第20話 にゃーん

 当たり前だけど小川は昨日と同じ様子で淡々と水が流れている。

 目を凝らすと小さな魚影が見えるのも同じ。昨日はここから意を決して森に踏み込んだんだっけ。

 もうずいぶんと昔のことのように思えるけど、まだ一日しか経過していない。いい意味で常識が完全に覆ったのはもちろん、この奥にいるコアラさんのおかげ。

 

 靴を脱いで小川に足の指先をそろりと当てる。


「何度やっても、やっぱり冷たい!」

「そうですか?」


 エミリーは既に小川に入り網をセットしていた。

 釣りをするのに魚が小さいし、他に魚を取る人がいないから網でごっそりとやらせてもらっているの。

 もちろん、ジェットさんが小川で魚を獲らないことは確認済みよ。

 ひゃっとする足先の感覚がくるぶしまで広がり、ブルリと肩を震わせる。

 バシャバシャとエミリーの元まで行き、網をもう一つ仕掛けようと今度は手を水の中につけた。

 

 ガサ。

 向こう岸の藪が動いたわ。

 まさかまた、蔦のお化け……?

 

 だって、だって。蔦が蔦が見えてる!

 

「エミリー。下がって!」

「え、あ。はい」


 彼女はいつも私より先に異変に気が付くのだけど、今回ばかりは何も気が付いていないみたい。

 ううん。まさかあの蔦が動いて襲い掛かって来るなんて想像もしていないのかも。

 蔦の化け物がぽーんと宙を舞う。

 

「きゃ、きゃああ!」


 エミリーと私の声が重なる。

 ん、でも、ばしゃんと水の中に沈んだ蔦の化け物は微動だにしないわ。

 

「にゃーん」

「トラシマ! 蔦の化け物をやっつけてくれたの?」


 藪を割って出てきたのは蔦の化け物だけじゃなく、虎柄の猫にそっくりなトラシマだったの!

 

「ね、猫……?」

「エミリー。あの子は大丈夫よ。大賢者様のお友達なの」


 私の腰のあたりをぎゅっと掴んだエミリーを安心させるように伝えた。

 トラシマは小川を軽々と飛び越え、村側の岸へ降り立ち両前脚を揃えて小首をかしげる。

 正直、とても可愛い。大きな猫そのものなんだもの。

 

 網を放置したままトラシマの元へエミリーの手を引く。


「にゃーん」

「さ、触ってもいいんですか。このもふもふさん」

「大丈夫。何か用事があって来たのかも」


 トラシマの顎元を二人でわしゃわしゃすると、彼はゴロゴロと喉を鳴らす。

 コアラさんがここへ彼を送ったのかな。


『ルチル。人間はたしか肉を喰うんだろ。トラシマもそうだ。何かお礼になるものを持って行ってくれと頼んだのだけど、受け取ったか?』

「コアラさん?」


 きょろきょろと見回しても、灰色のもふもふ姿はどこにも見当たらないわ。

 コアラさんはあの時みたいに離れたところから私に語りかけているのね。

 私の考えが正しかったことは、彼の次の言葉で判明する。


『俺はこの場にはいない。ユーカリのところだ』

「コアラさんのところへ行ってもいいかな?」

『人間が歩くには遠い。昨日の今日だ。たぶん、魔法の具合を確かめていただろ? 最初は無理せず、余裕ができたら頼む』

「うん。トラシマに運んでもらうね」


 頼むとはユーカリの木を復活させることを指す。

 魔力的にはまだまだ大丈夫なのだけど、彼なりの気遣いを無碍にも出来ない。

 彼は外部魔力の先達で、外部魔力を使い始めたばかりの私に何かとアドバイスをしてくれている世話焼きさん。

 彼の言う事は真摯に受け止めなくちゃね。私は今、新しいおもちゃを与えられた赤子のようなものなのよね。

 逸る気持ちはある。これだけ魔法を使っても減るどころか増えていく魔力にワクワクする気持ちが強い。

 一方、魔力が暴発する可能性や昨日のように膝から力が抜けてしまうことだってあるの。

 今日はもう魔法を使うのはやめておこう。緊急事態が来たらその限りではないけどね!

 

「にゃーん」


 トラシマが右の前脚をひょこっと上にあげる。

 足先をくいくいとやっているけど、「こっちに来てね」ということなのかな?

 エミリーと顔を見合わせたら、彼女がダメな顔になっていた。


「エミリー」

「トラシマちゃんというんですか、もう私、メロメロです」

 

 あ、うん。分かる。

 だけど、今はトラシマについて行こうね。エミリー。

 藪の裏には見たことが無いサイズのイノシシが倒れていたの。

 トラシマがひょいっと咥えて、向こう岸までイノシシを投げ込む。

 ついでに、蔦の化け物も咥えて持ってきてくれた……。

 

「蔦の化け物は要らないかな……」

「にゃーん?」


 こてんと首をかしげられたら、こっちが困っちゃうよお。


「ルチル様。頂き物をどうやって持って帰りましょうか」

「台車をここまで運んできましょうか」

「にゃーん」


 トラシマが蔦の化け物を背中に乗せ、イノシシを口で咥えてのっしのっしと歩きだす。

 ん。彼を見たら村の人がビックリしちゃうかも。昨日もそれで川のところでお別れしたんだよね。

 

「どうしよう?」


 困った顔でエミリーに問いかけたら、彼女は何か問題でも? と不思議そうな顔になっていたわ。

 

「村人さんは、何に関しても見ているようで見ていないです。ジェットさんにもしお会いしたら事情を説明すればよいのではないでしょうか?」

「確かに……。ジェットさんだったら笑って『そうか! ガハハ』なんて言うよね」

「今の、ジェットさんにちょっと似てました」

「そう?」


 あははと二人で笑い合い、トラシマと共に村へと向かうことになったの。 

 

 ◇◇◇

 

 番外編その1

 

 ここはルチルが暮らす世界とは別の謎空間。二頭身キャラとなった彼女らが勝手きままに語る空間である。


「よおし、エミリー、今の状況を説明していくわよ」

「ルチルさまああー。チョーク忘れてます」

「ありがとう」

「そんなわけでー。ルチル様とエミリーのまとめコーナーですっ!」


《ルルーシュ僻地の問題点》

 ・村人が死んだ目をしているよ!

 ・畑は雑草が生え放題。元の痕跡を探すのも難しいくらい

 ・いつから村人がこんな状態になったのか分からないわ

 ・原因は井戸水

 ・外敵は今のところインプだけね

 ・蔦の化け物は嫌い!

 

《村の施設》

 ・うーん、村人が復活してくれないと何とも。今は何もないに等しいわ

 ・ジェットさんの畑と家。小麦が実っているわ。

 ・ルチルとエミリーが住むお屋敷、お屋敷の果実は育ってるわ。

 

《謎》

 ・村人たちがどうやって生活しているのかな?

 

「う、うーん。問題が山積み……というより、村人さんが元の状態に戻らないと何ともならないね」

「はいい。ジェットさんがいらっしゃらなかったら……ゾッとしますね」

「ともかく、井戸水が正常か調べることしかできないかな」

「トラシマちゃんが可愛すぎて辛いです」

「そ、そんな感じで現場からでしたー」


 ペコリとお辞儀をするルチルとほへえとトリップ状態のエミリー。


 ひょっとしたら二度目があるかも。


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