憎しみという感情のパワーは凄まじい。

 怨み、怨念……死後ですら、この感情に似た言葉を作られており。刑事ドラマや映画などでは、殺人の動機として示される事も多い。

 犯人が、被害者に恨みを持っており、その恨みを晴らすべく犯行に至る……この流れは、刑事ドラマや映画などフィクション世界だけの話ではない、現実の世界でも、そのような事件は起きている。

 人が人を恨む。

 法律や人間の理性や価値観――様々なものが、この感情に対して制御を行っている。しかし憎しみという思いの強さは、時折その制御を飛び越え猛威を振るってしまう。

 人間の理性すら、軽く捩じ伏せてしまう。


 さて、ここで考えるべきは、突如現れた化け物――奴らが、人間に対して憎しみを持っていた場合、どうなるのか?

 答えは既に現れている――虐殺だ。


 人を殺害するのを躊躇せず、容赦なくその圧倒的な力を振るう。

 人間を……殺し尽くすまで。

 無力な人間にはまだ、それに対抗する術はない。

 少なくとも――


 


「私達が現状取れる手は逃げる事よ」


 ネネが言う。


「その化け物と遭遇しないように、逃げる事……一度たりとも出会さないのが理想ね」

「そんな事出来るのか? いつかは絶対に出会すだろ。確実に……」


 シンが率直な疑問を述べた。

 確かにネネのソレは理想的ではある。しかし、あの化け物が、そう易々と四人を見逃し続けるのは希望的観測に過ぎない。むしろまだ遭遇していないのは、奇跡と呼べる程の幸運なのだから。

 ネネがその疑問に対する返答を述べる。


「恐らくそうでしょうね……でも、出会した場合、今の私達では百パーセント八つ裂きにされて殺されてお終いよ。逃げる事も、戦う事も出来ないわ。直ぐに返り討ちにあって殺される。この未来は絶対に変えられない……だからこそ、私達が生き残る為に取れる手はそれ以外に方法はないの」

「出会した瞬間、終わりって事か……そりゃそうだわな」


 シンがため息混じりに頷いた。

 そう、出会さない事が不可能だと考えてみても、結果出会した場合生き残る事は不可能だ。故に彼ら彼女らが取れる選択肢はただ一つ――


 逃げ続けるのみ。


 化け物の目を掻い潜り、その身を隠し続ける事だけだ。


「なぁ子安……って事は、二階じゃなくて三階のこの場所へ移動したのって、安全面を考慮しての事だったのか」

「そうよ。あなたにしては鋭いじゃない。褒めてあげるわ」

「……どうも」


 簡単な話だ。当初シンとネネは二階に身を隠していた。それは唯一あの化け物が襲撃をしていなかった階であり、教室等の損壊があまりなく過ごしやすく身を隠しやすいからに他ならない。

 この時ネネはまだ、あの化け物が人間を襲う理由を食事の為と思っていたが故の判断だったが……化け物の狙いがほぼ明確となった今、その時の判断に背筋が凍る思いをしていた。

 何故なら――あの化け物が人を憎み、殺す為に動いているのだとすれば、のだから。

 その危険性を省みて、ネネは三階への移動を決めたのだ。

 そこならば、万が一化け物の鼻が本来の猫レベルに優れていたとしても、遺体の臭いや血の臭いで掻き消す事が出来るかもしれない……木を隠すのなら森の中理論である。

 まさかのケースをも想定し、策を練る。

 これが子安寧々――『念には念を』がモットーな彼女なりの処世術だ。


 時刻は十九時半を回っている。

 ネネの予想が正しければ……。


「にゃーーーーお……」


 一階と外で人間を殺害し尽くした化け物が、殺し損ねた人間がいないかを確認する為に、一度も降り立っていない二階を見て回る頃である。そしてそれは見事に的中していた。

 四人の耳に入ったのは、その化け物の鳴き声。

 その瞬間――四人の全身に悪寒が走った。


「猫崎……」

「分かってる……」


 ネネとシンが小さな声でやり取りを交わす。そしてシンが残り二人に小声で指示を飛ばした。


「絶対に音を立てず、一言も喋るな」


 シンのその言葉を最後に……ハヅキとマナカは頷き、沈黙を守った。

 勘づかれたりさえしなければ、一度襲撃した三階へは上がって来ない筈……それがネネの考えである。


 そしてそれは正解だった。

 現在二階を徘徊している化け物は、先刻襲撃した三階へは足を運ぶつもりはなかったのだ。二階に逃げた生き残りはいないかを確かめる、ただそれだけの為に、その化け物は戻って来たのだ。

 しかし――


 念には念を、がモットーのネネだが、とある一つの

 そしてそれは、シンもマナカも――そしてハヅキも……この視聴覚室にいる四人全員にとっての大誤算だった。


 痛恨のミス――そう言っても過言ではない。


「にゃーーーおぉぉ……」


「「「「っ!!!?」」」」


 間違いなくに、四人は戦慄する。

 三階は大丈夫だった筈……にも関わらず、何故三階に化け物が現れたのか?

 この状況になってようやく、ネネは自分の失念に気付く。


 その失念とは――


 化け物が一匹だけでなく……の可能性を、彼女は失念していた。

 何故なら、先程襲撃した化け物とは違う――二匹目の化け物が存在していた場合、その二匹目にとっては――


 三階は、なのだから。

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