第20話


 それは今から18年ほど前。


 ディアン王国の王宮では今まさに王妃の生命の灯火が消えようとしていた。


 国王の腕には産まれたばかりの我が子がいる。


 産まれたのは待望の世継ぎ。


 だが、そのために王妃は生命尽きようとしていた。


「陛下」


 弱々しく名を呼ぶ声に国王はなんとか王妃に我が子を抱かせようとした。


 死ぬ前に命懸けで産んだ我が子を抱かせてやりたくて。


 だが、王妃はかぶりを振る。


 抱かなくていい、と。


「何故だ? 抱いてやってほしい。そなたが命懸けで産んだ王子だぞ?」


「だからこそ、です。死んでいくわたくしが抱いてはいけない。死の影をその子に与えたくない。健やかに育ってほしいのです」


 この当時、死は穢れとされていて生は尊い奇跡と言われていた。


 死んでいく者に触れることを厭う者は多く、王妃はそれを言っているのだ。


 穢れを我が子に与えたくない、と。


 国王はそんなことは信じていない。


 むしろ産まれてきて一度も母親に抱かれたことがない方が、この子にとって悲劇だと思う。


 だが、王妃は頑として譲らなかった。


 死の間際になっても愛した女性の気高さは変わらない。


 そのことを国王は悲しみと共に受け止めた。


「どうか……王子を……護って……」


 王妃の瞳に涙が浮かぶ。


 最期の願いを言えないままに王妃はその瞳を閉じた。


 その眼はもう永久に開かれることがない。


 国王は妃の亡骸にすがって涙を堪える。


 そんな王に背後から声がかかった。


「陛下」


「無様な男と笑うか、クレイ」


「いいえ。陛下はご立派でした」


「不器用な慰めだ。そなたらしいな」


 言って顔を上げると国王は産まれてきたばかりの王子の顔を覗き込む。


 さっきまで泣いていた王子は今は健やかに眠っている。


「クレイ」


「はっ」


「この子を預かってはくれまいか」


「え? しかし」


「わたしの元で育てては危険が付きまとう。せめて成人するまで、自分で自分の身を護れるようになるまで、この子を隔離したい」


「誕生したことを隠されると?」


「時折逢わせてほしい。そうして3歳になったとき、わたしの世継ぎとして、これを譲ろう」


 そうして国王は自らの左腕を上げてみせる。


 そこに隠された腕輪は3年後、幼い世継ぎの王子に譲られることになる。


 王子はアルベルト・オリオン・サークル・ディアンと名付けられた。


 それから先、王子の行方を知る者はだれもいない。






 寝台に腰掛けていたアベルは、手の中のネックレスをじっと見た。


 これは昨夜エル姉から奪ったのだ。


 エル姉がシスターでありながら怪盗をやっていることを知ったのが昨夜。


 そのとき彼女が盗んできた品がこれだった。


 持ち主はリドリス公爵らしい。


 公爵に返すと言って奪ったが実際のところ、アベルが突然城を訪れてこれを返しに行っても問題はややこしくなるだけだろう。


 問題を起こさずにこれを返す方法は二通りある。


 まずひとつは公爵令嬢リアンを通じて城に案内してもらい、公爵と密談してこれを返す方法だ。


 公爵はアベルの身元も知っているし、リアンが案内さえしてくれれば、問題なく城へと入り公爵に逢えるだろう。


 もうひとつは国王ケルトを頼る方法だ。


 これも宮殿に入れてもらう方法は、王女たちを頼る形にはなるが。


 問題はアベルは公式には公爵の城を訊ねる資格も、王宮に立ち入る資格も持っていないことにあるのだ。


 単身で動いたところで吟遊詩人に過ぎないアベルにできることには限界がある。


 本来ならリアンに頼んで公爵とこっそり逢って返すというのが、1番波風の立たない方法ではあるのだろう。


 なのに二つ目の方法を視野に入れているのは、アベルが迷い出しているからだ。


 王子として王宮に戻るべきかどうかを。


 これが切っ掛けになるんじゃないか。


 そんな気がしてすぐには決められない。


「王宮に行ったら……そのまま戻ってこられない、なんてことにはならないよな?」


 ケルトはまだアベルのことを公にする気はなさそうだった。


 でなければとっくにアベルの身辺は慌ただしくなってきているだろう。


 でも。


「貴族は悪どいに決まってる……か」


 エルの言葉が脳裏から消えない。


 大なり小なりそれが民たちの感想でもあるとアベルは知っている。


 さすがに兄王の後を継ぎ善政を行っているケルトのことを悪く言う民はいない。


 だが、彼に逆らうようなことばかりしている貴族のことは民たちはみな嫌っている。


 アベルはそれを知っているのだ。


 だから、本来ならエル姉だってリドリス公爵は、その前例から外れることくらい承知しているはずである。


 なのに許せないという感情に負けて彼から物を盗んでしまった。


 それが世継ぎ不在の宮廷の荒れ方を示しているようで、アベルは昨夜ほど自分の責任について考えた夜はない。


「そもそもこんなネックレスを盗んで、どうやって貧しい人々に分け与えるんだ?」


 お金を盗むならまだわかる。


 だが、こういう物を盗むのは、エル姉のただの私怨にしか思えない。


 貴族が大事にしている高価な物だから盗んだ。


 そうとしか思えないのだ。


 それともアベルは知らないが、こういうブツを売り払う場所でもエル姉は知っているんだろうか。


 でも、日がな一日教会でのお務めに励み、ほとんど外に出ないエル姉に、そういう場所へ行く時間があるとも思えない。


 行っている素振りもなかったし。


 と、いうことはやはり裕福な貴族への嫌がらせなのだろうか。


「決めたっ。やっぱりあの人を頼ろう。まだ公爵とは親しくないし、そもそも1回しか逢ってないから、なんか逢いにくいし。

 それに……俺に対してどんな感情を持っているかわからないから、エル姉を許してほしいと言っても受け入れてくれるかわからないから」


 もしこれがとても大事な物だったりしたら、公爵だってエル姉を許す気にはなれないだろうし。


 そのときできればケルトに庇ってほしい。


 都合が良すぎるだろうか?


 普段邪険にしているくせに、こういうときだけ頼るというのも。


 でも。


「悩んでても仕方ないか」


 ネックレスを丁寧に布でくるむと、それを懐に忍ばせてアベルは部屋を出ていった。





 しばらく3人を捜して歩くと裏庭にその姿があった。


 リアンがレイティアたちから花の世話について教わっていたようだ。


「肥料を与えすぎないようにね?」


「それから雑草は丁寧に刈って。土はなるべくキレイにしてあげて」


「こうですか?」


 ぎこちない手付きでリアンが花の世話をしている。


 3人はホントに仲が良いなと思う。


「精が出るな」


「「アル従兄さまっ」」


「アルベルト様」


 振り向いた3人が驚いた顔になる。


 時刻はまだ昼間だ。


 この時間はアベルは街に出ていることが多いので驚いたらしい。


「街へ出掛けられていたのではなかったのですか?」


 レイティアが驚いた顔で訊ねる。


「悩み事があって部屋で悩んでた」


 公爵と逢ったときのことかと3人が顔を見合わせる。


「レイとレティに頼みがあるんだけど。それからリアンにも」


「「「なんでしょうか?」」」


「レイたちには俺を宮殿に連れていってほしいんだ」


「「アル従兄さま?」」


 ふたりとも驚いた顔をしている。


 アベルがそんなことを言い出すとは思っていない顔だった。


「リアンにはそれに同行してほしい。できれば王様の前で公爵にも逢いたいから」


「アル従兄さま。どうかなさったのですか? そんなことをおっしゃるなんて」


 レティシアの問いかけにアベルは首を傾げる。


「理由は宮殿に行ってから説明するよ。決心が鈍らないあいだに行きたいんだ。ダメかな?」


「ダメだなんてそんなことはありませんっ」


「でも、宮殿に行けばここへ戻ってこられないかもしれませんよ? お父さまだってなんておっしゃるか」


 心配してくれるふたりにアベルは笑った。

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