46. 審判Ⅳ

「――とまあ、それでようやくやっこさんらを連れ戻せたってわけだね」


 フュジが語る証言に耳を傾けながら、フリクセルは今日ここに至るまでの記憶を反芻させている。


 かくしてなんとか無事にパーティメンバーを捕らえた――あれを『捕らえた』と表現していいのかはわからないが――のち、フリクセルは〈聖導騎士隊クリスナイツ〉に身柄を引き渡され、その勾留施設で今日まで騎士の監視下に置かれていた。といっても別段厳しい扱いを受けたわけではなく、ある程度の部屋とある程度の食事を与えられて、参考人として少しだけ窮屈な時間を過ごしていただけだ――牢に叩き込まれていたレックスたちがどうだったのかは、知らないけれど。


 大聖堂地下に広がる審廷にて、審判は粛々と進行している。


 フリクセルの予想に反して、アルファナは随分と大人しいものだった。てっきり私は無実だ無関係だと喚き散らすものと思っていたのに、事故の供述をほとんどすべてレックスとディーノに任せ、自分はしおらしい態度で最低限の受け答えをするだけ――〈星眼せいがんの聖女〉の力を恐れて、レックスたちに庇われるまま、あらぬ疑いがかかった哀れな女を演じているつもりなのか。


 こざかしい。もう逃げも隠れもできないというのに、この期に及んでこいつは自分の保身しか考えていないのだ。


「なるほど。各々、今日までの経緯はおよそ理解しました」


 この審廷でもっとも高い場所に位置する法壇から、ユーリリアスの星屑のような言葉が降り注いでくる。


「〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉の捕縛については大儀でした。よくやりましたね、フュジ」

「……滅相もないことで。ぜんぶそっちのお姫さんのお陰で、こっちはただ足を動かしただけさ」


 一礼ののち法壇を見上げたフュジが、四人いる聖女のいったい誰に目を向けたのかはわからない。ただ、三日月のゆりかごに寝そべってふよふよ漂う少女――〈福禍ふっかの聖女〉アルカシエルが、ふあぁと気だるげなあくびを宙に伸ばしていた。


「待ってください!」


 と、ここでついにアルファナが証言台から身を乗り出して叫んだ。非難されるべきは自分のくせしてなにを偉そうにしているのか、フュジを指差してやかましい声で食ってかかる。


「私たちは、そこの男に妙な魔導具を使われたんです! そのせいで、頭が変になって……!」


 ただ一応、もっともな訴えではあった。

 フリクセルも、実のところそこは未だに納得がいっていない。武器を構えてなりふり構わず抵抗しようとするレックスたちに、フュジが〈聖導教会クリスクレス〉のペンダントを見せた。すると三人はまるで人が入れ替わったみたいに大人しくなって、なぜか聖都へ引き返すことに快く同意してしまった。


 フリクセルに推測できる限り、可能性はただひとつ。

 そしてそれは、奇しくもアルファナの主張と一致した――こんな女狐と同じ意見を持つなんて、大いに癪ではあったけれど。


「きっとなにか、精神を操る違法な魔導具を使われたに決まって――」

「――ふあぁ」


 まくしたてようとするアルファナを、あくびとも嘆息ともつかぬアルカシエルの大きな吐息が遮った。

 今まで審判の内容にさして興味も示していなかった彼女が、その蒼白い色の瞳ではじめてアルファナを見下ろした。


「……はぁ。それ、あんたが言うの?」

「は? ……な、なんのことですか?」


 至極気だるげに。至極つまらなさそうに。

 どうしてこんなことになったのか、どうしてレックスとディーノはおかしくなったのか――フリクセルが心の中で何度も繰り返してきた問いの真実を、拍子抜けするほどあっさりと暴いてしまったのだ。



「――あんたこそ、そっちの男二人の精神を操って、都合のいい人形にしてる張本人。そうでしょ」



 審廷が、静まり返った。

 答えに窮したアルファナの奥歯を噛み締める音が、フリクセルの耳まで届いた気がした。十秒近く間があってようやくレックスが反応する、


「……待ってください、なんのことかわかりません。僕たちは決して、アルファナからそのような魔法は」

「自覚があったら意味ないもの。当然だわ」


 アルカシエルはゆりかごの上で頬杖をつき、


「時間をかけてゆっくり、ゆっくりと毒が染み込んでいくみたいに。何度も同じ言葉をかけ続けることで相手の思考を麻痺させて、従順な人形に変えていく……そんな魅了の魔法」

「……、」

「思い返してみなさい。そうすればわかるはずよ」


 ……可能性としては、まったく考えないわけでもなかった。金を貢いで尽くすだけならまだわかる。しかしアルファナの国外逃亡を幇助ほうじょし、さらには彼女のためにすべての罪を被るなどと言ってのける理屈もクソもない言動は、もはやそれくらいでしか説明がつかないのではないか――頭の片隅ではたしかに何度か考えてきた。


 しかし一方で、アルファナが本当にそんな力を持っているとも考えづらかった。


 人の精神に干渉する魔法はその倫理的な問題から、一般に公開された術式は存在せず、限られた資格を持つ者が限られた目的でしか使用できない、秘術中の秘術として厳しく規制されている。当たり前だ、そんな魔法が世に広まってしまったら人間社会の秩序など容易く崩壊するのだから。ダンジョンでそういった効果を持つアイテムが手に入った報告例もなく、ゆえに精神干渉の魔法とは、フリクセルにとってまったく違う世界の話も同然の代物だった。


 けれど、やはり、もうそれしか答えなどありえなかったのだ。


「ま、待って違う!!」


 しおらしく見せかけていたアルファナの化けの皮が剥がれ始める。証言台を手で打ち鳴らし、彼女は狼狽えながら苦し紛れに声をあげる。


「でたらめよ!! なにを根拠にそんなっ……!」

「根拠なら、そこの二人を見ればわかるじゃない」


 アルカシエルが、視線だけでレックスとディーノを指差す。アルファナに一切過失はない、事故の原因はすべて自分たちの落ち度だと、二人そろって毅然と供述していた姿は影も形もなかった。


「そう――だ。どうして僕たちは、今まで、あんな」

「嘘、だろ……? じゃあ、じゃあオレらはずっと……」

「ちょっとレックス!! ディーノ!?」


 レックスもディーノも、突然崖から突き落とされたような表情で愕然と立ち尽くしている。


「この手の魅了は、相手がそれを自覚した時点で効果が消える。……ステキなステキなお姫様ごっこは、もうおしまいってことよ」

「ッ……!!」

「そもそもあんたが、人の心をいいように操ってたんだもの。『変な魔導具』を使われたとして……それのなにが問題なの?」


 アルファナが、証言台の手すりに両手で激しく爪を立てた。今すぐその場から飛び出してアルカシエルの喉笛に噛みついてもおかしくない、まるで狂犬めいた形相をしていた。


 場の発言権をユーリリアスが引き継ぎ、


「言葉による精神干渉の魔法は、なにより相手が自分の言葉に耳を傾けてくれなければ始まりません。その点レックスとディーノは最初から彼女に対して好意的だったようですから、術をかけるのにさほど苦労はなかったでしょう」


 おそらくアルファナは〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉に加入してから、親睦を深める体で二人の部屋へ繰り返し足を運び、会話の中で少しずつをしていったのだろう。フリクセルが見ていない隙に。こいつらがプライベートでどう仲良くしようが自由だと思って、あまり干渉しなかったのが裏目に出たのだ。


 いったい、レックスとディーノはいつからおかしくなっていたのだろう。どこまでが正気でどこからが魅了だったのだろう。聖都から逃亡した時点でアルファナの傀儡になっていたのは間違いないはずで、なら承認調査の報酬で豪遊し、パーティの貯金にまで手を出し始めたとき? それとも、報酬目当てで無責任にも承認調査の依頼を引き受けたとき? いや、もしかすると、アルファナに金を貢ぎ始めたときにはもう――。


「では、供述もそろいましたので審判を進めましょう」


 そう言ってユーリリアスが小さく手を上げると、法壇の陰から音もなく老執事が姿を現した。


「少し待っていてください。何分、足がよくないものですから」


 老執事がユーリリアスを恭しく抱きあげ、コツコツと品のいい靴の音を響かせながら、法壇脇の階段でこちらと同じフロアまで下りてくる。その間に一人の騎士が、フリクセルたちの前に一脚の小さな椅子を設置していく。


 老執事の見惚れるほど流麗な所作によって、ユーリリアスがふわりとその椅子に座らされる。ほんのすぐ目の前、というほどではないけれど。彼女のティアラにつけられた星の紋章が、はっきりと見て取れる程度の距離。


 なんで、突然あたしたちの近くに? ――フリクセルはそう小さく眉をひそめ、


「……!」


 なんの心構えもしていなかったので思わず息を呑んだ。ユーリリアスが己の後頭部へ手を遣り、驚くほどあっさりと眼帯を解いてしまったのだ。


 両のまぶたを優しく下ろし、口元に楚々とした微笑をたたえるユーリリアスの素顔。なんとなく背丈から十歳くらいを想像していたが、その印象通り、とても幼く可憐な目鼻立ちの女の子だった。〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉で一番小さくてかわいらしい、リゼルという魔法使いと比べても大差ないかもしれない。


 しかしユーリリアスが本当に小さな童女だったからといって、審廷の厳粛な空気が和らぐことはない。むしろ、居心地の悪さすら覚え始めるほどに澄み渡っていくのを感じる。指一本でも動かせば、この聖域を穢した罪人として咎めを受けるのではないか――そんなひれ伏すような感情。


「さて――ここから先は、もう喋っていただかなくて結構ですよ」


 そしてユーリリアスが、〈星眼せいがん〉を開いた。


 得体の知れない感覚がフリクセルの全身をぞわりと呑み込んだ。なるほど、『星の眼』とはよくいったものだ――夜の天空に抱かれて燦然と煌めく星々が、少女の小さな瞳の中に無限の世界となって広がっていた。


 フリクセルはその幼少期に、夜の星々を見上げては吸い込まれるような不安を抱いていた頃があった。星空を見上げているとなにかの拍子に足元がひっくり返って、夜の中に落ちていってしまうのではないかと怖かったのだ。


 その頃の感覚を思い出した。幻想的という生易しい表現を飛び越えて、もはや恐怖すら覚えるほどの。ここは大聖堂の地下に広がる空間で、空などこれっぽっちも見えないけれど。それでもフリクセルは、自分が頭上の天空すべてから意思を以て見下ろされ、心の奥底まで見透かされているような息苦しさを抱いた。


 きっとレックスたちも、全員が同じ感覚に襲われているのだろう。指一本動かすことも許されず、呼吸すら忘れてユーリリアスの〈星眼せいがん〉に囚われている。


「この瞳は、あなたたちを肉体ではなく『魂』で以て捉えます。いかに己の罪を覆い隠そうとも、魂の輝きは何人なんぴとにも偽れません」


 肩口まで届くユーリリアスの瑠璃色の髪が、まるで瞳と呼応するように星の煌めきを帯び、風もない中で静かに広がって揺らめいている。

 本当に、見た目だけはこの上なく幻想的で美しいはずなのに。


「アルファナ、レックス、ディーノ。三名に問います」


 ならばフリクセルの心が、こんなにもざわついて落ち着かないのは。

 きっと今まさに、フリクセルの体のどこかに宿っているという『魂』を見透かされているからなのだろう。



「――あなたたちは、本当に承認調査を行ったのですか?」



 その問いの意味を理解するまで、何秒も時間が必要だった。

 そして理解した瞬間、フリクセルの足元から冷たい感覚が一気にせり上がってきた。


「――嘘でしょ。まさか、あんたたち」

「違う、やったわ!! やったに決まってるでしょ!?」


 叫ぶアルファナにユーリリアスは笑みを深め、


「ああ……やはり、のですね。転移トラップを発見できなかったわけです。そもそも、トラップがあるエリアまで立ち入ってすらいなかったのですから」

「だ、だから違」

「調査を断念せざるを得ない、致し方のない理由でもありましたか?」

「そ、そうなんです! 実は、」

「ふむ、違いますか。では、意図的に途中で放棄したということですね」

「ちょ、待っ」

「ふふ、正直でいいですね。あなたの魂はとても醜く黒ずんでいます……さしずめ調査の途中で疲れて、飽きて、嫌になって帰ったというところでしょうか」


 ユーリリアスの言葉を飲み込むのにとんでもない労力が必要だった。――疲れて、飽きて、嫌になって帰った? 重大な責任が伴う承認調査を、途中で放棄して帰った?


 そんな下らない理由で。

 そんな最低最悪にも等しい理由で、なんの関係もない〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉の子たちが、


「レックスとディーノも、魅了されていたが故それに同意してしまった。ダンジョン内は魔物が非常に少なく、〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉も踏破されていることを疑わなかったそうですね。あなたたちもおおよそ同じ思考をしたのでしょう……最後まで真面目に調査するのも馬鹿馬鹿しいと」


 だが、フリクセルが悠長にめまいを覚えるような間は与えられなかった。

 なにもかもが一方的だった。アルファナも、レックスも、ディーノも、誰も否定も肯定もしていないのに、


「当たりですか。それから此度の事故が発生して、最初はしらばっくれるつもりでギルドの聴取に応じたのでしょう。ですが、審判へ出廷するよう教会から通達されて状況は一変した。まさか出廷まで命じられると思っていなかったあなたたちは焦った。審判の場に連れていかれたら、私に嘘を暴かれてしまうから」


 ユーリリアスは言う、


「だからアルファナ、あなたはすべての罪をレックスとディーノに背負ってもらうことにしたのですね。自分だけが国外へ逃げ、二人にはそのあと審判の場で自分の無実を訴えてもらう。そのために聖都から逃亡して、国境へ向かう中で二人に何度も言葉をかけたのです――『アルファナは悪くない、悪いのはすべて自分たちだ』と」


 言う、


「船を使わなかった理由は、いくつか考えられますね。国外に出る目的の場合は事前の申請が必要で、冒険者であれば申請先はギルドになってしまうから。逃亡の意思ありと見なされて確実に捕らえられます。仮に申請ができたとしても、乗船記録を取られてすぐに足がついてしまいますし……なんにせよ、魅了に時間を費やさなければいけない意味でも陸路を選んだのでしょう。……ふふ、これも当たりですか。今日は調子がいいみたいです」


 言う、


「そうやってあなたは、嘘を真実だと思い込ませるまで二人を魅了――いいえ、もはや洗脳というべきなのでしょう。それさえできれば二人があなたを庇ったとしても、なるほど、それが事実だと本気で信じて言っているわけですから、私の目も誤魔化せた可能性はひょっとするとありえます。そうすればあなたは晴れて無実となり、国を越えてまで追手がかかる心配もなくなる」


 言う。どこまでも上品で可憐な微笑を忍ばせながら、最後にフリクセル除く三人をゆっくりと見遣って。


「ふむ。おおむね、こんなところのようですね。まあこのとおり洗脳もあっさりと見破られましたので、最初から成立しない浅知恵だったわけですが」

「……な、なんなのよ。なんなのよ、あんた……」


 アルファナの表情には、得体の知れない存在に対する恐怖がにじんでいた。フリクセルたちの供述や証言を聞いて推理したのか、あるいはこれこそが〈星眼せいがん〉の能力とでもいうのだろうか。――罪と嘘を見抜く? 冗談ではない、これではもはや心を読まれているのと同じじゃないか。


 しかしユーリリアスは、ぽんと両手を合わせて楽しそうに声を弾ませるのだ。


「私、この時間が大好きなんですよ。私の推測が合っているかどうか、あなたたちの魂を見ながら一歩一歩正解に近づいていく……ほら、巷でもそういう謎解きゲームがあるでしょう? はいかいいえで答えられる質問を繰り返して……」


 アルファナが歯を軋らせて激高する、


「あんたは、ゲーム感覚で人を裁いてるっていうの……!?」

「いけませんか?」


 ユーリリアスはきょとんと首を傾げ、


「私がこの力を使うと、誰もが私をまるで人ではないかのように気味悪がります……ですが悪いのは、いけないことをしたあなたたちであって、私ではありませんよ?」


 ……もちろん、フリクセルはこの審判の場に感謝している。取り返しのつかない過ちを犯してしまった自分が、こんな気持ちを抱いていいのかはわからないけれど。もし聖女たちがいなければ誰もアルファナの魅了を見抜けず、レックスとディーノは洗脳されるまますべての罪を背負わされていたかもしれない。アルファナ一人だけが、審判が終わったあとも陰でせせら笑うような結果になってしまっていたかもしれない。


 ユーリリアスの言い分だってもっともだ。悪いのは罪を犯した人間であり、彼女はただ己の使命に従って審判を執行しているだけ。罪には罰を以て取り締まることが、聖都の平穏を守り続けるために必要な礎でもあるのだと思う。


 けれど、そこまで理解してなお。


「私にはよく理解できません。どうして人間は一度限りの人生でわざわざ罪を犯し、自ら魂を穢してしまうのでしょう。罪を暴かれて嫌がるくらいなら、最初から清く正しく生きていればよかっただけの話です」


 〈聖導教会クリスクレス〉の聖女とは、半人半神と呼べる神の代行者。

 すなわち、半分は人間とは呼べない。

 ゲーム感覚で人の罪を裁く聖女――フリクセルは、己の背筋にどうしても薄ら寒い感覚を覚えずにおれなかった。


「あなたはこの国へやってくる前も、国を転々としながら同じように冒険者パーティを食い潰してきた。……ああ、これは私の力とは関係ありません。が調べてくれました」


 ユーリリアスはアルファナを憐れむように見つめ、


「何人もの男を都合よく利用しては、捨ててを繰り返してきたのでしょう。数え切れないほどの嘘で塗り固められた黒い魂……今のあなたに、嘘でないものはもうほとんど残っていない。『アルファナ』というその名前すらも」

「こ、このッ……!!」


 アルファナがその眉間に凄絶なまでの嫌悪をにじませ、吐き捨てた。


「この、バケモノッ……!!」

「……ふふ、ですね」


 ユーリリアスの表情がふっと遠くなる。口元に浮かべた静かな笑みは、あるいは自嘲だったのかもしれない。


「ですが、あなたには負けますよ。――この世のすべてが自分の思い通りでないと気が済まない、強欲で傲慢なあなたにはね」


 それからユーリリアスは、なんの脈絡もなくこう続けた。


「アルファナ。あなた、純粋な人間ではありませんね」

「……は?」


 フリクセルの口から思わず間抜けな声が出た。一瞬は強欲で傲慢なアルファナの性格を指して、バケモノ呼ばわりされた意趣返しをしているのかと思った。しかしユーリリアスは至って真剣に、


「彼女には、吸血鬼ヴァンパイアの血が混じっています」


 吸血鬼ヴァンパイア――この国から遥か西方のダンジョンに勢力圏を置く、ドラゴン精霊スピリアと並んで絶大な力を誇る魔族のひとつ。幸いフリクセルは一度も出会ったことがないけれど、その戦闘能力はどれだけ幼い子どもであってもAランクの上位に相当し、中にはSランクすら寄せつけない規格外の化け物も存在するといわれている。


 ――そんな魔族の血が、アルファナに?


「とはいえ本当にごくわずかで、彼女はほとんど普通の人間です。彼女の先祖に吸血鬼ヴァンパイアの血が混じったのも、きっと遠い遠い昔の話なのでしょうね」


 レックスとディーノが瞠目してアルファナを見つめている。どうやら二人もまったく知らなかったらしい。

 対してアルファナはなにも言わない。ただ、唇を引き結んで沈黙している。


「ですが、ほんのごくわずかであっても魔族の血を引いているのは事実。そして彼女の魅了魔法は、その血に由来しているものです。後天的な技能ではなく、先天的な血筋によってのみ行使できる……王都では、そういった魔法を『血統魔法』とも呼ぶそうですが」


 事故の原因はアルファナが仲間を魅了していたからだと、すべてを魔法のせいにするのは簡単だ。しかし、そう考えるためにはひとつだけ無視できない問題がある。


 そもそもどうして、アルファナに精神干渉の魔法が使えたのか。社会の秩序を保つためどの国も注意深く規制しているはずの術式を、彼女はいったいどうやって知ることができたのか。


 その解答が、どうやって知ったもなにも、魔族の血を引いているがゆえに生まれたときから使えたのだというのは――いかんせん、あまりにも、


吸血鬼ヴァンパイアはそういった能力で気に入った人間を魅了し、傀儡にして自ら望んで血を捧げさせるともいいます。彼女がやっていたこととそっくりですね。……もっともあなたたちが捧げさせられたのは、血ではなくお金でしたが」

「…………」


 ……いったい、どこからどう受け入れていけばいいのだろう。仲間が今までずっと魅了されていたこと。そのせいで、『飽きて嫌になった』という最低最悪の理由で承認調査を放棄したこと。そして、アルファナが魔族の血の混じった人間だったこと。


 すべてを魅了のせいにしていいのかはわからない。現に精神干渉の魔法が厳しく規制されていても、巧みな話術だけで人の思考を操ってしまう詐欺師と呼ばれる連中が世にはいくらでもいる。畢竟ひっきょう、人が人を操るのに魔法など必要ではなく、アルファナという女をパーティに迎え入れてしまった時点で、〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉は魅了関係なく遅かれ早かれ似たような状況に陥っていたのかもしれない。


 けれど、もしも――もしも、魅了さえなかったなら。

 あるいはフリクセルが仲間として、レックスとディーノの目を覚まさせることができていれば。


 この踏破承認事故が起こっていなかった未来も、あったはずではなかったか。

 〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉の子たちが辛い目に遭わない未来も、絶対あったはずだったのに――


「……アルファナっ、」


 レックスが、怒りとも悲しみともつかぬ感情でアルファナを見据えた。言葉のひとつひとつに、こう問わねばならないことへの苦痛をにじませながら、


「どうして、こんなことを……! 僕たちは、君を仲間だと思っていたのにっ……!」

「……」


 レックスを見返すアルファナの瞳は、氷のように冷たかった。それこそ、糸が切れて使い物にならなくなった操り人形へ向ける眼差しだった。やがて彼女は唐突に、左手で自分の頭を激しく掻きむしると、


「ふ――ふふ、ふふふっ……」


 引きつった音程で、痙攣するように笑った。

 答えた。


「どうして? 決まってるじゃない。――冒険者がみんなアホだからよ」


 もう、上品で愛嬌のあるアルファナはどこにもいない。肩で大きく息を吸って、


「ちょっと都合のいい女を演じてやれば、みんなバカみたいにコロッと騙されるんだもの。商人とか貴族とかは日常的に腹の探り合いばっかしてるからなのか、疑り深くてあんまり上手く行かないのよねー」


 仲間を魅了していたことも、魔族の血が混じっていることもすべて暴かれ、もはや助かる道はないと悟ってどうしようもない自暴自棄に陥っていた。一度堰を切ったら感情の歯止めが利かなくなったのか、アルファナが吐き出す言葉はみるみるとその勢いを増していき、


「まあ結構いい思いさせてもらったし、あとはあんたらがぜんぶ罪を被ってくれれば文句なかったんだけどね。まさかここまで使えないとは思わなかった。ほんと、がっかりだわ」


 ユーリリアスを真っ向からめつけ、


「だいたいなによ、承認調査の手抜きなんてどうせどこのパーティもやってることでしょ。今までたまたまバレなかっただけ。そのたまたまで私だけ捕まって罪人扱いされるんだから、随分と『公平』な審判もあったものじゃない?」


 吐き出せば吐き出すだけ、自ら崖に向かって歩いていくようなものなのに。


 それでも我慢ならなかったのだろう。そりゃあ『あらゆる罪と嘘を見抜く』という常識外れの反則技で、なんの抵抗も許されぬまま、なにからなにまで暴かれて一方的に断罪されるのだ。しかも当の聖女様は、「巷でもそういう謎解きゲームがありますよね」などとゲーム感覚で審判を楽しんでいるというオマケつきである。アルファナからすれば、ただただ理不尽で腹立たしい以外の何物でもなかったに違いない。


「片目片足なくしただかなんだか忘れたけど、どっかの誰かが中途半端に死に損なったせいでこっちまでいい迷惑よ」


 だから苛立つ感情のまま、見苦しくも、浅ましくも、せめてなにかやり返さねば気が済まない思いで口走ったのだ。


 己の運命を決定づける、その致命的な言葉を。



「〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉だっけ? ――そいつらが、一人残らず死ねばよかったんだわ!」



 法壇から椅子を薙ぎ倒すけたたましい音が響き、一瞬だけ――ほんの一瞬だけ、殺気と呼ぶには神聖すぎる強大な力の発露を感じた。それがなければフリクセルも怒りのあまり我を忘れ、アルファナへ獣のように飛びかかってしまっていたかもしれない。


 フリクセルが法壇を見上げると、〈白亜の聖女〉と〈天剣の聖女〉の姿が消えていた。ただフリクセルの位置では見えない法壇の奥から、二人の抑えきれない言い争いの声が、


「放してくださいディア様ッ!! あの女、あの女ッ……!!」

「落ち着けっ、出すのはいくらなんでもやりすぎだ!! おまえのそれは人に向けちゃ、……ああもうじいや、ロッシュ、手伝えッ!」


 今にも泣き出しそうに叫ぶ〈天剣の聖女〉と、それをなんとか落ち着かせようとする〈白亜の聖女〉。ほどなく二人の声は収まり、それどころか法壇の奥から人の気配自体が忽然と消えてなくなる。

 どうやら〈天剣の聖女〉を落ち着かせるのが難しいと見て、途中退席してしまったようだった。


「……はぁ」


 法壇にただ一人残されたアルカシエルが、ゆりかごの中で心底苛立たしげなしかめ面を作った。


「いい加減うっさいわね……もう聞いてらんないわ」


 ゆりかごごと宙を漂い、階段を使わずに直接ユーリリアスの隣へ舞い降りる。普通に立つより少し高い位置から、まるで月そのもののような姿で冷たくアルファナを見下ろす。


「ユーリ。こいつ、もう黙らせるわよ」

「……そうですね、これで彼女の本心はすべて知れました。ですが、どうするつもりですか?」

「簡単よ」


 ずっと寝そべっていたゆりかごからはじめて体を起こし、


「あたしが最初の罰を与えてあげる。この世でもっとも原始的な因果応報。――救いようがないクソ女は、いっぺん被害者と同じ目に遭ってみればいい」


 被害者――〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉と、同じ目に遭う。

 それはつまり、


「はあ? ……まさか、グリムなんとかと戦えって?」


 アルファナは精一杯の虚勢を張って鼻で笑う。


「どうやって? ダンジョンでも滅多に出てこない化け物なんでしょ、そんなできもしないこと――」

「夢を見せてあげる。いっそひと思いに死んだ方がマシなくらい、とびきり最悪の夢を」

「な、なに? なに言って、……ちょっと、なに言ってるのよあんた。冗談でしょ!?」


 アルファナが焦り出し、同時にフリクセルもはっと気づく。ゆりかごの端からこぼれて垂れ下がる、同じ女から見てもびっくりするほど長いアルカシエルの髪。淡い水色かと思えば角度によっては真っ白くも見える、そんな人ならざる不思議な艶めきの束たちが、月明かりのごとく美しい燐光を帯びて煌めいている。


 綺麗だと、フリクセルは今の状況も忘れて思わず見入ってしまった。もしも天空の世界から女神様が舞い降りたなら、きっとこんな姿をしているのだろう――そう心奪われるほどに神秘的な光たち。


 もっともその女神は、断じて人を祝福するために舞い降りたのではない。


「心配しなくても、本当に死ぬわけじゃないわ。でも、感じる苦痛はぜんぶ本物と同じ」


 フリクセルはようやく確信した。フュジがあのとき使った魔導具。発動した瞬間アルファナの魅了すら貫通して、レックスたちを一瞬で大人しくさせてしまった


 ――おお……これが、アルカシエル様の御力……。


 そう打ち震えていた騎士の言葉が示すのは、すなわち。

 アルカシエルの『御力』とは、アルファナの魅了が児戯に等しいほど桁外れの――



「あんたのわらった子たちがどれだけ痛くて苦しい思いをしたのか……死ぬほど味わってくるといいわ」



 それこそ、天が〈福禍ふっかの聖女〉に与えた神の権能。


 ――〈神命神異、月下天声セレスキュエラ〉。



 /


「――? な、なに? どこよ、ここ」


 そしてアルファナは、気づけばどこか薄暗い空間に一人だけで立っていた。


 大聖堂の審廷ではない。それにレックスやディーノ、フリクセル、忌まわしい聖女たちの姿もどこにも見えない。闇の向こうへ懸命に目を凝らすと、ここが審廷よりも広大な石造りの空間らしいことだけが辛うじてわかった。

 足元が寒い。まるで氷の中にいるようだ。


「ちょっと、どこなのよここは! あのクソ聖女、私になにをっ――」


 アルファナの苛立った叫びが空間に反響すると同時に、変化が起こった。


 光。アルファナの頭上から空間の奥へ向けて、左右で列を成す柱に次々と炎が灯っていく。

 それは、青い炎を噴き上げる髑髏の葬列だった。柱に括りつけられた巨大な頭蓋骨が、次から次へと人を容易く呑み込めるほどの不気味な炎を灯し、周囲の闇を次第に奥へと押しやっていく。


 空間の輪郭が浮かび上がってようやく、肌を刺す冷気の正体が薄気味悪い瘴気だとわかった。


「うっ……!」


 転げそうになりながら瘴気のない場所まで飛び退く。わけもわからず視線が空間のあちこちを逃げ惑う。

 なんだ、この禍々しい空間は。これではまるで、のような――


 ――夢を見せてあげる。いっそひと思いに死んだ方がマシなくらい、とびきり最悪の夢を。


 アルカシエルの言葉が、ぞっとする悪寒とともに脳裏で再生された。


「冗談でしょ、まさかほんとにっ……!? ちょっと、ここから出しなさい!! どこかで見てるんでしょ!? 出せッ!!」


 アルファナの額に、冷気によるものではない粘ついた汗がにじんだ。この禍々しい空間で自分を待ち受けているモノがなんなのか、完全に理解できてしまったからだ。


 この世でもっとも原始的な因果応報。〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉と同じ目に、遭うということ。


 つまりこの空間に、いるのだ。絶対に遭遇してはいけない死神として、すべての冒険者から等しく恐れられているが――


「――――――――ぁ、」


 そのとき、アルファナが背後から感じたのは『死』だった。


 命の実感が次々と消失した。呼吸が止まり、体温が感じられなくなり、全身の血という血が凍りついて、体が微塵も動かせず、心臓の鼓動すらどうなったのかがまったくわからなくなる。最後に目の前で残された視界が失われたら最後、すべてが真っ黒に塗り潰されて二度と帰ってこられなくなる――そんな堪えがたいほどの静寂に満ちた死の恐怖。


 自分の意思ではもう指一本動かせないはずなのに、なぜか勝手に首が回って背後を振り向いた。


「――ひ、」


 〈摘命者グリムリーパー〉。

 傷だらけのローブと霊魂が混じり合った影のごとき姿。人間を頭から呑み込む闇そのもののような巨体と、絶望の具現にも等しい凶悪極まる長鎌。


 冒険者の命を摘み取る、死神。


 アルファナを見下ろすフードの奥は、すべてが真っ黒だった。

 影で隠れて見えないのではない。アルファナは頭のどこか片隅で思った――ああ、この死神には、最初から『顔』など存在していないのだと。


「あがッ――」


 


「あ゛ッ……あ゛ああああああああぁぁぁッ!?」


 噴き出す鮮血を押さえてアルファナは後ろに転がった。停止していた感覚が一斉に押し寄せてきた。。片側だけの視界で己の右手を見ると、なにかの冗談みたいに赤い血がべっとりと付着していた。


「が、あ゛ッ……ひあ、」


 今すぐ逃げろとすべての意識が大音量で訴えるのに、肝心の体が悶え苦しむ以外になにもできない。逃げようと思考する端から、文字通り頭の裂ける痛みで真っ赤に塗り潰されてしまう。


「ち、違っ……これは、夢、夢で、」


 アルファナは必死に自分へ言い聞かせる。これが現実であるはずがない。審廷からまったく異なる別空間に転移させ、挙句〈摘命者グリムリーパー〉に襲わせるなど聖女であってもできるわけがない。聖女自身だって夢だと言っていたじゃないか、だからこんなのは絶対嘘に決まって――


 ――本当に?


 右目を斬られた激痛は本物だ。手にべっとりとついた血の生温かさは本物だ。肌を刺す極寒のごとき冷気は本物だ。〈摘命者グリムリーパー〉のおぞましい存在感は本物だ。アルファナの脳髄を震え上がらせる錯乱寸前の怖気は本物だ。


 痛みも恐怖も、感じるすべてが紛れもない本物。

 だったら、だったらもしこのまま、死神に殺されてしまったら――。


「あはっ……は、ハハハハハっ……!!」


 結局アルファナが地べたに這いつくばりながらできたのは、ただ笑うことだけ。

 戦おうなど、抗おうなど考えられるはずもない。精神が一発で限界を振り切って、壊れたように笑う以外の選択肢が存在しなかった。


「――嘘、嘘に決まってるじゃない、こんなの、人間が、どうにかできるわけ――」


 ――〈摘命者グリムリーパー〉は、冒険者に絶望の死を与える存在。ゆえに、相手が絶望を抱く前にすんなりと殺すような真似はしない。


 強大な即死スキルを存分に出し惜しみし、不死の肉体をこれでもかと見せつけながら、理不尽なまでの実力差で。


 弄ぶように、命を摘み取るのだ。

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