第一章 冷酷公爵の花嫁を押し付けられまして
ガタガタと音を立てながら、窓の景色が移り変わる。
使い込まれ年季の入った馬車には私と
御者の老人はこれから向かう先のことを思ってか。はたまた、私が
時折、私の姿を
それはきっと、まだ十五を
本当に送り届けても良いのだろうか。
そんな
ここでもし、私が弱音のような言葉を口にすれば、きっと気休め程度でしかないだろうが御者の老人は
しかし、だ。
彼はそもそも
確かに、私は今から散々な風評があるとんでもない
そのせいで周囲からは憐れまれ、生贄だと言わんばかりに私を矢面に立たせて差し出してくれやがりました義母や、姉達には
姉達からの
という
それがただの嫌がらせの延長であることは、輿入れにもかかわらず、姉達が
きっと
でも、私の心境は
(やっとあの
新生活に心を
とまではいかないにせよ、私の心は解放感に満ち満ちていた。
そして思い起こされる散々過ぎる日々。
見栄っ張り
そのせいで、もう初めから自分でやった方が手っ取り早いからと、政務を三人分こなす日々。
挙句、その
結果、私は
本妻である義母からも、私の生母への当て付けなのだろう、
しかし、彼女らは陛下の前では
そして、心身共に
あくまで今回は王家から一人、冷酷公爵に政略
だから嫌がる姉達は身代わりとして私が良いのではと真っ先に意見を述べ、そんな得体の知れない相手に自分の
私が彼の花嫁に選ばれるのは
しかし、あの嫌がらせを受け続ける日々から解放されるのであれば、たとえ風評最悪の公爵様の花嫁だろうと構わないと思う私がいた。
だから言ってしまえば、これは好都合だった。
何より、これは
いくら冷酷公爵などと呼ばれる人物であっても、国同士の考えを無視して血も
たとえ、私の存在が周りから
処世術だってちゃんと身に付いてる。
だから、大した問題はなかった。
なかった、のだけれど。
「…………」
考えごとをしているうちに
そんな私を
誰かに歓迎されるということが
けれど、すぐに我に返る。
これでも国同士の和平の為の縁談だ。
冷酷公爵様とはいえ、初めくらいは、ちゃんとしているものか。
最近、嫌がらせを受けすぎて自覚
やがて、ずらりと立ち
服装は貴族然としたもので、
切れ長の目をしていて、つんと
愛想とは
成る程、彼が冷酷公爵と名高い公爵閣下か。
なら、出来る限り
そう思いながら、私が馬車を降りて彼に
「──久しぶりだな、メルト」
声が聞こえた。
男性らしい、低い声。
落ち着いたそれは、貴族家当主に
ただ、その声や視界に映り込んだ相貌に私はどうしてか
しかも、初対面で、政略結婚なのに何故か場にそぐわない言葉が聞こえてきたような気もする。心なしか声も
……私の勘違いだろうか。
「かれこれ八年ぶりか? 王宮の
「……もしかして、ヨシュア?」
「
その発言のお
かれこれ八年前。
まだウェルグ王国とノーズレッド王国が、それなりの付き合いをしていた
私と目の前の彼、ヨシュアはよく話をする仲であった。
そうなったキッカケは、その頃から嫌がらせを受けていた私と、これまた他国の貴族ながら、身内にあまり好かれていなかったヨシュアが
確か、ヨシュアも私と同じで側室の子だからと嫌われていたんだっけ。
「あれ? じゃあ私の結婚相手の冷酷公爵様って、」
八年前とはいえ、ヨシュアの
キョロキョロと周囲を見回してみるけど、それらしき人物はどこにもいなかった。
「あんまりその呼び方は好きじゃないが、俺のことだな」
「またまたあ」
久しぶりの再会だからって、そんなジョークを言わなくて良いのに。
そんなことをしなくても、もう
と、
何を言ってるんですかメルト様? みたいな。
……え。え、え?
「ぇ、本当に? 本当に、ヨシュアが冷酷公爵様? 私の、結婚相手?」
「
「うん。うちの姉達は、三メートル
「……それ、人じゃないだろ。勝手に人を化物に仕立て上げるな」
すっかり大人びていたせいで、初めは誰だろうこの人って思っちゃったけど、この感じ。
目の前の彼は
「取り
「──まず、本題を単刀直入に言わせてくれ。少なくともこれから先二年間は、この関係を
ヨシュアの部屋に移動して早々の発言に、私は目をぱちくりとさせてしまう。
我慢、というと、冷酷公爵様こと、ヨシュアとの結婚生活についてだろうか?
「あの、
「
「政務って私、どのくらい担当しなきゃいけませんかね」
「……成る程。そういう質問か。政務ならば、確かに、出来れば少しくらい手伝っては
そう口にするヨシュアの視線の先には、机の上に積み重ねられた書類のようなものが幾つか見える。
だが、今まで処理してきた山積みの書類を考えればあの程度、易しいものだ。問題ない。
「ご飯は、温かいものをいただいちゃっても良いでしょうか……?」
「いや、それは当然だと思うんだが。というか、
これまでは義母と姉の
出来れば、温かいご飯を食べさせていただけると……
と、
……え、良いの!? 本当に良いの!?
「あ、あと、〝
「……なあ、メルト。お前、俺を
私達、ウェルグ王家の人間は、代々〝精霊術〟と呼ばれる秘術を
その効果は
と、希望を告げてみると
でも、王宮では平気で姉と義母が強制的に私にさせてたんだよ、これ。
「さ、最後! 最後にもう一つだけ!」
「……なんだ」
もう少し
「なんか急に政略
「…………」
一応、その場のノリで敬語は取っ
それにこれは国同士が決めた政略結婚。
これでも王女の身なので、これを公とするなら、公私を
やがて、
「俺は、お前となら許容するってあいつに条件出したんだ。
最後の質問だけは、あくまで
その返答がどう転ぼうが、
「末長くお世話になります」
二年と言わず、一生お世話になろう。
いや、お世話にならせて下さい。
そんなことを考える私に、ヨシュアから
「……何となくは想像出来るが、一体、どんな日々を送ってきたんだか」
「真っ先に
お
とはいえ、私のその物言いにはヨシュアも笑いを
「でも、ヨシュアって、姉さん達が来てたらどうするつもりだったの?」
私の
だから、あの横暴な姉Aや姉Bが来ていたらどうするつもりだったのだろうか。
そう思って問うてみる。
「それはないと分かってた。逆にメルトを指名すると、それはそれで気に食わないからと
「よ、よくご存知で……」
たとえ相手が
最悪、婚姻が成立した後でウェルグ王国に
八年前に二人で
「だから、あの内容だったんだ」
ただ、何気なく発せられたヨシュアのそのセリフはまるで、はなから私を選ぼうとしているようにしか
加えて、少し前に告げられた私となら許容する、という発言もその予想に
でも、ヨシュアが私に
あくまで私達は、友達。
それ以上でもそれ以下でもなかったから。
「でも、良かったよ」
「良かった?」
「ああ。なにせ、俺に出来る恩返しといえば、このくらいしかなかったから」
──恩返し。
当たり前のように発せられたその言葉。
しかし、私にはその言葉を向けられる覚えはこれっぽっちもなくてつい、
でも、それを
「ひとまず、問題がないようで良かった。長旅で
その言葉を最後に、部屋の
● ● ●
「──良かったのかい。もっとちゃんと話さなくて」
メルトがメイドに連れて行かれたことで、部屋に降りる
そこに、ヨシュアではないもう一人の声が
声の主は、
名を、
「余計なお世話だ。クラウス」
クラウス・ノーズレッド。
ノーズレッド王国が第一王子、その人であった。
「ウェルグとのごたごたをどうにかするのに二年は必要だからさ。まぁ僕は、最低二年。君と彼女が仮面夫婦だろうが表向き、関係を
今回のウェルグ王国と、ノーズレッド王国との和平を推し進めた張本人。
そして、祖先を
ただ、公開されているそれは、真実とは少しだけ異なっており、引っ張り出させるようにヨシュアがクラウスに取引を持ち掛けていたのだが、その内情を知る人間はこの場に居る二人のみ。
だから、クラウスはあえて
「
意外だったよ。
そう告げてくるクラウスの言葉に、ヨシュアはため息を
「……恩着せがましいのは
──それが俺の恩返しだから。
そう言って言葉が
それ以上は流石に
「恩返し、ねえ」
誰かを
それはいつだったか、クラウスがそれとなく
恩返しにしてはあまりに、
「救われたんだ。ずっと昔に、俺はあいつに救われたんだ」
心の中を、
それでも
そんな言葉を胸の中で付け足しながら、ヨシュアは
「人一倍お
つい、恩返しという言葉を使ってしまったが、あの程度なら何とか
言い訳をしながら、ヨシュアは冷酷公爵という呼び名にはあまりに似つかわしくない優しげな
クラウスとヨシュアもそれなりに付き合いは長い。
でも、長い付き合いの中でも見たことのない笑みを浮かべられては、クラウスも掛ける言葉を探しあぐねてしまって。
「クラウスは知ってるだろうが、昔は俺の居場所なんてものはどこにも無かった。側室の子にもかかわらず、アルフェリアの
ヨシュアの言葉が続けられた。
アルフェリア
だが、そのことを
本妻と、その子ども二人──ヨシュアの兄にあたる人物達であった。
そして、ヨシュアの生母はヨシュアを産んで間も無く
当主であり、父でもある公爵は、あまり己の子どもに興味はなく、そのせいで差別こそしないが、特別
結果、アルフェリア公爵家の中でヨシュアだけが
周囲の貴族も、側室の子ども
ただ、そんなヨシュアを救った人間がいた。
それが、メルト・ウェルグだった。
『──ひっどい話だよね。私達、何も悪いことをしてないのに、なんでこんなに悪意を向けられなきゃいけないんだろ』
本当に、
生まれた場所が、公爵家か、王家か。
たったそれだけの違いとさえ言えた。
魔法師の名門でもあるアルフェリア公爵家の特徴を強く受け継ぎ、側室の子ながら魔法師としての才に恵まれたヨシュアと、多くの
本当に似たもの同士で、周囲の人間から
「そんな中、ウェルグ王国の王城にひと月くらいか。
そう言って、ヨシュアは笑った。
「見ての通り、
何もおかしなことはないだろう? と当たり前のように口にするヨシュアを前に、クラウスは苦笑いを浮かべた。
「……
恩着せがましくすれば、政略
でも、そうしないことでメルトに
きっとヨシュアは少なくともこれから先二年と口にしていたように、メルトが望むならばその時点で今の関係の解消だって
好意よりも、恩返しの気持ちが強いせいで、そうしないという選択肢がそもそもヨシュアの中に存在していない。
だから、難儀であると
「何のことだろうな」
指摘の意図を分かった上で、ヨシュアは
余計なお世話だ。
そんな感情を舌に乗せて言葉を発していたことを理解してか。
クラウスは、「仕方のない奴め」と言わんばかりに、小さく笑っていた。
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