おそろい
ろくいち
おそろい
シャカシャカシャカ──。
和臣は毎朝出勤ギリギリに歯を磨く。
「この歯ブラシも、もうダメだな」
口をゆすいだ後、先の開いた歯ブラシを見つめて呟く。
「和くーん。もう時間ないよー」
玄関で待っている彼女の明美が急かす。
「いま行く!」
和臣は、歯ブラシをゴミ箱に投げ捨て、玄関に向かった。
「ただいまー」
おかえりご飯できてるよ、と先に帰っていた明美がわざわざ玄関まで出迎える。
和臣と明美は一年前に合コンで知り合い、何度かデートをした後そのまま付き合い始め、職場が近いこともあって半年前から同棲している。
「今日も部長がわけわかんなくてさ──」
和臣が職場の愚痴を言いながらビールを開けると、明美が駆け寄ってきた。
「それ! 私のコップ!」
和臣が持っているコップを指差して、明美が少し大きな声を上げた。
「何回も言ってるのに。それが私のなんだから、和くんのコップはこっちだって」
明美がキッチンから同じコップを持ってくる。
「一緒じゃねーか。そんなに自分の物を使われたくないなら、なんで同じ物を買ってくるんだよ」
明美はおそろいが好きだ。食器やマグカップ、パジャマやスリッパはもちろん、充電器やコンタクトケースに至るまで全ておそろいにしたがる。
「おそろいじゃなきゃダメなの……」
明美は不満げにキッチンに戻った。
「和くん、アイス食べる?」
夕食後、明美が、棒アイスを二本持ってきて、二人で並んでソファに座って、食べ始めた。
「私ね、昔、双子の妹がいたの──」
明美が、前を見つめたまま、唐突に話し始めた。
「恵美香って名前でね、一卵性だから私とそっくりだったの。ママも見分けがつけられないから、最初は、違うお洋服を着せて区別してたらしいんだけど、ある日、私と恵美香が服を交換してからかったのに怒っちゃってね、それから、なんでも同じ物を買ってくるようになったの。色違いとかじゃなくて、同じ物を二つ。それでも不思議と、恵美香も私も自分の物がどっちか絶対にわかった……」
和臣は、彼女の初めて聞く話に、ただ頷いていた。
「でもね、小学三年生のときに、恵美香は、交通事故で亡くなっちゃったんだ。それなのに、ママはずっと同じ物を二つ買ってきた。私はそれに何も言えなくて、二つの物をずっと一人で使ってた。でもずっと苦しかった。ママの愛情が、悲しみが、二倍私にのしかかっている気がして──」
溶けたアイスが垂れないように顔をうずめて舐めとる明美の姿が、泣いているようにも見えた。
ひとしきり話し終えた明美は、「あ、当たりだ」と、食べ終わったアイスの棒を和臣に見せて、固い笑顔をしてみせた。
和臣は、これまでの自分の対応を思い返し、何と答えていいのかわからず、黙っていた。
和臣がうつむくと、食べかけのアイスの中に"当たり"の文字が見えた。
「そろそろ寝るか」
「うん。私、歯磨きしてくるね」
洗面所に向かった明美が、少しして、不思議そうな顔をして戻ってきた。
「私の歯ブラシ知らない?」
「知らないけど。いつものところにあるだろ?」
「ううん。なかったよ」
「今朝はあったぞ」
「ほんとに? 一本しかなかったよ」
和臣はふと今朝のことを思い出して、自分だけが状況を把握した様な素振りをしてみせた。
「そうだ。俺のは今朝捨てたんだよ。もうボロボロだったから」
明美は、まだ納得がいっていないようだ。
「じゃあ捨てる方を間違えたんだよ。だって、和くんのが残ってたもん」
和臣の得意げな表情が崩れ、眉間に皺がよる。
「ん、いや、使ってそのまま捨てたんだから間違えないよ。左のがなくなってただろ?──」
「いやいやいや、左は私のでしょ?」
お互い見つめ合い、口を開けたまま、しばらく沈黙が続いた。
そして二人が事態を察し、明美が叫んだ。
「うそでしょ⁉︎ 今までずっと? 私たち同じ歯ブラシ使ってたの⁉︎」
この半年間がフラッシュバックする。確かに、和臣は朝、明美は夜にしか歯を磨かないため、二人同時に歯ブラシを使うことは一度もなかったことに気づく。
「いや待て。でも、もう一つの歯ブラシは、どっちも使ってないにしては、汚れてないか?」
「そりゃそうだよ。和くんのだと思って、洗面台の掃除に使ってたんだから──」
「なに⁉︎」
明美は、訳がわからず、口を滑らせたことにも気づいていない。
「どうして和くんはいつも私の物を使うの?」
「これは話が違うだろ。それよりさっきなんて言った? 洗面所? 掃除⁉︎」
──不毛な言い争いは一晩中続き、それ以降、明美はおそろいをしなくなり、自分の物には名前を書くようになった。
おそろい ろくいち @88061
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