第1話 悪戯コネクト

「ええん、首長会議やだよう。大勢のえらいひとの前で話すとかまぢ無理。世界が滅べば参加しないで済むのに……」


 目的地に近づくにつれ、トカゲがぶうたれてきた。このご時世でその冗談は本気できついので、あたしは「縁起でもないこと言いなや」と叱咤した。ついでに「大の男にぶりっこなんて似合わないわよ」とツッコむと、彼は、さっきまでガスマスク越しに見せていた、わざとらしい表情を崩した。


「お行儀よく輸送ヘリにも乗ってんだから、愚痴くらい言わせろ……で、ジュリはさっきからなにやってんの? 部下のお前が遊んでくれないから、上司の俺は退屈なんだが」

「上司のあんたが昨日も愚図ってなんの準備もしなかったから、部下のあたしが代わりにしてやってんのよ」


 言葉の節目を区切って、ちゃんと厭味いやみに聞こえるように言ったのだが、トカゲにそれは効かなかった。座席に座るあたしの膝上五センチにまで積まれた書類の山が見えないわけはないだろうに、「そんなの置いといてしりとりしよう」などと寝惚けたことを抜かした。


「あたしたちにそんな暇ないでしょうが」

「え? 資料だってもう完成してるし、することなくない?」

「ちゃうわ。中身知らないだろうから確認しとけって話よ」あたしは手持ちの一枚を叩く。「実際しゃべるときどうすんの。あたしたちは七連を代表して来てんだからね。水瓶の整備に、薬座ヤクザの繊維事業、防災行政無線の発掘、そのための資金援助要請、エトセトラエトセトラ。発言すべきことは山のようにあるでしょ」


 あたしが眇めても、目の前のトカゲはどこ吹く風で、窓枠に頬杖をついて外を眺めるだけだった。挙げ句、「はしんどいわ~」なんてぼやいている。

 そんなに地上が恋しいなら、いっそヘリから突き落としてやろうか……よっぽどそうしてやろうと思ったが、こいつが死んで困るのはあたしだけじゃないんだと思えば、踏みとどまることができた。

 このトカゲという無責任男は、しかし、第二十三期オオサカの首長である。若くして首長の座につきながら他地域の首長とも渡り合う、オオサカの優秀な統率者リーダーであるはずなのだが、見てのとおり上司としては最悪で、首長補佐である私の仕事は、もっぱら尻拭い。否、突然に押しつけられる無理難題に対して後始末では到底間に合わないので、先回りをして対応しなければならない。

 会議を欠席することこそないだろうが、会議を丸投げにされることはありうる。本当に勘弁してくれよ……と思いながら見つめていると、トカゲはしみじみとこぼした。


「相変わらず、トウキョウは空気がきれいだな」


 私たちの乗る、河豚ふぐにプロペラをくっつけたようなこの機体は、二時間ほど前にオオサカを発ち、現在はトウキョウ上空を飛行しているところだ。

 今日のトウキョウは天気がよく、黄ばんだ煤煙も溶けてゆくような、まばゆい鼠色の空をしていた。


「ジュリも見てみ。街並みがはっきりくっきり見える。オオサカとは大違いやんけ」

「オオサカだけじゃないでしょ。どこも空気汚染がひどいし、」あたしは自分の顔のガスマスクをこんこんと小突く。「がいらないのなんてトウキョウくらいだわ」

「いいよなあ、空気清浄機……先人たちの文明の利器か。五十年くらい前はさ、オオサカよりもよっぽど、トウキョウは空気が汚い、って言われてたんだと。時代は変わるもんだねえ」


 五十年前。

 冗談でも縁起でもなく世界が滅亡しかけたのも、ちょうどそのころの話だった。

 当時の地球も、温暖化とか気候変動とか、様々な環境問題を抱えていたようだが、そんな問題なんて鼻息で飛ばせる大問題と衝突した。

 文字どおり、衝突した——隕石落下メテオインパクトである。

 それも、石ころ二つ三つなんていう生易しいものではなくて、大地が穴ぼこだらけになったり、海水が干上がったり、その結果、異常気象に見舞われたり、ガスや放射線が充満したり、食糧危機に瀕したり、とにかくありとあらゆる環境問題が取り返しのつかないほど促進させられたりと、これまで築きあげた文明がしっちゃかめっちゃかになるにはじゅうぶんな規模のものだった。


「インパクト前から地球滅亡の危機を予見していた人類は、宇宙に逃げて実験したり、隕石の撃墜機を開発したり、深海に身を潜めて国を作ったりと、とにかくいろいろしてたらしいけど、どれもこれも上手くいかず……いや、一個だけ成功したんだっけか?」とにかく、とトカゲは続ける。「結局はインパクトから逃れられずに、まんまと直撃された。直接攻撃された。隕石に殴られたのを皮切りに、大地や海や雨や光、あまねく自然に叛旗はんきを翻された人類は、有害物質に汚染されまくって惑星のほぼ全土が居住不能地域アネクメネ化した爆心期を、それでもなんとか生き延びなきゃならなかったわけだ」

「生き延びつづけてくれた先人には感謝しないとね。外気に触れれば死亡アウトっていう絶望的な状況から、ガスマスクをつければなんとかってとこにまで立て直してくれたんだから」

「そこは素直に感謝したいけど、その先人が厄介なんだよな。爆心期を生き延びて首長の座に収まってるジジイは、ハングリー精神が違う。俺はオオサカが搾取されないようにするのでやっとだよ」


 かつては一つの国だったというこの列島連邦も、現在では三十余りの地域に分断されている。それぞれに首長を掲げることで自治をおこなっていて、オオサカではトカゲが首長の座に就いているように、他の地域でもそれぞれで首長を擁立していた。

 首長会議とは、各地域を代表した首長たちの集う、定期的な報告会談のようなものだ。しかし、実際のところは、各々の腹の探り合いであり、手前の得の取り合い。舌戦での攻防。この前の会議では、トカゲは危うく、の管理権を持っていかれそうになった。


「だから準備しろって言ってんのよ」あたしは話を戻す。「こっちの資料があたしたちからの提案書で、こっちの資料がまた相手から吹っかけられたときの反論と対応一覧。いくらオオサカが七連の頭領でも、水瓶の管理権なんて、シガやキョウトだって絡んでくるのよ。奪われでもしたら、あたしたちが村八分にされるわ」


 トカゲが「世知辛い」と言って大仰にリアクションを取ったとき、運転席から「間もなくポートです」と声がかかった。目的地である警視庁本部跡のヘリポートまで到着したらしい。

 脱いでいたモッズコートをトカゲが着こむのを見て、あたしも身支度を整えることにした。臍のあたりまで下げていたファスナーをぐっと引き上げ、ジャケットの形を正した。無造作に流していた髪はバナナクリップで一つにまとめる。グローブに覆われた拳を握っては開くと、手の甲にある拳鍔のような篭手が鈍く光った。

 あと少しで着陸しそうなところで、ヘリポートの塔屋から、二つの人影がこちらへと向かってくるのが見えた。トカゲが「お出迎えやん」と呟く。

 運転席へ指示を出し、ヘリのドアを開けさせる。分厚い機体によって緩衝されていたバラボロと鳴るプロペラの音が、一気に鼓膜をつんざいた。

 ヘリが着陸するより一足先に、トカゲは地面へと降り立つ。

 書類などの手荷物を背嚢へと押しこんで、あたしもヘリから飛び降りた。

 少し遅れてヘリも着陸し、けたたましいプロペラの音が次第にやんでいく。

 塔屋から出てきた二人へと、トカゲは口を開いた。


「お久しぶりですね、イガラシ首長」


 わざわざあたしたちを出迎えたのは、第百一期トウキョウ首長である、イガラシという男だ。爆心期よりも前の生まれらしく、あたしやトカゲの歳よりも優に四回りは上のはず。ロマンスグレーの髪を持つ、針金のように細身の男で、頰のこけた風貌はいつ死んでもおかしくないほどだった。

 イガラシは表情を変えずに「元気そうだな、トカゲ殿」と返した。


「そちらもお元気そうでなによりです」

「はっ、私のようないつ死ぬかわからん老体でも、元気に見えると言うのかね。君はずいぶんと長生きしそうだ」

「いやだなあ。皮肉で言ったんじゃないですよ」トカゲはイガラシの隣を見る。「そういえば、前回お会いしたときと、首長補佐殿が違いますね。あの方はどうされたんですか?」

「ちょうど二週間前にくたばったよ。あれも歳だったからな」


 と言うものの、有害化学物質により人体がみるみる汚染されていく現代に、純粋な老衰は存在しない。爆心期前までは九十近くあったという平均寿命も、いまでは五十代半ばほどだ。

 それを鑑みれば、イガラシも前首長補佐もなかなかに長命だったが、補佐のほうは先に彼岸へと渡ってしまったらしい。あたしとトカゲは「お悔やみ申しあげます」と告げた。


「こいつは、あれの代わりに新しく入った首長補佐だ」

「ゴローと言います」イガラシに促され、男は自己紹介をした。「イガラシ首長よりお話は伺っています。オオサカのトカゲ首長と、ジュリ首長補佐ですね。このたびは遥々トウキョウまでようこそお越しくださいました。国会議事堂までの護送車を用意させていただきましたので、そちらまで案内します」


 イガラシの首長補佐・ゴローは、三十代くらいの男だった。ふわふわとした癖毛に、腰の低い態度、若々しい面差しも相俟あいまって、年相応の精悍さは感じられない。腰にいた警棒がなければ、彼が首長補佐だとは、トカゲも見抜けなかったはずだ。トウキョウの首長補佐の座に就くのは、護身術を嗜んでいる者がほとんどなので。

 第百一期トウキョウ——その期数からも伺えるように、トウキョウは何度も行政部を解体しては再編成している。だが、どれだけ編成を改めようと、首長政権の反対勢力は必ず存在しており、膨らんだ不満や暴動の末、首長の命を脅すケースまであった。

 警視庁本部跡から、首長会議の場である国会議事堂までは、さほど距離もない。それなのに護送車を用意されるのは、イガラシ政権の反対勢力からの攻撃を恐れてのことだ。首長会議のためにトウキョウへ赴く際は、どの地域の首長補佐も、念のために、護身具や暗具を携帯している。

 一言で言うと、トウキョウは治安が悪いのだ。

 かつてブーメランの形をしたこの島が一つの国だったころ、国民の安全を一手に担っていたという警察組織は、いまや壊滅状態となっている。その残滓たる自警組織は各所に配置されているが、公的組織というわけでもない。

 このヘリポートたる警視庁本部跡にしたところで、あくまで跡地なのだ。イガラシ首長もほとんど手つかずにしていると聞いた。ろくな手入れもされておらず、いつ崩れるとも知れない。砂上の楼閣どころか、建物自体が砂である。

 無秩序が秩序であり、法治ならぬ放置——そんな、安全でなければ首都でもないトウキョウが、それでも首長会議の開催場所に選ばれるのは、ひとえに、空気清浄機のおかげだろう。


「そのマスクも外してくださってかまいませんよ」


 あたしはゴロー補佐から言われたとおりにマスクを外したけれど、トカゲは「これがないと落ち着かないので」と返した。

 これは首長会議でのお決まりのパターンだ。会議に参席する錚々たる面々の中で、どう控えめに言っても、トカゲは若手の部類に入るため、文字どおりのポーカーフェイスとして、マスクを活用しているのだ。

 さて。間もなく国会議事堂へと到着する。

 劣化した白があまりに侘しい建物で、ところどころは煤けたように汚れている。爆心期より前は木々の並んでいたというとおりも、いまでは更地の状態だ。そこを通り抜け、建物の中に入り、中央広間を抜けて、本会議場へと辿りつく。

 本会議場にはすでに他地域の首長とその補佐たちが到着していた。

 半円状に並べられた席には地方から馳せ参じた一行が、最奥に位置した雛壇のような席——所謂いわゆる議長席には、第七期ホッカイドウ首長が座っている。

 議長席に着くべきは、ホストであるトウキョウ首長のイガラシなのでは、とは、この場にいる誰一人として思うまい。全ての道は北へ通ず、という言葉があるように、列島連邦の事実上の首都をホッカイドウが担っているためだ。

 イガラシ首長とゴロー補佐は適当な席に座り、トカゲとあたしもその近くの席に座った。全員の着席が確認できたところで、ホッカイドウ首長が「本日もお集まりいただき、誠にありがとうございます」と口を開く。


「本来ならば、このような挨拶は、私ではなくトウキョウ首長であるイガラシ氏に一任すべきでしょうが……恐れ多くも皆さまの後押しもあって、不肖私がこの席に居座らせていただいております。ご容赦くだされ」


 恰幅のいい白髪の男・ホッカイドウ首長は、ご機嫌に笑った。

 などと、その髪のように白々しい。勢力に物を言わせてのさばっているだけだ。しかし、そのような反論が起こることもなく、ホッカイドウ首長の独壇場となる。


「いまから約五十年前、この地球に災厄が降りそそぎました……忘れもしません、この老いぼれも、まだ成人にも満たない少年でした。世界の終わりだと、誰もが信じて疑わなかった。私はこうして生き永らえることができましたが……環境が乱れ、生態系が乱れ、その過程で、人間を含む生物の多くが死に絶えました。けれど、我々は抗ったのです。強く、たくましく、独立した地方自治により、その苦難を乗り切ることができました」


 否、独立したというより、断絶されたに等しい。爆心期当初はてんやわんやの状態で、交通網は壊滅的だったと聞く。

 そして、その断絶を逆手に取ったのがホッカイドウだ。広大な土地、豊かな自然、並外れて高い自給率、それに見合わぬ過密しない程度の人口。ゆとりを持ったまま周囲から隔絶したホッカイドウは、まるで地上に残されたたった一つの楽園のように、今日こんにちまで存続した。

 かつてこの国で二番目に自給率の低かったオオサカが、今日こんにちまでしぶとくも生き抜いてこられたのは、当時の〝近畿連盟〟、現在の〝七連〟と呼ばれる強固な繋がりにより、列島連邦最大の湖であるを確保できたからだ。

 爆心期当初は、放射能物質による汚染、著しい酸性化など、多くの問題を抱えていた水瓶だったが、周辺地域の協力により、濾過装置での浄水が可能となった。その一件から、浄水事業に加わった七つの地域は、互いの利益のため、資源の融通などの協力関係を結んでいる。

 ちなみに、かつてこの国で最も自給率の低かったトウキョウが、これまでしぶとくも生き抜いてこられたのは、運命の悪戯ならぬ、神の悪戯だと言われていた。


「人類が生き延びたことは奇跡に等しい、素晴らしい功績です……しかし、この老いぼれは、老いぼれだからこそ、知っています。爆心期以前の活気を取り戻すことは叶っていません。もう、隔絶の時代は終わりました。これからは、列島連邦の総力を以て、新時代を切り拓いていこうではありませんか!」


 儀礼的な拍手が喝采する。

 ホッカイドウ首長はにこやかに礼をした。

 近くに座っていたトウキョウ首長は「話が長い」と愚痴のようにこぼす。それを目聡めざとく見つけたホッカイドウ首長はイガラシ首長を見遣り、「トウキョウには期待しているよ、」と声をかける。


「トウキョウ区の至るところに設置された空気清浄機を、列島連邦の各地にも配置できれば、我々の繋がりはより強固なものとなるだろう」

「生憎と、難しいがね」イガラシ首長は肩を竦める。「インパクトにより、叡智を結集させた道具も、叡智を具現化するための設計書も、叡智そのものである人材も、全て失われた。現在いまの技術では、当時のような空気清浄機は再現できない。装置の解析計画の進捗も芳しくなく、今日の報告はそれくらいのものだ」


 こちらから提示できるものはなにもないと、イガラシ首長はにべもなく、この会議の土俵から下りた。


「そもそも、トウキョウだけに装置の解析を負わせるのも無謀だったのだろう。各地域が一基ずつお預かりすることができれば、解析もスムーズに進むのでは?」

「言ったはずだぞ、イソガリ」イソガリとはホッカイドウ首長の名前だ。「設計書は失われている。元の状態を保持したまま、取りつけられた装置を移動させられる保証はない。壊れてしまっては元も子もないし、そんな博打に出られるほど、トウキョウは豊かではない」イガラシ首長は目を眇める。「前会議でも提案したことだが……ホッカイドウから食料物資を援助していただけるなら、不可能ではないだろう」

「イガラシ首長だけとは思わんが、各地域の首長はホッカイドウに夢を見すぎているように見えます。たしかにホッカイドウは、植物を栽培できるほどには土壌も回復しました。しかし、この島は元より火山灰による酸性土壌のため、作物は育ちにくい……特に今年は凶作で、どこの穀倉も余裕がない。自領を賄うのにやっとの状態なのです」

「奇遇だな、うちは毎年凶作だ。穀倉も、六つあるうちの半分は空だ」


 二人の首長の争いはその後も続いた。まさにデッドヒート。他地域の首長も補佐も、「落ち着いてください」と水を差すことはなく、むしろ「どうかその火の粉うちにが飛んできませんように」と唱えていたはずだ。なので、ホッカイドウ首長が「そういえば、」と言ってこちらを向いたときには、あたしも内心でどぎまぎした。


「今回の会議では、オオサカのトカゲ殿が、七連を代表して来てくださったのだとか。七連は水瓶を所持する潤沢な組織ですし、今日はよいお話が聞けると期待していますよ」


 水瓶の名を出したあたり、ホッカイドウ首長の目的は明白だった。

 しかし、トカゲは動じずに、「もちろんです」と目を細めた。顔の下半分はガスマスクをつけているため見えない。いっそ飄々として見える顔色で、トカゲは言葉を続ける。


「ホッカイドウ首長のお話には胸を打たれました。さすがは爆心期を生き抜いたおひとだ。見据えるものが違います。たしかに、現在の我々に必要なのは、列島連邦内の強固な繋がりと言えましょう……よって、オオサカからは、瓦礫や廃墟に埋もれてしまった防災行政無線の発掘を提案したいと思います」


 この会話の流れを利用し、トカゲが仕掛けた。

 話を逸らされたと思ったらしいホッカイドウ首長は、「無線か」とわずかに眉間を渋めたけれど、トカゲは毅然と返す。


「連絡網の復興、と言うほうが適切でしょうか。七連に加盟しているヒョウゴが繊維業を盛んにおこなっていることは周知でしょうが、その事業の延長として、有線連絡網の開発にも取り組んでいます。成功すればヒョウゴから七連へ、七連から列島連邦へと広めていきたいと考えているのですが……それもいつになるかはわかりません。革新も大切ですが、温故知新、すなわち、埋もれた利器の再利用こそ、現実的な打開策になると思います」


 輸送ヘリの中では資料を確認する姿など見えなかったというのに、よくここまで口が回るものだ。否定のしづらい真っ当な意見を述べている。そのうえで、あとで話題に出しやすくするためのフックとして、繊維事業の話まで織りこんだ。さすがは顎から先に生まれた男。舐めたらあかん。オオサカ首長は伊達じゃない。


「ふむ……たしかに現在の技術では電話機器の開発も難しい。トカゲ殿の言うとおり、無線という連絡手段があるに越したことはない。しかし、それはそのように優先すべき事項だろうか」

「最優先事項です。トウキョウが解析計画の拡大のため、各地域の協力を仰ごうとも、ホッカイドウが豊作となり、食糧を分配できようとも、円滑に事を進めなければ頓挫してしまいます。互いに協力する時代を作ろうと言うのなら、連絡網の復興は欠かせません」


 淀みなく話すことで、会話の主導権を握れた。

 上々だ。ここから一気に資金援助の話にまで繋げられれば!


「共に手を取り合いましょう。輝かしい未来のたびゃっ」


 と、流暢にしゃべっていたトカゲの顔に、泥団子が飛んできた。


「……は?」


 ついでにその泥飛沫があたしの頬にも跳ねた。ざらついているのにぬめっとした不快な感触。威力行為と呼ぶにはあまりにお粗末だったが、首長会議の場であることを踏まえれば極めて悪質だ。

 突飛なことに反応が遅れたものの、あたしは泥団子の飛んできたほうを振り向いて——驚いた。

 首長会議の場に、子供がいる。

 カラフルなパーカーを着こんだ、いたずらな顔の少年だ。大きなフードに隠されたその髪は、錆のような赤だった。そんな彼が持つのは玩具おもちゃのシューターガン。次弾の泥団子を装填しながら、舌を打つ。


「ちっ、外したか!」


 外しとらんわ。

 内心で入れた私のツッコミとは別に、背後から笑い声がする。ぎょっとして振り返ると、いつの間にか、円形に並べられた議席の最後列に、これまた見知らぬ少年が腰掛けていた。

 赤錆の髪を持つ少年と色違いのパーカーを羽織っている。服装どころか髪まで色違いなのか、さながら青錆のような色をしていた。手に持っているのは、泥団子の装填されたシューターガン。少年はくすくすと笑っていたのを止めて、突っ返すように言う。


「ミクロの動きはわかりやすすぎ。そんなんじゃ当たんないよ」

「ほざけ!」


 ミクロと呼ばれた赤錆の髪の少年は、青錆の髪の少年に強く反論して、再びその銃口を向ける。そこで、我に返ったらしいイガラシ首長が「ミクロ! ヨハク!」と声を荒げた。


「今日は首長会議があると言ったはずだ。邪魔をするな!」

「だってさあ、話長すぎ」

「我慢してたけど、こっちだって白熱しちゃったんだもん」

「大人って勝手だよな。お前らの都合なんて知らねえよ。もっと時間を有効的に使って手短に済ませてほしいね」

「それに、あんなのも避けられないなんてどうなの?」


 青錆の髪の少年は挑発するように肩を竦める。

 ゴロー補佐は「オオサカ首長になんてことを、」と身を乗りだしたが、そんな彼の背中も泥団子で打たれた。ベチャリと音を立てて大きく潰れる。

 その犯人に気づいたのは、少年たちが先だった。短く悲鳴を上げたゴロー補佐も無視して、「えっ、おい、イチル! いまのは反則だぞ!」「いまイガラシと話してたのに」と非難する。

 二人の振り向いた視線の先を追うと、また違う少年がいた。彼らより少しだけおとなびた、茶けた髪色の男の子だ。イチルというらしい彼は「ごめん、つい」と笑った。


「でも、俺にかまってる暇はないよ。もうすぐ、ニィナとレーヨンが追いつく」


 イチルの言葉に、「「げっ」」という色違いの声が重なる。

 幾許いくばくもなく、本会議場の後方の扉が開け放たれた。


「みーつけた!」


 と、溌溂な少女の声が響く。

 眩しい髪を持つ薄着の少女が、覆面を被った子供——おそらく少年だ——に抱えられたまま、やはり、シューターガンを構えていた。

 そこからは、まさに、泥試合だった。

 阿鼻叫喚。突然現れた五人の子供たちに、この場にいる大人はなすすべもなく嬲られた。まるで砲弾のように飛び交う泥団子。血飛沫のように飛び散る泥水。特に泥水鉄砲が最悪で、資料は全部ずぶ濡れになった。会議どころではないてんやわんやだ。


世話係シッターはどうした!?」

「過労で倒れました!」


 イガラシ首長とゴロー補佐が遠くで叫ぶ。誰のものかわからない、「食らえ! 泥団子爆弾!」という声が鳴って、また一つ、泥が弾けた。難を逃れるために、机の下に隠れる者もいた。あたしはトカゲを匿いながら、この惨における諸悪の根源どもを見る。


「こら待て、ニィナ!」

「やっだよう!」


 この子供たちはいったいなんなんだ。会議を滅茶苦茶にしておいて、大人を混乱に陥れておいて、ただ無邪気に遊んでいる。

 子供たちはゴムまりみたいに、机の上をあっちこっち飛び移った。

 その身体能力は驚愕どころかいっそ凶悪だ。ていうか行儀が悪い。


「ちょ、あんたら、」


 いい加減止めに入ろうとしたところで、赤錆の少年が、あたしのまさに目の前を通る。すると、泥水でびちょびちょになった資料に足を取られ、少年は「わっ」と宙を舞った。

 咄嗟に、腕を出す。

 泥と水でぐちゃぐちゃのまま、なりふりかまわずに、あたしはその少年を抱きとめた。

 その勢いにつんのめって、踏鞴たたらを踏む。思わずぎゅっと力をこめれば、その見た目どおりに軽く、生々しい重みが、腕の中に沈んだ。

 少年と一緒に舞った紙がばさばさと床へ落ちていく。

 危なかった、と受け止めきれたことに安堵した。あたしは抱きしめた少年の肩を掴み、その顔を見つめながら怒鳴りつける。


「テーブルの上に乗んな! 落ちたら怪我するやろ!」


 たちまち、しんと静まり返った。

 目の前の赤錆の少年も、全身がスポンジにでもなったみたいに、あたしの怒声を吸いこんでいた。みはった目は、瞬きもせず、ただじっとこちらを映す。間近にした彼の顔は無防備で、頬に貼ったペイントシールも、瞼や顎に散った泥も、全部があどけなかった。

 あたしは他の子供たちも見回す。


「あんたたちも! 泥団子なんか、目に入ったら下手しい失明するんだからね。痛いって泣いても遅いわよ。遊ぶなら、もっと別の遊びを、別の場所でやんなさい!」


 さっきまでの暴れん坊が嘘のように、少年たちは、ぽかんとしていた。まるでなにを言われたのかわかってないみたいに。

 怯んでくれてもよかったけれど、その反応は予想外だ。たっぷり溜めこんだ静寂に、あたしが内心で狼狽えていると、ホッカイドウ首長が声を上げた。


「…………会議は一時中断としましょうか」


 会議の長として、休会を申しでた。こんな悲惨な状況で会議を再開しようとはさすがに思わなかったらしい。

 ホッカイドウ首長はしみじみと言葉を続ける。


「いやはや、トウキョウには、興味深いものを見せていただきました」


 意外にも皮肉の色を含んではいなかった。それは、真実、この事件を起こした子供たちが、興味深い対象だったからだ。

 あたしもトカゲも、ホッカイドウ首長の言葉を聞くまで、この少年少女らの正体など想像もしなかったけれど。


「なるほどなるほど……この子供たちが、噂の《神の落とし子チルドレン》ですか」


 チルドレン。

 先人たちの遺した人間遺産。

 宇宙空間でおこなわれた実験により誕生した、子供たちである。






 『神の落とし子チルドレン計画』。

 隕石落下メテオインパクトによる世界終末の間際、とある五人の天才科学者たちは、世界中から集めた卵子だとか精子だとか細胞だとかと一緒に、当時の叡智を結集させた宇宙研究施設へと向かったらしい。そこで、世界終末後の未来時代を生き抜けるような、新人類を造ろうとしたのだ。


「簡単に言えば、遺伝子操作だな」トカゲは言った。「いまとなってはファンタジーだが、当時の技術ではそれが可能だった。十年と十ヶ月をカプセルの中ですごし、荒廃していく世界に適応できる人体へと培養されるんだとか。成功したかどうかはともかくとして、事実、三年前のある日、宇宙からその子供たちは


 オオサカにいても、その噂は耳にした。ずいぶんと大きな騒ぎになったのを覚えている。突如トウキョウ湾上空で開いたパラシュートが、ふよふよと埋立地へ降り立ったのだ——それぞれに子供たちの入った、五つのカプセルを連れて。


「カプセルからされた子供たちは五人。今日の首長会議に乱入して騒ぎを起こしたガキどもも五人。ホッカイドウ首長の言うとおり、あれが噂のチルドレンだろ。神のおわす天空から落とされた、強靭な身体に最高の知能を持つ、人類の希望」

「傍迷惑なクソガキやで……」


 配られたタオルで顔を拭きながら、あたしは愚痴った。

 泥の惨状により首長会議は一時中止となり、各地域の首相とその補佐は、国会議事堂内にある部屋を、一室ずつ休憩室としてあてがわれた。泥だらけになった髪や服を拭きしめて、あたしは、ソファーに腰かけるトカゲを見遣る。


「せっかくあんたの口もよく回ってたのにね」

「俺の口は何物なにもんなん? 風車かざぐるま?」

「マジであの子たちの親の顔が見てみたいわ」

世話係シッターを雇ってるみたいだったから、たぶんいないんだろ。宇宙から降ってきたのは子供たちだけだったって聞くし」


 宇宙へと向かった天才科学者の五人は、一人も帰ってこなかったらしい。宇宙施設での永住を決めたのか、はたまた彼らの乗った宇宙船が難破したのか、カプセルだけを残して燃え尽きたのか。

 ただし、悲しきかな、もし帰ってこれたとしても、地上の汚染物質に耐えきれずに死亡してしまっていただろうと言われている。


「親がいないなんて、いまの時代じゃあ珍しくもないけど。チルドレンって一種の国家事業だったんでしょ? 国自体がもうないとはいえ、当時の首都であるトウキョウが、あの子たちの後見人ってことになるのかしら」

「いや、国家どころか国際事業だったはずだけど……渡れもしない海の外の国なんてあてにならないし、苦肉の策で、イガラシ首長の管轄ってことにしてるんだろうさ」

「だとしたら、今日の一件は、トウキョウの監督不行き届きでしょ」

「あのじゃじゃ馬たちの手綱握れてない感すごかったもんな。あの様子じゃあ、たとえ会議が再開したとしても、また乱入されそうだ」


 そこで、扉をノックする音が鳴る。

 トカゲが「どうぞ」と声をかけると、「失礼します」と声が返ってきた。扉を開けたのはゴロー補佐だった。彼の脇をイガラシ首長が通り、室内へと入ってくる。

 このような事態になってしまったことに対して、謝罪をして回っているのかもしれない。

 トカゲは「おかけください」と着席を促した。私も居住まいを正し、二人に声をかける。


「イガラシ首長もゴロー補佐も、さきほどは災難でしたね、ゴロー補佐なんて、シャツもスラックスも台なしでしょう、お可哀想に」

「お気になさらず……」ゴロー補佐が気まずそうな顔で言った。「先刻はお騒がせして申し訳ありませんでした。汚れてしまったトカゲ首長のお召し物は、こちらで洗ってお返ししますので」


 お気になさらずとは言うものの、ゴロー補佐の服は上物だったので、少し可哀想だった。たしかにトカゲのモッズコートとて一張羅だったが、七連に属しているうちはいくらでも手に入る代物だ。


「……トカゲ殿にはご迷惑をおかけした」イガラシは重苦しい顔つきでいる。「お体に異常はないか」

「いやあ、ガスマスクを外さなかったことが幸いしましたよ。目に入っていたら危なかったですがね」トカゲは愛想よく応答したのち、切りこむように尋ねる。「して……あれが噂のチルドレンですか?」


 頷いたのはゴロー補佐だった。

 それをイガラシ首長が咎めないあたり、隠すつもりもないらしい。

 トカゲは感嘆とも言いがたいため息をついたのち、再び口を開く。


「神の落とし子、なんて、眉唾物の存在だったんですがね」

「チルドレンの話はタブーとされることもありますしね。そのため、三年前のについても、大っぴらな発表こそしませんでしたが……正真正銘、成功体ですよ。汚染された地上に適応する、強靭で異常な身体。そして、最高の知能」いえ、とゴロー補佐は言葉を切った。「ですね。地球上に残存する全ての情報通信機器とシナプスで繋がっている……そのコネクトは、まさに神の悪戯です」


 神の悪戯——それのおかげで、トウキョウは今日こんにちまで生き延びることができたんだっけか。噂として聞いてはいるが、いまいち理解できない。その様子を悟ったトカゲが、補足してくれる。


「言葉のとおりだよ。チルドレンは、その脳から、地球上に現存する機械を操作できる。わかりやすいところで言うと、空気清浄機とかな」

「他にも、発電機ともコネクトしています。すでに壊れたものを別として、先人たちの文明の利器、インターネット・オブ・シングスの名残を、彼らの脳は最大限に有効活用できるというわけです」


 チルドレンは文明の利器へのコネクションを持っている。そう言葉で言うのは簡単だが、脳で機械を操作するなんて可能なのか?


「うーんと、そうですね……伝達性を選んだがゆえの不正確な表現になってしまいますが、脳波で動くスーパーコンピュータを搭載しているとでも言いますか。あの子たち自身がリモコンとでも言いますか」


 説明されればされるだけ、わからなくなっていく。

 目を白黒させていると、ゴロー補佐は苦笑した。


「かつての最先端技術は現代の超科学技術オーバーテクノロジーですからね。遺伝子操作も、脳改造も、僕たちに理解できなくて当然ですよ」


 あたしは爆心期以後に生まれたので真偽は定かでないが、インパクトが原因で、かつての文明からざっと百年は後退したという話だ。

 失われた技術ロストテクノロジー

 魔法じみた神秘を秘めた彼らは、たしかにその名のとおり、神の生み落とした子供たちだと思われた。


「トカゲ氏が時代の寵児とすれば、チルドレンは神の寵児ですね」

「やめてくださいよ、俺をそんな、政治界のホープ、期待の注目株、超大型新星爆発だなんて……」

「図に乗りすぎやろ。しかも、あんたの話とちゃうねん」


 勝手に爆発しとけ、とあたしはトカゲにツッコんだ。

 話を戻そう。


「すごい子供たちってことはわかりました。チルドレンは噂どおりだって。でも……それはともかく、さっきのはなんなんですか? その、なんていうか、」あたしは言葉を選んだ。「あの子たちの面倒って、ちゃんと見れてるんですか?」


 有り体に言って、ちゃんと躾けられているのか。

 たしかにあの子たちは、まだ少年であり、少女だった。齢にして十をすぎたばかりであろう子もいた。大人の庇護を受けなければ生きてはいけない子供たち。

 まだ分別もなく、世間を知らず、首長会議の場に泥鉄砲を持って乱入してくるような——いや、ありえへんやろ。

 いくら子供だからって、やっていいことと悪いことの区別くらいはつく。今回のことは、おてんばやわんぱくという言葉では収拾がつかないほどの暴挙だった。


「……チルドレンの養育は、トウキョウの一個の事業として、予算編成をおこない、運営している」イガラシ首長が重々しく口を開く。「直接的な養育は世話係シッターを雇って監督していたが……体調を崩したので、暇を出している」

世話係シッターがいないだけであれですか?」

「お恥ずかしながら」ゴロー補佐も苦々しく告げる。「反抗期とでも言うのでしょうか。日に日に言うことを聞かなくなってきて、問題を起こすことも多くなりました」

「手に余る、というのが正直なところだ。前の世話係シッターだけでなく、これまでに何人か雇ってきたが、チルドレンの素行の悪さから誰も長続きしなかった」

「大手を振り乱して爆走してるようなガキやったもんな」トカゲが鼻で笑った。「大人に一切物怖じしてなかった。畏まった場でテンションが上がって、とかじゃなくて、普段からあんな感じなんでしょ」


 ゴロー補佐は「そうなんです」と肩を落とした。


「実を言うと、この国会議事堂は、普段は彼らの遊び場でして」

「へえ、遊び場」


 国会議事堂ならぬ、国会児戯堂ってか。


「会議中は立ち入らないように言い含めておいたのですが、ちょうど世話係シッターが暇をもらっていたため、止められる人間もおらず……いまは彼らも住まいに戻っているので、そろそろ会議も再開する予定です。ご迷惑をおかけしました」


 再開すると言っても、このまま無事に終えられるだろうか。あのやんちゃくれが再び乗りこんでくるとも限らないのだ。

 そう思い耽っていると、ふと、イガラシ首長と目が合った。

 貫禄のある眼差しで見つめられ、自然と身が強張る。


「……ジュリ補佐。失礼だが、君に子供はいるかね?」

「はっ?」あたしは目を瞬かせる。「いませんが」


 あたしは二十四だ。この歳でも子供がいてもおかしくはないが、それより、何故急にそんなことを聞かれるのかがわからなかった。

 イガラシ首長は顎に手を当て、思い出すように告げる。


「いや、すまない。子供の扱いに慣れているのかと思ってな。先刻、君が叱りつけると、途端にチルドレンが静かになった」

「あれは驚きましたね」ゴロー補佐が頷く。「チルドレンがあれほど素直に大人の言うことを聞くなんて滅多にありませんよ」

「それも、五人全員が、だ。歴代の世話係シッターでもできなかった」

「ほとんどの世話係シッターはナメられて終わりでしたしね」

「もしかしたら、君の言うことなら、彼らも聞き分けるかもしれない」

「あの……イガラシ首長?」


 ゴロー補佐が動揺したようにイガラシ首長を見遣る。それはあたしも同じだ。俄然雲行きが怪しくなってきた。視界の端ではトカゲが興味深そうに睥睨している。三人の視線を一身に受けながら、イガラシ首長は言い放った。


「ジュリ補佐。しばらくのあいだ、チルドレンの世話係シッターを引き受けてはもらえないか」


 ゴロー補佐が「イガラシ首長!?」と目を剥く。トカゲは「ま・じ・か~~」と素っ頓狂に漏らした。突飛な話にびっくりしたあたしは、やっとの思いで「はい?」と返す。


「オオサカ首長補佐という立場のある君に、こんなことを頼むのもどうかとは思う。しかし、あのチルドレンを一斉に黙らせた君の手腕は見事なものだった。いきなりの話になってしまったし、まずはこの会議のあいだだけでもかまわない。子供たちの面倒を見てくれないか?」


 はい? あたしが誰のなにを見るだって?

 唖然とするあたしの隣で、トカゲが「盛り上がってまいりました」とあたしを見遣る。一人で盛り上がるな。


「いや、さすがにそれは、あたしも仕事がありますし」

「仕事って俺のサポートだろ?」と、トカゲ。「引き受けてもいいぞ。時代の寵児は補佐がいなくとも会議くらいなんとかなる」


 こいつまた図に乗りよって。

 ただ、先刻の会議中のトカゲを思うと、なんとかなるだろうな、という気はしている。彼は腐ってもオオサカ首長だ。本来なら、あたしのサポートなんていらないくらい優秀な男だった。

 それに、この話にトカゲが前向きなのは、これまで接触できなかったチルドレンの情報を得られる、というのもあるだろう。また、トウキョウに借りを作ることも目的としているのかもしれない。

 首長二人が積極的ななか、あたしと同じくらい困惑しているゴロー補佐が「お待ちください、」と口を開く。


「なにを考えているんですか、首長! 遠路遥々トウキョウまで来ていただいたのに、子供たちのおもりをなんて……ジュリ補佐にもトカゲ首長にも申し訳ないですよ!」

「俺のことは気にしなくていいよ。噂のチルドレンにも興味あるし」

「だそうだが?」

「いやいや、第一、世話係シッターだって、厳しい選考基準を設けて選び取っているんですよ? ジュリ補佐を信用していないわけではありませんが……そんな急なお話!」


 ゴロー補佐は慌てふためきながらも、イガラシ首長の提案に強く反発していた。しかし、イガラシ首長はそれを歯牙にもかけない。挙げ句にはトカゲに茶化される始末だ。どんどんゴロー補佐の言葉尻が弱くなっていくのを眺めながら、彼も首長に苦労させられている身の上かと同情した。

 いや、他人のことはさておき、あたしのことだ。


「……お言葉ですが、イガラシ首長」あたしはイガラシ首長を見据えて告げる。「そちらの要望に応える道理がありません。先刻の騒動について、さきほど首長のトカゲから〝気にするな〟という言葉がありましたが、額面どおりに受け取られても困ります。これ以上会議が滞らないよう、気持ちもわかりますが、こちらが手を貸すいわれはないですよね」


 角の立つような言いかたになってしまったが、このままだと本当にとんとん拍子に進んでしまいそうで、あたしはノーを主張すべく、きっぱりと断った。

 イガラシ首長は「ふむ」と呟く。

 納得してくれたと思ったが、そうではなかった。


「では、トウキョウとオオサカの公的取引という形ならどうだ?」


 取引という言葉に反応したのはトカゲだった。トカゲは「と言うと?」と先を促す。


「たしかに君たちにはこちらの要求を叶えるいわれはない。しかし、こちらとしては猫の手も借りたい。どころかオオサカの首長補佐の手を借りようというのだから、それ相応の対価を払うべきだろう」

「失礼ですが、トウキョウに払える対価がありますか? 資源に乏しく、財政も厳しいと聞きます。満足な対価を、正直、トウキョウには見込めないのですが」

「空気清浄機」


 と、イガラシ首長が言ったところで、あたしとトカゲは目を見開かせた。虚を突かれたあたしたちに、イガラシ首長は言葉を続ける。


「装置の解析をトウキョウが独占しているが、その利権をオオサカにも移譲しよう。一基減ったところでトウキョウに大した害はないはずだ。空気清浄機を一基、くれてやる」

「……他の地域に解析を移譲することに、否定的ではありませんでしたか?」

「それは多数の地域に扱われた場合の話だ。寄って集って装置を奪われては、トウキョウの安全が損なわれる。そして、私はイソガリという男が気に食わない。あいつの話に乗ってやるのも癪だ」


 しかし、オオサカだけなら、かまわないと。

 正直なところ、かなり魅力的な提案だ。空気清浄機のあるトウキョウが別格で好環境なだけで、それ以外の地域では、基本、マスクを外せるのは殺菌洗浄された室内のみであり、室外で無防備に空気を吸いこもうものなら、十年は寿命が縮む。

 毒素まみれの汚れた大気は、この世界における重要課題。首長ともなれば真っ先に克服したい難題。

 それを解決できるチャンスがぶら下げられたのだ。

 トカゲの決断は早かった。


「いいでしょう」

「おい、お前!」


 あたしはトカゲを睨んだが、彼はそれを無視して続ける。


「ただし、解析のためというなら三基は欲しいところだ。そして、俺は今日、七連を代表して来ている。オオサカだけでなく、七連で、その三基の解析をしたいのですが」

「好きにしろ。その三基はそちらで勝手してくれればいい」

「決まりだ、ジュリ」そこでやっと、トカゲはあたしを見た。「トウキョウに出向しろ。今日からお前は、チルドレンの世話係シッターだ!」


 あたしは「ふざけんなや」とトカゲの胸倉を掴む。しかし、トカゲは「いやん」としなを作り、文字どおりふざけだした。


「カッとなったらすぐ暴力的になるんだから! 俺はともかく、子供相手には手加減しなよ~?」

「いや、あたしの意見もなしに決めないでくれる?」

「空気清浄機だぞ? 断るわけなくない?」

「ぶっちゃけ旨味のある話だとは思うけど、そんな簡単に決めるわけ? あたしはあんたの補佐なんだけど」

「補佐だから、首長の指示に従え。わかるだろ。これを機に、空気清浄機の解析が進めば、オオサカや七連で新しく製造することも可能になるのかもしれないんだ。ゆくゆくは他地域への流通も視野に入れて、俺たちしか設計図がないのをいいことに高値で売買すれば……ぐふふ、笑いが止まんねえ」


 ゴロー補佐は「もしそうなっても、設計図面と売買権はトウキョウもいただきますからね」と反論した。だめだ。もうそういう流れになってる。駄目押しにイガラシ首長があたしに言った。


「次の世話係が見つかるまでの臨時として、よろしく頼む」


 あたしは、トカゲの胸倉を掴む手を緩めていき、ついにはがっくりと肩を落とした。トカゲはけたけたと笑いながら、「まあ、ええんとちゃう?」と言った。


「あいつらを叱りつけたときのお前、オカンみたいやったしな」

「誰がオカンや」


 あたしはトカゲを眇めて、ため息をつく。

 こんなことなら、首長会議のあいだだけというタイミングで、引き受けていればよかった。まさかたった数十分で、あたしの職業が首長補佐から世話係シッターに様変わりしようとは、思ってもみなかった。






 あれよあれよという間に話はまとまり、「とりあえずくだんの子供たちと顔合わせをしよう」と、首長会議が再開したタイミングで、あたしはチルドレンのもとへ向かうこととなった。


「申し訳ありません、ジュリ補佐」


 案内されている道中、国会議事堂のほうを睨みつけていたあたしに、先導するゴロー補佐が気まずそうに言った。


「いや……ゴロー補佐のせいというわけでは」

「突拍子もないお話で、たいそう驚かれたと思います。イガラシ首長も、一度決めたことは曲げられない性格ですし……私のほうから謝罪させてください。ただ、オオサカにとってもいい取引だったと思っていただけるならありがたいです」


 実際に、いい取引ではある。

 あたしがあのクソガキたちのお世話をすればいいだけなんだから。

 それで空気清浄機が三基も手に入るなんて破格だ。オオサカの利が大きすぎて、かえって警戒してしまう。いっそなにか裏があるのではないかと思うほどだ。

 チルドレンって、そんなにやばい連中なの?


「ちなみに、言われるがままついていってますけど、あたしたちどこに向かっているんですか?」

「皇居跡ですね。皇居東御苑を含む一帯が彼らの住処なので」

「どえげつな」


 インパクトにより皇家は空中分解し、皇居御苑は廃墟となってしまった。でも、いくら廃墟といえ、皇居は皇居だ。約二十一ヘクタールの庭園を含む宮城が、丸々あの子供たちのものだなんて。

 ゴロー補佐に案内されるまま、皇居跡の堀沿いを歩いていく。

 堀には淀んだ水が溜まっていて、生気の一切を感じられなかった。しばらく歩くと大きな門が見える。その門をくぐると、木が酔っぱらったように生えた、歪な密林が広がっていた。おそらく地面が沈みこんだり歪んだりしているためだろう。いつ倒れるとも知れない危うさがあって、その先を進んでいくのが恐ろしかったほどだ。

 御所のほうへ案内されながら、ゴロー補佐の事前情報に耳を傾ける。


「先刻ご覧になったとおり、一人一人が手のつけられないやんちゃくれですが、そんなチルドレンの中でも一番良識があり、意思疎通のできるのがイチルです。五人のなかで誰より先に出産されました。カプセルに入っていたのが十年と十ヶ月、出産が三年前だから、歳はおそらく十三歳くらいかと」


 イチルと聞いて思い出したのは、見るからに年嵩の、茶けた髪の少年だ。全員が全員、ハチャメチャな印象を受けたけれど、言われてみれば彼が一番、おとなしそうな雰囲気だったかもしれない。


「逆に、一番意思疎通のできないのがレーヨンですね。印象深いので覚えてらっしゃるとは思いますが、覆面を被った少年です。ジュリ補佐が抱きとめたのがミクロで、彼と色違いなのがヨハク。二人とも口が達者なので気をつけてください。一人だけ女の子がいたでしょう、あの子はニィナといいます」


 イチルの一年違いでのレーヨンが出産され、その翌年にニィナ、さらにその翌年にはミクロとヨハクが同時に出産されたらしい。ミクロとヨハクは顔が似ているので、双子だろうと推測しているようだ。


世話係シッターの仕事は、そのまま、彼らの世話をすることです。話し相手や遊び相手になることで、彼らの退屈を和らげます。寝食を共にし、彼らがなにかしでかそうとしたら、真っ先に止めてください」

「要するに、ブレーキ役ってことですね」


 世話係シッターというか、彼らを見張る監視役と言うほうが近いのかもしれない。あたしの相槌に、ゴロー補佐は「そうです」と答えた。


「そんな大役務まるかなあ」あたしは本音を漏らす。「あたし、あの子たちに言うこと聞かせられる自信ないですよ? 叱りつけることくらいはできるだろうけど」

「おそらくですが、イガラシ首長もその能力を見込まれたのかと。彼らが一声かけただけで静まるのは、本当に珍しいことなんです」

「西の言葉が珍しかったのかしら」

「僕がジュリ補佐のような言葉を使ったら、それが効いたりしてね」


 ゴロー補佐はおどけるように笑った。上司もおらず、目の前にいるのが自分と同じ補佐——補佐か。出向したわけだし——ということもあって、緊張が解けたのかもしれない。元より若々しい顔立ちをしているけれど、笑うとさらに瑞々しい雰囲気になる。純粋に、いいひとそうだな、と思った。

 ようやく御所に到着し、その建物の大きさに仰天する。

 しかも、このだだっ広い敷地には他にいくつもの建物が点在しているのだ。

 それが丸ごとあの子供たちのものだと言うのだから、驚愕も一入ひとしおである。

 ゴロー補佐が扉を開けると、


「どうも」


 そこには、茶けた髪の少年が立っていた。

 ゴロー補佐は「うわああ」と声を上げて仰け反る。あたしもびっくりして硬直してしまった。

 まるであたしたちが来るのをわかってたみたいに待ちかまえていた少年は、あたしたちの反応を見て、「驚きすぎ」とくつくつ喉を鳴らす。


「そりゃあびっくりしますよ、イチル、どうしてここに」

「足音が聞こえたから、誰か来たのかなって思って」


 なんでもないことのようにイチルは言うが、足音が聞こえたって、この密林の中の足音を、この御所の中で?

 にわかには信じらずに、あたしはイチルを凝視する。

 その視線に気づいたイチルは、「……このひと、会議にもいたひとだよね?」とあたしを一瞥し、ゴロー補佐に尋ねた。


「どうしたの? 俺たちに用事? さっきのを謝ってほしいとか」

「いえ。彼女を紹介に来たんですよ。新しく決まった、君たちの世話係シッターですから。臨時ですけどね」


 あたしは「よろしく」と短く挨拶をした。

 イチルは少しだけ驚いたような表情をしたが、ややあってから「そうなんだ」と笑まいを浮かべた。


「さっきぶりの挨拶になるけど、俺はイチルです。知ってのとおり、チルドレンの一人。さっきは会議の邪魔しちゃってごめんね。みんなで遊んでたら、いつの間にかミクロたちが紛れこんじゃってて」


 ふうん、なるほど。しっかり謝罪を挟むあたり、たしかに良識のあるタイプなのかもしれない。

 イチルの格好は、詰襟のシャツに、フライトジャケットのような厚手の上着を羽織ったもので、前を開けている以外は着崩しがない。きっと真面目な子なんだろうな、と思った。歳に見合わぬ落ち着いた物腰も相俟あいまって、利口そうな印象を受ける。

 ただ、対応は穏やかでも、その表情や態度はどことなく硬い。浮かべる笑みだって貼りつけたみたいだ。動物が従順なふりをしている姿に似ていた。

 まあ、初対面の相手ならこんなもんでしょう。出会い頭の印象だって、自分たちを叱りつけてくる大人、って感じだろうし。むしろ、嫌悪感を前に出さない姿勢は立派だとすら感じた。


「あたしはジュリ。あなたたちの世話係シッターになったわ」

「うん。これからよろしくね」


 あたしが手を差しだすと、イチルは握り返してくれた。

 挨拶もそこそこに中へと入る。御所の内観は、お屋敷のような外観にふさわしく豪華だった。もっと荒れていたり埃を被っていたりすると思ったのに、こまめに手入れされているのがわかる。少なくとも、目の届く範囲はきれいなものだった。

 まさか、ここの掃除も世話係シッターの仕事なんじゃ、とよぎったとき、ゴロー補佐が説明してくれた。


「御所には、掃除や洗濯を担当する家女中ハウスメイドと、三食の料理を担当する料理人コックがいます。御所内の家事は彼らが管理しているんですよ」

「へえ。すごい」

世話係シッターであるジュリ補佐には住みこみで働いていただきます。家事は彼らに任せれば大丈夫です。後ほど世話係シッターの部屋に案内しますね」

?」前を歩くイチルが振り返る。「そういえば、あの会議の場にいたもんね。ってことは、公募で新しく雇ったんじゃなくて、元々はどこかの首長補佐だったんだ?」

「うん。オオサカのね」

「なんで急に世話係シッターに?」

世話係シッターの才能を見出されたの。優秀すぎるのも困りものね」


 オオサカ・トウキョウ間の取引は秘密裏におこなわれた。空気清浄機の話とか、厄介なこともつきまとうのだ。いくら子供相手だからって馬鹿正直に話さないほうがいいだろう。

 なかなかふざけた回答だったにもかかわらず、イチルは「ふうん」となんでもないように流した。冗談だと思われたのかもしれない。冗談が通じてなによりだ。

 イチルに案内されるがまま歩いていくと、あたしたちは一つの部屋の扉の前で止まった。イチルが扉を開け、そこをゴロー補佐が入っていく。イチルがあたしを待って、部屋に入ろうとしないので、あたしが代わりに扉を押さえてやる。あたしが「ありがとう。先にどうぞ」と言うと、イチルは目を瞬かせながらも、その言葉に従った。


「おっ、ゴローじゃん」

「やっほう、ゴロー」

「こら。ゴローさんだろ、ミクロ、ヨハク」


 開口一番にふてぶてしく呼び捨てにした二人を、イチルが叱った。ゴロー補佐へ振り返り、「ごめんね、ゴローさん」と言う。一見礼儀正しいが、この子はこの子で、敬語を使うことはないんだよなあ。そこが子供らしいが。

 そんなふうに眺めていると、子供たちはあたしにも気がついたようで、「あっ、さっきの女!」とあたしを指差した。

 典雅な椅子に胡坐を掻いて座っているのは、先刻あたしが抱きとめた少年、ミクロだ。フードを脱いだおかげで赤錆の髪が惜しげもなく晒されている。よく見ると、間違えて嵌めこまれたみたいに、左右で目の色が違った。ペイントシールの賑やかな頬と鼻筋。小生意気でいたずらな顔が、くしゃりと顰められている。


じゃないよ」イチルが言う。「今日から俺たちの世話係シッターになるひとだってさ」


 ミクロは「はっ!? 新しい世話係シッター!?」と声を上擦らせた。元々皺の寄っていたその顔は、紙を丸めたみたいになる。

 その一方で、きゃらきゃらとした「えっ、世話係シッター!?」という台詞も重なった。そちらへと振り向くと、絨毯の上に寝転んでいた女の子と目が合う。

 トウモロコシの花柱ひげのように淡い色の髪に、真っ青でまんまるい瞳をした、小柄な少女。国会議事堂では遠目に見ただけだったけれど、セーラーカラーの服装は、〝かわいい水兵さん〟って感じだ。重たい上着をだらしなく着こんだ中は、涼しげな半袖半ズボンで、細い肘も小さな膝も元気に晒されている。チルドレンで唯一の女の子、この子がニィナか。

 腹這いになって寝転んでいたニィナは、棒切れみたいな足をぶんっと前へ振りあげると、そのまま起きあがった。関節というものを知らないかのような奇っ怪な動きに、あたしは素で悲鳴を上げそうになった。しかし、当の本人はにこにこあたしに近づき、「ねえねえ、」と話しかけてくる。


「さっきニィナたちの遊び場にもいたひとでしょう?」

「遊び場……まあ、そうだけど」


 すると、ニィナではなくヨハクが「やっぱり、そうだと思った」と答えた。ミクロとどこまでも色違いの彼は、したり顔で続ける。


世話係シッターが決まるにしても急な話だし、もしかして、あそこでやってた会議って、僕たちの新しい世話係シッターを決めるためのものだったりして?」


 ヨハクは、大人一人が寝そべられるような大きなソファーの上で、膝を立てるようにして座っている。そうして折り畳まれた足の爪先には、分厚い本が置かれていた。きっと本を読んでいたのだろうが、子供が読むには難解そうな本だった。

 さきほどのヨハクの言葉に、イチルが「それは違うみたい。ただの臨時だって」と返すと、ヨハクは「あっそう」と言って、視線を本へと落とす。

 その様子を眺めていると、再びニィナが「ねえねえ、」と話しかけてくる。


「ジュリーもボードゲームする?」

「ボードゲーム?」

「いま、ミクロとレーヨンがやってるの。ほら」


 ニィナと一緒に視線を移す。

 一本足の円卓を挟んで向かい合わせになるようにして、ミクロとレーヨンは座っている。ミクロは相変わらず嫌そうな顔であたしを見ていたが、彼の対戦相手であるレーヨンは一寸もこちらを見ない。ただ冷静に盤上を見つめていた。

 イチルと同じく落ち着いているように見えるレーヨンだが、覆面を被っているせいで表情は知れない。ていうか、顔どころか肌も見えない。体の線も浮きあがらないようなぶかぶかな服装にくるまれている。おまけに一言もしゃべらないのだ。

 そんなに真剣にやるようなゲームなのかしらと、あたしはニィナと一緒になって、円卓に乗った遊戯盤を覗きこむ。

 緑色をした格子柄の盤の上には、綺麗なおはじき、カラフルなペットボトルの蓋、ぬいぐるみのキーホルダーなどが並べられていた。おそらくそれらが駒なのだろうが、ちっともシステムが見えてこない。なんでオセロ盤の上に乗っているのかもわからない。この子たちの創作遊戯だろうか。


「ね、おもしろいでしょ? ジュリーもやろうよ」

「素人には無理でしょ」本を読んでいたヨハクがそれを断じる。「ルールを教えるところからやんなきゃいけないじゃん」

「じゃあ、ニィナが教えてあげるね。見てみて、ジュリー、そのうさぎが王様キングなの。あれを取られたら負け。いまはミクロが負けてる」


 ニィナがそう言うと、ミクロは強い語気で「見んな、どっか行け」と追い払った。ニィナは「ふんだ。お絵描きするもん」と拗ねるように引き下がっていったが、あたしは対戦を見学することにした。

 ミクロは焦ったように盤上を見つめている。すると、その背後からイチルが手を伸ばし、「こうしたら?」とミクロの駒を一つ動かした。


「あっ、やめろよ、イチル。俺が考えてたのに」

「ごめんごめん、悩んでるように見えたから」

「勝負はこっからなんだから、邪魔すんなよな」


 どうやらミクロは負けず嫌いの性格らしい。イチルの手助けをお節介だと憤慨し、再び盤上を睨みつける。一方のレーヨンは、相変わらず寡黙だ。なにも言わずに、早差しで駒を進める。

 イチルの瞳が青白んだ。


「……壁が破られたか」


 イチルがぽつりと呟く。

 それに対し、盤上を見つめながら、ミクロは「俺にやらせろよ。面白くなってきたんだから」と不敵に笑う。

 レーヨンがどんないい手を打ったのかは知れないが、戦局は盛り上がっているらしい。イチルは顎に手を当てて、「とりあえず、使えそうな駒を探すしかないかな」と言った。楽しそうだけど、ルールはまじでわからんな。あたしは遊戯盤から数歩後ずさる。

 三人はボードゲームに夢中だし、残りの二人は各々、本を読んだり絵を描いたりしていて、実に自由だ。手持無沙汰になったあたしは、助けを求めるようにゴロー補佐を見遣った。


「無理に遊ぼうとしなくても大丈夫ですよ。大概はこの子たちで勝手に遊んでいるので、彼らが望んだときだけ相手をしてください」

「そしたら、あたし、暇なんですけど」

「すぐに暇じゃなくなりますよ」ゴロー補佐は苦笑した。「そうしたら、ずっと暇が続けばいいのにと、思うようになります」


 そのとき——部屋の隅にある伝声管が震えた。

 気がついたゴロー補佐は蓋を開け、「どうしましたか」と応答する。


『暴動です』伝声管の向こうの声は焦っていた。『穀倉の扉が破壊されたとの報告を受けました』


 ゴロー補佐は「なんですって」と目を見開かせる。

 あたしも顔を顰めた。

 暴動。聞くに、ただならぬ事態に見舞われているらしい。

 穀倉というのは、トウキョウが公的に管理する穀倉のことだろう。イガラシ首長が会議に出席している現在、ゴロー補佐に指示を仰いだのだと察した。どれくらいの規模かにもよるが、事態鎮静化のため、部隊を派遣することになるかもしれない。

 なりゆきを見守っていると、イチルが口を開いた。


「第三穀倉でしょ?」


 あたしとゴロー補佐が振り返ると、イチルは、ミクロの座る椅子の背凭れに腕をつきながら、こちらを見ていた。

 ゴロー補佐は「どうしてそれを」と漏らす。

 ざわざわと、なにかの予感がした。


「もうやってる」


 そう続けたイチルに、ゴロー補佐ははっとして言った。


「映せますか」


 すると、本を読んでいたヨハクが、近くにあったリモコンを手に取る。開けっぱなしのクローゼットに突っこまれた、薄っぺらいテレビへと向け、ボタンを押した。ヴンと大きな虫の飛んだような音がして、テレビの画面が点く。てっきりジャンクだと思っていたが、画面には、トウキョウの街並みが、映像として映しだされた。


「これは、いったい……?」

「マルチコプター」あたしの問いかけに、ゴロー補佐が答える。「所謂いわゆるドローンですね。チルドレンにはそれぞれ一機ずつ与えられてるんですよ。そのドローンが、現在、第三穀倉付近の上空を飛行しているようです。ドローンで撮影した映像をそのままここに繋いでいます」


 ゴロー補佐がイチルを見遣る。それにつられて、あたしも視線を移すと、イチルの瞳が、まるで奥から発光しているみたいに青白んでいた。虹彩は回路のように幾何学的に入り組み、瞳孔を絞る。

 ゴロー補佐が「もう少し近くに」と告げると、画面の光景が、どんどん寄っていく。かつてはスーパーマーケットだったらしい第三穀倉は、たくさんの人間でごった返していた。全員が武装し、壁を壊し、備蓄していた食糧を強奪している。


『おそらく、落伍社らくごしゃの犯行と思われます』


 伝声管から鳴った言葉に、あたしは「落伍社?」と首を傾げる。


「イガラシ首長政権の反対勢力です。あの腕につけている腕章から見るに、まず間違いないでしょう。最近、活発化していたのですが、まさか警備を破って穀倉に押し入るなんて……」ゴロー補佐は子供たちを見遣った。「チルドレン、出動できますか?」


 すると、ミクロが馬鹿にしたように「遅ぇんだよ」と言った。


「お前らの報告なんて待ってたら、全部盗られて終わりだっての。イチルも言っただろ。もうやってる」

って……あの施設はシステム化の遅れた建物ですし、出入り口も手動のシャッターしか取りつけられていません。近辺にできるものもなかったでしょう」

「なかったから、ミクロがを出した」イチルが答えた。「第三穀倉から三キロメートルくらい離れた場所に、ディーラーだったところがあるんだけど、遠隔型自動運転システムを搭載したやつが、三台ほど生きてたみたいでね」


 ミクロの目がぴかりと閃いている。

 次の瞬間、画面の向こうで、大型のトラックが三台、勢いよく穀倉の扉へと突っこんでいった。その巨体はひしゃげながらも、落伍社の輩が壊した穴をものの見事に塞ぎきった。あたりが瓦礫と化す悲惨な音が響く。


「はっ!?」


 あたしとゴロー補佐の叫びがシンクロする。暴動どころか戦争でも起こったかのようなありさまに、我が身を震わせた。


「出入り口は全部塞いだ。中にいるあいつらも逃げられないだろ」


 したり顔でそう言ったミクロに、ゴロー補佐は顔をあおめさせる。


「駒って、あれのことですか!? もっと他にやりようはあったでしょう! これじゃあ、どっちが暴動かわかりませんよ!」

「そんな怒んないでよ」イチルが肩を竦める。「ゴローさんの言うとおり、穀倉はアナログ式でできなかったから、やり方は限られてた。ミクロも、被害を最小限にするため、車の速度は調整してたよ」

「車というか、自動運転トラックじゃないですか! あんなのを穀倉に追突させるなんて……建物の破壊どころか、下手をすると死人が出ていたかもしれないんですよ⁉ いくら暴動を治めるためとはいえ、いたずらに力を使ってはいけません!」


 ゴロー補佐の悲鳴が遠い。思考が衝撃に追いつかない。

 あたしは呆然として立ちつくすしかなかった。

 これが、チルドレンの能力。

 彼らの脳波——電気信号は、軸索を通り、シナプスで機械とコネクトする。コネクションで、手足のように操る。地球上にある、ありとあらゆる機械が、彼らの玩具。

 なにが神の悪戯だ。

 こんな悪質な戯れがあるか。


「あっ、」そこで、ニィナが指を差す。「逃げてるひといるよ?」


 画面の向こうでは、瓦礫に足を取られながらも、なんとか這い出ようとしている人間が数名映っていた。さきほどの激突を避けた者たちだろう。ミクロも「やべ、漏らした」と小さくこぼす。


「あーあ。やっちゃった。ミクロはいつも詰めが甘いんだよ」

「うるせえ、ヨハク。だったらお前がやれ」

「はあ? ミクロの尻拭いなんてやだよ」

「こら、二人とも、喧嘩してる場合じゃないだろ」イチルがため息をつく。「残りの彼らも捕縛しないと。横着してられないし……ニィナ、レーヨン、行ける?」


 イチルがそう言うと、ニィナは「はあい」と言って、レーヨンの背中に飛び乗った。レーヨンの首を後ろから抱きしめてぶら下がる。

 いくら相手が自分よりも小柄な女の子だとはいえ、子供が支えられる衝撃ではなかったはずだ。それなのに、レーヨンはびくともせず、ニィナの体を手放しで支えていた。


「レーヨン、行こっか!」


 ニィナがそう声をかけると、瞬間、レーヨンが爆走した。


「えっ、ちょ、待ち! どこ行くのよ!」


 あたしの声も間に合わない、置き去りにするほどの、爆発的なスピードだった。その疾走は、煙のような軌跡が見えたほどだ。超人的な速さで部屋を後にした二人は、数分もしないうちに、テレビの画面に映っていた。

 まさか、第三穀倉まで移動したの? 走って? もう着いた?

 ここから第三穀倉までどれほどの距離があるかはわからないが、少なくとも、御所を覆う森林を抜けるだけで、十分はかかるはず。子供の足ならもっとだろう。物理的に不可能だ。しかし、画面の向こうには、たしかに二人がいる。


『ニィナ砲、発射!』


 きゃらきゃらと楽しそうな声でニィナが叫ぶ。それと同時に、レーヨンは首にぶら下がっていた彼女を、振りかぶってぶん投げた。

 ニィナはその勢いのまま、逃げようとしていた落伍社の人間にドロップキックをかます。蹴りを入れた体を足場に、もう一つ大きく跳躍し、ゴムまりが跳ねるように四方八方に宙を駆けた。

 ニィナの蹴りをもろに食らい、落伍社の人間は気絶していく。こんなにも剽軽ひょうきんで、馬鹿げていて、しかし、圧倒的な暴力を、あたしは見たことがない。

 瓦礫から砂塵が巻きあがり、風に乗って淀んだ空へと上っていく。誰も彼もが地に伏すなか、無垢な子供だけが、ふわふわとした笑顔で立っていた。


『ゴロー、このひとたち、連れて帰る?』


 中継しているドローンのほうを向いて、ニィナが尋ねた。ゴロー補佐は額を押さえながら、「自警団のところまで」と弱々しく答えた。

 無茶苦茶だ——なにもかもが唐突もなくて、驚天動地の為業だった。

 ヴン、とテレビの電源が切れる。

 はっとなって振り返ると、ヨハクがリモコンを握っていた。画面を消したヨハクは、つい数分前まで読んでいた本へと視線を落とす。

 そして、さっきまで目を光らせていたイチルは、今はボードゲームの盤上を見て、「ミクロ、これ、やっぱりだめだ」とぼやいている。


「六手先で詰みだよ。レーヨンの持つ銀の女王クイーンから逃げられない。回避するには三手前で聖杯ハートを取っておくべきだった」


 ミクロが「くそ、これで一〇九敗五十四勝一引き分けかよ」と唸り声を上げる。これまでの戦術を反省しているのか、ぶつぶつと唱えながら、駒を片づけていった。

 それらがあまりに異様だった。

 子供たちは、まるで何事もなかったかのように、なんてこともしていないかのように、平常に戻っている。大人の驚愕や動揺なんて意にも介さず、世界を手玉に取って遊んでいる。

 ついに本当の意味で理解した。

 あたしはこれから、こんなとんでもないクソガキたちの面倒を見なければならないらしい。






「お疲れ、首長会議は無事終わったぞ。ジュリのほうはどう?」

「やばい」


 トカゲの問いかけに、あたしは己の感情を端的に告げた。

 首長会議も無事に終わったということで、あたしは皇居御苑跡から国会議事堂へと移動した。トウキョウに持ってきた際の荷物も置きっぱなしだったため、一度通された部屋に戻っている。

 トカゲの顔色を見るに、会議のほうはうまくいったようだ。それは上々だが、あたしとしてはぶっちゃけ、それどころではない。ソファーにどかりと腰掛け、蟀谷こめかみを押さえる。


「想像の百倍はやばい。手に負えない。よくも出向なんて決めてくれたわね。こんなの、読んで字のごとく、トカゲの尻尾切りじゃない。あんた、あたしに恨みでもあんの?」

「俺の名前でなにうまいこと言ってんだ……え、なになに、チルドレンそんなにやばかったの」


 やばいなんてものじゃない。トカゲたちが会議をしているあいだに暴動を一つ鎮圧してしまったのだから。

 ニィナとレーヨンはというと、あのあと、けろっと帰ってきた。二人して涼しい顔で、汗一つ掻いていなかった。遠くはない距離を爆走して、大の大人をぶちのめしてきたようには、到底見えない。見えなくとも、本当にそんなことをやりとげたあとなのだが。

 神の落とし子チルドレンだなんて言うけれど、神様なんてものがいるとしたら、とんでもないやつらを産み落としたものだ。

 この目で見たことを報告すれば、トカゲも「なるほどねえ」と神妙な顔をした。


「イガラシ首長も手を焼くわけだ。そこまでくると、一種の武力だもんな。そういう意味では、トウキョウがチルドレンを監督するのは大いに納得できる。化け物みたいな武力を分別のないガキが搭載しているとして、それを野放しにするくらいなら、当然、手元で囲っておいたほうがいいわけだ。問題は、手綱を握るブレーキ役」

「まあ……並大抵の人間には無理よね」


 イガラシ首長の要求も納得だ。あたしが同じ立場でも、あの子供たちを躾けられる人間を欲しいと思うだろう。ゴロー補佐も完全にナメられていたし、大人の言うことなんて聞かない。少しでも望みのある人間を見つければ、任せてみたいと思うはずだ。


「チルドレンにしたところで、それだけの力が自分たちにあるなら、なんでもできるって思うわなあ。周りの大人の言うことになんて聞く耳持てないし。道理で、あんな悪ガキになるわけだよ」

「次の世話係シッターが見つかるまでとはいえ、荷が重いわ」

「言っとくけど、空気清浄機は絶対欲しい、前言撤回はしない」

「したらぶん殴ってる。首長が優柔不断でどうすんのよ」あたしはため息をつく。「やるわよ、あの子たちの世話係シッター


 トカゲは「そうこなくっちゃ、」と目を細める。


「なにもかも自分たちの思いどおりになるって勘違いしてる悪ガキどもに、キツいお灸を据えてやれ。自分たちはまだなにもできない子供なんだって教えてやれ」


 トカゲの言うとおり、あの子たちはまだ子供だ。

 たとえどれだけ脅威であっても、驚異的であっても、あの子たちはまだ幼くて、分別もなければなにも知らない。大地も海も空も汚れた、この滅びかけの世界の中で、それよりもさらに小さな世界に、あの子たちは生きている。

——それが、少し心配になった。

 チルドレン。

 神の落とし子。

 先人たちの遺した人類の希望。

 子供たちよ、君たちこそが希望なのだ。いつかこの世界をきらきらと照らす光となりますように——チルドレンの入っていたカプセルには、そのような文言が刻まれていたと聞く。

 未来が絶望に塗り潰されてゆく時代、先人たちの期待を一身に受け、晴れてこの世に生まれたのが、あの五人の子供たちだ。

 それなのに。

 国会議事堂で、あの小さな体を抱きしめたとき。危ないからやめなさいと叱ったとき。呆気に取られた少年の顔は、叱られたことにびっくりしているのではなくて、どうして叱られているのかわからなくてびっくりしているように見えた。

 たとえば、大切な話し合いの邪魔をしてはいけないだとか、机の上に乗るのは行儀が悪いだとか、万が一そこから転んだら怪我をしてしまうだとか、そういうことをなにも知らないように見えた。

 それがなんだか、あたしには、放っておけなかったのだ。

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