悪魔の子

加賀宮カヲ

シャム猫と廃墟とセーラー服

カンッカンッカンッ…………一体、これは何の建物だったんだろう。少女は、酷く乾いた喉をゴクリと言わせながら、水道管をスコップで叩いていた。マトモに水分補給をしたのは、二時間前。水筒の中身はとうに空っぽだった。気温は、40度を余裕で超えている。


この間まで棲み着いていた廃墟の水道から、ついに水が出なくなったので、少女は水を求めて旅に出たのだった。


少女の名前は、チェルシー。黒髪のボブ、半袖のセーラー服とルーズソックス。軍が使っていたというリュックを背負い、首からは、ミリタリーペンダントと双眼鏡をブラ下げている。どう見ても日本のJKだが、チェルシーという名前なのである。


チェルシーには、大切なパートナーがいた。

シャム猫のリリック。オッドアイの美しい猫で、何故か、人の言葉を話す。


「シャベルで叩いても、水道管は壊せないでしょ。いつになったら学習するの。」


ヒラッと瓦礫の上に舞いのぼり、身繕いをしながらリリックは答えた。


「えー。だってここ、他に何にもないじゃん…………」


チェルシーがベタッと地面に座り込む。もう何年も、他の人間には会ったことがない。その昔、大きな戦争があって、人類の殆どが死に絶えてしまった。と、リリックは言っていた。


リリックは物知りで、何でも知っていた。

性別は不明。

時たま、コイツはロボットなんじゃないかと思うことがある。


前に住んでいた廃墟で見つけた漫画。そこには、猫型のロボットが登場してきていた。リリックより、間抜けな猫型ロボットだったけれど、あれって実在してたんじゃない?


「チェルシー。」


リリックの声がする。んしょっと立ち上がるとセーラー服の襟をひらひらとさせながら、瓦礫の山に鎮座するリリックの方へと歩いて行った。


「見て、あそこ。」


双眼鏡を取り出そうとして、猫パンチをくらう。怒らなくてもいいじゃん…と思いながら、オッドアイが向く方向に目をやると、不自然なが見えた。


「アレ、何だと思う?」

「わっかんない。」


再び、猫パンチをされる。


「人間が仕掛けていった、地雷よ。さっき、様子見てきたの。あの下から、水が流れる音がしてたわ。」


一人と一匹で、顔を見合わせる。

持っていたスコップを槍のようにして狙いを定めると、の中央めがけて、思いっきり投げつけて、しゃがんだ。


ドーーーーーン!!!


大きな音と共に土埃が舞う。耳を塞いでいたチェルシーが立ち上がると、ぽっかりと穴の空いた床から、水が溢れ出していた。


「やったあ!!!」


たまらず走り寄って、よく冷えた水をゴクゴクと飲む。シャラリシャラリと優雅に歩いて来たリリックも、美味しそうに水を飲んだ。


殆ど砂漠のような荒野を、半日以上もかけて歩いてきた甲斐があったというもの。

前回、雨が降ったのは一年前だった。

チェルシーはセーラー服を脱いで、ついでに水浴びもした。リリックは、猫だから水浴びをしない。


「猫って、元々は砂漠の生き物なのよ。過酷な環境でも生きていける。本来はそういう生き物なの。」


それがリリックの口癖だった。

水に濡れたままの身体で、服を羽織ったチェルシーは髪をブルブルッと振るい


「しばらく、ここで暮らそうか。」


と、リリックに持ちかけた。断る理由などない、とでも言うように、リリックはそのまま廃墟の散策に出かけていってしまった。

チェルシーは大の字で横になると、廃墟の崩れた天井から晴れ上がった空を見上げて、大きく深呼吸をした。




「昔は、夜になると火を焚いたものだけれど。」


と、ランタンの明かりを見つめながら、リリックは呟いた。ふーん、という面持ちでチェルシーは聞いている。昔は狼という生き物がいて、人間は生き物の中でも一際弱かった。だから、火を使うようになったのだ。と、以前聞いた事がある。けれど、今は人間を脅かす生き物もいなくなってしまったので、火を使う必要性もなくなった、とリリックは言っていた。


そういう話を聞く度に、チェルシーは羨ましいと思う。彼女が物心ついた時から、世界は既に荒廃しきっていた。


最後に会った人間の事を思い出してみる。


「リモートセンサー、カイジョシマス。リモートセンサー、カイジョシマス。」


それしか言わない、女の人だった。

頭がおかしくなってしまったのだ、とリリックは言っていた。


きっと私の頭がおかしくならないのは、一人ぼっちじゃないからだと思う。チェルシーは、リリックのふかふかの毛皮に顔を埋め


「ずっと、一緒にいてね。リリックは、私のお母さんみたい。猫なのに、賢いし。私なんかより、ずっとずっと大人だし。」


と、言いながら抱きしめた。


リリックは、チェルシーの顔をペロッと舐めながら


「当然でしょ。。」


と言った。そうして続けて


「女子高生も、限界かもね。学習パターンに、偏りがありすぎる。」


そう言いながら、チェルシーの腕をすり抜けていった。リリックの口には、彼女が首からずっとぶら下げていた、ミリタリーペンダントが咥えられ、ランタンの光を浴びてユラユラと輝いている。


「チェルシー。貴方には、子供の頃の記憶はある?」

「ないよ。だって、みんなそういうものでしょ。」


「じゃあ何故、貴方はお母さんなんて知っているの?」


あれっ?どういう事だろう?チェルシーは首を捻る。その瞬間、首が奇妙な方向に傾いたまま元に戻らなくなった。身体に力が入らない。そのまま膝をつき、バターンと思い切り顔から倒れ込んでしまった。


「だから、チェルシー。貴方は私なのよ。」


リリックが続ける


「私は、もうずっと生きてる。人類は、私を残すのみとなってしまった。人間の身体では、この環境下では生きられない。だから、ヒトゲノム情報をこうして。」


シャラン…とペンダントを口から落とす。


「ずっと保管して、データの蓄積もしてるんだけど。人間は、なかなか作れない。」


機械人形のようになったチェルシーが、ジッ…とノイズが混じり始めた声で口を開いた。


「………何年…………ソンナコトしてる…ノ。」


「4千年。チェルシー、貴方はもう600年稼働してる。以前、出会った人類はね。チェルシー、貴方よ。」


「マエの…………わたシ?……」

「ええ。ヒトゲノム情報と3千年分のデータを蓄積して作った人類、みたいなもの。」


どんどん視覚にノイズが混じる。

チェルシーには、死への恐怖がない。

そうして、消えゆく意識の中で、歩いてくる人間の姿を見ていた。


「リモートセンサー、カイジョシマス。リモートセンサー、カイジョシマス。」


「ねえ、あの人は一体どうしたの?」


学ランを来た白髪の少年がリリックを抱きかかえながら、話しかけた。軍が使っていたというリュックを背負い、首からは、ミリタリーペンダントと双眼鏡を下げている。


「さあ、頭がおかしくなってしまったのね。まだ若いのに、可哀想。」


リリックはそう言うと、砂地に飛び降り、少年と共に満天の星が瞬く荒野の中を歩き出した。



























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