異 世 界 大 日 本 帝 国

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第1話

 異世界に来て3か月、なによりも不満なのがトイレだ。この世界にはウォシュレットがないしトイレットペーパーもない。どちらも複雑な機械を作ることができるほど高度に発達した科学文明が、全体からすれば100万分の1ほどのちょっとしたリソースを割いてトイレ事情を改良したものだ。低レベルのインフラには低レベルな生活、現代っ子の感覚が抜けない俺にはハードモードに思える。




「お兄、はやく支度してよ、王への謁見なんだからね」




「はいはい。朝からせかすなよ妹。俺を緊張させたら余計に出なくなってしまうぞ」




「……うざ」




 まったくこのかわいい妹は朝から感情表現が豊かすぎるぜ。もしかして……この異世界はギャルゲーの世界だったのかな?草をもみほぐして尻を拭く描写から始まるギャルゲーなんて見たことないが。




 まぁ世の中には色々と変なギャルゲーがあるしな。あのメーカーなんだっけ、スイスから来た中国人がヒロインのやつ、スウェーデンだっけ?スマホもないこの世界では何も調べる方法がない。中途半端に思い出そうとするとしばらくモヤっとしたまま過ごすことになる。




「お兄、まだなの?!私もう行くからね」




 遠い記憶のかなたで物思いにふけっていたらまた妹にせっつかれてしまった。うちには父も母もいないせいか、妹は俺以上のしっかりものに育った。艱難辛苦、汝を玉にする。困難があるほど人は大きく育つものだからね。たまに育たないけど。




 俺はパンツを上げてとっとと王のいる城へ向かった。まぁ城なんて言い方をしているが、戦国時代の砦みたいな建物が村の中央に建っているだけだ。立派な江戸城とは程遠い。ここ、一応は東京なのにな。








「お前……誰と話しているんだ?見るからに怪しいやつだな、身分証を見せろ」




 異世界への不満をぶつくさ言ってたら槍を持った門番の下級兵士x2にすごまれていた。戦ったら勝てる気がする。まだ一度も異世界で戦闘したことはないが。人間、異世界に来ると急に好戦的になるものだよな。俺だってやる気を出したらいける気がするぞ。




「あー、へへ、すみません、意味わかんないですよね。王様から呼ばれてきたんですよ、あれです、隣村の件で」




「お前聞いてるか?隣村だってよ」




「この前の戦争の話か?」




「それですね、それ、きっと次の戦いに備えて、俺を家臣に召し上げたいんじゃないですかね」




「へぇ、あんちゃんがね、見た目は細いくせに腕っぷしは……いや、待てよ、なあ、たしか指示書が来てたよな?」




「ああ、そういえば今日だったか。こういう見た目の男が来たらすぐ通すようにって」




「へへ。ちょっとばかしは有名人なんですかね俺も」




「まあいい、すぐに通せというお達しだ。どちらにせよここ数年は城内で一件も事件は起きていないしな。俺たちが見張ってるのも形だけだ。くれぐれも暴れたりするなよ?お前のために言っておくぞ。ほら、門を開けるからとっとと行ってこいよ」




「あざすあざす」




 下級兵士x2に対しても俺はちゃんとお礼を忘れない。なぜなら教養ある現代社会の紳士なのだから。異世界にはなかなかいないよ、こんな礼儀正しい男。人間関係というのは無意味なことをいかに細かく積み重ねていくかってことだからね。礼儀がなってないやつは社会人としてレベルが低いんだよ。そんなわけで俺はそこそこ立派な武家屋敷みたいな建物の前に立っている。屋根にも鼠色の瓦が敷き詰められているあたり、そこそこ金もあるんだろう。




「お前……人の城に向かって“そこそこ”とはなんだ……」




さっきの下級兵士よりもちょっと立派な身なりの上級兵士x1に思いっきりにらまれていた。屋根瓦を見ながら独り言をつぶやいていただけなのに、そんなおかしなことか?




「へへ、すみません、思ってもいない独り言を口に出してしまう特殊な病なんです、へへ……」




「気味の悪いやつだな、まぁいい、王から話は聞いているから、ついてくるように」




「あざすあざす」




 靴を脱いで謁見の間に連れられた俺。上級兵士にもちゃんとお礼を述べたのに、粗茶の一つも出てこなかった。こういうところなんだよな。異世界のナってないところって。礼儀がないというか。心の豊かさ?みたいなものが足りてないんだよ。あと敬語だろ普通。こっちは客やぞ。




「……ハァ、まったく、異世界も世知辛い世の中だねぇ」




「すまない、待たせたな」




 ふすまを開けて登場したのがこの城の主、竜胆二世である。ツヤのある綺麗な黒髪をなびかせ、キリっとした目に、整った顔。いかにも仕立ての良い軍服を着ていて、胸にも金属製の勲章がいくつかくっついている。俺と同い年くらいだろう、若いのに戦を経験したのだろうか、それとも父の代のものか。




 ほとんどの市民は襤褸切れの地味な洋服か和服みたいな、明治時代の日本人をそのまま薄汚くしたようなプレモダン・ファッションなのだが、稀に竜胆のような特権階級だけちゃんと仕立てられたものを着用している。現代社会でもおかしくない美的センスだ。この世界の産業は科学技術よりも<スキル>で成り立っているが、染色技術も縫製技術も失われているせいでどこか変な服だらけなのだ。それを考えると目の前の竜胆とその兵たちはちゃんと軍人らしい格好で揃っている。これは財力の誇示のみならず、武力にも直結する統制の確かさを示しているのだろう。




 さすがにこの世界の小さな村とはいえど王の風格だ。たぶん本当に市民階級の人間とはまったく違うのだろうな、外見といい、中身といい、元の世界でもこれほど見事な人間は少なかった。畳の上にあぐらをかいているというのに、なかなか絵になる。




「こちらを見て長々とわけのわからない独り言を……。まぁいい。お茶でも用意した方がよかったか?貴殿がそのような細かなことを気にする人物だと思わなかったが」




「へへ、いやぁいいんです、あっしは所詮ちんけな下級市民ですから、竜胆殿にお目見えできることが望外の喜びでございますだ」




「そうか、ならいい。貴殿の独り言は意味のわからないところも多いが、どうやら不満そうな意図だけは察せられたのでな」




「不満なんてめっそうもない!こんな立派な畳の上に座れるなんて、あっしは初めてのことで!ついテンションがあがってしまったんでゲス!ああ、いい匂いがするなあ!イグサくんかくんか!もふもふ!くんかくんか!」




「……貴殿はだいぶ変わった男だな。畳がそんなに珍しいのか?咎めはせぬが、畳に鼻をこすりつけるのはやめていただきたい。その姿勢では私も話しづらい。頭を上げて欲しい」




 平身低頭ついでに畳のにおいを嗅いでいたら気持ち悪がられてしまった。冗談が通じないタイプか。




「さて、話を続けてもよいか?私は知っての通り竜胆家の当主、竜胆梓である。本来は宰相も連れてくるべきなのだが、案件が案件だからな。貴殿についてある程度調べさせてもらった。調査結果は私と限られた極一部の者しか知らないから安心して欲しい。脅迫するつもりもない……どちらにせよできないだろうが。今回は貴殿から率直な話を伺いたく、城に呼ばせてもらった。この部屋の周囲も人払いをしている。だから、そろそろ……そういう演技はやめてもらって構わない」








 竜胆梓、先代の父から引き継いでこの村を統治して4年目。民衆からの支持率は60%(俺調べ)ほど。評判によれば特に悪いところはない。良いところも別にないが。なんとなく賢そうで人をひきつける魅力を持っている。もしアンケートをとれば老若男女問わず「なんか良い感じ」と100人中100人が評価するだろう。




 こうして目の前にすると、人間観察歴の長い人間オタクの俺としても世間の評判通りだなと感じた。たぶんそういう<スキル>を持っているのかな、統率の能力値だけでなくて<魅了>もありそうだ。




「ハハ、ありがたい話ですね。そこまで気を遣ってもらえるなんて。王様っていうと横柄な人が多いって偏見があったんですが、どうやら違うみたいですね。えーと、王様が聞きたいのは俺の話でしょうか?それとも隣村の話ですかね?」




「どちらにも興味はあるが、まず隣村で起きた話を詳細に聞かせて欲しい。あちらの村の状況がわからなくてな。民は変わらず生活しているようなのだが……何やら城内で騒ぎがあったと聞いている。だが、実際に何が起きたかは誰も把握していない。――何かが起きたのは確実だが、何が起きたかは誰もわからない」




 竜胆は考えこむように視線をそらした。困っているのは本当らしい。感情表現がストレートなタイプなのだろう。




「何かが起きて、ある時点から隣村の王、佐々木が姿を現さなくなったのは確かだ。しかし特に奇妙なのはそれからの話だ。たしかに当主が倒れたら慌ただしくはなると思うが、それでも兵たちに何らかの動きがあるはずだ。だが報告によれば蜘蛛の子を散らすように撤退した兵たちは二度と城に戻らず、政府は機能不全が続いているという。少し前まで、この地の城と同じように機能していた組織が、だ。そんなことが本当に起こり得るのか?」




「まぁそれ自体はあるんじゃないですかね、誰も政治に興味なんてないでしょうから。王が消えたとかなんとか言っても、生活できればいいわけでしょみんな。」




「そうか、それが貴殿の見解か。まあよい。知っての通り、隣村との戦争でこの村は潤った。圧倒的に快勝だったと言ってよい。貴殿のところにも給付金が3万3千円ほど配られるはずだ」




「ありがたいことですね、本当に。めったに戦争が起きないこの世界で、たまたま戦争が起きて、うちの村が圧勝した。賠償金が分配されて市民の生活も潤った。戦上手の竜胆様のおかげで我が家でも久しぶりの贅沢ができますよ。ありがたい話です。」




「……世辞はよい。貴殿は世辞があまり上手くないようだな。私に嘘は通じないから覚えておくように」




 お世辞でも嘘でもないんだけどな。現金はありがたいし。




「では、本題に戻ろう。ここまでのことは民にも周知の通りである。だがこれから話すことはごく一部の者しか知らない。必ず他言しないように。といっても、誰も信じないだろうがな。私も未だに信じていないが……」




「なんですかね、そんな面白そうな話が?隣村の王が実はとんでもない性癖を抱えていたとか?」




 竜胆はまっすぐ俺を見つめる目を細めて、息を軽く吸いこんだ。こいつジョーク苦手か?




「冗談はよせ。貴殿は知っているだろう」




 若干の怒気が含まれた語調。俺を問い詰めるように竜胆は言葉をつづけた。








「戦争のきっかけは小さな喧嘩だった。隣村の人間から暴行を受けたという市民の訴えに自警団が動き、あちらとこちらの自警団同士で争いが起きた。ほとんどならず者たちの乱闘騒ぎといってもよいが、それはさておき彼らも守るべき市民だ。この村の市民が1人拉致された。ここまで大事になると我々も出なければならない。すぐに使いを送ったが、隣村の王からは何の反応も無かった。だから我々は至急、兵を集めて市民の救出に向かった。拉致された者はどうやら城内に囚われているようだった。あちらはあくまで自警団という体裁だが、実質的には横流しされた正規の装備を活用していて、ほぼ公式の組織と変わらないと聞いていたからな、予想通りだった。戦争になるかどうかはあちらの出方次第だったが、なにせこちらの呼びかけに反応がない。下手に刺激するのもまずいが非はあちらにある。我々は最小限の人数で相手の城に真っすぐ向かった。こちらに威圧の意志はなかったが、せめて交渉の席に付けさせさえすればなんとかする自信があった」




 竜胆家は武断派のようだ。要するに連れ去られた人質の返還交渉をするために、とりあえず軽く殴り込みに行ったと。




「城の兵はこちらの隊を見て、慌てふためいてすぐに逃げ出した。そのまま屋敷に押し入ると既に荒れてしばらく2日ほど経っている様子だった。兵はろくにおらず、床に腐った飯が散らばっていた。隈なく捜索すると王の佐々木と拉致されたはずの人物が変わり果てた姿で見つかった。かろうじて生きているが、だいぶ衰弱した様子で意識も不明瞭だった。兵士たちは気味悪がったが、事情を聞きたくても既に屋敷はもぬけの殻だから致し方なく、二人を連れてこちらの村に戻り治療を施した。ただの栄養失調だったようですぐに身体は回復した」




 つらつらと事態を説明する竜胆。殴り込んでとりあえず現場の人間を連行した、と。こんな俺に対する説明ですらわざわざ行動の正当性をハッキリさせるところに強い正義感を感じさせる。




「……だが、別の問題が判明した。二人とも意識は戻って外傷もかすり傷くらいしか見当たらないが、言語機能を喪失していた。……正確に言えば、意味のある言葉を発することができなくなっていた。今も何かをしゃべっているが、その意味がまるでわからないのだ。うわごとのように悪魔がどうとか、陰謀があるとか。医者が詳しく聞き取って手帳にまとめてみたそうだが、屋敷で何があったのかは全くわからないままなのだよ」




 竜胆は眉を寄せ、苦々しい表情を浮かべた。




「貴殿よ、何かここまでの話で思うところはあるか?」




「えーと、一時的に頭を強く打ったり精神的な問題でそうなることはあるんじゃないですかね?人間ってそこそこ脆いですからね、竜胆様は頑丈そうですが」




「私は関係ないだろ……まぁよいが、医者も同様の見解を示していたよ。だがさっきも述べた通り、外傷はまったく無い。頭を打ったにしても青あざくらいはできるだろう。それに精神的な問題というが、拉致された被害者がそうなるのはわからなくもないが、拉致した側までこうなるのは想定しづらい。つまり、二人同時に同様の症状が現れることなど偶然ではあり得ない」




「不思議な話ですよね、いわゆる怪談話みたいな。夏場は怖い話をして涼をとる、美しい日本の文化ですな。まぁ春なんですけどね」




「……そうか、貴殿は何も知らないと申すか」




「そもそもこの世界がどうなっているのかって考えると、そのくらいの小さな不思議は起きるんじゃないですかね?自分は別に向こうの王とも被害者とも関係ない一般市民なんで、不謹慎かもしれないですが、変な話を聞けておもしろいなって思いましたよ」




「その通りだな。この世界がどのように作られたか、それにまさる不思議なことはない。ところで貴殿は思考実験を好むか?」




「まあまあ、嗜むくらいには」




「そうか、では続けよう。これもまた思考実験だ。どうやら貴殿は事の発端になった揉め事に関係しているようだな。自警団から報告が上がっている」




「あー、ちょっとした厄介事に巻き込まれたんですよね、でも、俺は手を出してないですよ?」




「把握している。一方的に殴られていた、と。それを見かねた周囲の人々が助けに入り、それから人が集まって事件が大きくなった。それでいいな?」




「恥ずかしい限りですが、腕っぷしにはまったく自信がないですね。すぐに地面にくたばったので乱闘の様子も覚えてないですし」




「貴殿はそこで何をしていた?」




「商売してたんですよ」




「どのような商売だ?」




「将棋です。路上で将棋を打って挑戦料で儲けました、賞金目当てに1日あたり2~3人くらい客をとっていました」




「知能には自信があるようだな」




「知能なんかなくても、訓練ですよ」




「私と一局打たないか?」




「やめときましょう、揉め事になってしまってから控えてるんです。酒で失敗した人間が酒を控えるようなものです」




「要するに、路上で賭け将棋を行っていて、負けた挑戦者が激昂し貴殿は殴られた、というわけだな」




「はい、その通りです。もうこれに懲りて二度と将棋はやらないつもりなので、微罪は見逃して欲しいですね。何罪かわからないですが」




「わかった、では私と一局打ったらすべて許そう」




「……これは逃げられないやつですかね」




 思考実験というか、ただ俺を詰めたいだけではないか。やれやれ、こんな場所で一局やらないといけないなんて。竜胆はふすまを開けて将棋台をすぐに持ってきた。どうやら予め用意していたらしい。すべて織り込み済みってことか。




 今まで政治に興味なくて全然知らなかったけど、この王はなかなか知恵者なのかな。真面目にやって勝てるか不安になってきた。やれるか?いや、俺にもストリート上がりのプライドってものがあるんだぜ、やってやらぁ!




 畳が敷き詰められた和室の20畳。二人にとっては広すぎる殺風景な部屋の中央で、将棋台を挟んで両者が向かい合う。俺の対面にはこの村の王、竜胆。間近で見ると容姿は整っているし賢いし、正義感もあって、為政者として完璧に思えてきた。あとまつ毛長いし。異世界にエクステとかないだろ。天然か?どういう遺伝子だよ。ここまで馬の骨との違いを見せられちゃあ、尊敬を集めるのも当然だ。




 こんな何もないハズレ村でなければ、もっとすごいことできていたんじゃないかな?




……それだけに、とても惜しい。






・・・


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