主人公にはなれない普通の主人公

健杜

第1話 諦めた

 一人の男は、声が武器だった。


 一人の男は、筆が武器だった。


 一人の男は、ペンを武器にしたかった。


 夢を追うということは、誰にでもできるものではない。

 自分を信じて、突き進むことは普通の人にはできない。

 それに気づいたのは、いつだっただろう。





 「いらっしゃいませ」


 来店されたお客様に笑顔で挨拶をして、仕事をする。

 コンビニはやることが多く、長く働けばできること、やらなければならないことが増えていく仕事だ。

 お客様の笑顔やお礼が活力ですと言っている人は、普通の人ではなく、俺からしてみれば立派な超人だ。

 客の笑顔や、お礼を言われた程度で気持ちは変わらない。

 俺は接客業に向いていないのだろう。


 どれだけコンビニの仕事が好きでは無かろうが、やりがいが無かろうが働くことはできる。

 笑顔で接客はできる。

 レジ打ちはできる。

 仕事はこなせる。

 それでも、ただできるだけだ。

 本物にはなれない。


 「お疲れ様です」


 バイトの時間が終わり、挨拶をしてから店を後にする。

 特にこの後に予定はないので、真っすぐ家に帰る。

 家とはいっても、安アパートの一室なのだが、生きる上では困らない。

 二十代後半で、バイトをしてその日暮らしの俺は、一般的には負け犬なのだろう。


 普通に働いて、普通に生活をして、普通に生きていく。

 それができる人を世の中では普通の人と呼ぶ。

 俺はその普通ができなかった、普通ではない人だ。

 当然この意味はいい意味ではなく、悪い意味での普通ではないだ。


 「ネットサーフィンでもするか」


 部屋にはラノベや漫画で溢れているが、しばらく読んでいない。

 読めなくなったが正しい。


 「へー最近若手声優が人気になってきてるのか」


 布団に寝転がりながらネットを見ていると、そんな記事が目に入った。

 普段ならそんなものには興味を惹かれないので、無視してネットサーフィンを続けるのだが、そこに移っている画像から目が離せなかった。

 その画像は記事にある声優の顔写真が映っているだけなのだが、その人物が重要だった。


 「こいつ……中井優司なかいゆうじか?」


 画像にいたのは、高校時代の友人……親友だった中井優司だった。

 今はもう連絡を取っていない人物で、声優を目指して専門学校へ行っていたのは知っていたが、ここまで有名になっているのは知らなかった。

 いや、素人してこなかったが正しい。


 彼は夢を追いかけ、真っすぐに突き進んでいた。

 その彼と一緒にいるのは、眩しく、苦痛であった。

 俺は、夢を追い切れず、諦め、何にもなれなかったのだから。

 頭の隅に追いやり、なるべく考えないようにしていたことを思い出し、気分が悪くなったのでスマホを適当に投げて、ふて寝をしようとした。


 「なんだよ」


 そのタイミングで着信を知らせる音がスマホから鳴り響いた。

 適当に投げたものを拾いに行くのは面倒くさく、嫌だったが、仕事の連絡だと困るので仕方がなく立ち上がり、スマホを拾い上げる。


 「もしもし」


 宛先も見ずに、そのまま電話に出ると、しばらく聞いていなかった、今聞きたくなかった声が聞こえた。


 「修二か?」


 俺の名前、佐々木修二ささきしゅうじを呼ぶのは、先ほど見ていた人物。


 「何の用だ、優司」


 声優の中井優司だった。


 「お前が何してるか気になってな」

 「余計なお世話だ、立派な若手声優様とは大違いです」


 自分とは違う存在と話すのは気が滅入るので、自虐気味に話す。

 彼とは大学生になって、半年ほどたった頃に縁を切った。

 正確には、俺から一方的に切ったが正しい。

 お互い頑固な性格だったのもあり、連絡をすることも、連絡が来ることもなく今まで過ごしてきた。


 なのに、なぜ今になって連絡をしてきたのかわからなかった。

 記事になり、有名になり、俺とは違うと言いに来たのか?

 そんな考えばかり、頭の中を駆け巡る。


 「そんなことを言うなよ。お前だって、あんなに小説を書くのを頑張っていたじゃないか」


 そう、俺は小説家になるのを夢見て努力していた。

 だが、遅かったのだ。

 よく、物事に始めるのが遅いことなんてないというが、そんなことはない。

 遅かった、もっと早く始めればよかったと言ことは確実に存在する。

 

 途中から始めた人間は、それまでやってきた人の努力をこれからするのだ。

 その間、他の人たちは先の努力をしている。

 ようやくそこまで追いついた時には、はるか遠くにいるのだ。

 だから、俺は遅かったのだ。


 「それは昔のことだ。もう諦めた」

 「嘘つくなよ! あんなに頑張っていたお前が簡単にあきらめたなんて言うなよ! 俺のことを応援してくれてたじゃないか!」


 彼は優しい。

 俺をバカにするために電話をする人間ではない。

 分かっていた。

 でも、今の自分の現実を突きつけられるのが怖かっただけなのだ。


 「お前は、俺とは違うから」

 「そんなことない! 俺だって、お前がいたからこうして頑張ってこれたんだ。

夢を追い続けることは無駄ではないって、誰だってできるって、お前に――修二に証明したかったからここまで頑張ってこれたんだ。だから、お前にはお前の努力を否定させない。諦めたと言っても、諦めさせない!」


 無茶苦茶なことを言うものだ。

 本人が諦めたというのに、何を言うのやら。

 なのに、なぜだろう、目頭が熱かった。


 「気は済んだか? 用件がそれだけならもう切るぞ」


 これ以上優司の声を聞いてはいけない。

 さもなければ抑えてきたものが溢れ、心が壊れてしまう。

 だが、電話を切ることはできなかった。


 「俺は、お前の書く物語が好きだったんだよ!」


 一番欲しかった、言われたくなかったことを言われてしまった。


 「お前の書く、諦めずに頑張る主人公が、必ず最後はハッピーエンドになる物語が、俺は好きだったんだ。だから、また書いてくれよ!」

 「お、俺は……」


 弱い人間だ。

 今更こんなことを言われた程度で、心変わりしてしまう程度の人間なのだ。

 だから、話したくなかった。

 声を聴きたくなかった。

 もう、諦めた夢だ。

 なのに……。


 「小説家になりたい」


 また夢を見てしまう。

 一度諦めて、見るのを、追いかけるのを辞めてしまった夢を。

 優司と話してしまえば、こうなることは分かっていた。

 だから嫌だった。

 一度諦めた夢を追い、駄目だった時に俺は自分がどうなるのかわからなかったから。


 「お前ならなれる!」


 なのに、優司の言葉を聞くと、やらなくてはという気分にさせられるのだ。

 何も考えていない、何も確証はない。

 それでも、俺は一歩を踏み出した。

 踏み出さなければ、進まなければ、傷つかない。

 だけど、踏み出さなければ、駆け抜けなければ、何も変わらないことも知っていたから。


 「分かったよ」


 俺はそう言って、電話を切った。

 今の一言で、俺の気持ちは伝わったのだから。

 もうやることは決まった。

 目標も、決まっている。

 ならば、後は進むだけだ。


 「やってやる」


 この日俺は、夢を諦めることを諦めた。

 夢はいつまでも色褪せることなく、輝き続けるから夢なのだ。

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主人公にはなれない普通の主人公 健杜 @sougin

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