一匹の猫が泣いた日

蜂峰文助

一匹の猫が泣いた日

 令和三年十月一日――十四時九分。


 一匹の猫が泣いた。

 鳴くのではなく。泣いた。


 それが全ての始まりだった。


 その猫が泣いた瞬間……目も開けていられない程眩い光が、日本中を包み込んだ。

 それからだ――地獄が始まったのは。


 日本中に存在していた猫。その全てが、後に猫又と呼ばれる化け物へと進化を遂げた。

 生まれた猫又達は、人間達の虐殺を始めたのだ。

 その犠牲者の数は数百万人。


 正に地獄絵図とも呼べる光景。


 恐るべき身体能力を誇る猫又の前に、人類は為す術なく蹂躙されていた。


 しかし。

 始まりの光から約五時間半後、再び眩い光が日本中を包み込み。

 人類による逆襲の狼煙が上がった。



 そしてその翌日。

 令和三年十月二日――二十一時四十四分。

 四国――高知県高知市にて。


 猫又騒動発生後――日本で始めて巻き起こった、大規模な闘い。

 その大決戦の幕が今、下りようとしていた。


 

「……ふむ……まさか、ここまでやるとは……どうやら我々は、お前達人間を少々、見くびっていたようだ。実に、粘り強い精神力――忌々しい……」


 全身に銀色の鎧を纏った猫又と向かい合っているのは、日本刀を構えている人間。


「……おどれらがワイらをどう思おうが知った事やないわ! おどれらは殺す! 一匹残らず――――ぶち殺したる!!」


 涙ながらに、人間は叫んだ。

 憎しみを込めて――殺意を込めて――叫んだ。


 猫又も人間も、互いに満身創痍。

 次の一撃が恐らく、最後の攻防となるだろう。


 人間は日本刀を振るい。

 対する猫又はその銀色の鎧で迎え撃つ。


 日本刀が猫又の銀色の鎧を斬る事が出来れば、人間の勝利。

 はたまた、その刃をその銀色の鎧で受け止め、とどめの一撃をその拳で放つ事が出来れば、猫又の勝利。



 ぶつかり合う、刀と鎧。

 その結末は――




 痛み分けだった。



「ぐっおぉおぉお……!」


 纏っていた銀色の鎧と共に、両腕を一刀両断された猫又。

 対して、それらを一刀両断したものの、その一撃に全てを賭け、力を使い果たした結果、疲労感から立つ事すら出来なくなり倒れ込む人間。


「何しとんねん……! ワイの身体は……!! 軟弱過ぎるやろ! 何へばっとんねん!! あと一撃……あと一撃入れたら殺せんねや!! 動けや……動けやぁぁあ!!」


 自らを激しく叱責し、気持ちで無理やり起き上がろうとする。

 目の前の猫又は間違いなく瀕死の状態。

 鎧と共に斬りつけられた胴体は、ほんの少し斬り損なった筋肉でようやく繋がっている状態だ。

 あと一太刀浴びせる事が出来れば……しかし――身体が動かない。



 瀕死の猫又が取った行動……それは撤退だった。

 息も絶え絶えの中、人間に対して背中を向け、逃走を試みる。

 猫又は……生きのびる道を選んだのだ。


「おい……何しとんねん……何しとんねん!! おいっ!! 何逃げとんじゃボケェ!!」


 人間が煽るも、猫又は逃走をやめない。

 このままでは取り逃してしまう。ここで仕留めなければ……そうは思うが、身体に力が入らない。

 追い掛ける事が出来ない。


「おいっ! 誰かアイツを仕留めてくれ!! 逃げられる!! 頼む! 誰か!! アイツは仇なんや!! 妹の! だから……だから誰か仕留めてくれぇ!! お願いやぁ!!」


 その懇願に答える者も……いない。

 思い虚しく、猫又は去って行った。


 取り逃してしまった。


「く……そ…………クソッタレェーーっ!!」


 人間は、自身の無力さを呪った。

 あと少し……ほんの少しでも、自分が強ければ……。


 打ち拉がれる中。


「おにぃ……ちゃ、ん……」


 先程の猫又との戦闘で息絶えたと思われていた人物の声が聞こえた。


「サヤ!! お前! 生きとったんか!!」


 動けない筈の身体を無理やり引き摺り、ほふく前進の如く妹の元へ。


「良かっ――――っ!!」


 しかし現実は残酷。

 助かっていたと思われた彼の妹の身体は……右肩と脇腹、そして右足の付け根から下が無くなっていたのだ。

 どう見ても助からない。

 生きている事が……意識を保てていられる事が奇跡と呼べる程の致命傷。


 そんな状態で、彼女は必死に声を絞り出していた。


「サヤ…………お前……」

「泣か……ん、とい、てゃ……」

「すまん……取り逃してしもうた……お前をこんなにした奴……逃げてしもうた……兄ちゃん――仇討つ事出来んかった……すまん……ほんますまん……!」

「よぅ……やったと……思う、よ……」

「サヤ……」

「ウチ……な……」

「おぉ! 何や?」

「こん、な、強……い……にぃちゃ、ん……の、妹で……良かっ……たわ……」


 その言葉に、男性の涙腺が崩壊する。

 彼の目から溢れる涙を頬に受けながら、サヤは残っている左手を掲げる。

 男性はその手をギュッと握りしめた。


「ウチの、たま………しぃ……あず、けたで……」

「……魂……?」

「次……こ、そ……あい、つを…………」

「おお! 次こそ倒したる!! もっと強うなって! もっと強い仲間を集めて!! 絶対にお前の仇をうったるからな!!」

「や……く……そ、く……やで……?」

「おう!! 約束や!!」

「………………」

「…………サヤ……?」


 握りしめている彼女の左手から、フッと……力が抜けていくのが分かった。

 穏やかな表情のまま、彼女は眠りについた……。

 彼女から返事が返ってくる事はもう……二度とない。


 何故なら……。





 死んだ人間が生き返る事など――絶対にないのだから。

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