老兵達 〜軍靴の足跡を、もう一度〜
原野光源
phase.1
プロローグ
その日は、荒涼としたアフガニスタンにしても熱い日だった。地面も、空も、木々も熱を帯びていた。無論、僕ら兵隊も。
「たの…頼むっ、助けてくれ。早く、早く止めなくちゃっ、ああ…」
屈強な
「手ぇどけろ、傷が見えんっ」
けれど、ここは戦場で、僕は衛生兵だった。戦闘要員だった。
力一杯暴れる同僚を押さえつけるのに僕一人では足りないので、銃が撃てなくて分隊長に怒鳴り付けられていた海兵をやはり怒鳴りつけて呼び寄せる。
「おい、海兵。銃が撃てないならこいつを押さえ付けるのを手伝え。でないと君を壁の外に放り出すぞ」
四方八方から放たれる小銃弾や砲弾の前に身を晒したくはないだろう、と言外に伝える。今が平時であれば、もっと穏やかに伝えてやれただろうが、雀の涙ほどの余裕もない今、新兵に迅速に行動してもらうにはこれしかできない。
「は、はい軍曹」
煤けていてもわかるくらい顔を青くした若者に、殺す気で巨漢を押さえつけさせる。死ぬ気でさせると若者が死んでしまいそうだった。その間に僕は止血帯と包帯で、千切れかけの脚部を処置する。
「モルヒネ、モルヒネをくれ、頼む…」
意識が遠のく巨漢の、弱々しくも悲痛な叫びを聞いた若い海兵は、じっと僕を見つめてくる。いっそ睨んでいるとさえ感じる。僕は努めて無視する。仲間の悲痛な叫びと、部下の懇願を。なぜなら僕は衛生兵で、僕が助けるべき彼らの苦痛と、僕の仕事は関係ない。
今はだめだ。そう無慈悲にも、言い放つ。
他人の痛みが分からない訳じゃない。当然、伝わってくる。出来るだけ楽にしてあげたいとは思う。信じてほしい。
けれど、僕の最大の関心は今苦しむ命を守ることで、心地よい気分にさせたり痛みを取ったりすることじゃない。映画やテレビが面白おかしく、コミック的に盛り上げようとして間違えるのは、ここのところだ。
「もう大丈夫だ、痛みに効く薬だぞ」
痛みに効く薬だなんて、頭痛薬のコマーシャルじゃないんだ。今どきの衛生兵はそんなこと言わない。
何度も言うが現実的に、患者の痛みと僕の仕事は無関係だ。痛みは患者の問題だ。呼気が出入りしなくなったり、血液の循環が止まったりしたら、それこそが僕の問題だ。
「軍曹、お願いします。彼にモルヒネを…」
力なさげな若者の懇願に対し、僕はどこまでも無慈悲だ。
「いいか
だからモルヒネを与えるくらいしてやればいい、なんてよく言われる。直近の戦闘によって生じたばかりのトラウマによる心拍数と呼吸の乱れを低下させたらどうだろうかって言うんだ。
でも、多分それをやると気を失ってしまうので、今度は舌や嘔吐物で気道が詰まり、窒息することを心配なくちゃいけなくなる。余分なリスクと手間が増えるだけだ。分かるな」
なので、
ばちんっ
と意識の遠のく男の頬を殴打する。まるで若者もぶたれたようにびくつく。さながら電気ショックのようだったと、後に言われた。
「寝るな、起きたままで、どれくらい痛いのかを僕に伝えてくれ。そしたら命だけは必ず救ってやる…ただし」
この答えは冷酷に見えるだろうが、患者のために最善を尽くそうとする欲求に動機づけられている。たとえ患者が僕を嫌ったとしてもだ。
だからもし仮に、本当についていない日があって、結局、僕の治療を受けることになったとしたら、どこがどう痛いのか遠慮なく言ってくれ。その情報は治療の役に立つ。
ただし、同情は期待しないでくれ。
僕は兵士だった。18歳で
僕は
僕は医師だった。
僕は教師だった。小さなアジア人の子供から東欧の老人まで、計算の仕方からAKの撃ち方まで教えて回った。
僕は殺し屋だった。たっぷりの銃と弾丸を携えて、合衆国と大統領の名の下に、会ったことも、話したこともない人間のすぐそこまで近づいて生命活動を停止させる。時には鉛玉で中東の民兵を、時にはナイフで麻薬組織の戦闘員を、最後は言葉で妹を殺した。
そのうち、僕は兵隊を辞めた。
今から語るのは僕の物語だ。いや、僕の目からみた、僕の耳が聴いた、僕が肌で感じた世界の物語。
ああ、それとこれだけは忘れないでおいて欲しい。死者は、決して生者を赦すことはできないのだと。
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