第6話 「道の果て」


   ──歩く。



 アスファルトを踏んで歩く。降る雨は白く尾を引きながら地面に、建物に、樹木に落ちて音を立てている。足は引き摺る程重く、左手の鞄も右手の傘も鉛のように重たく思えた。最早伽藍堂の自分に。思いかけて止めた。意味があろうがなかろうが、例え同じ指輪を填めた人がこの世から永遠に葬り去られようが、時計は右に回り、陽は沈みまた昇る。このまま歩くより他に無いのだ。

 雨はいよいよ強さを増してゆく。丁度良いのかも知れない。このまま雨に紛れて。僅かに目が眩んだような気がして足を止めた。


顔を上げるとそこには見知らぬ風景が広がっていた。雨はすっかり止んでいて、両手の荷物は消えていた。アスファルトも砂利を敷いた小道に変わっている。夕刻の雨に降られていた筈なのに、太陽は当然のように高い位置から光を投げている。時計を見ると針が消えていた。

 ここはどこだろう。

 戸惑う俺の隣を少年と少女が駆け抜けて行った。息を弾ませ、それでも笑いながら。ここがどこなのか訊いてみようか。遠い背中に声をかけようとしたが、もう二人は見えなくなっていた。仕方なく歩き出す。遠くに人家が見える。そこで訊けば良いだろう。しかしどれだけ歩いても、それは一向に近付いて来なかった。道の隣には川がある。これは堤防なのだろう。逆側も斜面になっている。覚えがあるような気がする。いつの間にか道の両脇に真っ白な花が並んでいた。名前は知らない。見た事はあるような気がする。弱く動いた風に吹かれて、その花はりんと鳴った。俺は苦笑して歩き出す。いつだったか、誰かと似たような道を歩いていた。それを消したくて、後頭部を掻き毟り足を動かした。

 風景は変わってゆく。川は消え失せ木々になり、遠くにあった筈の人家も、足元の白い花も見えなくなった。砂利道だけが続いていて、その先に大きな赤い鳥居があった。軽い目眩を抱えたまま歩くと、その先に人の姿を見付けた。真っ白なブラウスと、同じ色のスカートを纏った少女だった。知っている。それを馬鹿にされて、俺が慰めたのだった。俺が歩く音が聞こえたのだろう。そいつは鳥居を越えて歩み寄って来た。少し悲しげな顔をしている。理由は、知っていなければならないのだろう。不意に左手に焼けるような感覚を覚えた。女々しく填め続けている婚約指輪が幽かに赤みを帯びていた。もしこれが夢なら、余りにも情けない。どうせ俺の頭は振れば鳴るような頭だ、と言ったら、あら、白くて、振ると綺麗な音がする花があるのよ、とアイツは言った。俺が教えたのだ。真っ白な服が好みで、いつも真っ白な格好をしていたから、割烹着か看護婦みたいだと笑われていた。笑った奴をぶん殴って、アイツには白くて綺麗な音がする花があるらしいと言ってやったのだったか。ならば次の色は。もう俺の目の前まで来ていた少女は俯いたまま俺の胸に掌を押し当てた。きっと顔を上げれば見事な赤い口紅を引いているだろう。けれど、もう、良い。思い出は思い出でしかない。俺は自分の足で歩かなければ。

「ありがとうな。心配してくれて。」

 掌の温かさで分かった。これ以上伽藍堂の自分を引き摺り続けるのは止めよう。それではいつまでもコイツが心配し続けてしまう。頭を撫でてやると、そいつは俯いたまま俺に背を向けた。また鳥居を越えて帰るのだろう。それを確認しないまま俺も背を向けた。離別も離別でしかない。意味も理由も無い。未だ重い足を引き摺りながら歩き出す。足元には赤い花が並んでいた。きっとあの口紅と同じ色なんだろう。振り返りたかった。でも振り返れなかった。砂利を踏んでいるうちに赤い花は見えなくなって、砂利もいつの間にかアスファルトに変わっていた。



 雨は止んでいた。街灯が眩しく思えた。塒は直ぐそこだった。左手を見る。いつまで、と考えかけて止めた。未だ、今は。左手を胸に当て、あの温かさを思い出しながら真っ暗な部屋の扉を開けた。

(了)

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