クローン兄弟のちがい

熊倉恋太郎

冷たい鳥かご

ㅤ僕は、ナイレン家で生まれたクローンだ。貰った名前はエルザッツ・ナイレン。今年で一五歳になる。まあ、取り立てて言う事も無い、ただの使用人だ。


ㅤそして僕には兄がいる。僕と全く同じ顔、同じ背丈、同じ表情、同じホクロ、同じ、同じ、同じ…………。何もかもが僕と同じの存在が、もう一人いる。


ㅤそれが目の前にいる、オスカー・ナイレンだ。


「オスカー様。夕食の用意ができました」


「わかった。行こう」


 着古した執事服を着る僕とは違って、オスカーは貴族の男子が着る高価な物を着ている。生まれてすぐの頃から貴族としての教養を身に付けたオスカーは、僕と同じ遺伝子を持っているのか疑わしい程に立ち居振る舞いが違う。


 食堂へ移動するオスカーの少し後ろを、静かに歩く。使用人はあくまで影。主人を立てねばならない。だから、すれ違う同僚たちは全く同じ顔の僕ではなく、オスカーにだけ頭を下げていく。


 まあ、慣れたものだよ。


 中世の時代からあると言われている大きな館の中は、人の数に対して冷たく感じる。まるで、周りの全てが人形遊びの家のようだった。


「お待たせしました、父上、母上」


 僕が食堂の大きなドアを開き、オスカーを食堂の中に入れる。その後で、僕も食堂に足を踏み入れた。


「いや、私たちも今来たところだよ。さあ、オスカーも座ったらどうだ」


 にこやかな笑みでオスカーを迎え入れるのは、僕の半分とも言える父親だ。けれど僕とは目を合わせない。


「今日の夕食はオスカーの好物のアイスバインよ。良かったわね」


 優しげな声音でオスカーに語りかけるのは、僕のもう半分とも呼べる母親だ。こちらも、僕と視線を交わそうとはしない。


 オスカーが席に着くと、すぐさま料理が運ばれてきた。豚のすねを長時間煮込んだ料理が、今日のメインだ。香辛料の香りが、こちらの食欲まで刺激してくる。


 だが、僕が食事にありつけるのはまだまだ先だ。使用人と主人が同じ食卓を囲むことはありえない。


 そして、使用人である僕を気にせずに家族団欒の時間が、始まった。




 ナイレン家は、生命工学で発展した家だ。今代の当主とその妻は、見る者皆が羨む理想の夫婦として有名だった。


 しかし、子宝には恵まれなかった。


 第一子は生まれて三日で亡くなり、第二子は死産だった。これは遺伝子の問題ではなく、妻の体の問題だった。


 けれどどうしても子供が欲しかった二人は、クローン技術に手を染めた。クローン元は、第一子の遺伝子を使った。


 その結果、オスカーと僕が出来上がった。二人は大いに喜んだという。


ㅤオスカーが先に産まれ、その二日後、僕は管理人しかいない培養室でひっそりと産まれた。


 僕はスペアだった。オスカーの培養が失敗した時の替え玉であって、愛情なんてものは最初から無かった。


 二人の愛情は全てオスカーに注がれていた。僕の入る余地は、たった二日で無くなってしまったのだ。


 オスカーだけを溺愛する二人は、僕のことは眼中に無い。ただの使用人として見ている。全く同じ顔のオスカーより、明らかに下として見られているのだ。




 食事や入浴が終わり、やっと使用人の自由時間。


 僕は、食べ損ねた夕食を摂るために調理室を訪れていた。


「あ、エルザッツくん。おつかれさま」


 僕に話しかけてくれるのは、ここで調理人見習いをしている少女だった。妙にやわらかい目線を向けて、声のトーンが一つ上がっている。


「おつかれさまです。何か、食べられるものはないでしょうか」


 僕が聞くと、少女は申し訳なさそうに首を横に振った。


「ごめんなさい。夕食で思った以上に使ってしまって、もう食材が残っていないの」


「そうですか」


 近くの調理台の上では、翌日のものと思われる仕込みが始まっていた。邪魔をしてはいけないので、僕は帰ることにした。


「では部屋に戻ります。作業を中断させてしまい、すみませんでした」


 僕が調理室を出ようとすると、背中に先程の少女の声がかけられた。


「アップフェルの一つでも残っていれば良かったのだけど……本当にごめんなさいね」


「謝らなくて結構です。私は所詮、ただの使用人なのですから」


 調理室を後にすると、空腹感が僕に訴えかけてくる。やはり、何かを胃に入れたほうが良いだろう。


 ——部屋に備蓄してあるザワークラフトでもかじるか。


 伝統を大事にするとかで、電球ではなく蝋燭を灯りとして使っているこの館は、深夜になると急激に冷え込む。


 窓の外に光る星は、僕の手では届かない。




 窓も広さも小さい部屋に帰った僕は、蝋燭の光を頼りに瓶詰めされたザワークラフトを手に取る。


 蓋を開けると、酸味の強い香りがした。


 指で摘み、かじる。かじる。かじる。


 食べ慣れたザワークラフトに味の感想なんてあるはずもなく、ただただ酢の咽せるような臭いが口内に満ちる。


 数枚食べた僕は、瓶の蓋を締め直す。そのまま、元あった場所に戻す。


 朝に汲んで温くなった水を一口含み、軽く口を濯ぐ。そのまま飲み込んだ僕は、趣味も仕事も無いので明日に備えて寝ることにした。


 シーツの乱れたベッドに置いてあった寝巻きに着替えようと執事服に手をかけた時、僕の部屋のドアを誰かがノックした。


 誰かはわからないが、こんな時間に来るということは緊急の場合が多い。


「今開けます」


 そう言ってドアを開くと、そこに立っていたのはオスカーだった。


「オスカー様。どうかなさいましたか?」


 少し動揺してしまったが、表には出さない。出してはならないからだ。


 目の前に立つオスカーは、どこか不満げだ。何かやってしまったのだろうか?


「エルザッツ。黙って中庭までついてこい」


 有無を言わさぬ気迫で、オスカーが僕に言う。当然、使用人である僕に拒否権は無い。


 黙礼をすると、オスカーの背中について中庭まで移動した。


 中庭の、周りが開けている場所までやってきて、オスカーが足を止める。それに従って、僕も足を止める。


「オスカー様。私が何か粗相を致しましたか? 」


 と質問するが、オスカーが使用人を叱っているという話は聞いたことがない。口止めをしているだけかもしれないが、館の中で噂が全く流れない。


 僕の言葉に、オスカーが振り返る。


「いや……そうだな。確かに、お前でないといけない話だ」


 やはり、何かをしてしまったのだろうか? だけど僕に心当たりは無い。


「お前は、調理室の少女に夜食があるかを聞いていたな」


「はい。そのことで何かありましたでしょうか」


 オスカーは、苦々しい何かを吐き出すように、僕に言う。


「元々は偶然通りがかったんだが……。あの直後、俺も同じことをあの少女に聞いた。そうしたらなんと答えたと思う? ——すぐにお作りします、だ」


 それは当然だろう。この館で最も権力を持っている人の息子だ。僕のような一使用人には出ない食材であっても、その人からの命であれば即座に用意する。


「お前には何も出さず、全く同じ顔、同じ背丈、同じ表情、同じホクロの俺には別の待遇をする。……この事に、お前は何も疑問を抱かないのか?」


 疑問なら……常々ある。


 今でこそやらなくなったが、昔はオスカーと何が違うのかを一晩中考えていた。結論は、いつも出なかった。


「お前には気負いせず話していた少女が、俺の前では緊張していた。声も震えていた。……俺たちは、何が違うんだろうな」


「それは、立場が違うかと」


 僕は、至極真っ当で無情な現実を、オスカーに提示する。


「そうだな。立場。立場だけだ」


 オスカーは噛み締めるように言う。


「たったそれだけの違いで、どうして俺はこんな思いをしているんだろうな」


「こんな思い、ですか」


 質問とも言えない言葉を、相槌として返す。


「俺は、お前が憎い。この世で一番憎い。——だが、お前を世界で一番愛しているとも思う」


「はあ……仰る意味がよくわからないのですが……」


 何か変なものでも食べたのだろうか? 突飛な話に思えてしまう。


「俺は、あの家族の子供の代わりとして、ニセモノの愛情を向けられてきた。あの愛情は俺に向けたものでは無く、俺の遺伝子に向けられたものだ」


「っ……そう、なんですか」


 胸がチクリと痛む。


「俺はお前が羨ましい。俺の遺伝子に向けられた愛情も、敬意も無いお前が。恭しくされることも、特別な扱いを受ける事も無い、ただの人間であるお前が」


 僕は、黙って立っている。使用人は、無感情に主に対応しなければならないからだ。


「俺は、一人の人間として見られていない。あの二人の息子の、代用品としてしか認識されていないんだ」


 僕は、何も言わない。何も言えない。


「俺は、敬意より何より、友情が欲しい。俺のことを知ってもなお、一人の人間として接してくれる友人が欲しい。——お前は、どう思っているんだ?」


 僕は黙って立っている。口を開けば、押し殺していた感情が爆発しそうだから。


 と、右頬に鈍い痛みがやってきた。オスカーに殴られたのだ。


「もう一度聞く、エルザッツ。使用人としてではなく、一人の人間に対してだ。——お前は、どう思っているんだ?」


 殴られたことで、感情を抑えていた蓋が無くなった気がした。隠そうとしても、隠しきれない。


 僕は、溢れ出る思いを口から零す。


「ぼくは……僕は、オスカーが憎い。この世で一番憎い!」


 ああ、言ってしまった。


 どこか冷静な頭で、考えずとも出る言葉を聞いている。


「産まれた時から愛情に満ちていたオスカーが。ニセモノであっても、紛れもない両親からの愛を受けていたお前が!」


「そうか」


 オスカーは至極冷静だ。


 そうか。オスカーには、双子の兄には僕の言いたいことがわかるのか。


「僕が人に話しかけられるのは、同情からだ! なんだあの目は! 声音は! 僕は同情されるためにこんな生まれをしたわけじゃない!」


「そうだな。あの二人のエゴによって生まれた、ただの人間だ」


 お互いに、お互いしか理解者になり得ないとわかっている。


ㅤ同じ境遇で、真逆のモノを求める目の前の相手だけが、唯一本音を言える。


ㅤ愛おしい。恋愛は知らないし、愛情も知らない。けれど言える。これが愛おしいという感情なのだ。


「僕も、世界で一番お前を憎んでいる。でも、同時に愛してもいる。お前もそう思っているんだな」


「そうだ。俺も、お前と同じ結論になった」


 初めて目の前にいる俺の双子のことを、本当の『きょうだい』として見られた気がする。


 家族ができた。そんな気がした。


「それで……お前はどうして僕をこんな時間に連れ出したんだ? これを言いたかっただけでは無いだろう?」


 もうすっかり使用人としてではなく、一人の人間としてこの男に話をしている。これは、この男も同じだろう。貴族としてではなく、一人の人間として僕と話している。


「俺はいずれ、この家を出る。出て一人の人間として生きたい。お前もこれに協力してほしいから、連れ出した」


 やっぱり、考える事は同じだ。僕もこの鳥籠から出たい。


「僕は、窓の外の星を掴みたい」


「俺は、窓の外の星を掴みたい」


「僕は、この館の使用人だ」


「俺は、この館の主の子だ」


「僕は、裏側から工作できる」


「俺は、表側で根回しできる」


「僕たちは、同じ人間だ」


「俺たちは、違う人間だ」



「「それを証明するために、生まれてきたんだ」」



 こうして、僕たちきょうだいの計画が動き出した。

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