3.報告書を書く殺戮刑事

 無造作に張られた手配書、床にはぶち撒けられた酒と喧嘩に負けた男。

 賭けポーカーのテーブルは、今にも殺傷事件が起こらんばかりに熱が入り、周りを見ている客が誰が死ぬかの賭けを始める始末。

 都内某所のスターバックスタブコーヒーは今日もアウトローの客たちで賑わっている。

 ぎい。

 軋む音を立てて、木製のウエスタンドアが開く。

 暗い店内にわずかに射し込む外の光――そして、新たなる二人の来客。

 店内中の視線が来客に向けられた、一人はスーツの男、もう一人は貴族のような衣装をまとった時代錯誤の少年、その手には紙巻きのクスリを持ち、甘ったるい煙を振りまいている。

 二人の男は向けられる視線に一瞥もくれてやらずに、まっすぐにカウンター席に座った。


「私はキャラメルフラペチーノをショートで」

「僕はグランデを」

 二人が注文を終えた瞬間、店内が嘲りの笑いに包まれた。

「キャラメルフラペチーノだってよ!」

「ここをスタバと勘違いしてる馬鹿がいるみてぇだな!」

「チョコレートチャンクスコーンは頼まなくていいのかぁ!?」

 笑い声止まぬ中、アウトローの一人がずいと出て、二人の男の背後に立った。

 二十七丁拳銃のデストロと呼ばれている。

 何故、そう呼ばれているのか――その姿を見れば一目瞭然である。

 指の全てが拳銃に置換されている。

 手の指だけではない、足の指までそうだ。

 だがデストロはその程度ではまだ満足できなかった。

 耳の穴に一丁ずつ、鼻の穴に一丁ずつ、さらに口で拳銃を咥え、目からも拳銃を生やしている。

 もはや引き金を引くことは不可能であったが、何の問題もなかった。

 世間ではあまり知られていない事実だが、拳銃は硬いので殴られると痛い――つまり鈍器として使用することも可能であるのだ。

 しかし何故そこまで銃を持たなければならないのか、その恐るべき情熱は歴戦のアウトローですらも心肝を寒からしめるものである。


「兄ちゃん達よぉ、チャージ料を払ってもらおうか」

 冷えた五対の銃身が、スーツの男の肩を掴んだ。


「公式ツイッターではチャージ料は無いと謳っていましたがねェ?」

 スーツの男は振り返りもせずに言った。

「店の決まりには無くても、俺……二十七丁拳銃のデストロ様の掟にはあるんだよ。とりあえず財布の中身を全部出しな」

「すみません、連れが絡まれてるんですが」

 縋るような目で少年が店主を見た。

 店主は無言で首を振り、肩をすくめる。

 その態度はどのような言葉よりも雄弁に客同士のトラブルに介入するつもりはない、と語っている。


「みたいですけど」

 少年が口から吹き出した煙が輪を描いて浮き上がっていく。

「そうですか」

 煙の輪が少年の頭を飛び越えるよりも、デストロの体が床に叩きつけられる方が早かった。

 

「グッギェ~~ッ!!!」

 スーツの男がデストロに一瞥もくれぬまま、顎に裏拳を見舞ったのである。

 脳震盪を起こし、床に倒れ伏したデストロ。

 彼が見る夢は良いものか悪いものか。


「あの二十七丁拳銃のデストロを一撃で!?」

「本末転倒という言葉の意味を説明するのに最適なデストロを!?」

「拳銃のせいで頭部は結構狙いづらい割に胴体はがら空きのデストロを倒すだなんて……あの男一体何者だ!?」

 店内の喧騒――その性質が変わる。

 店を履き違えた愚かな二人組、そのはずであった。


「キャラメルフラペチーノ、グランデとショートです」

 店内の喧騒を意に介さず、二人はキャラメルフラペチーノを吸い上げる。

 心地よい甘さだ。


「あっ」

 キャラメルフラペチーノを吸い上げる手を止め、スーツの男がナイフを投擲した。

 投げられたナイフは一枚の手配書を切り裂くように飛んでいく。


 その手配書に書かれた名は『殺死杉謙信』

 罪状は『殺戮刑事』

 賞金額は『諦めて、念仏唱えろ、おさらばだ』


 殺戮刑事――食欲と睡眠欲と性欲の全てを合わせたものよりも強い殺人欲求があり、己の獲物を奪おうとする殺人鬼を心の底から憎悪し、その殺人鬼を法廷を通さずに処刑することで残された遺族と自分の恨みを晴らしつつ自身の殺人欲求も満たす一石二鳥のお得刑事であり、アウトローにとっての恐怖そのものである。


「でも、よく殺人を我慢できましたね。殺死杉さん」

 少年に呼びかけられた男の顔は、切り裂かれた手配書のそれと同じだった。

 殺死杉は肩をすくめて言う。


「デスクワーク中の殺人は集中力を切らせますからねェーッ!!報告書を書くコツは今だけは殺人を後に回すこれに限りますよ、バッドリくん!」


 殺戮刑事の仕事はパトロールや法を乗っ取った処刑だけではない、一般的な刑事課と比べれば少ないがデスクワークは存在する。

 その一つが報告書の作成である。

 いつ、どこで、誰を、何のために、どうやって、何で、殺したか。あるいは殺さなかったかを可能ならば一日の内にまとめておかなければならない。

 本来ならば殺戮刑事課の室内で行う業務であるが、今日はたまたま課長の業魂ゴータマ暗殺のために、爆弾で部屋を消し飛ばしてしまっていた。そこでパトロールも兼ねてスターバックスタブコーヒーで、報告書の作成をしようというのである。

 当然、警察署外での報告書作成にセキュリティ上の問題を感じる方もおられるだろうが、その点は問題ない。事故での漏洩ならばバッドリ惨状が薬で記憶を消すし、事件でそうなったのならば、殺死杉が地獄の底まで追い詰めて殺すからだ。


 店内の喧騒を後目に殺戮刑事の二人はノートパソコンに向かう。

 報告書用のソフトはあるが、殺死杉はメモ帳を起動し、バッドリはwordを起動する。

 専用ソフトは動作が重い。

 殺死杉は動作の軽いメモ帳に書いてからコピペすれば良いと思っているし、バッドリはWordの自動バックアップと誤字脱字チェック機能を尊ぶ。


 しばらくは順調に文字を打っていたが、バッドリの手がはたと止まった。


「やばい……どうしよう、殺死杉さん」

「どうしました?バッドリくん」

 文字を打つ手を止めずに殺死杉が応じる。


「今日の三時から四時までの記憶がない!!誰殺したか覚えてないよ!!」

「えぇ~~~ッ!?馬鹿ですねェーッ!!」

 バッドリ惨状は他人にトドメを譲れるという殺戮刑事課の潤滑油的な殺戮刑事であるが、規制する法律が無い薬物を常に吸引しているため、時たま記憶が消し飛んでしまうという欠点がある。

 そのために他の殺戮刑事とタッグを組んで行動することが多いのだが、今日はソロでの事件解決を行ってしまったのである。



「報告書書けない!どうしよう!殺死杉さん!報告書って捏造しても大丈夫ですか!?」

「公文書偽造の是非は置いといても、バッドリくんは事実を元にしない文章を書くと、サイケデリックアートになりますからすぐにバレるでしょうねェ……」

「うわぁ……困った……どうしよう……」

 バッドリが煙の形で接種していた薬物を直接葉で噛み潰す。

 脳を蝕む絶望が薬物の力で吹き飛んでいく。

 夢を見るように微睡んでいる瞳が、さらにとろりとした湿り気を帯びる。

 バッドリの口の端からつうと涎が垂れて床に落ちる。


「困ったなぁ……困らなくなってきちゃいました……」

「あー……何かしら一つぐらい覚えてることはないんですか?」

「ううん……違法薬物密売組織に潜入しようとしたことは覚えているんですけど」

「……違法薬物密売組織ですか」

 苦虫を噛み潰したような表情で殺死杉が言った。


「僕は……違法な薬物で人の人生をめちゃくちゃにするような人間が許せないんです……」

「鏡って見たことありますか?」

「今朝も可愛らしい顔が映ってました」

「ハハッ」

 殺死杉は感情のこもっていない笑いを浮かべるとノートパソコンを閉じて、椅子から立ち上がった。


「まぁ、殺戮刑事をやっていれば仕事中に記憶を消し飛ばすことも稀にあります……こうなった時に頼れる場所が一つあります、付いてきてください」

「病院ですか?」

「アナタに必要な病院はまた別の機会でしょうねェ」

 バッドリの副流煙を吸い込んで、幸せそうな顔で意識を失ったアウトロー達をまたぎながら二人は店外を出て、それから二十分ほど歩いた。


「着きました」

 二人が辿り着いたのは何の変哲もない雑居ビルの二階のある事務所の前であった。

 プレートにはシンプルに『イタコ』とだけ書かれている。


「殺死杉さん……なんですかこれ?」

「イタコです」

「いや、イタコはわかりますけど……」

「いいですか、バッドリくん。自分が誰を殺したかわからなくなった時は殺した本人に聞くのが一番です」

「あっ、イタコに自分が殺したっぽい人の魂を下ろすってことですか!」

「正解です」

「殺戮刑事も奥が深いんですね……」

 殺死杉の言葉を素直に聞き入るバッドリ。

 バッドリ惨状は殺戮刑事課の中で最も年若い、まだまだ学ぶことが多いのである。

 

「では、行きますよ」

 事務所内に入り、ぱっと見はごく普通の事務所の光景である。

 柔らかな来客用の椅子に身を委ね、周囲を見回すバッドリだったが、ギリギリイタコに関係ありそうなものなど、青森土産のねぶたフィギュアぐらいである。


「……大丈夫なんですか」

 バッドリが小声で尋ねる。

「汚い中華料理屋が美味しいのと同じです、本物は見た目に気を使う必要などないのですよ」

 そうなのだろうか、バッドリは訝しむ。

 しかしクスリをキメているうちにどうでも良くなってきた。

 どちらにせよ、自分に残された道は霊媒か公文書偽造しかないのだ。


「いらっしゃいませ!今日は誰を降霊ろしましょうか!?いいネタ入ってますよ!」

 快活な女子高生がガラス製のテーブルを挟んで、殺戮刑事の向かい側に座る。

 本来ならば不安感が増すところだが、バッドリの心は穏やかである。


「えーっと、今日の三時から四時の間に僕が殺したっぽい人をお願いしたいんですけど……」

「死にたてほやほやっすね!喜んで!!」

 言うが早いか、女子高生が白目を剥き、口から泡を吐き始める。

 身体中が弛緩しきっており、まるで死体のようである。


「うわ……殺死杉さん!!」

「イタコってこういう感じですよォーッ!!」

「……イタコ見たこと無いですから、僕」

 そう言ってバッドリが女子高生から視線を外した次の瞬間。


「テメェーッ!!!よくも俺を殺してくれやがったなァーッ!!!」

「うわぁーっ!!!殺死杉さん!!!」

 女子高生の瞳がドス黒い殺意の炎を湛えて戻り、バッドリの首を締めんとした。


「あー……本来なら、イタコが抑えつけておくんですが、どうやらバッドリくんへの殺意が強すぎて制御不能になったみたいですね」

「えぇーっ!」

「まぁ、どうするかは報告書用のインタビューをしてから考えましょう。アナタは誰ですか?」

「……いや、そんなインタビューしてる余裕なんて」

「我が名は超魔王ルシファー……超魔界より人間界を支配せんと降臨した最強の悪魔である……それを……貴様ァァァァァッ!!!!」

 女子高生の薄い桃色の唇がドス黒い言葉を吐いた。


「バッドリくん、アナタ何をしたんですか!?」

「僕なにをしたんですか!?」

「貴様……我をあのような方法で殺害しくさっておきながら知らぬような口を……」

 怒りに燃える超魔王ルシファーの声。

 常人ならば声だけで心臓を止めてもおかしくはないだろう。

 しかし、二人はそれどころではない。


「うわぁーっ!インタビューの余裕ないですよコレ!」

「……まぁ、本人が言っているので殺害方法はあのような方法で良いんじゃないですかね、さっさと次の項目埋めてください」

「いや、僕殺されちゃいますよ!?正当防衛してもいいですよね?」

 ぴょんぴょんと跳び跳ねながら超魔王ルシファーの攻撃を避けていくバッドリ。

 超魔王ルシファーの名は伊達ではないようだ、その肉体は普通の少女ながら、徐々に動きの切れ味が増していく。

 見るが良い彼女の背を――邪悪なる六枚の翼が生え始めているではないか。


「そんなこと言っても、彼女は乗っ取られているだけで普通の……あっ!」

「熱ッ!」

 殺死杉の返事よりも早く、バッドリが火の付いた紙巻きのクスリを羽に押し当てた。


「コラッ!」

「ぐぇ」

 殺死杉がバッドリを殴る。その一撃に乗じて超魔王ルシファーが苛烈な回し蹴りでバッドリを壁に叩きつける。事務所の壁にバッドリを中心にクモの巣状のヒビが入った。


「一般人に火を押し当てちゃダメでしょうが!」

「いや、目の前の相手は超魔王ルシファーであって、もう殺死杉さんの知ってる人ではないと思うんですけど……」

「だとしても、そこを努力するのが今月の目標でしょうが!」

殺戮刑事課の今月の目標は『なるべく生類を憐れむ』である。


「と、とにかくインタビューは無理だと思いますし、攻撃をしのぎ続けるのも限界があると思うんです!せめて、何かしらの手段はないんですか!?除霊とか!」

「ん~……怪異的なものはタバコを嫌うと聞いたことがあります。バッドリくん、タバコは……」

「持ってるわけないじゃないですか!僕未成年ですよ!?」

「むしろ、タバコ持ってる方が健全なんですけどねェーッ……」

 超魔王ルシファーの頭部から二本の角が生え、額に第三の目が開く。

 このような会話を続けている瞬間にも、敵は強くなり続けていた。


「じゃあ、私がタバコ買ってくるんで……その間、なんとかしておいてくださいよ」

「いや、なんとかって……」

「じゃあ……」

「いや!いや!いや!いや!」

 超魔王ルシファー、三面六臂の姿となり、もはや女子高生の頃の面影はない。

 何がどうなってこのような悪魔と敵対し、撃退する羽目になったのか。


「いや、もうこれ……タバコなんかじゃ……どうにもならなくないですか!?」


 十五分後、タバコとコンビニスイーツを買って戻ってきた殺死杉が見たものは、元の姿に戻って眠っている女子高生と、来客用の椅子に座るバッドリであった。


「……なにしたんですかァーッ!?」

「いや、それが記憶が無いんですよね……」

「じゃあ、報告書書けませんけど……もう一回呼んでもらいます?」

「いや……」

 バッドリが諦めたような笑顔を浮かべる。


「公文書偽造します」

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