鬼の道理には酒が廻る

星下めめこ

一人目の鬼人

 天上に座する存在は世界に一つの悪意を押し付ける事にした。世界とは人の数だけ存在し、また知らぬ内に増えてしまうモノであった。

 管理を一人で行おうモノなら時間を引き延ばさなくてはならず、座する者は溜まりに溜まった世界の悪意を一つに纏めてその処分に困っていた。困る程では無いし、失くす事は簡単である。だが、コレを世界に解き放ったのならばどうなるのか、見てみたい気持ちも湧いてしまった。


 ならば落としてしまおう。どこに落ちるかは運次第。当りどころが悪ければ一つの世界は消滅してしまうが、その程度は座する者には柳に風。

 ポツリと浮いた島から、大海原に「この世で最も忌むべき雫」を投げ込む。海の中には様々な世界があり、一つの世界に吸い込まれた。

 座する者はその瞳で「雫」が一つの世界に吸い込まれていき、地球と呼ばれる惑星に落ちた事を確認すると椅子に座って変化を眺め始めた。








 地球。2000年代前半までは科学が発展した惑星であり、自然環境に問題を覚えてからは理念を掲げて再生を図った惑星であり、そのまま事が進めば宇宙旅行すらも可能とされていたが、ある日を境に大きく運命が変わる。

 発端は大地震。謎の天災は震源地が特定不可能。揺れによる死者は無く、しかし地球の面積が広がったと観測され、増えた土地には後にダンジョンと呼ばれる異界が出来る様になった。そして天災以降、生まれる子供達には今までの人類には無い特徴が付随する様になり、世界は大きく混乱した。


 様々な手法によって特徴の補足は確立され、今では「天職」と「スキル」と呼ばれる存在に落とし込まれて普遍的に存在する様になった。

 勿論確立されるまでは犯罪が絶えなかったが、善なる心を持つ存在によって悪は討ち滅ぼされ、今ではダンジョンと仲良く共生するに至っている。


 そんな中、一人の子供が生まれる。

 普通であれば五歳までに兆候が観測され、鑑定士によってその力を大きく顕在化させる筈にも関わらず、その赤子は周囲を酔わせた・・・・。

 鑑定士による力の安定化をせずに生まれたばかりの存在はその頭部に大きな角を二本生やし、まるで倍速再生する様にその姿を成長させていく。

 五歳児程度まで成長するとソレは収まり、産声はとても奇怪なモノとなった。


「言はむすべ、むすべ知らず、極まりて、貴きものは、酒にしあるらし」








 頭に二本の角を生やした異形の存在が歩く。痩せ細った身体は、少しの力を加えれば容易く折れてしまいそうであるが、その顔はひどく美しい。だが瞳の焦点は合っておらず、その足取りも千鳥足。その存在は見るからに酒気を帯びており、アルコールの香りも撒き散らしている。

 くびれた腰には立派な瓢箪が提げられており、左手には大きなさかずきが持たれている。盃の中には並々と注がれた透明な液体があり、今にもこぼれそうだ。まるで酔いどれの存在は、ダンジョンに入ろうとした時に善なる存在に止められる。


「酔っていては魔物に殺されてしまう。君は帰るといい」


 肩を掴まれての静止を聞いた酔いどれは、グルリと首を傾けると善哉善哉と嗤う。止めた男は訳が分からず混乱するが、酔いどれは酒気を帯びたまま三日月の如く口を歪ませる。


「酔うてしまえば万事、解法に至れり」


 女性の様な顔つきの酔いどれだが、その声は男のものであった。身を捩って掴まれた肩の手を解く。流れる様な絹糸で造られたとも見紛う純白の頭髪を揺らして静止の声を無視する。

 それでも止めようとした男だったが、突然の酩酊感に襲われ立つ事すらままらなくなる。酔いどれはその光景を焦点の合わない碧眼で見届けると、ダンジョンに押し入った。


 酔いどれは気まぐれな存在だった。その日ダンジョンに入ろうと思ったのも酒の製造に良さそうなモノが落ちていないかを探るだけであったが、ダンジョンに入ると上層に似付かわしくない喧騒が響き、酔いどれはその方へと足を運ぶ。

 瓢箪から酒を盃に注ぎ、一口呷る。どんな時でも酔いどれは酒と共にあった。故に、喉を焼く様な感覚を覚えても何度も喉を鳴らして酒を呷る。向かう方向からは避難する人間も確認され、しかし酔いどれはそのままフラフラと歩んで行った。


 数分も歩けば喧騒の只中に辿り着き、酔いどれはダンジョンの壁に寄りかかって事のあらましを見守る。勇敢な少女が一人立ち向かう姿を肴に酔いどれはズルズルと身を落としてその場に横になって、酒を注ぐ。

 酔いどれの視線の先にはダンジョン中層に現れる筈のヒュドラが其処に居た。赤い鱗を有する多頭の龍は同時に少女を噛み殺さんと首を伸ばすが、少女は華麗にその身を動かすと全てを回避して一つの首を刎ねる。

 血が噴き出すのを避けた少女は、先にヒュドラの頭が一つ在る事を失念していた。


「グルォオオオオ!!」

「しま――」


 瞬間、ヒュドラが横転する。

 少女の眼前まで迫っていたヒュドラの眼はグルグルと回っており、少女は咄嗟に防御に回した剣を静かに下ろしてヒュドラを見る。

 そして、異様に酒の香りが漂うのを感じ取る。またそれは自分の近く、斜め後ろから香るのを感じ取る。


「嗚呼、龍のまなこは傷物にしてはいけない」


 ふらふらと立ち上がった酔いどれは少女の肩に手を置いてその場でその長身を曲げて忠告する。


「だ、誰ですか!?」

神来社からいと龍酒ろんちゅう

「え、えぇと……」

「其処な酔うた龍は貰いうける」


 少女の肩から手を離した酔いどれ――龍酒は生きたままのヒュドラから眼を抉り取る。断頭などには慣れている少女であっても、生きたまま瞳を素手で取るとは思っていなかったのか龍酒が数個の瞳を取る余裕を与えてから、その肩を掴んで静止する。


「ななな、何やってるんですか!?」

まなこを拾う」

「無駄に苦痛を与える必要がありますか!?」

「其方そちらも首を一つ刎ねておる故。やつがれが如何した所で変わりなし。また、この龍も酔うている。痛みなど感じる術もなく」


 少女の静止も虚しく龍酒はヒュドラの眼を抜き取り続ける為、少女はヒュドラを殺した。死んだ魔物はやがてダンジョンに溶け込むが、龍酒が十の瞳を取るには十分な時間だった。

 少女はヒュドラを倒した事で手に入る逆鱗を手にすると、龍酒に差し出す。ヒュドラの逆鱗は所謂レアドロップ。少女はヒュドラから感じた異様な酒臭さが無ければ、それ以上の酒気を帯びた龍酒に渡そうとは思わなかっただろう。


「要らぬ」

「え、でも」

「其方が持つと良い。個人的にもう満たされた故」


 千鳥足で歩き出した龍酒を見て少女は無理矢理龍酒の腕を肩に回して真っ直ぐ歩かせる。流石に強いスキルをもっていてもこんなに酔っていては危険だと判断しての行動であり、龍酒は酔って思考が纏まらない故にされるがままにダンジョンを後にした。

 このダンジョンは東京の新宿区に存在するダンジョンであり、少女もまた新宿に住んでいた。高級なタワーマンションに入ると、少女は指紋認証でロックを解除して自分の家へと入る。


「えっと」


 酔った龍酒を運んだのは良かったが、少女は男性を家に招いた経験などなく、無遠慮にソファに横になって瓢箪から酒を盃に注ぐ龍酒を見てどうするか悩む。幸い少女は一人暮らし。今日は土曜日という事もあり、少女は龍酒に動かない様に言うとシャワーを済ませて部屋着に着替える。

 龍酒から酒器一式を取り上げると龍酒から「殺生な」という言葉が飛んでくるが、ソレを無視して風呂場に誘導する。見た目こそ美しい女性だが、声は完全に男。風呂場に連れて行くと龍酒は意図を理解したのか少女が居るにも関わらず服を一気に脱ぐ。龍酒は羽衣の様な薄い一枚布を上手く巻いただけであり、少女は裸を見ない様にその場から退散した。


「善哉」


 シャワーを浴び終えた龍酒は再び器用に一枚布を巻き直すと少女の前に立って異次元から取り出したコップに瓢箪の中身を注ぐ。

 差し出すソレは勿論酒の香りが強く、少女は顔を顰める。龍酒は一人で盃から酒を飲んでおり、少女は溜息を吐く。少女はキッチンに向かって青緑の如何にも不味そうな液体を龍酒に無理矢理飲ませると、龍酒はたちまち焦点を合わせて、ここまでの記憶をぼんやりと辿り、成程と頷く。


其方そなた、名は?」

日出ひいずるしずくです。神来社さんはさっき私を助ける為に動いてくれたんですか?」

「酒造りの為。其方の為ではない。龍酒で構わないとも。呼称は雫とさせてもらう故」


 龍酒は久しぶりに酒が抜けたのか雫の隣に座ると微笑って瓢箪を傾ける。キッチンの位置を把握した龍酒は先程雫に差し出したコップから酒を完全に抜き取り、雫に持たせる。


「お酒は――」

「酒にあらず」


 瓢箪から出てきたのはオレンジ色の液体。龍酒の言う通り酒の香りはせず、雫はそれを飲むと今までに飲んできたオレンジジュースが腐っているのではないかと疑う程に甘美な味を喰らう。

 龍酒はカラカラと笑って久しぶりのノンアルコールを飲んで「これもまた面白きモノ」と語る。雫はもう一度飲みたいのかコップを静かに差し出すと、龍酒は善哉善哉と気分を良くして注ぐ。


「龍酒さんは何処で暮らしてるんですか?」

「家なぞあらず。放蕩者也」

「それって、困りませんか?」

「時に好く無い事も起こり得る」


 龍酒は気にせず語る。

 その隣で雫は決意した様に表情を固める。男性経験の無い彼女の一大発起は、色々と話を飛ばして結論だけを紡いだ。


「お金が貯まるまで、一緒に暮らしませんか?」

「ほぅ」

「あっ! えっと、あのー、その……」


 色々と話してから言おうと思っていたのか雫は手をワタワタと動かしてから、落ち着いたのか龍酒を見る。カラカラと笑う龍酒は自分の盃にオレンジジュースを注ぐ。


「気にせし事は無い。ソレが導かれたモノなのだろうて。少々手持ちを広げるが、構うか?」

「あの、私と暮らすんですよ?」

「酔いを醒まされたのは初めてだ。興味が湧いた。それで、広げても?」

「はい、大丈夫です。ソファとテーブル、テレビ位しか家具は無いので。あの、龍酒さんは何処に手持ちがあるんですか……?」


 龍酒は指を鳴らすと小さな樽と様々な魔物のパーツが入った容器などをその場に現す。その光景は一昔前にこの世界に漂うダンジョンのエネルギーを用いれば可能と言われた魔法の様で、雫は大きく目を開く。


「異空にて管理していたが、置けるのであれば置くとも」

「ま、魔法ですか!?」

「知らぬ。気付いた時には使えた」


 再び指を鳴らして仕舞うと、浴室の隣が空いていると察知していた龍酒はその部屋を借りると言って颯爽と向かってしまった。雫は念の為に一部屋余らせておいて良かったと思うと同時に、あの部屋が酒臭くなるのだろうなと早くも龍酒を止める事を諦めた。


 龍酒の酒癖は悪くはなかった。笑い上戸な彼は雫に迷惑を掛ける事なく日々を過ごしていき、龍酒と雫の生活は早くも一週間が経った。その内容はお互いの時間を尊重して思い合う生活となっていた。尤も、夜になると雫が龍酒の飲み過ぎる酒を抑えたりするなどの細事が頻繁に起こっているが、龍酒は取り上げられた酒器を指を鳴らして手元に召喚する事で盃に注いで飲んでいる。龍酒の酒への耐性は異様な程に高く、純アルコールとも呼べる代物を飲んでもけろりとしている。

 雫は最初に会った時の酔いが気になり何時から酒を呑んでいるのかと問うた時は酒器を手に入れてからと答えられ、毎秒の如く飲んでいると語っていた。因みに瓢箪は傾ければ望む液体を無限永久に溢し、盃は注がれた液体をより深い味わいに変じるという龍酒向きのアイテムであり、入手経路は一切語らないから雫は適当にポーションを注いだら金色に光ってソレがあらゆる病や怪我を無かった事にする伝説のポーションになったと悟り龍酒の持つアイテムは、元々する気は無いが公表しない様に決意をしていたりする。


 雫は高校生であり、帰宅部。ダンジョンに潜っているのはお小遣いの為と話し、龍酒は面白そうだと言って雫の学校終わりにはダンジョンへと共に向かい、様々なアイテムを獲得した。ヒュドラの瞳を素手で抜き取る奇行はあれ以来見られず、雫は前衛となってダンジョンの攻略を進めていった。理由は龍酒が前衛では自身の為にならないから。雫は強いとは思っていたが、まさか武器も使わずに敵を斃せるとは思っていなかったのだ。

 そしていつもの通りに時計を確認して夜の良い時間となったのを確認した雫はダンジョンから引き上げ、龍酒が適当な手料理を披露して二人で大きなソファに座ってテレビを見ていると、龍酒が酒を注ぎ始めた。止めようと思ったが、龍酒が中々酒を飲まないから雫は珍しいと思って少し観察すると、龍酒の首が傾けられた。喋らなければそれだけで国が傾きそうな美しさに雫は顔が熱くなる。


やつがれの酔いを醒せし薬品は何処いずこへ?」

「あれは私の天職で作ってるモノですよ。キッチンに幾つか蓄えがあるんです。そういえば言ってませんでしたね、私は二級薬師なんですよ? これでも世界からそこそこ必要とされてる人材なのです」

「ほぅ。薬師に区分なぞがあるとは、聞きし事もない」

「一般には広まってないですね。薬師であればそれだけで最低限な事は出来ますから」

「して二級には何が出来うる?」

「等級が高い程質の良いポーションとかが作れます。龍酒さんの酔いを醒ましたのは私が酔っ払いに絡まれた時に思いついた試作品です。効果覿面でしたね」

「ふぅむ」


 龍酒は立ち上がると浴室の隣である自室に向かい、一つの大きな瓶を持ってくる。中にはヒュドラの瞳が幾つも沈んでおり、呪いの品とも思える若干紅い液体は問う必要も無く雫は酒だと分かる。

 何をする気なのか見守ると、いきなり柄杓を虚空から取り出して一口分掬い取って飲み始めた。矢張り飲むのかと天を仰いだ雫は龍酒がしゃっくりをし始め、酔い始めた事を悟る。どれだけ酒を飲んでも酔う様子を見せなかった龍酒が一口で酔った事に驚き、続いて呑もうするのを慌てて止める。

 あの龍酒が柄杓一杯で酔う劇物は流石にのみつづけてはいけない。高校生でも分かる危険性に雫は龍酒の肩を掴んで呑むのを辞める様に言うが、その程度では止まらない。終いには顔を瓶に入れようと屈み始めるから雫は全力で止める。酒で溺死されても処理に困る上に、そんなニュースは作りたくなかったという心境である。


「ちょちょ、龍酒さん! それは流石にヤバいです!」

「構うものか。酒こそ悟りの道也」

「構って下さい!!」


 龍酒は細い。というよりも余りにも痩せ細っている。骨自体も細いのか腕は人の腕とは思えない細さをしているが、その力は強い。雫はこの一週間で龍酒のあり得ない膂力を目の当たりにしており、酔った彼に本気で殴られれば塵一つ残らず消え失せると分かっているが、臆せずに龍酒を止める。

 酔いが浅い龍酒も自身の特性を理解しているのか雫に極力触れない様に心掛けているが、呑もうとする行為は止めようとしない。


「あーー、染み渡れりぃ」

「ソレは、禁止、です!」


 ヒュドラ酒の蓋をして全体重を掛けた雫の行為に龍酒は微笑ましく笑い、瓢箪を逆様にして直に飲み始める。雫が手を離せば劇物のヒュドラ酒が解放されるが、目の前で悠々と酒を呑まれるのも止めたい気持ちも湧いてくる。雫は二択を迫られ、龍酒の盃を人質にする。


「割りますよ!」

「殺生な!」


 その隙にキッチンから残り少ない酔い醒ましのポーションを龍酒に再び無理矢理飲ませて酔いを失くす。龍酒は醒めた酔いに、雫の荒れた態度にカラカラと笑ってソファに大の字で倒れ込む。

 ヒュドラ酒は龍酒が指を鳴らすとその場から消え、龍酒の部屋から何か物が落ちる音がしたから魔法で転移させたのだと理解した雫は龍酒の器用に巻かれた布を鷲掴みにして立たせる。見た目通り龍酒は軽いから雫でも立ち上がらせる事は簡単だった。


「何がしたいんですか!」

「酒を呑む」

「それはもう分かってます! なんで私の前でそんなに飲むんですか!?」

「其方の反応が面白くある故。嗚呼、酔い醒ましのポーションについて識りたくもあった」

「……どーいう事です?」

「そう冷めた目をせずともよかろうて。やつがれは悪しき事はしておらず」

「……はぁ」

やつがれの酔いは生まれた時からの、持病とも呼べる事象也。ソが失せた事にいたく興味が湧きたもので、己がままに継ぎ足す至高の酒にも効果が見られるのかを試したに過ぎない。あの酒は最早八塩折之酒と呼べる代物。文献を可能な限り集め再現したモノにやつがれの思う最適な酒材を混ぜたるもの。其方のポーションは神話を変えるる神秘を秘めしモノよなぁ」

「これでも『万能薬』のスキル持ちですからね。将来は特級の薬師になるのが夢ですから、万病を癒やしてみせますよ」

「それは善き事哉」

「龍酒さんの天職とスキルってなんなんですか? お酒についてだとは思うんですけど」

やつがれの知らぬモノの一つよ」

「鑑定してないんですか!?」

「応」


 その言葉に雫はあり得ないモノを見る目で龍酒を見つめる。昔は漏れ出した力を扱うだけが普通だったが、今は「鑑定士」に鑑定して貰ってその力を顕在化させなくては本来の十分の一も力を発揮出来ないと実証されているからだ。

 物質の鑑定とは異なり「鑑定士」はその力を引き出すという性質上年に一度しか顔を出さないが、その数は増え、また外に出られない人に向けて一度なら鑑定士の効果を発揮できるアイテムを発明しており、雫も授業の一環でソレを受け取っていた為、龍酒に使う事を聞くと面白そうだと返事があった。龍酒がソファに背筋を伸ばして座ると、雫は鑑定士の眼鏡を使って龍酒の天職とスキルを紙に書き出す。


「何々、龍酒さんは『忌鬼』で『酒狂之命』ですって。何て読むんでしょうね」

「知らぬ。しかし顕在化とは面白い。力が如実に増した」

「え……」


 龍酒の力は恐ろしく強い。ダンジョンに共に潜る様になり、ゴブリンが龍酒に襲い掛かった時は目にも止まらぬ速度でゴブリンの持つ剣とその身の間に身体を忍び込ませ、音を置き去りにした拳でゴブリンを文字通り消し去った。

 拳に体液が付かず龍酒はさも当たり前の様にしていたが、物質をこの世から消し去る打撃なぞ見た事も無い雫は龍酒を怒らせない様にしようと決めた程である。その後も数々のモンスターを消し飛ばした龍酒はドロップアイテムに目もくれず瓢箪から盃に酒を注いで呑み始める始末であった。

 それが己でも分かる程に強くなったとあれば、雫は戦慄する。間違いなく龍酒は世界最強の一角だろうと雫は考える。そんな存在が金を目当てにダンジョンに潜ればこの生活は瞬く間に終わりを迎えるだろう。


 喜ばしい反面、切なさもあった。


 龍酒は酒を飲み続ける以外は至極真っ当なヒトであり、何より同性にしか愛を向けられない雫が揺らぐ程に龍酒は、酒を除けば良いヒトだったのだ。

 逃すには惜しい。しかし此処を貸しているのは龍酒が家を持つまでであり、その気になってしまえば直ぐに居なくなってしまう。僅か一週間の付き合いではあるが、酒をこよなく愛する龍酒は雫にとって距離感の良いヒト。

 酒造りをしているにも関わらず酒臭さは外に漏らさず匂いも感じさせない。ヒュドラ酒も蓋を開けるまではそれが酒だとは――龍酒の持つ液体が酒以外にあるかと問われれば痛いが――思わない程であり、異性同性共に経験の浅い雫はコロッと落ちてしまったのである。


「あの、龍酒さんはお金が貯まったら出て行くんですよね……」

「応」

「あの――」

やつがれとは極力距離を置いた方が良い。違えても、共に在ろうとは思わん事よ」


 その言葉に雫は下を向く。


「眠れ」

「えっ」

「悪しき事は酔えば忘るる。しかして雫は酒を飲まんと語る。ならば寝てしまえ。明日の雫が答えを見つくる」


 戸惑う雫を持ち上げた龍酒は雫の寝室を開けてベッドに静かに寝かせる。眠るには未だ早いからと起きようとした時、雫は心地よい眠気に襲われ寝息を立てる。

 龍酒は人を酔わせる事も出来る。酒を呑まずとも、空気や雰囲気に酔う事すら人間には往々にしてある。そんな酔いを支配する事は龍酒にとっては児戯に等しく、鑑定によって力が増した事でより自然に酔わせられる様になっていた。


やつがれもこんなに人を恋しく想うた事はなし。さりとて、雫には真っ当な人間が相応しいだろうよ。なんせやつがれは――」


 世界の敵なのだから。


 その呟きは虚空に吸い込まれていった。寝室から静かに退室した龍酒は酔い醒ましのポーションを幾つか拝借窃盗し、鑑定に用いた紙を裏返して此処を去る旨を書き記す。これまでの感謝とこれからの精進を願う文章であり、惹かれていた事は否定しないと書き、龍酒は溜め息を吐いてその紙をテーブル置く。

 加えてダンジョンで稼いだ金を全額を机に置いて、それらが飛ばない様に酒を満たしたコップを重しにして龍酒は雫のマンションから姿を消した。


「人皆等しく酔うてみれば、理想を掲げる夢も笑われまいて。酔えども酔えども、人は夢見るモノ也。なればやつがれが見せよう」


 瓢箪から直に酒を呷る龍酒は東京の最も高い電波塔の頂上に居た。雫のマンションからは徒歩十数分であり、登るのもとっかかりを掴めば龍酒は軽々しく登っていった。

 そして、夜に染まる日本を見てはその笑みを深める。風が吹き荒れる頂上は龍酒に取って心地よい空間。寒さを感じる感性はとうに捨てたと言わんばかりに片足で立って酒を呑む。瓢箪からは雫の部屋で見せたヒュドラ酒が注がれ、龍酒は盃を満たしたソレを何度も呑みながら日本を見下ろす。


八方はちほう広ぐる酒の宴楽、酔い痴れた愚者の楽園、狂い微睡む宵の刻」


 龍酒は酒器を両手に持って、広げる。


「酔いに任せた夢物語は此処に現るる。酒と共に語った情景はやがて陽の目を見ゆる」


 龍酒は酒器を大事に抱え込むと、器用にその身を抱き寄せて雫が魔法と語ったその力を目一杯に広げる。時を同じくしてロシア、ドイツ、アメリカでもその現象が起こり、龍酒の広げる魔力が誰かの魔力とぶつかると、溶け合う様にその場から消える。彼等は己の理法を押し付けたいのではなく、唯人に理解してもらい、受け入れてもらいたいだけだから。戦乱の如く覇を競うのであれば衝突すれば拮抗しただろう。しかし彼等にはそんな考えは一切なかった。己がこうあれば幸せであり、それを共通理解として認知してくれれば、彼等は幸せになると信じている。

 龍酒含む異常な魔法使いは己の領土に夢を広げた。龍酒は「酒に酔えば等しく幸せな夢を見れる」というモノ。成人した存在なら、ある程度酒を酒として楽しめる者ならば共感出来る理念は押し通り、瞬く間に世界各地で夢見がちに酔い痴れる人間が生まれた。また龍酒の意見とは合わない者は他の理念に従い、その身を知らぬ内に狂わせていく。


しゅは述べた。さちは隣人に分け与えよと」


 龍酒は酒器を虚空にしまうと、高らかに宣言した。


やつがれに歩調を合わさぬことも、別理に合点を持つも、ソはの自由だとも」


 カラカラと、善哉善哉と笑う龍酒はその場から飛び降り、落ちながら酒を呑む。不思議な事に酒は一滴も溢れず、龍酒の口へと向かう。


「言はむすべ、為むすべ知らず、極まりて、貴きものは、酒にしあるらし」

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