45. 審判Ⅲ

 ぶん殴った。


 腐ったって子どもの頃からの仲間だとか、周りに他の冒険者もいるならいきなり乱闘騒ぎはマズいとか、そんな理屈はやつらの姿を認知した瞬間跡形もなく蒸発した。フリクセルは一歩で地を蹴って前へ飛び出し、青空の下で堂々と地図を広げて突っ立っている赤髪の男めがけて、


「――やっと見つけたわよ、このバカどもォッッ!!」

「……!?」


 手加減なしで振り抜かれたフリクセルの拳を、男――レックスが辛うじて反応した左腕で受け流す。弾いた衝撃で数歩たたらを踏んだその男は、驚いているというより苦虫を噛み潰すかのようだった。こんなところで見つかるはずではなかったと不都合に思う、そんな表情。


「ッ、フリクセル……!」

「てめ、なんでここに……!」


 ディーノも忌々しげに舌打ちし、アルファナを庇いながら素早く後退していく。ああ、やっぱりあんたらはそういう表情をするのか――もはや何度目になるのか思い返すのも馬鹿馬鹿しい、深い失望の冷たさがフリクセルの思考を苛立たせる。


「フリクセル先輩っ……! こんなときに限って……!」

「……」


 そして、アルファナ。レックスとディーノに取り入って金を貢がせ、逆にフリクセルを冷遇し排斥することで、〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉を乗っ取ろうとしている女狐。


 そこは聖都から馬で何日も離れ、ともすれば国境も近づいてこようかという辺境の旅泊地だった。冒険者が人里離れた僻地のダンジョンに挑むため、あるいは騎士が巡邏じゅんらの任務で羽休めをするために、簡易的な宿泊施設が置かれた中継地点を『旅泊地』と呼ぶ。


 街と名乗れるだけの規模にも活気にも満たないが、このあたりはダンジョンの密集地帯だからか冒険者の姿がちらほらとあり、彼らをターゲットに食料やアイテムを売り捌く商人の声も響いていた。そんな中で突然女が裂帛しながら男をぶん殴ったのだ、周囲はいったい何事かと水を打ったような沈黙で静まり返った。


 レックス、ディーノ、アルファナ。踏破承認事故を起こした張本人であるにもかかわらず、聖都から脱走し、こんな場所まで行方をくらませ続けた逃亡犯。

 レックスは浅く腰を落として身構えながら、注意深く言葉を選ぶように、


「……フリクセル、違うんだ。これは」

「一ヶ月以上会ってなかった仲間に言うことがいきなり言い訳? さぞかしやましいことがあるみたいじゃないの」


 フリクセルの後方から銀の鎧を鳴らして幾人かの騎士が駆けつけ、統率された動きでレックスたちを取り囲んでいく。アルファナの表情に明確な焦りが浮かんだ。


「ちょっと、なんで騎士まで動いてるのよ……!?」

「動くに決まってるでしょうが。あんたら、自分がやったことわかってんの?」


 いや、わかっていないはずがない。わかっているからこそ逃げてきたのだ、ただ我が身を可愛く思う一心で、どっちを向いてもダンジョンしかないようなこの僻地まで。


 あんなことが起こったのに。

 自分たちの下らないいさかいが、なんの関係もない子どもから未来を奪ってしまったのに。


 堪えがたい激情で思わず体が動きそうになり――そのときちょうどフリクセルの背後から、のんべんだらりとした締まりのない男の声が飛んできた。


「はあ、やっと追いついたよ……なんともまあ、随分な場所まで逃げてきたもんだ」


 聖都の冒険者ギルド一の怠け者として有名な、なんとも覇気に欠けた無精ひげの男――フュジ。


 レックスたちの尻尾をものの数日で掴み、冒険者ではなく騎士を動かして捜索隊を編成してみせた男。どんな情報網を使ったのかは皆目見当もつかないし、どうして彼に騎士隊を指揮する権限が与えられているのかもわからない。騎士の中には冒険者に対して対抗意識を持っている者も少なくないが、どういうわけかそんな生え抜きのエリートたちが、フュジの指揮に嫌な顔ひとつせず従っているのも謎めいている――このおっさん、いったい何者なのだろうか。


 しかし、今はそんなのはどうだってよいことだった。フリクセルの隣に並んだフュジがうなじを掻きながら、


「さて……どうしておたくらがこうなってるのかは、いちいち説明しなくたっていいさな?」

「っ……!」


 アルファナは、最初出会った頃からは想像もできない攻撃的な形相で、


「私たちはちゃんと調査したって言ってるでしょ! 踏破承認事故だとかなんとか、なんのことだかさっぱりだわ!」

「ああ、それはもう何回も聞いたよ。……でもだったら、どうしていきなり逃亡なんて真似に切り替えたのかね」


 決まっている。最初殊勝な態度で聴取に応じていたのは、シラを切れると目論んでいたから。そして突然逃げ出したのは、シラを切れないとわかってしまったから。


「そういえば……おたくらの行方がわからなくなったのは、教会から『然るべきときに審判へ出廷するよう』通達が出てからだったかな」

「困るんでしょ? 審判なんてやられたら。……困るんでしょ? 〈星眼せいがんの聖女〉様のところに連れていかれたら。嘘をついてるってバレちゃうものね」


 そう。つまり今回の事故は、こいつらが必死に隠さなければいけない『なにか』をやらかし、そのせいで起こるべくして起こってしまった――


「――どこまで腐れば気が済むのよ、あんたらはッ!!」

「っ……!」


 本当に、信じられなかった。アルファナはさておくとしてもレックスとディーノは、その腕っぷしで十年以上飯を食ってきた立派な冒険者なのだ。ダンジョンの危険性は当然身を以て知っているし、そんなダンジョンの承認調査で手を抜くことが、いかに無責任極まる愚行なのかだって理解しているはずなのに。


 そしてフリクセルがなにより許せないのは、当時のレックスたちが承認調査の役目にふさわしくないとわかった上で、放置して、あろうことか「こっ酷く失敗すればいいんだ」とまで願ってしまった自分自身。


 結局、自分のことしか頭になかったのはフリクセルも同じなのだ。関係のない誰かが巻き込まれてしまう可能性を、二度と取り返しのつかないことが起こってしまう未来を、落ちぶれていく仲間の姿に腹を立てるばかりでこれっぽっちも考えられなかった。


 そのせいで〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉が、〈摘命者グリムリーパー〉という規格外の怪物に襲われる恐怖を味わった。

 ウォルカに至ってはあと一歩で死んでしまうほどの大怪我を負い、片目と片足まで失ってしまったという。


 辛すぎるじゃないか、そんなの。

 あの子たちは完全な無関係だったのに。新進気鋭の若き冒険者パーティとして、これからもっともっと輝かしい未来が待っているはずだったのに。


 フリクセルたちが、その未来を奪ってしまった。本当に、のたうつような後悔で心がおかしくなってしまいそうだった。

 呼吸が乱れるフリクセルの肩にそっと手を置き、フュジが静かに一歩前へ出て言う。


「ともかく、大人しくしてもらえると助かるんだわ。これ以上自分の首を絞めるのはおすすめしないよ」


 ……正直フリクセルは、ここまで来ればさすがのこいつらでも観念してくれるだろうと高を括っていた。フュジの言うとおり、騎士隊に包囲されてなお抵抗などしようものならいよいよ罪人の仲間入りだ。逃亡という愚かな選択をした理由がなんであれ、大人しく投降して連れ戻されるのと、見苦しく足掻いて捕縛されるのとではまるで意味が違うのだから。


 甘かった。


「レ、レックス、ディーノ、私を守ってくれるわよねっ……!?」


 耳に入れるのも不愉快な、アルファナの媚びにまみれた猫撫で声。


「……ねえ、レックス。ディーノ」


 めまいがした。一周回って変な笑いが口の端からこぼれた。フリクセルは赤熱していた思考が急激に凍てついていくのを感じながら、


「――つまんないわよ、それ」


 レックスは赤い直剣を、ディーノは黒い両手剣を。

 ……二人が、それぞれ武器の〈装具化アクセサライズ〉を解いたのだ。それはすなわち目の前のバカどもが、この期に及んで愚かな恥の上塗りを選んだことを意味していた。


 レックスは、笑わなかった。


「本気だよ。アルファナはこの件に無関係だ、すべての責任は僕たちにある」

「だったら、なんで逃げようとしてんのよ!!」

「アルファナを逃がすためなんだ。ギルドの聴取を受ける中でわかったんだよ……このままじゃアルファナを守れないって。無関係であっても連帯責任は免れないし、アルファナに心ない言葉を浴びせようとするやつもきっと出てくる。僕たちは、彼女をこれ以上巻き込みたくないんだ」

「……、」


 フリクセルがレックスの言う意味を理解できたのは、このあとのフュジの問いを聞いてからだった。


「……つまり、その女だけ国外に逃がそうってかい」

「ああ」


 ディーノが両手剣を持ち上げて頷き、


「それさえできりゃあオレたちは大人しく聖都に戻るし、審判にだって出廷するし、罰があるってんならいくらでも受けるさ。……だから、アルファナだけは見逃してもらうぜ」


 アルファナを庇って、アルファナのためにすべての罪を被る――そう言っているのだ、こいつらは。


 理解できなかった。仮に二人の言うとおり、アルファナがまったくの無実だったとしてもだ。国外逃亡を企ててまで必死に守ろうとするほどの価値が、その女のいったいどこにあるのかフリクセルにはこれっぽっちも理解できない。


 百歩譲って、アルファナに金を貢いでいたのはまだいい。それだけ彼女に魅力を感じていたとか、……あるいは、恋愛感情があったとか。なんにせよ、まだ理屈で説明可能な範囲内ではあったと思う。


 だがは、いくらなんでもおかしいだろう。レックスとディーノは正気なのか? 二人はいったいなにをされた? アルファナは、二人にいったいなにをした?

 これではまるで、ではないか――。


「……ごめんフュジさん。こいつら、やっぱいっぺんブチのめさないとわかんないみたい」

「おいおい……」


 いずれにせよ明確なのは、もう力ずくで黙らせるしか方法がないということ。


 フリクセルは前に出て、装具状態から戻した己の槍を右手に握った。騎士たちも全身を緊張させながら次々と剣に手をかけ、一触即発の空気が瞬く間に膨れあがっていく。傍観していた冒険者と商人がいよいよ顔色を変え、巻き込まれるのは御免だとばかりにそそくさと退散していく。


 フリクセルは笑った。自嘲だった。


(……まさか、仲間とやり合わなきゃいけない日が来るなんてなぁ)


 ほんの少し前までは、というにはもう遅すぎるけれど。自分たちだってそこそこ順風満帆な道を歩んできた普通のパーティだったのに、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。


 だが、余計な感傷はすぐに切って捨てる。卑怯な手で見苦しく逃げ回られるよりずっとマシだ、このまま徹底的に叩きのめしてやる。そうして襟首掴んででも聖都に連れ帰って、審判の場に引きずり出して、フリクセルともども裁いてもらわなければ――あの子たちに顔向けすらできやしない。


(謝らなきゃだもんね。ちゃんと、会って、謝らなきゃ――)


 そのためにも、こいつらを仲間と思うのはもう終わりだ。フリクセルは腰を低く落として構え、静かな呼気とともに〈身体強化ストレングス〉を――



「――はあ。結局、姫さんが予想したとおりってことかね」



 そうやって、誰もが臨戦態勢に入っていたからだろうか。フュジの気怠げなため息は、全員の研ぎ澄まされた思考を一瞬止めるのに充分すぎるほどよく通った。


「下がってな。おっさんに秘策アリ、ってね」

「え――」


 フリクセルの肩を掴み、下がらせると同時に自身が前へ出ていく。

 フリクセルは困惑した。聖都の冒険者ギルドきっての怠け者と有名な彼とて、仕事をするときは各種試験の監督や、新米冒険者の指導などそれなりの役目を任されている。だからなんだかんだ、結構戦える人なのだろうとフリクセルも前々から予想はしていた。


 しかしそれを言ったら、レックスとディーノだって腐ってもAランクである。レックスは剣にも魔法にも長けた遠近隙のないオールラウンダーだし、ディーノは近接一辺倒の脳筋バカで、その両手剣から繰り出される斬撃の前では魔物など紙切れのように吹き飛ぶのだ。生意気なゴロツキをカッコつけて一人で制圧するのとはワケが違う。


 なのに、


「おまえらも下がってろ」

「ハッ」


 そう騎士に命じるフュジは、普段の覇気のない姿からは想像もできない精悍な声音をしていて。


 たった三人の逃亡犯を捕まえるのに、ギルドの力を借りるなど騎士の名折れ――もしフュジがただの職員に過ぎないのであれば、間違いなく騎士の誰かがそう勇ましく反論していたはずだ。


 だから騎士が全員、迷わず頷いて引いたということは。


「フュジさん、あんたいったい――」

「まあまあ、そんなのはどうだっていいじゃない」


 しかしそのときにはもう、フュジはいつもの気が抜けた彼に戻っていた。ディーノが両手剣の先を向けながら、


「へえ、おっさんが一人でやろうってのかよ」

「いいや、そんな重労働は御免よ。おっさん、もう若くないからねえ」


 そう大仰に首を振ってからフュジが取り出したのは、武器でもなんでもない――〈聖導教会クリスクレス〉の十字架を象った、なんの変哲もない銀のペンダントだった。それをレックスたちへ見せつけるように突き出す。二人の後ろからアルファナが鼻で笑う、


「なに? まさか、神様が見てるから神妙にしろとでも言うつもり?」

「はは。まあこれは、そうだね――」


 フュジから小さな魔力の波が漂う。だからフリクセルはようやく気づいた。


 違う――あれは、ただのペンダントじゃない。

 魔導具。



「――ほんのちょっとした、神様のお告げさ」



 その瞬間なにが起こったのか、フリクセルには最後までよくわからなかった。なんとなくペンダントが青白く光った気もしたけれど、天気のいい青空の下ではそれもいまいち確信がない。ただ間違いないのは、フュジの魔導具がなんらかの形で作動したということだけ――


 信じられないことが起こった。


「――わかっ、た。聖都に、戻るよ……」

「おう、そうだな……早いとこ戻ろうぜ……」

「……!?」


 レックスとディーノが、自分からあっさりと武器を下げてしまったのだ。構えを解いた二人はどこかぼんやりとアルファナを振り返って、


「アルファナも、それでいいだろ?」

「しょうがねえさ。


 アルファナは片手で額を押さえ、思考がもやで包まれているように一度だけふらついた。緩慢な仕草で頭を振ってから、


「ええ……そう、よね。私たち、聖都に戻らなきゃいけないのに。……」


 ――ちょっと待って、なにがどうなってんの?


 意味がわからなかった。ほんの今さっきまでなりふり構わず抵抗しようとしていたのに、こいつらは突然なにを言っているのか。まさか、諦めたふりで油断を誘おうとしているわけでもあるまい。いきなりすぎて、フリクセルは右手の槍をどうするべきなのかも咄嗟に判断できず立ち尽くしてしまう。


 そうこうしているうちにアルファナがこちらを向いた。三人とも目の焦点が次第に定まって、表情もすっとクリアになっていく。頭の中のもやが晴れていくように――あるいは、


「ええ、もう大丈夫。ごめんなさいフリクセル先輩、面倒をかけてしまって」

「へ? あ、うん、わかればいいのよ……?」


 いや、よくない。結果自体は歓迎すべきものだが納得はできない。フリクセルの知らない未知の現象が起こっている。一体全体なにがどうなれば、なんのきっかけもなく突然、一切の抵抗をやめて潔く投降するという心変わりにつながるのか――。


 ……いや、きっかけならあったのではなかったか。

 フュジが使った、あのペンダント。

 騎士の一人が、感動で打ち震えるようにつぶやいた。


「おお……これが、アルカシエル様の御力……」


 ――アルカシエル?

 アルカシエルといえば人生のほとんどを聖処の奥深くで過ごしており、地上に下りてくることすら滅多にないという〈福禍ふっかの聖女〉――


「……いやあ、あいかわらずおっかない御力だねえ」


 フュジはペンダントを跳ね上げて手の中に収め、


「よし。そいじゃあ、あとは任せるわ」

「ハッ」


 フュジの言葉に従い、騎士たちが三人を囲んで連行していく。しかしそれは、逃亡犯を捕らえた光景としてはあまりに異質なものだった。騎士は三人に縄をかけることすらしないし、三人も極めて協力的な態度でなんの口答えもしない。遠巻きで眺めていた野次馬はしきりに首を傾げているだろう――今までの人騒がせはいったいなんだったんだと。


 フリクセルも、呆然とフュジに問うことしかできなかった。


「フュジさん……ほんとにあんた、いったい――」

「おっさんはなにもしてないさ。言ったろ? ほんのちょっとした、神様のお告げだって」


 フュジはにたりとどこか得体の知れぬ笑みを浮かべ、手の中のペンダントを見つめて呟くのだった。


「――神様が言うことは、しっかり守らないといけないからね」


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