第5話






 案内された部屋はメイディアの世継ぎの王子に与えられただけあって豪華だった。

 ショウはどこかに腰掛けることはせず、窓辺へと近づいた。

 見える範囲で屋敷に目を通す。

 ここから見えるのは中央にある中庭だった。

 真ん中に置かれている噴水がキレイだ。

「いる。ラーダは絶対いる。俺の勘がそういってる」

 屋敷を見渡してみて感じたのはそのことだった。

 通された部屋の近くにはいないだろう。

 だが、この屋敷のどこかにラーダがいる。

 そう思えてならなかった。

「お待たせした。あのときに一度逢っただけのはずだが何用だ?」

「単刀直入に言うよ。ラーダに逢わせてくれないか。この屋敷にいるのはわかってるんだ」

 本当に単刀直入だった。

 ショウはラーダが招かれた本当の理由には勘づいていなかったが、この王子を相手に腹芸をするつもりはなかった。

 そんな芸当とは無縁の存在であることは、このあいだ逢ったときにわかっていたから。

「ラーダというとこのあいだ一緒にいた奴が。逢わせてくれと言われても、この屋敷にはいないんだ」

「嘘をつくなよ。メイディアの王子が白昼堂々誘拐か?」

 目に力を込めてショウが睨む。

 グレンは思わず目を逸らしてしまった。

 逸らした後で後悔した。

 これだから尊師たちに権謀術ができないと言われるのだろう。

 グレンはよく言えば素直で正直、悪く言えば単純なのだった。

「嘘ではない」

「あんた嘘が下手だよな。自分でも気づいてるはずだよ。それじゃあ隠せないって。

 今なら大事にする気はない。あんたたちがラーダに手を出したくなる気持ちだってわからないわけじゃない。だから、逢わせてくれ。もう10日だ。十分だろう?」

 ショウの態度はこのあいだ逢ったときとすこし変わっていた。

 あのときはどこにでもいる少年に見えたが、今は身分も名もある少年に見えた。

 メイディアの王子であるグレンが相手でも、飲まれたりせずに正々堂々とやり合っているし。

 ふと疑問に思った。

 こいつは本当に普通の少年なんだろうか、と。

 一般庶民なら関わっているのが、メイディアの王子だと気付いた段階で、ラーダのことは諦めるだろう。

 メイディアの権勢はそれほどまでに強い。

 だが、ショウは迷いのない目をして目の前に立っている。

 グレンが相手でも全く萎縮することもなく。

 それが違和感となってグレンの心を支配した。

「そんな奴は本当にここにはいないんだ。確かにおれたちとしてもあいつには訊きたいことは山のようにある。

 だが、訊ねたところであいつは教えてくれないだろう。だから、どうこうする気はないんだ。それはそちらの勘繰りすぎだ」

「あくまでもシラを切るっていうのか?」

 ここまで言い切ってもショウはラーダがここにいると信じて疑っていないようだった。

 どうしてそう思えるのかと、ふと疑問に思う。

 だれかが情報を流した?

 だが、ラーダのことは第一級の極秘事項として扱っているから、情報が外に漏れるはずはない。

 では何故だ?

 ショウの言動は解せないことばかりだった。

 切り札の意味でショウはそれを口にした。

「ラーダにグレッグを使ってるんじゃないだろうな?」

「グレッグ?」

「あんたたちが買い集めた致死量にも及ぶほどの睡眠薬だよ。使われた量によっては確実に生命を落とす」

 ビクリと震えてから知らないとかぶりを振った。

 自分でも下手な惚け方だと思ったが。

「まさかホントに使ってるのか? ラーダを監禁しておくために?」

 ショウの青灰色の瞳が大きく見開かれる。

 マズイ事態になった。

 隠しきるためには惚けるしかない。

「おれたちはそんな薬なんて買い集めていない。どこから聞いた情報か知らないが、それは完全な誤解だ。そんな奴はこの屋敷にはいないし薬だって買い集めていない。そんな用件なら帰ってくれないか。お祖母さまのことだというから逢っただけだから」

 祖母のこと以外ではショウと逢う気などない。

 そう言い切られてショウは不機嫌そうな顔をしてみせた。

 ラスターシャの王子とメイディアの王子とでは、ラスターシャの王子の方が位が上である。

 大国と小国という意味ではメイディアには敵わないが、その権勢という意味や敬愛の度合いという意味では、ラスターシャの王子の方が勝るのだ。

 それ故の不快感である。

 メイディアの王子と言えどもラスターシャの王子には敬意を払わなければならない。

 それが現実だった。

 身分を知らないから言えることだとはいえ、正面から相手にならないと言われると不愉快にもなる。

「あくまでもシラを切るっていうんだな?」

「シラを切ってはいない。事実を言ってるだけだ」

「それだけ露骨に態度に出しておいてよく言うよ。どこのだれが信じるんだ? あんたはさっきから薬をラーダに使ってることも、ラーダがここにいることも態度で認めてる。それがわからないのか?」

 ここまで話し合ったとき、メイディアの騎士らしき人物が飛び込んできた。

「王子っ。魔族が出ましたっ」

「またか。わかった。すぐに出る。準備を進めていてくれ」

 答えてグレンが真っ直ぐにショウを見た。

「今日のところは帰ってくれないか。どうしてここにいると思い込んでいるのかは知らないが、そんな奴はここにはいない。魔族も出たらしいし明るい大通りを選んで家に帰れ。危険だぞ」

「確かに今はラーダのことどころじゃなさそうだ。だけど、グレッグをラーダに使っているとはっきりしている以上、俺はこんなことじゃ諦めない。はっきりさせるからな。メイディアの王子、ネジュラ・グレン」

 はっきりとメイディアの王子を呼び捨てにした。

 位が上の者として。

 呼び捨てにされてグレンが驚いた顔を向けている。

「明日、出直してくる。そのときまでに王子として考えを改めておいてくれ。あんたももう一国の王子ならわかるはずだ。誘拐がどんなに許されない行いか。それをよく考えておいてくれ」

 魔族が出た以上、これ以上ここに止まることができなくて、ショウはそう言ったのだがグレンは悔しそうな顔をしていた。

 立ち上がるときもまっすぐ前を向いて毅然とした態度を取っていた。

 その様子にグレンはまた疑う。

 彼は本当に庶民の少年なのだろうかと。

 問いかけにショウは答えなかったけれど。





 ショウが出ていくのを気配で感じながら、ラーダが悔しそうに舌打ちをした。

 魔門と呼ばれる特殊な立場に立つ人間だ。

 ショウは勘が鋭い。

 おそらくこの屋敷にラーダがいることは確信されただろう。

 魔族が出なければショウがここに辿りついてくれたかもしれないのに。

「ラーダさま? お身体は大丈夫ですか?」

「あのバカ王子が魔族が出たからって、またあの薬を使用しなければね」

 皮肉に染まった返答にエスタも答える言葉がない。

 時々、発作を起こすしもう10日も絶食しているのだ。

 ラーダの身体は見えないところでボロボロになっているだろう。

 それでも弱みを見せない気高さに舌を巻く思いだった。

「ショウ様のところに戻りたいのでしょうね。お許しください。わたしに王子を制止する力があれば,あなたを解放することもできるのですが……力不足で……」

 確かに王子を止められないことは、お傍付きとしてのエスタの力不足だろう。

 だが、王子を完全に止められる臣下などいない。

 その権限が臣下には最初からないのだから。

 エスタに頭を下げられて彼にはなんの落ち度もないとわかっているから、ラーダは答えられないまま眼を逸らす。

「エスタ。出掛ける。支度を」

 短く言いながらグレンが現れ、エスタが慌てたように行動を開始した。

 グレンはよほどエスタを信頼しているらしく、身の回りの世話はすべて一任していた。

 だから、こういうときもエスタが1番忙しいのである。

 すべての支度が済んで甲冑を着込んだグレンが、困ったようにラーダを振り向いた。

 正直なところ、最近のラーダの様子を見ていると、もう薬の多用は避けたほうが無難だと思われた。

 これ以上は如何にラーダといえども危険である。

 だが、魔族が現れた以上、魔法使いはすべて同行させねばならず、ラーダを閉じ込めて出さない結界なんて張っている余裕はない。

 それをするには時間が必要なのだ。

 魔族との戦いは時間との戦いだ。

 対処が遅れれば遅れるだけ危険に晒される民間人が増える。

 だから、そんな大がかりな術を仕掛けている余裕がないのである。

 今回だけだと割り切ってグレンは薬が常備されている瓶を手に取った。

「王子っ!?」

 エスタが驚いた声をあげる。

 同時にラーダもギョッとした目を向けた。

 まさかこの状態でも薬を使用されるとは思わなくて。

 喉を通った後で胸が燃えるような痛みを訴えた。

 ガクガクと震えながらラーダが崩れ落ちる。

 眠ってはいなかったが身体はボロボロだった。

 すでに耐えられる限界は過ぎている。

 ラーダは光と闇の申し子。

 それだけにどちらにも属さない存在。

 強すぎる薬なら影響だって受けるものだから。

「どうせ明日にはあいつがくる。誤魔化せないかもしれないから、今日だけ。今日だけだから。済まない、ラーダ」

 呟いてグレンはラーダをひとり残し、魔族が横行しているところへ向かって出発した。

 人っ子ひとり居なくなりラーダが震えながら身を起こす。

「苦しっ」

 ハアハアと息をつきながら、目が回るのを堪えた。

 ショウが街に出ている。

 魔門として狙われやすいショウが。

 危険が及ぶ前に魔族を処理しなければ。

 苦しいけど、辛いけど、自分がやらなければ。

 ショウを護るために。

 いつもよりずっと時間をかけて髪と瞳の色を変えると、ラーダは呼吸を整えてショウの屋敷へと転移した。

 そこで黒衣に着替え街へ出るのだ。

 どうかショウに危険が及んでいないようにと祈りながら。





 魔族が出たのは暗い路地裏だった。

 ショウは敏感にそこを避け、明るい大通りを選んで帰路についている。

 ビュウ、ビュウと風が唸り声をあげる。

 その声が耳につく度にショウはビクリと身を竦めた。

 怖いわけではない。

 ショウは育ての親に戦い方は叩き込まれている。

 それだけの実力もあるし度胸もある。

 それでもビクついてしまうのは何故だろう?

 感じたことのない感じが付き纏う。

「剣、持ち出してきて正解だったな。なんかそんな気がする」

 魔門の勘、だろうか。

 魔族の動向が気にかかる。

「シャァァァァ――――!!」

 突然そんな叫び声がして、ショウはとっさに腰にあった剣に手を伸ばした。

 寸でのところで魔族の腕を剣で受け止める。

 横凪ぎに払うといつの間にか魔族に取り囲まれていた。

 赤い瞳を血走らせ涎を滴らせている。

「魔門だ」

「魔力を増幅してくれる魔門だ」

「久々の獲物だ。だれにも渡さねえ」

 魔族たちが薄ら笑いを浮かべながら呟く。

 耳にしてショウは怪訝な顔をした。

 魔門が魔力を増幅するというのは初耳だ。

 確かに魔門は魔法使いなどが術を使う際に、協力すれば成功率をあげられるとは聞いていたが、魔力を増幅させるせいだとは知らなかった。

 魔族たちにとっては魔門はいるだけで極上の獲物なのだろう。

「ありがてぇ。こいつの血を啜れば、それだけで魔力が増幅される。だれにも渡さねえぞ」

「それはこっちの科白だ」

 包囲したまま魔族たちがお互いを牽制し合っている。

 騎士団の声が遠くに聞こえる。

 こちらでも事件が起きたと気づいたらしい。

 彼らがくるまでもつだろうか。

 メイディアならまだしもレジェンヌの騎士団に駆けつけられて、魔族たちの会話でも聞かれたらアウトだ。

「血の一滴までだれにも渡しはしねえぜっ」

「そんなことを勝手に決めつけられてもな。こっちにも都合ってものがあるんだ。そう簡単に囚われてやるつもりはないし、殺される気もない」

「いつまで持つかな?」

「その強がりがよぉ」

 イッヒヒヒと笑う声がして、ショウを包囲する陣が狭まる。

 確かに多勢に無勢だ。

 今は魔族たちが牽制し合っているから無事だが、協力しはじめたらショウの命運もそこまでだ。

 そのとき風が袈裟懸けに魔族を切り裂いた。

「ギャアッ」

 と、短い断末魔の声があがる。

 ショウもキョロキョロしたが魔族たちも慌てふためいていた。

 彼らのほうが情勢をよく見ていたようである。

「俺の目の届くところでよくそんな真似ができたものだ。ラスターシャ王家の者と俺は友好を結んだ関係だ。おまえたちになど渡す気はない」

「王子っ」

 魔族たちが次々に名を呼ぶのが、妖魔の騎士だと気づいて、ショウも周囲に目をやってみた。

 近くの民家の屋根に妖魔の騎士の姿があった。

 逆光で顔立ちはハッキリしないが、その姿形には見覚えがあった。

(どこかで逢った?)

 どうしてそう思うのかわからないが、ショウは初めて目にする妖魔の王を知っていると感じだのだった。

 フワリと妖魔の騎士が飛び下りる。

 風が彼の身を包み、それは刃となって魔族たちを襲った。

 放射線状に広がっていく風の刃に魔族たちが次々と倒れていく。

 間近で見た妖魔の騎士は黒い仮面を身につけていて、顔立ちがわからなかった。

 わかるのは闇より深い黒髪と血の色の瞳。

 間近で相対したショウはどこか見覚えのある妖魔の王に不思議そうな顔を向けていた。

 よく見ると顔色が悪い。

 呼吸も荒いのか肩で息をしている。

 とても戦いに出られるような状態じゃない。

 不思議な感情を与えてくれる妖魔の王に声をかけようと手を伸ばそうとしたとき、メイディアの王子一行がやってきた。

「きていたのか。今日は姿を現さないのかと思った」

「このヌケサク王子。襲われている奴がいることぐらいすぐに気付いてやれ。職務怠慢も程々にしろ」

 妖魔の騎士に責められてグレンがグッと詰まる。





 それから改めてそこに立っているのがショウだと気付いた。

 抜き身の剣を手にしているところを見ると襲われていたらしい。

 妖魔の騎士は彼を先に助けに動いたのだろうか?

 そこまで考えたとき、倒れていた魔族がひとり死に物狂いの形相でショウへと跳んだ。

「魔門。その力を寄越せ!!」

「冗談!!」

 ショウが剣を構えようとするより早く妖魔の騎士が動いた。

 爪が一閃すると魔族がその場に倒れ、やがて塵となっていった。

 風のような動きに周囲は声もない。

「ウッ」

 妖魔の騎士が変な声を出し膝をついた。

 とっさにショウが膝をつく。

 そうして肩を掴んで覗き込むと、一瞬だけ仮面の下の素顔が覗いた。

(ラーダッ!!)

 髪や眼の色は違う。

 だが、その容貌は間違いなくラーダだった。

 まるで気付かれたことに気付いたように、ラーダがショウの腕を振り切る。

 それからフラりと立ち上がると、もう何事もなかったかのようにグレンに声を投げた。

「今日のところはもう魔族は出ないだろう。粗方処理したからな。後はそちらの仕事だ。俺は消える」

「珍しくおれたちの前に姿を見せたのはどうしてなんだ? いつもは闇の中から出てこないのに」

 こんな形で関わってこないくせにと言われ、ラーダがちょっと不機嫌そうな顔をした。

「俺の勝手だろう。使えないくせにうるさい王子だ」

 それだけ言ってラーダの姿が消えた。

 呆然と立ち上がった後でショウは掌に赤い色がついているのが目に入った。

「……血だ」

 さっき妖魔の騎士の手に触れた手だ。

 口許を押さえた手で腕を振り切られたときに手に触れた。

 そのときについた?

 つまりラーダが血を吐いた?

 じゃあラーダとラーダ・サイラージュが親戚だというあの話も嘘?

 もしかして同一人物だった?

 ネジュラ・ラセン王は妖魔の騎士を妃に迎えたのか?

 そう考えるとすべての辻褄が合う。

 そう言えばふたりが出現したのは同時だ。

 ラーダが姿を見せると妖魔の王も姿を見せた。

 ふたりが同一人物だったのなら当然だ。

 そしてラーダ・サイラージュが姿を見せると妖魔の王が姿を消した。

 これも同一人物だったのなら納得するのは容易い。

 グレッグの多用で身体を壊しかけているのか?

 だから、血を吐いた?

 ラーダが妖魔の騎士だとしたら、助けたいと思うのは歴史に対する挑戦かもしれない。

 今の彼が改心していても、昔彼が大勢の人間を快楽のために殺した事実は消えない。

 普通は許されないことだろう。

 でも、ラーダはショウを助けてくれた。

 なにかと気遣い力になろうとしてくれた。

 助けたい。

 その気持ちに嘘はないっ!!

「ネジュラ・グレン王子っ」

 後始末をしていると突然ショウに名を呼ばれグレンが振り向いた。

「なにか?」

「もう誤魔化しはきかない。俺はラーダに逢う」

「まだ言ってるのか」

「誤魔化しは通じないって言ったはずだ。どう誤魔化そうと逢う。グレッグを多用したんだろう? あの薬は多用されると危険なんだ。その解毒剤はリョガーザしかない」

「リョガーザ? しかしあれは薬になるほど高級品は、そう簡単には手に入らないぞ?」

「俺の家には沢山んある。だから、リョガーザを取ってきたら、もう一度屋敷に行く。そのときにラーダの手当てをするから」

「……信じているんだな。おれのところにラーダがいると」

「ああ。俺の勘は外れないからな。逃げるなよ、ネジュラ・グレン王子」

 それだけ言い置いてショウは走り出した。

 その背を見送ってエスタがため息をつく。

 あのとき、気のせいでなければ魔族は確かにショウに向かって「魔門」と呼んだ。

 魔門とはラスターシャ王家を代表とする人と魔の狭間に立つ者。

 この現場に駆けつけたのがメイディアの一団でよかったのかもしれない。

 もしレジェンヌ側だったら、あの少年は魔門だというだけで、ラスターシャ王家と関連付けられ殺されていたかもしれないのだから。

「なにかと不思議な少年ですね、彼は」

「そうだな。おれが彼に勝とうとすること自体、間違っていたのかもしれない」

 ラーダの問題が起きてから初めて、自分の間違いを認めた王子にエスタが顔を明るくする。

「……王子」

「事後処理を終えたら戻ろうか」

 頷き合ってふたりは帰路についた。

 リョガーザを手にするとショウはすぐにとって返した。

 その胸元で双頭のラジャの首飾りが揺れている。

 すこし走ってショウはそのことに気がついた。

「ヤバッ。うっかりしてた。だれも見てなかったよな?」

 キョロキョロと視線を走らせて、ショウは首飾りを服の下に隠した。

 風のような速度でメイディアの王子の屋敷に向かってショウは駆けていく。

 その後ろ姿を見送る影があった。

「あの首飾りは……」

 現王家派の将軍は苦い顔で遠くなるショウの後ろ姿を見ていた。

「後をつけろ」

「はっ」

 部下に一言命じてすべては急速に動き始めた。





「ハアハアハア……」

 苦しくて息ができない。

 バレただろうか。

 ショウに。

 ショウに肩を掴まれたとき、確かにショウの顔色が変わった。

 気付かれたかもしれない。

 俺が妖魔の王だと。

 あのとき少量だけ血を吐いて、すぐにショウの屋敷に転移したけど、グレンの屋敷に戻ったときには、すべての力が尽きていた。

 このままなら死ねるのかな。

 妖魔の王たる自分に死は訪れないのだと思っていた。

 老いも死も自分には関係のないものだと思っていたのだ。

 まさかこんな事態になるなんて思ったこともない。

 この苦しさに身を任せていたら死ねるのかな。

 この永すぎる生から、ようやく解放されるのかな?

 最期にショウに逢えて良かった。





「メイディアの王子っ。ラーダの様子はっ」

 メイディアの王子の屋敷に駆け込んだショウを見て、彼の後をつけていた騎士がギョッとした顔をした。

 まさかメイディアの王子の下へ行くとは思わなかったのだ。

 早く将軍に知らせなければと身を翻す。

 そんなこととは知らないショウは、出迎えに出てきたグレンが青ざめているのを見て同じように青ざめた。

「さっきから意識がない。何度も血を吐くんだ。すまない。おれがもっと早く素直になって解放していたら。おまえの下へ連れ戻していたらこんなことには……」

「いい。今は後悔は無用の長物だ。ラーダに逢わせてくれ。リョガーザを処方して飲ませたらまだ間に合うかもしれない」

 グレンを責める間も惜しいと言ったショウに、グレンは黙って従った。

 こんなとき彼に負けていると痛感する。

 男としての器でグレンはショウに負けている。

 そのことを今素直に認めていた。

 もっと早くにそのことを認める勇気があったら、ラーダをここまで追い詰めることもなかっただろうに。

 そう思うと悔やまれてならなかった。

 なにが万にひとつの可能性だ。

 傲慢だったんだとそう思う。

 ラーダの元に駆け込むと、ラーダはすでに虫の息だった。

 細い細い息を弱く弱く繰り返している。

 ショウはエスタの傍に行くと一言だけ訊ねた。

「格好からして白魔法使いか?」

「そうですが?」

「リョガーザを持ってきた。これを処方してほしい」

「わかりました」

「半分は貼り薬として用意してくれ。なにかで呼吸を助けた方がいい」

「はい」

 すべての準備が整ったのは、それからすぐのことだった。

 ショウが必要な物をすべて持ち込んだせいで、用意に手間取ることがなかったのだ。

 自力では飲めないだろうラーダのために、ショウは小瓶まで用意していて、その用意周到さにはグレンも舌を巻く思いだった。

 異性になれるラーダの立場を気遣って、ショウは口移しはせずに済むように、吸い口のついた小瓶を用意してきたのだから。

 用意したリョガーザを何回かに分けて飲ませる。

 呼吸を助けるため、侍女の手を借りて何度か胸にリョガーザの貼り薬を貼る。

 それを数回繰り返した頃には、ラーダの呼吸は落ち着いてきていて、顔色もグンと良くなってきていた。

(やっぱり治りが早いな。普通、ここまで症状が重いと治るのに時間がかかるのに。やっぱり妖魔だからか?)

 感想は態度に出さなかったけれどホッとしていた。

 ラーダが回復してきたのを見て。

「なにも訊かないんだな」

 すべて落ち着いてきてから、グレンがふとそんなことを言った。

 枕元で付き添っていたショウは背後に立つ彼を振り返り問うてみた。

「訊いてほしいのか?」

「さあ。自分でもよくわからない。ただこんな状態にまで追い込んだというのに、理由を訊かれないのが不思議で」

「あんたのやり方は確かに良くなかった。どんな理由があるにしろ、薬で人を自由にしようなんて最低のやり方だ。でも、ラーダは助かったし、あんたはあんたで悪いことをしたって、今は本心から思ってるんだろ?」

「ああ。本当にラーダには済まないことをしたと思ってる」

 心からそう言っている風情のグレンを見上げて、ショウは優しく微笑んだ。

「だったら俺からなにか言うようなことじゃないよ。そのことで抗議できる権利を持ってるのは、被害者のラーダだけだ。俺にはなんの権利もない」

「だが、おまえにも心配を掛けただろう? ラーダはいつもそのことを気にしていた」

「確かに心配していたという理由からなら、俺にも文句を言う権利はあるかもしれないけど、それもラーダ次第だな。俺からは言うべきことはなにもない」

 あっさりしているショウにグレンは敵わないなとため息を吐き出す。

 ショウにしてみれば相手はラーダの孫かもしれないのだ。

 自分の孫を相手にラーダがどこまで怒っているか。

 それがハッキリしない間は、ショウの出番はないと思っている。

 改心する前のラーダなら自分の孫が相手でも、こんな目に遭わせた相手を許さなかっただろうが、今は許すような気がする。

 だから、出た答えだった。

「それよりすこしお訊きしたいことがあるのですが」

「エスタ?」

 不思議そうな王子の顔と怪訝そうなショウの顔を交互に見て、エスタはゆっくりと息を吸い込んだ。

「間違っていたらすみません。あなたはラスターシャ王家の王子ではありませんか?」

 ピクリとショウの眉があがった。

 だが、反応はそれだけだった。

 後は反応らしい反応もない。

 しかしその一瞬の動揺で答えは十分だった。

 エスタはどんな反応も見逃すまいと、ショウを凝視していたので、その一瞬の動揺もきちんと見抜いていたのである。

「こいつがラスターシャの王子? どういうことだ、エスタ? きちんと説明しろ」

「あのとき、最後の最後に彼を襲った魔族がいましたね?」

「ああ。いきなりこいつに襲いかかったんだか」

「あのときの魔族が口走っていたんです。『魔門。その力を寄越せ』と。このレジェンヌで代表的な魔門と言えばラスターシャ王家でしょう。まさか世継ぎの君ではないとは思いますが」

 そういえば……とグレンも改めてショウを見た。

 確かにあのとき、襲いかかった魔族はショウに向かって「魔門」と言った。

 それは聞き間違いではない。

 グレンも確かに耳にした。

「本当か? 本当におまえはラスターシャ王家の者なのか?」

 問われてもショウには答えられない。

 後見役をやってもらえたら、これ以上の良策はないが、メイディアの動向がハッキリしない今迂闊に打ち明けるわけにはいかなかった。

「もしそうなら身の振り方の心配はしないでほしい」

「どういう意味だよ?」

「おれは父上からレジェンヌに赴くのなら、ラスターシャ王家の者が生存していないかどうか調べてくるように言われていたんだ。生き残っていたら保護するようにと厳命を受けている」

「保護って?」

 信じられないと背後に立っている王子を見上げると、彼は隣に椅子を用意して腰掛けた。

 同じ目線の高さにある顔をじっと見つめる。

 急展開した話についていけない。

「もともとレジェンヌを治めていたのはラスターシャ王家だ。その権威も威厳もまだ失われてはいないということだ。

 現王家のやり方は目にあまる。旧王家の者を暗殺して回ったりと、とにかく目にあまる行動が多いだろう?

 だから、父上が中心となってラスターシャ王家に王位を取り戻してもらおうと動きだしていたんだ。

 そのためにはラスターシャ王家の正式な世継ぎが必要で、おまえが正式な世継ぎではないとしても、ラスターシャ王家の生き残りなら、即位する権利はある。どうなんだ? 違うのか?」

 ここまで言われても黙っていると、グレンが言いにくそうに言ってきた。

「こんな真似をしたおれを信じてくれと言っても、すぐには無理だろうが言っていることには嘘はない。メイディアの王子としての誇りをかけてもいい。信じてくれないか?」

 信じてくれとグレンが言う。

 立場がなさそうにしながらも偽らない眼差しで。

 そんな王子を見兼ねてエスタも言い添えた。

「王子のおっしゃっていることは本当です。国王自らのご命令でした。その場にはわたしも同席していましたので間違いありません。信用しては頂けませんか? わたしたちはあなたを裏切りませんから」

 これを転機と言うのかもしれない。

 ショウの運命が変わる瞬間。

 メイディアの後見を得られるかもしれない。

 そうしたら現王家に対しても対処法を考えられるし。

 賭けてみるべきなのかもしれない。

 彼らに。

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