第14話
アベルの身に大量の湯タンポの悲劇が襲っている頃、宮廷では国王ケルトが宰相リドリス公を前にして謁見していた。
それにより公爵の催す舞踏会は、すこし趣が変わるのだが、それは後の話である。
このときはリドリス公も意外な事態の連続に疲れきった顔をしていた。
「疲れきった顔をしているな、リドリス公」
「いえ。私事です」
「令嬢が家出したからか?」
「なっ」
公爵が言葉を失ったのでケルトはすこしだけ笑う。
「実は令嬢はわたしが預かっている」
「どういうことでしょうか?」
強張った顔の公爵に国王陛下は屈託のない笑顔を見せる。
「令嬢の居場所ならわたしが知っていると言ったのだ」
「陛下。ご存じでしたなら何故連れ戻していただけなかったのですかっ!?」
取り乱す公爵には普段の切れ者の面影はない。
ひとり娘を溺愛していた公爵だ。
特に歳をとってから、なおかつふたりの夫人を迎えた後で得た娘だけに愛しくてならないのである。
今回のことはそれ故の暴挙と受け取っていた。
この国では一夫多妻制をとっているが、ケルトは妃はひとりしか迎えていない。
当然だがその結果、臣下たちも複数の妻を迎えることはできなくなり、公爵も最初はケルトに遠慮してひとりしか妻は迎えなかった。
だが、愛して迎えたその妻には重大な欠点があった。
子供ができないのだ。
公爵夫人とのあいだには子供は望めない。
それは公爵としては致命的なこと。
だから、悩んだ末にケルトに許可を貰い、ふたりめの夫人を得た。
しかし年齢を重ねてからのことでもあり、子供はなかなか得られず、ようやく得られたのがリアンだった。
子供に恵まれなかった公爵である。
その溺愛ぶりは微笑ましいものがあった。
だが、ケルトが得たのも王女ということもあって、彼は常に自分の娘と比較されるのを恐れていた。
年齢が近かったことも災いした。
比較する気がなくても、だれもが3人を比較する。
その結果、公爵はいつしか王女がこなすことは、我が娘もこなすべきという、盲目的な決まりを作ってしまった。
今回のことはそのことが招いた悲劇に近い。
「何故……か。それはわたしが問いたいな」
「陛下っ」
「レイやレティが婚約したと、わたしがいつ言った?」
「え? ですがこのあいだ……」
「あれはな。悪戯心だ」
「悪戯心?」
公爵の眉間にシワが寄った。
ケルトは困ったように笑う。
「いや。周りがあまりに信じているのでな。ついからかってみるのも面白そうだと思って」
「なんて傍迷惑な」
思わず額を押さえて愚痴った公爵にケルトは苦笑する。
「つまり婚約の事実はない、ということだ」
「婚約の事実はない? では何故王女様方はお姿を消されているのですか? 陛下には殿下方のお相手として意中の方はいらっしゃらないのですか?」
この問いにはケルトは目を伏せた。
今アベルの下にリアンがいる。
リアンとアベルがくっつく事態は回避したい。
そもそもアベルは国一番と噂される吟遊詩人だ。
これは後から知ったが、彼自身に付加価値がついている現在、彼を得ようとする者が出現することは、特に不思議はない。
権力には靡かない男と言われているが、それだけになおかつ彼を欲しがっている者がいることをケルトは知っていた。
彼のことを知ってから情報を集めて知ったのだ。
だから、警戒すべき立場にはある。
彼には冗談ぽく言ったが、彼の相手として自分の娘以外を認める気はないというのは本音である。
敬愛する兄の子を、兄を殺したかもしれない臣下の娘などに奪われるのはいやだった。
その本音は彼には言えなかったが。
彼には歪みのないまま王位を譲りたい。
父を殺したかもしれない世界と承知で戻す。
そんな真似はしたくないのだ。
それではケルトが王になった意味がない。
だから、覚悟を決めて目を開けた。
「ひとりだけ……心当たりはある」
「陛下」
「ひとりだけ王位を譲りたい男はいる」
「だれ、ですか?」
「それは言えないのだ、公爵」
「どうしてですか?」
「相手がまだ認めていない」
王の発言には公爵は息を飲んだ。
王位をチラつかせられて靡かないなんて信じられない。
普通の貴族の子弟なら、だれだって飛びつくだろうに。
「王位を譲りたいことも告げた。娘たちのどちらかを娶らせたいことも言った。まあ彼が望むならふたりともでも、わたしは一向に構わないのだが」
純愛を貫いている王の発言とも思えない内容に公爵は目を見開く。
王から聞く話は意外なことばかりだった。
「わたしはな、娘たちの伴侶には彼以外あり得ないとまで思っている。だが、本人から色好い返事が返ってこなくて」
「信じられません。普通なら」
「そう。普通ならだれもが首を縦に振る。わたしが譲りたいのは一国の王の座だ。おまけにわたしが言うのもなんだが、娘たちはどちらもが美少女だ。王女という位がなくても、欲しがる男は大勢いるだろう。それを承知で靡かない男なのだ」
毅然と前を向いてブレない姿勢が感じられた。
ふと公爵の胸を懐かしい面影が過っていく。
(前王陛下……)
前王とは親友とも言える付き合いをしていた公爵だが、その弟君である現王とはそれほど親しくなかった。
だから、王位を継いだ後に彼に仕えることにはためらいがあった。
あの日までは……。
『わたしはな、公爵。負けるわけにはいかないのだ』
ある日夕陽を見ながらケルト王がポツリと言った。
兄王の墓に詣でた帰り道のことだった。
『兄上を死に追い込んだ臣下たちに負けるわけにはいかない。兄上のためにも』
前王は暗殺された。
そんな噂が囁かれている当時のことである。
真偽のほどは公爵にもわからない。
だが、兄を慕っていたケルトが、その噂に神経質になっていたのも事実だった。
気紛れな御しにくい気質も、王として前王とは違いすぎる強硬な態度も、すべて兄を死に追いやった現実に負けないための彼の努力だと知って、公爵は初めてこの人に仕えてもいいと思えた。
権力には靡かない姿勢。
それは懐かしい前王のものだった。
あの人に子供がいれば……そう思ったこともある。
そうすれば素晴らしい王になっただろうに、と。
(こんなときに思い出すとは皮肉だな)
消えていた腕輪の行方は今もわからないままだ。
その消息さえ掴めたら、この孤独な王にこんな顔をさせずに済んだだろうか。
そんな自虐めいた考えが浮かぶ。
海に落ちた一粒の涙を探すようなものだと知りながら。
「わたしはなんとか彼を籠絡したくてな。今はふたりを彼の下に行かせている」
「は? まさか同居させているとか、そんなオチでは……」
「いや。その通りだがなにか変か?」
王にキョトンと首を傾げられ、公爵は宰相として頭を抱えた。
「陛下。申し上げにくきことではございますが、男をそう簡単に信用して娘を預けるべきではございませんよ?」
「そうか?」
王はますますキョトンとしている。
こういうところが抜けているなあと公爵はこの王が可愛くなった。
「妻に娶る気がなくても、その……えっと……肉体関係を持つことは簡単なのですから」
「ああ。そういう心配かっ」
王は何故かポンッと両手を打ち鳴らした。
本当にわかっているのだろうかと宰相は不安になる。
「いっそのことそうなってくれると、こちらとしても強硬な態度に出やすいんだが」
「陛下!!」
とんでもないと諌める宰相に王はのんびり頬杖などついてみる。
「公爵の心配はわかるんだがな。あれはおそらく手は出さない」
「……どうして言い切れるのです?」
「手を出せばわたしに強硬な態度に出られる恐れがあることを、きちんと把握しているからだ」
「そこまでいやがっていると?」
「認めるのは悔しいんだがな。実際のところはそうだ。色々頑張ってはみてるんだがなあ。まるっきり効果がない。どうやれば手を出して籠絡しやすくしてくれるのか、わたしの方が知りたいくらいだ」
「はあ」
「娘たちだって彼をきらってはいないのに、これでは娘たちが可哀想だ」
「それは……お気の毒です」
他に言い様がなかった。
あれだけの美少女を前にして手を出さないなんて、男として大丈夫だろうかと、そんな余計な心配までしてしまうが。
「あ。男性機能の心配はいらないぞ?」
「陛下。このような場で申されることではありませんよ?」
頭を抱える公爵に王は屈託なく笑う。
「いや。そういう心配をしているんじゃないかと思ってな。たしかにまだ経験はなさげだが、男としての機能に問題はない」
「それも調べたのですか?」
「王位を譲りたい相手なら、そのくらい調べないか? 男として不完全、または男の方が好きな男だったりしたら、そもそも成り立たない話だろう」
この王の話はどこまで飛ぶのだろうと、宰相は呆れて言葉を失った。
相手の男性も可哀想に。
この王に経験の有無まで掴まれているとは、きっと思っていまい。
「だから、余計に御しにくいんだ」
「陛下?」
「肉欲も持たない。権力欲も持たない。物欲もない」
「まるで聖人君子のようですね」
「そうだな。ある意味では聖人君子だ。今はただ自分の幸せを後回しにしているだけだとしても」
「?」
「どうすれば彼に自分の幸せだって大事なのだと、わたしはなによりもそれを与えたいのだと彼にわかってもらえるのか、わたしはその方法が1番知りたい」
遠い目をする王にさっきの考えが浮かぶ。
もし前王に子供がいて、その子が男なら自分も同じことを思った。
大事な娘を預けられるのは、この王子しかいない、と。
この謁見でケルトは彼に娘の婚約については撤回させた。
しかし現在、彼の意中の相手であるアベルの下に、公爵の愛娘が同居していることは、チラリとも悟らせなかった。
娘の居場所を教えてほしいと公爵に泣きつかれても。
だから、公爵が独自の情報網から娘の居場所を掴んだ後で、すこしだけ困惑することになる。
「ふむ。ここか」
馬車から降り立った公爵は建物は大きいが貧相なのを見て眉をしかめる。
こんなところに娘がいるのかと思うと腹が立ってきたのだ。
「だが、裏庭の花は見事だな。まるで王宮のようだ」
花の世話が好きで庭師顔負けの腕前を持つふたりの王女。
王女たちによって綺麗に整えられていた王宮の中庭を思い出す。
自らの王女にそんな真似をさせても、娘たちが好きでやっていることなら、と、平然と受け流せてしまう王の器のほどを思い出しながら。
「あれ? お客さん? 懺悔にきたとか?」
懐かしい声を背後からかけられて、ドキッとして振り向いた。
そこに立つ青年の瞳は空色。
懐かしい瞳の色だった。
なによりもその顔立ちに目が奪われる。
言葉も発せずに公爵を青年は怪訝そうに見上げている。
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