第38話 「付き合うことになったんだ」

8月9日



 目を覚ますと、そこは自室の見慣れた天井だった。

 隣にはいつもいた陽葵ひまりがいない。


 今日も、朝早く目が覚めてしまった。


 ペラっと机の上でシェアハウスから持ってきたテキストを広げる。


 昨日は、お説教が終わったら、そのまま夕食を陽葵の家で食べてそのまま解散。陽葵はどこか不満気だったが、こうなることは家に着く前のクルマでの陽葵の様子から、陽葵なんとなく分かっていたのだろう。


 ふと、机の上に置きっぱなしになっていたスマホに目をやる。

 ……充電は切れていたが、俺がシェアハウスに行くにあたって置き去りにしたスマホだった。



 全部がイヤになって。


 誰にも会いたくなくなって。


 俺には不要のものだと置き去りにしたものだった。



 電源コードにスマホの線ををつなぎ、久しぶりにそのスマホに電力を注入する。

 少しの間、充電しているとスマホの画面が白い光で明るくなった。ロックを解除し、通知や電話のところに目をやる。


 何人かの旧友から、心配のメッセージがいくつか来ていた。

 陽葵からは鬼のようなメッセージの数と、電話の数。


 そして意外だったのは、うちのオカンからはひとつも着信もメッセージも入っていなかった。

 

 ……あとであいつらには返信しとかないと。


 そう思い、スマホのコードは電源に入れっぱなしにしておき、しばらくの間勉強をしていた。

 




※※※




「おはよー」


 一階に下り、リビングのテーブルに着く。


「あら、早いじゃない」


 オカンがキッチンで朝食の準備をしていた。


「そういえば親父は元気なの?」

「そうでもないみたい、中々忙しいみたいでね。今年のお盆は戻れないって」


 うちの親父は、俗にいう転勤族だった。

 俺が生まれる前にこの家を新築したらしいが、転勤が多く中々この家にいることができない人だった。

 ……普通、家を新築したらそういうのは考慮してくれる会社が多いらしい。


 今、考えると親父もブラック気味の会社に勤めてるのだろうか。

 今度会ったら聞いてみることにしよう。


「あっ……」

「どうしたの急に?」

「いや、大切なこと忘れてて」


 ——本当に、本当に大切なことを忘れていた。

 陽葵があそこまで墓参りに一生懸命だった理由を完全に失念していた。


「あんたは本当に忘れっぽいわね」


 オカンが呆れて、俺に声をかける。


「本当だわ、ちゃんと謝らないと」

「……」


 俺がそう言うと、オカンが驚いた顔でこちらを見ていた。


「あんた、ちょっと変わった?」

「は? どこも変わってねーよ」

「へぇ」


 満足そうにオカンが笑っていた。

 自分だけ分かったかのような声をだされて、何だか少しムカッ腹が立ってしまう。


「はい、ご飯食べちゃいましょ」


 オカンがキッチンから、朝食を持ってくる。

 昨日、陽葵のうちからいただいたカレーだった!


「朝からカレー……」

「なによ、今朝カレーって流行ってるのよ!!」

「オカン……多分それちょっと前の話なんだわ」


 流行は遅れてやってくるのがうちのオカンなのだ。


「ほら! 味噌汁もちゃんと飲みなさい!」


 オカンが俺の前に味噌汁を出す。


「あんた、なめこの味噌汁好きだったでしょ」


 俺の目の前には見慣れた“ヤツ”がやってきた。


 な め こ 再 び 登 板。


 なんなの?

 俺この半月、ほとんどなめこの味噌汁しか飲んでなくない?


「なめこ……」

「なによ、文句あるの?」

「いえ、ないです」


 ずずずーとなめこの味噌汁をすすった。

 陽葵の味噌汁に慣れてしまっていたので、少しだけ味が薄く感じた。




※※※




ピンポーン


ピンポーン



「春斗くんいますかーー!?」


 丁度、朝食を食べ終わったころ玄関の呼び鈴が鳴った。

 この声は陽葵だった。


 朝はやっ!


「あらら、ヒマちゃん朝早いわね」


 不覚にもオカンと同じことを思ってしまった。


「お邪魔しまーす!」


 うちのオカンが玄関を開けると、トテトテと足早に陽葵が俺のそばまでやってきた。


「おはよう春斗くん!」

「おはよう陽葵」


 陽葵が俺の隣のイスに腰をおろす。


「ヒマちゃんカレー食べる?」

「はいっ! いただきます!」


 今日も陽葵は元気いっぱいだ。


「よく朝から元気よくカレー食えるな……」

「? 何言ってるの春斗くん、最近朝カレーって流行ってるんだよ」


 早朝なのに本日二度目のセリフを聞くことになる。

 ここにも流行が遅れてやってきてるのがいた。

 

「昨日、久しぶりに一人だったから寂しくて朝起きたらすぐこっちに来ちゃった!」

「俺も、朝起きたら隣に陽葵がいなかったの違和感があった」

「えへへ、私も!」


 陽葵がトロンと顔を緩ませる。


「おはようのチューしたい!」

「……今むこうにオカンがいるんだわ」

「えぇえええ」


 いや、無理だろ!

 親がいる前で、恋人とキスとか無理すぎる。


「あっ、この際、うちのオカンにもう言っちゃうか」

「何を?」

「陽葵と付き合ってるって」

「おぉー!」


 陽葵がきりっと少しだけ緊張した顔を見せる。

 ……俺もオカンにどんな反応をされるか不安といえば不安なのだが、言わなことには始まらないので腹をくくることにする。


「はーい、ヒマちゃんカレー持ってきたよ。ってヒマちゃんちのカレーなんだけどね」


 ぷぷっとうちのオカンが含み笑いをする。


「お、おばさん! あの」


 緊張した陽葵が、声を震わせながらうちのオカンに声をかける。


「いいよ陽葵、俺から言うから」


 オカンが目をぱちくりさせて、何を言うのかと身構えていた。


「オカン、俺この前から陽葵と恋人として付き合うことになったんだ。遅くなったけど一応報告」


 俺がそう言うと、オカンはさらに驚いた顔をみせた。


「あ、あんたっ!」

「え?」


 途端にオカンの顔が赤く染まっていく。


「ヒマちゃんのことてごめにしたのかいっ!!」


バチーーーーン!!


「いってーーーーー!!!」


 オカン必殺の超平手打デストロイビンタが俺の頬を襲った。

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