54. 束の間の平穏Ⅳ

 三日目である。


 すなわちユリティアからバトンタッチして、アトリが俺をサポートしてくれる日である。俺にとっては、もっとも気を引き締めなければならない日かもしれない。戦闘民族育ちのアトリは一般常識が俺たちとかなりズレており、ときどき変な電波を受信しては変な行動をしでかすからだ。


 たとえば、俺とシャワーを浴びようとするとか……。


 いや、〈ルーテル〉の街で療養していた頃に実際あったのだ。「義足があればシャワーを浴びても……」とアトリの前で何気なくつぶやいたのが運の尽き、「じゃあボクと一緒に浴びよ」と誘拐されそうになった事件が。本人としては、あくまで俺の安全を最優先しての行動だったんだろうけど……アトリ、恐ろしい子……。


 そのときは師匠とユリティアが駆けつけてくれて事なきを得たが、次もまたタイミングよく助けてもらえるとは限らない。アトリが変な電波を受信しても対応できるよう、入念な心構えと立ち回りが求められるだろう。


 そんなこんなで、何事もない平和な一日であってほしかったのだが。


「――ごめんね。本当にごめんね。君の目と足がこんな風になっちゃったのはあたしたちのせい。ぜんぶ、ぜんぶあたしたちが悪いの」


 ああ、俺は心のどこかで予感していたはずだ。一日目はディアによるベッド乗っ取り事件、二日目はユリティア絶不調からのガチ泣き事件――となれば三日目だって、何事もなく終わるのはたぶんありえないんだろうなと。


「謝っても許されないってわかってる。だから、君の正直な言葉を聞かせて。おねえさん、どんなこと言われても平気だから」


 冒険者パーティ〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉の一人、フリクセル。

 男顔負けの性格でパーティを引っ張っていた女戦士が今、メラメラ燃えあがる使命感オーラで俺の手を取って――


「おねえさんのこと、たっくさん罵倒していいからね……!!」


 初対面の挨拶として最悪すぎるだろ!!

 だ、誰か助けてくれー!!



 /


「……うむ。その、たぶん部屋を間違えたのじゃ。さ、さようなら……」

「待って!! 待って違うの!! お願い行かないで!! おねえさん正気だから!!」


 そりゃあ師匠もドン引きである。とりあえず、ここで一度だけ現実逃避することをどうか許してほしい。


 そもそも今がどんな状況かというと、一昨日ディアと約束した〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉に会う件だ。今日がその約束の日ということで、指定された面会場所――大聖堂一角の応接室までみんなとやってきたわけだな。


 高級なソファーとテーブルとカーペット、そして荘厳な宗教画で飾られた上品なひと部屋。アトリに車椅子を押してもらいながらつくりのいいドアをくぐると、中ではすでに〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉の三人が待ってくれていて。


 その中の一人、オレンジ色のサイドテールを揺らす女性フリクセルが、車椅子の俺をひと目見るなり――あれはまさしく、クソデカ感情を爆発させるアンゼのようだったというべきか。互いの挨拶もそこそこにこちらへ詰め寄ってきて、俺を見つめながら言い放ったのが冒頭の問題発言だったというわけだ。


「い、いきなりこんなこと言われてもびっくりするわよね! ごめんねっ! でもちゃんと理由があるの、おねえさんの話を聞いてほしいな!」


 ――〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉の女戦士、フリクセル。

 前述のとおり、色素の強いオレンジ色のサイドテールが人目を引く女性。俺が知る限り性格は開けっぴろげで怖いもの知らず、凛とした正義感にあふれる姉御肌であって、断じて初対面相手にキケンな発言をする不審者ではなかったはずだが……やっぱり部屋を間違えたのかな?


 〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉のもう二人、赤髪イケメンのレックスと金髪偉丈夫のディーノも、仲間ではなく危険人物を見る目つきになっていた。


「フリクセル……今の発言はさすがにない。ないよ」

「常識的に考えてどうかと思うぜ、オレは」

「うっさいわねぶっ飛ばすわよ!?」


 あ、でも今のは俺がイメージしてるとおりのフリクセルっぽい。……さて、じゃあ現実逃避も兼ねた状況整理はこれくらいにして。


「とりあえず、なにも聞かなかったってことでいいか?」

「ううん、おねえさんを罵倒してほしいのは本当。……だからちゃんと理由があるの!! おねえさん、まずはそこから君たちと分かり合いたいなあっ!!」


 じりじり後退していく師匠をフリクセルが必死に引き留める。そういえばごく最近も、「こんな人だったんだ……」とつい思ってしまうドカ食い少女シアリィとの出会いがあったばかりである。やっぱり実際に言葉を交わしてみるまで、その人がどんな人間かなんてわからないもんなんだなぁ……。


「わかった、わかった。……じゃあ、話を聞かせてくれ」

「うん。……君たちは、こっちのパーティになにがあったのかはもう知ってるのよね?」

「大体は」


 たしか……最近仲間に加えた女が実は〈吸血鬼ヴァンパイア〉の血を引いたとんでもない悪女で、レックスとディーノが魅了されてパーティを乗っ取られたって感じだったな。ダンジョン〈ゴウゼル〉の踏破承認調査も、途中で面倒くさくなって放棄していたと。


「……いま思い出しても、自分の情けなさに腹が立つ思いだよ」

「……なんの言葉もねえ」


 レックスとディーノが唇を噛み締める。フリクセルも瞳に深い沈痛をにじませて、


「おねえさんもね、こいつらの様子がおかしいってわかってたのに……なにもしなかった。もう知らないってヘソ曲げて、ずっと別行動してたの。だから、あたしも同罪」


 吐息。


「……審判のときにね。おねえさんたち、〈摘命者グリムリーパー〉と戦ったの」

「……は?」


 思わず声が出た。え、審判で〈摘命者グリムリーパー〉と戦った? それってどういう――。


「それが、聖女様から与えてもらった罰っていうか……あ、もちろん夢の中でね」


 まったく話が見えてこない。


「君たちは知ってるかな。宙に浮いてて髪がすごく長い、〈福禍ふっかの聖女〉様」

「……一応は」

「あの聖女様が、人の意し――」


 そこで、フリクセルの言葉がふと途切れた。めまいを起こしたみたいにこめかみを押さえ、


「――あれ。えっと……」


 目をぱちぱちとしばたたかせて、


「…………うん。ほら、罪人に罪を悔い改めさせるために、そういう教会独自の魔法があるらしくて」


 ……? なんだ今の。言葉を濁したというより、まるでみたいだった。

 少し気にはなったが……つまり〈福禍ふっかの聖女〉がその魔法を使って、フリクセルたちに罰を与えたってことでいいのか?


「おねえさんたちも、君があの魔物とどんな気持ちで戦ったのか……知らなきゃいけないって思ったから」


 そいつはまあ……なんというか、随分と無茶をしたもんだと思う。『罪人に罪を悔い改めさせるため』という目的から考えれば、現実同然に痛みや恐怖を再現できる極めて高度な魔法なのだろう。そんな夢の中で〈摘命者グリムリーパー〉と戦おうもんなら、


「本当に――まったく歯が立たなかった。勝てる未来がぜんぜん見えなかった。……何回殺されたのかも、覚えてないくらい」


 うわあ……。いやそりゃそうなるわ。『原作』でこそ主人公の踏み台として蹴散らされる哀れな扱いだったが、本来ならば命乞いして逃げ惑うか、己の運命を恨みながら殺されるかしかない正真正銘の規格外――なればこそ、やつは魔物でありながら『神』の名を与えられる怪物なのだ。


 フリクセルは、血の気を失ってカタカタと震えていた。


「あたしたちですら、思い出すだけでこんなに震えちゃうのに。じゃあ、あんなのと突然戦わなきゃいけなかった君はどれだけ怖かったの? どれだけ痛くて苦しかったの? どれだけの気持ちがあれば、仲間を守るために立ち上がれたの? いったい、どれだけっ……」

「……」

「あんなに怖い魔物と戦わされて、片目と片足がなくなっちゃって、その原因はぜんぶあたしたちの下らない仲間割れ。そんなのふざけるなって思うでしょ。だから君は怒っていいの。まだ子どもなんだから、大人に向かって吐き出していいのよ」


 涙がにじんだ、切実な言葉だった。


「吐き出さなきゃ、じゃあ君の辛い気持ちはどこに行くの? 吐き出していいんだよっ……せめてそれくらいなら、おねえさんがいくらだって受け止めるから……!」


 ……なるほど、いきなり「罵倒して」と言われたのはそういう理由だったのか。


 憂さ晴らしと言ってしまえば言葉は悪いが、たしかに辛い気持ちを吐き出すべきという考えは大いに理解できるものだった。俺も最初のうちは、足を失うのがどういうことなのか思い知って弱音を吐いたりもしたからな。もしもその頃の俺だったら、今のを聞いてちょっとは感情に流されてしまっていたかもしれない。


「――ひとつ、誤解を訂正させてくれ。俺は、自分の怪我を辛いなんて思ってない」


 しかし、それももはや過去の話である。今の俺は違う。なぜなら師匠、ユリティア、アトリ、アンゼ、ロッシュ、ルエリィ、シアリィ、シャノン、ラムゼイ――いろんな人の考えや気持ちと向き合ってきた中で、何度だって支えられ、助けられ、ときに叱咤されて今の俺があるのだから。


「誰のせいとか誰が悪いとか、そんなのはもういいんだ。俺にとってはどうにもならない過去より、どうとでもできる未来の方が大事なんだから」


 ううむ、どうにもカッコつけた感じの言い方になってしまう……。でも、俺の根底にある感情はつまりそういうことなんだよな。師匠たちが死ぬのは嫌だから。ルエリィが絶望するのは嫌だから。シアリィが救われないのは嫌だから。俺の感情が理性を上回るのは、いつも目の前で誰かが泣いているときばかりで。


「義足を探してもらってるのもそのためだ。……ああ義足ってのは、いま教会に頼んで――」

「――すごいなあ、君は」


 ぽつり、と。

 胸の中に収まりきらずこぼれ落ちたような、そんなフリクセルの言葉だった。


「ほんとに、すごいよ。そんな風に……ほんとに、……ほん、とにっ……!」


 そしてこぼれ落ちてしまったのは、なにも言葉だけではなくて。


「ちょっ、泣くな泣くな」

「ご、ごめんね。でも、おねえさん悔しいや。どうして君みたいな人が、君だけが、そんなになるまでがんばらなきゃいけなかったのかなぁっ……!」


 ……やっぱりこの人、仲間内ではキツい性格でも根はすごく優しいんだろうな。俺とはつい今さっき顔を合わせたばかりなのに、こうして本気で悲しんで、本気で涙を流そうとして。レックスとディーノも、そのまま唇を噛み切ってしまうんじゃないかと心配になってくるくらいだ。


 うん……よかったな。いい人たちみたいで。


 結局、元凶はアルファナという女ただ一人。そいつもこの国を追放されて、今まで転々としたすべての国ですべての罪を清算させられるのだから文句はない。

 ゆえに、


「俺は大丈夫だ。……あんたらが悪人じゃなくて、ほっとしたよ」

「っ……」


 フリクセルは涙をぬぐい、困り果てたように片笑みながら師匠へ尋ねた。


「ねえ……もしかして彼って、いつもこんな感じなの?」

「うむ」


 師匠はなぜかちょっぴり頬を膨らませて、怒っているような、慈しんでいるような眼差しで俺を一瞥した。


「ウォルカはいっつもこんな感じなんじゃ。ほんとにもおっ……」

「そっかぁ……ひどいなあ。そんなこと言われたらおねえさん、おねえさんっ……」


 い、いやいや待ってくれ、なにもひどいこと言ってないだろ!? 俺はただ、自分の気持ちを正直に伝えようとしただけであって……!


「先輩が悪いと思います」

「ん、ウォルカが悪い」


 ユリティアもアトリも! ……おいロッシュ、おまえいつだか「言葉にしないと伝わらない」みたいに言ったよな! これ本当に伝わってる!?


 俺は最後の希望に縋ってレックスとディーノを見遣る。しかし両者、短い吐息で肩を落とすと。


「参ったなあ……かなり効くよ、これは」

「……だな。ったく、敵わねえわこりゃ」


 なんで知り合ったばかりの人からも匙を投げられるんだよ!

 誰か……助けてくれ……。



 /


「――それじゃあ、これからはおねえさんも君たちに協力させてね! おねえさん、なにかあったら星の裏側からでも駆けつけるからっ!」

「わ、わかった。そのときは相談するから……」

「どんなことでもいいからねー!」


 俺がひとしきり胃痛を味わったのち、結局話としてはそんなところに落ち着いた。〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉一同、俺たちの未来のためにいつでも力を貸してくれるそうだ。


 フリクセルの使命感ほとばしる熱量は、アンゼにも負けないくらいクソデカだったけれど――まあ、きっと心配はいらないだろう。だってあの人、見るからに後悔を引きずるタイプじゃなさそうだし。罪悪感をこじらせるどころかあっという間に立ち直って、おねえさんらしく頼り甲斐のある存在になってくれるんじゃなかろうか。


 いずれにせよ――これで〈ゴウゼル〉に端を発する問題がすべて片付いて、やっと後腐れなく未来へ進めるようになったわけだ。


 なにより幸いだったのは、周りの人間関係がちゃんと良好な形に着地したことだな。ルエリィとシアリィは言うまでもなく、シャノンも〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉も、ついでにラムゼイも……あれ以来会ってないけど、たぶん大丈夫だろ。

 険悪な人間関係は、ハッピーエンドの天敵なのだから。


 そんなこんなでフリクセルらと別れ、俺たちは大聖堂の医療エリアまで戻ってきたのだが。


「お? ラムゼイ」

「……げ」


 噂をすればなんとやら、病棟の入口付近でラムゼイとぱったり鉢合わせした。


 俺たちの顔を見るなり、ラムゼイはギクリとしてとてつもなくバツが悪そうに後ずさる。師匠が早速、「おーおーこの間はお世話になったのう」と皮肉たっぷりの笑顔で覗き込んで、


「人の顔見て『げ』とはご挨拶じゃなぁ。んー?」

「くっ……好きにしろ」

「いや別に殴ったりはせんが」


 なんでくっ殺騎士みたいになってんだこいつ。需要ないだろ。


 冒険者を引退したとは聞いていたが、なるほど今のラムゼイはかつての装備をすべて外して、いかにも『日曜日のおっさん』っぽいラフな出で立ちだった。ちょうど病棟から出てきたということは、誰かのお見舞いでもしてきたところなのだろうか。右手に提げたバケツはなんだ? ちょっと海っぽい匂いがするな。


「奇遇だな。誰かの見舞いか?」

「いや、あー……その、だな……」


 かつて威勢よくケンカを吹っかけてきたのはなんだったのか、ラムゼイはなんとも歯切れが悪く俺たちから目を逸らす。……人相が悪いせいで、煮え切らない態度をされると怪しく見えてくるな。これ以上問題起こすのはやめてくれよ?


 そのときラムゼイの背後、病棟から一人の若いシスターが出てきた。彼女はすぐこちらに気づいて足を止め、ラムゼイと俺たちの間で視線を一往復させると、


「あ、ちょうど会えたんですねー。よかったですー」

「ぐ」


 ラムゼイがまたギクリとした。明らかに「こいつ余計なことを……!」と焦った表情をしている。師匠が首を傾げてシスターに尋ねる、


「なんの話じゃ?」

「え? ……あの、ウォルカさんのお見舞いに来たんですよねー?」

「ぐっ……」


 シスターから怪しい目つきで見上げられ、ラムゼイは進退窮まった呻き声をあげた。俺は内心にやりとする。ほう、まさか俺のお見舞いだったとは……それは非常に興味深いことを聞いたな。


 シスター曰く、


「この人、このあたりをウロウロしながらずっとぶつぶつ言ってたんですー。いかにも怪しかったので、一度騎士に捕まえてもらったんですけど……」


 思わず吹き出しそうになった。怪しすぎて一回捕まったのかよこいつ。笑わせんな。


「そしたら、ウォルカさんのお見舞いに来ただけだったらしくて。でも、みなさんはちょうど外出中でしたのでー……」


 なるほど、それでとぼとぼ病棟から出てきたところに鉢合わせしたと。入れ違いにならなくてよかったな。ラムゼイに会えたというより、こんな面白い場面に出くわせたという意味で。


「大丈夫、知り合いだ。怪しいやつじゃない」

「そうですかー」


 俺の答えに一安心したシスターは、ラムゼイに人差し指で『めっ』をした。


「もう怪しいことしちゃダメですからねー? いいですかぁ?」

「お、おう……」


 いったい取り調べ中になにがあったのか、ラムゼイはやたらたじたじになっていた。いやだから、俺にイチャモンつけてきたときのあんたはどこに行ったんだよ。なにちょっと面白いおっさんになってんだ。


「それでは、ごゆっくりー」


 シスターが鼻歌交じりで立ち去り、あとには大変生温かい空気になった俺たちが残される。ラムゼイは恥辱に塗れながら歯軋りして、


「くっ、殺せ……!」


 だから需要ねえよ。

 師匠がふるふると笑いをこらえながら、


「ふ、く、く……なかなか愉快なことがあったようじゃのお」

「うるせえ!」


 一発で騎士を呼ばれるって、相当怪しかったんだろうなあ……。俺が言えた義理でもないけど、本当に無愛想で人相悪いからなこの人。冒険者を引退して無職になったことで、ぱっと見で身分がわからなくなったのも裏目に出たのだろう。


「わざわざ来てくれてありがとう……でいいのか? てっきり、俺のことなんて忘れてるもんだと」

「ハッ、人のことコテンパンにといてよく言うぜ」


 しかし会話の相手が俺に変わった途端、ラムゼイがすっと元の調子に戻った。なんとも意地が悪く挑発的な笑みで、


「ククク……あれだけ強かったやつが、義足がねえとみすぼらしいもんだなぁ」

「リゼル、こいつまだ調子に乗ってる。殴る?」

「よーしやっちゃえアトリ」

「あーもう悪かった! 悪かったっての!」


 あっさり降参した。


「貴様、ほんっとに口が悪いのう……ちゃんと反省しておるのか?」

「これが地なんだよ……! 昔から育ちが悪くて、」

「言い訳するでないわっ」

「ぐぐぐ」


 怒涛の連続ビンタでぶっ飛ばされたのが効いているのか、ラムゼイは師匠たちにすっかり頭が上がらないみたいだ。見た目幼女の師匠に口で負けるおっさんの図は、申し訳ないがだいぶ面白かった。


「それで? 見舞いに来てくれたのはわかったけど、そのバケツはなんだ?」


 俺はさっきからずっと気になっていたことを尋ねる。ラムゼイが右手から提げているバケツ。木製のフタが被せられてはいるが、うっすら海の匂いがするのはもしかして――。


「あー……これだよ」


 ラムゼイが俺の足元でバケツのフタを外すと、中にはおおむね予想したとおりのものが入っていた。俺と一緒に覗き込んだユリティアが目を丸くして、


「わっ、お魚がいっぱい……!」


 まだ釣って間もないと思しき、なかなか立派な四尾の魚だった。そういえばこの人、冒険者を引退してからは北の港で釣りをしてるんだっけ。なんとわざわざ差し入れに持ってきてくれたらしい。


 師匠とアトリもバケツを覗き込みながら、


「おいしそう」

「なんじゃ藪から棒に。まさか差し入れか?」

「まあ……今日は、割と釣果がよかったもんでな……」


 ラムゼイはしきりに口をもごもごさせている。


「埋め合わせってわけじゃねえが……めんどくせえ絡み方したのは、俺も自覚してるっつーかだな……」

「ふーん……殊勝な心掛けじゃな。ま、反省の意ということで受け取ってやるのじゃ」


 師匠は真っ当に感心した様子で溜飲を下げた――と見せかけて、次の瞬間ラムゼイに軽く魔力を飛ばした。

 いつも感情豊かな声音から抑揚が消え、金色の瞳に光が差し込まなくなって、


「わかってると思うけど――次なんてないからね? 次ウォルカに嫌がらせしたら……ふふっ」

「まさかそんなこと……しませんよね? ラムゼイさんは、大人ですもの」

「そのままでいた方がいい。今度は、痛いどころじゃ済まないから」


 ユリティアの微笑みには感情が皆無で、アトリも静かに牙を見せつける捕食者のようだった。ラムゼイはすっかり縮みあがり、


「……お、おぉ。そうだな……」

「返事は『はい』でしょ?」

「は、はい……」


 俺は心の中で苦笑した。どうやらラムゼイは、もう一生師匠たちに頭が上がらない運命らしい。まあこれはこれで、女の子にたじたじなおっさんを面白おかしく観察できると思うことにしよう。


「……ところであんた、冒険者辞めてこれからどうするんだ? そのまま漁師にでもなる気か?」


 俺の問いにラムゼイははっと気を取り直し、


「別に、そんなのどうとでもやってくさ。てめえに心配されるほど落ちぶれちゃいねえよ」

「どうとでもって」

「てめえは自分の体だけ考えてりゃいいんだよ。大人の心配するなんざ十年早えぞ」


 さいですか。あいかわらず取りつく島もない物言いに、しかし彼なりの不器用な気遣いが見え隠れしている気がするのは……いくらなんでも、一回の差し入れで絆されすぎだろうか。


「俺の用は終わりだ。邪魔したな」


 それだけ言って、ラムゼイはさっさと俺たちの横を通り過ぎてしまう。俺はアトリに車椅子の向きを変えてもらって、


「またな」


 ラムゼイは振り返らない。しかし足は止めた。心なしか角が取れた背中で数秒葛藤し、


「……あぁ」


 そう、ぶっきらぼうに右手を振ってくれるのだった。


 ――この日以来ラムゼイとは、〈ル・ブーケ〉に戻ってからも、魚なり果物なりをちょくちょく差し入れされる関係となるのだが。

 やってくるたび眉間に皺寄せた不機嫌な面をしているので、もうそういう形で顔が凝り固まってるんだろうと、俺たちはみんなでひそひそ噂している。





 それから昼下がり。夕食はユリティアが腕によりをかけてくれるそうで、それまで俺はアトリとトレーニングをすることにした。


 といっても義足がないから、病室でもできる動きが少ないストレッチと筋トレだな。前世でやったことがあるものからジジイとの修行時代に教えてもらったもの、そして教会のリハビリで活用されているものまで。アトリにサポートしてもらいつつ片っ端から手をつけていくと、不自由な体が逆にいい負荷となってあっという間に二時間ほどが経過していた。


 していた、のだが。小休憩で汗をぬぐう俺の頬に突き刺さる、じ――――――――っという感情の読めない視線。


「……なあ、アトリ」

「ん?」

「つまらなくないか、見てるだけで……」

「ぜんぜん」


 アトリに、なぜかめっちゃ見られている。

 いや、傍でサポートしてくれているのだから多少見られるのは当たり前なのだが、それにしたってガン見されすぎというか。俺に手を貸すときはもちろん、そうでないときもすぐ隣にぺたんと座ってず――――っと俺を見ている。もはや、俺以外の物体を一切視界に入れてないんじゃないかというくらいに。


 ア、アトリさん? 気心が知れた仲間とはいえ、ひたすらガン見されるとさすがに居心地が……。


「そ、そんなに見てて楽しいか……?」

「うん」


 アトリはこくんと首を動かすと、その表情にうっすらと満ち足りているような色をにじませた。


「ウォルカががんばってるとこ……首筋を汗が伝っていくのとか……」

「そこまで見なくても……」

「それで、いろいろ『将来』のことを考えてたの」


 俺がトレーニングする姿から考える将来ってなんだ……?


「故郷のみんなも、怪我したときはよくウォルカみたいにトレーニングしてたっけ」


 ああなるほど、アトリ特有の戦闘民族的なアレか。アトリの故郷って、たしか生まれた瞬間から優れた戦士になるための訓練が始まるんだっけ……英才教育というか蛮族というか、前世の知識による余計な先入観もあいまって、全身包帯まみれの大怪我人すらまぶしいスマイルで筋トレしている光景が浮かんできた。そんな部族があってたまるか。


 とはいえ、ガン見されるのが悪いことばかりかといえばそうでもない。こうして見られているからこそ気が引き締まり、トレーニングにいつもよりも身が入っているのを感じる。やはり男というのは、女の子から注目されれば見栄を張りたくなってしまう生き物のようだ。


「もうやめる?」

「いや、もう少しだけ」


 せっかくだしあと一息がんばろう。最後は逆立ち腕立て伏せだな。普通の人間には到底真似できないこの筋トレも、〈身体強化ストレングス〉を使えば俺にだって可能なのだ。


 アトリにじ――――――――っと見つめられながら、座禅のときと同じ集中のイメージで体を動かす。そうするとだんだん精神が無心となり、周囲の雑音も聞こえなくなって、いい感じだ、あと十回、あと十回と回数を重ねていくうちに――


「……ハッ、ハッ、……ハアッ……!! けほ」


 結果、がんばりすぎてへばった。


「……だいじょぶ?」

「ハッ、ハァッ、……ちょ、ちょっと、ハッ……やりすぎた、かも」


 俺はふらふらになって床に倒れ込み、天井を仰ぎながら懸命に酸素を取り込もうとする。い、いかん、両腕の感覚がなくなってる。どうやら無心になりすぎたみたいだ。


「ア、アトリっ……み、水を、もらっても、ッ……いいかっ……?」

「……」


 まさかここまで息があがるとは、やっぱり思っている以上に体力が落ちつつあるのかもしれない。これは気合を入れ直さねば……と、とりあえず今は休憩。


 そのまま少しの間、汗まみれでゼエハア喘ぎながら休んでいると。


「……ん」

「ッ……? アトリ……?」


 ふとアトリが俺の上で馬乗りというか、押し倒すような体勢というか。


「………………」

「ア、アトリ? 水は……」


 床でへばっていたら馬乗りされる――どう見ても異様な状況ではあったが、生憎いまの俺は酸素不足でそこまで頭が回らない。


 アトリにされるがまま、両方の手首を押さえつけられる。俺を見下ろすアトリの瞳が、背筋も震えるような妖しい光を宿している。ぼんやりとしているようでもあり、とてつもなく集中しているようでもあり、なにをするつもりなのかがまったくわからない静まり返った表情。心なしか扇情的に息を吸い、吐いて、それからペロリと小さく舌なめずり――舌なめずり?


「ウォルカ――」


 ようやく頭が少し追いついてきた。あれアトリ、水はどうした? み、水を飲まないと干からびてしまう……っていや待て、そもそも状況がおかしい気がする。アトリ、今いったいなにをしようとして――


 ――コンコン、と規則正しいノックの音。


「……」


 アトリが俺を押さえつけたままドアの方を振り向く。あの、とりあえず放して……み、水を。俺に水をぉぉ……!


『ウォルカさま、いらっしゃいますか?』

「……むぅ」


 声の主はアンゼだった。アトリが渋々俺の上から降り、ようやく脇のテーブルに手を伸ばして、


「はい、水」

「あ、ありがとう……」


 やっと渡してもらえた水で俺は一息。その間に、アトリがドアを開けてアンゼを出迎えた。


「あ、アトリさま。ウォルカさまは……」

「トレーニングしてた。今は休憩中」

「まあ」

「アンゼ、なにかあったのか?」


 呼吸を整えつつアンゼを呼ぶと、彼女はすぐに俺のところまで駆け寄ってきた。


「ウォルカさま、トレーニングお疲れさまです!」

「ああ……悪いな、こんな汗だらけで」

「いいえ、アンゼはまったく気にしません! ……あ、汗をお拭きいたしますね」


 うおお待て待て、そんな高級そうな私物のハンカチで男の汗なんか拭こうとするんじゃない! 使い道を考えてくれ!


「アトリ、タオル」

「ん」


 すかさずアトリからタオルをもらって事なきを得た。アンゼはしゅんと肩を落とすも、


「アンゼ、今日はボクの日」

「そ、そうですね……では明日こそ、わたくしが誠心誠意お手伝いいたしますねっ!」

「は、はは……」


 ま、まぶしすぎる……ちょっと前はフリクセルもいい勝負だと思ってたけど、やっぱりアンゼが一番まぶしいわ。明日は何卒お手柔らかにお願いします。いやほんとに。


 それでなにがあったのかといえば、どうやら俺の義足グレードアップ計画についてらしかった。


 俺の抜刀術にも耐えられるような、最高品質の義足を手に入れるための計画。今は教会の助けを借りて、この国きっての職人たちに掛け合ってもらっている最中だったのだが――。


「実は少し前に、とある工房から直訴が届きまして」

「直訴?」

「はい。ウォルカさまと、義足について直接お話しする場を設けてほしいと」


 俺と直接……? それでわざわざ教会に乗り込んできたって、随分と気合が入ってるな。


「いささか急なご要望でしたので、本日のところはお引き取りいただきました。なのでウォルカさまには、後日面会するかどうかご判断をいただきたく」

「なるほど」


 ふーむ……でも、なんで教会に直訴してまで俺と話したがるんだ? こちとら、師匠の魔法の授業すら睡眠導入になるような男だぞ。まさか相手が素人なのにつけこんで、変な義足を売りつけようとする詐欺の類じゃ――と、この時点では不審に思う気持ちもまあまあ強かったのだが。


「ふーん。それってどんなやつら?」

「はい、なんでも――」


 何気ないアトリの疑問。それによって、俺のつまらない先入観はぜんぶまとめて吹き飛ばされてしまうことになる。


「――先代が遺した、。それをもとに、ぜひウォルカさまのお力になりたいそうです」


 ――へえ。なんだか、急に面白そうな話が転がってきたじゃないか。

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