感情を、慌てて隠してしまった。


 一体何の為に自分の感情を隠したのか? それは遠くでカナリアの鳴き声が聴こえた様な気がしたからだ。


 結局私はその日の茶会の女主人の役を妹に譲り、茶会も何事もなかったかの様に楽しく終わったのである。

 そう、何事もなかった。女主人が私でも妹でも結果は同じなのだ。そう思ったら自分がさっきどうして女主人を、妹と代わる事を嫌がったのかさえ分からなくなった。


 その時から私の中では、アンジェリカの我が儘を叶えてあげる事が当たり前になっていく。

 カナリアの死を悲しんで泣きたかった私は、もうどこにも居なかった。

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