第8話
―――はたしてそれは前方数百メートル地点の路地裏にいる。
「チィィッ!」
(また切られやがっただとォ……! このオレサマの『不可解の縛鎖|(インビンシブル)』がァアッ!)
ぶかぶかのローブと鈍色にうねる長髪で埋もれる痩身の男。
少女を襲う魔法使いは、おのれの魔法に抵抗されたことに激昂(げっこう)していた。
(ありえねえッ! インビンシブルは絶対不可解ッ! 見えねえ聞こえねえ触れねえ匂わねえ!言うに及ばず味だってねェんだよぉッ! ありえねえ、ありえねえッ!! ありえねェエエエッ!)
魔法使いが荒々しく腕を振るう。魔法のイメージを補強する行動だ。そうすることにより彼の操る透明のロープは思うままに動く。
そうして再び少女を襲わせるが、またしてもあっさり切断される。
「クソがぁ……ッ!」
イラ立ちは拳を壁に叩きつけても収まることがない。
むしろ拳の皮がむけて血が滲み、そんなことさえもが男の神経を逆なでた。
(なにが起こってやがるッ! あのガキの力じゃねえッ! なにかいやがる! 邪魔モンだッ! そいつがこのオレサマの最強の魔法をッ! 許せねえッ! ぜってえに暴いてやるッ! このオレサマの魔法に干渉できるなんてこたァあっちゃなんねえんだよッ!)
魔法使いが再び腕を振るう。
こんどの目標は少女ではない。少女の近くにいるはずのその何者かを手当たり次第に狙い、不可視のロープが暴れまわる。
(―――ッ! 居やがったッ! 捉えたッ!)
ロープ越しに感知する確かな手ごたえ。すかさずその全身を拘束して引き寄せる。
(一度捉えりゃこっちのもんだッ! インビンシブルは対象以外のすべてを透過するッ! 壁に床にゴミにブチ潰されて死にかけの芋虫みたいになったところでよぉッ! その砕けたボロクズをよぉッ! オレサマの目の前にブチ堕としてやるァァアアアッッ!!!)
迫る、迫る、迫る。
感触でわかる。いろいろな場所に衝突しながらそいつは大人しく引きずられてくる。
インビンシブルが伝達する速度は人間の小走り程度の速度でしかない反面、いちど対象とした相手ならば何キロ先までも追うことができる。ゆえにいくら切られようがもはや問題はなかったが、どうやらその気配はないようだった。
「くっくくッ! どうやらテメェは拘束されりゃあどうしようもねえみてぇだなァ……!」
(テメェの秘密をブチ暴いてからブチ殺してやるァッ! 十中八九魔法だろうがよォ、んなクソッたれ魔法がこの世にあっちゃいけねぇよなァ……ッ!)
不可知に触れた不届き者はもはや目前。
もうひとつ向こうの路地を曲げればすぐそこだ。
「さあ姿を見せやがれッ!」
ぐい、と引く張力が、ふっと緩む。
曲がり角から飛び出したのは―――女。
予想通りに少女を胸に抱き、けれど想定を裏切りひとつの怪我もない。
「な、あっ、んだとぉ……ッ!?」
そして空中でくるりと回って着地する女の拘束は、すでに切り裂かれて消えていた。
(バカなッ! いまアイツはなにをしたッ!)
男はその動きをなにひとつ捉えられていなかった。
瞬きの合間にはすでに拘束は解かれていた。
「―――一応、確認させてもらう」
女の赤い瞳が男を見据える。
「お前が、コレを狙う敵か」
喉元に刃を添えられたような緊迫感に締め付けられ、男は無意識に後ずさる。
(た、タダモンじゃねえッ! こいつァプロだッ! 間違いなくッ!)
ごくりと喉を鳴らした男は、それをごまかすように女を睨みつけた。
「な、なんだァテメェ……ッ!」
「質問に質問で返されるのは不快だ」
「テッメ……ナメやがってよぉッ!」
淡々と告げる女に男は歯を噛み鳴らす。怯えを怒りに転化し、張り詰めた青筋が今にもはじけそうなほどに奥歯を噛みしめる。最強の自分の前にあって上から目線でいられることがひたすらに許せない。
インビンシブルは絶対の不可解。
本来ならば抗うことなどできるはずもなく。
それを揺るがす相手など、許しておけるはずもなしッ!
「そこまで言うなら存分に教えてやるぜぇ……」
怒りにひくつく頬を強引に引き上げながら振り上げた腕を、
「テメェをブチ殺してよォッッッ!!!!!」
咆哮とともに振り下ろす―――ッ!
殺到する不可知―――不可識―――不可解―――ッ!
主の意思に空間を伝うウネリの力に気配はない。
風に音に光に触れず、それでも確かに存在するという異質こそが彼の魔法。
ありえないのにある―――それが魔法というものなのだ。
(バカめッ! このまま捻り潰してやるァッ!)
見えず、触れず、あらゆる感覚で捉われない縛鎖はいとも容易く女の身体に巻き付き。
「答えるつもりはないっていうことでいい?」
そして女がわずかに身じろぎをしただけですべて切り裂かれていた。
一瞬だ。
ほんの一瞬の出来事。
しかし男は確かに見ていた。
その一瞬にきらめいた白刃を―――!
(あいつァ、ナイフだッ! ナイフがオレサマのインビンシブルを断ち切ったッ!)
首に、腕に、さらけ出された皮膚の上に、確かにそれは生じていた。
絡みつくインビンシブルの下に発生した白のナイフ。
断ち斬った瞬間にはすでに夢幻のように消え去ってしまったが、男の眼は確かにそれを捉えていた。
(あのナイフッ! あのナイフは……ッ!)
あらゆるものを絶つ無垢のナイフ。
ここ最近急速にその名を市井にまで広げる無貌の暗殺者。
その呼び名を彼は知っている。
「テメェ―――白無垢ゥウウウウウッ!!」
その名を告げられたセブンスは、無表情の裏で密かに眉をひそめた。
(マリーが喜ぶとはいえ、こうして名前が広がるのはやっぱり不快だな)
そう思いながらもただ男を見据えるセブンス。
けれど肯定の言葉など必要なく、男はすでに確信しているようだった。
(間違いねえッ! コイツは―――コイツこそが……ッ!)
親の仇ほどに憎い相手との遭遇に、男は激しく身震いする。
「テメェが、テメェが白無垢だなッ! ダンマリ決め込んでも無駄なんだよッ!」
全身を震わせるほどの激情に苛まれながらも男の思考は研ぎ澄まされていった。
どれだけ荒れ狂おうと、その視線はまっすぐに憎き女を捕えている。
「そのナイフッ! ああそうとも見覚えがあるぜェッ!」
(カラクリが分かったぜ……ッ!インビンシブルをブチ切りやがったそのカラクリッ! インビンシブルが伝達するのは魔力ッ! ヤツはそれをブチ切ってやがんだッ!)
魔力―――全ての空間、物質、そして生命のなかにまで等しく存在する源の力。
それに力を伝達してロープのように操作するのが男の魔法『不可解の縛鎖(インビンシブル)』。
本来それは介入できないものだ。水中で水鉄砲を放つように、魔力のなかで魔力ある者がどう振舞ってもせいぜいが流動する程度のこと。
だが例外があるとするならば。
(ヤツのナイフは一切の魔力を遮断するッ! 知っているッ! 魔王陛下の御身(おんみ)に突き立ったあのナイフをッ! だから切れたッ! ヤツのナイフはそのものが魔力的な絶縁体ッ! 魔力が透過できない唯一のものッ!)
彼の思うとおり、セブンスの魔法―――『純白(ピュア=ホワイト)』は、魔力を遮断する白無垢の短剣を生み出すというそれだけの魔法だった。
(だがッ!それだけならオレサマのインビンシブルは負けやしねえッ!)
「言い逃れなんざできやしねえぞッ! 間違いねえッ! そのナイフはこのオレサマの目ん玉にブチ刻まれてんだよッ!」
男はローブをかきむしるように肩を晒す。
薄暗闇の路地裏にも目立つ―――膨張する輝きの印(しるし)。
魔王(おや)を殺された残党(こ)が、いまその仇の前にある。
セブンスはそれを見ても表情ひとつ変えないが、内心ちょっぴり浮かれていた。
(こっちも魔王関係……マリーが喜びそうだ)
そんな態度が気に入るはずもなく、男は飛び出しそうな勢いで目を剥いた。
「あ゙ぁんッ!? 分かんだろぉがよォテメェ……ッ! 見覚えねえたぁ言わせねえぞこのクソ野郎がよぉッ!」
踏み鳴らす足音が路地裏に響き渡る。
「こんなところでよォ……魔王陛下の仇に会えるたぁよォ……ッ! そいつぁやっぱり幸運の妖精ってやつなんだなァええおぃいいッ!!」
(幸運の妖精?)
それは貧しくも清廉なる者のもとへとやってきて、幸運を与える愛らしい妖精。
おとぎ話でもないと聞き覚えのない言葉だ。少なくともこんな場面で出る単語ではなく、なんなら贅の極みにある絢爛なる魔王などは対義語に上げられてもおかしくはない。
「コレを狙う理由はソレ?」
「ハッ! テメェなんぞに教えるわきゃねェだろぉがよォッ!」
「そう」
(面倒だけど、マリーのためにやるしかないかな)
なにか面白いネタの気配がするその詳細でもつかめれば、また記事に乗るような仕事ができるかもしれない。
そうするとマリーの趣味が捗るので喜ぶし、セブンスは褒められるしで二重に嬉しい。
さくっと拷問でもしようかと瞳を光らせ歩み寄るセブンスに、
「くはッ!」
男は醜悪なまでの嘲笑を向ける。
「まさかテメェこのオレサマとヤろうってぇのかァ? あ゙ぁんッ!?」
両腕を広げ見下すその身体が、するる、と空中に浮き上がっていく―――否、それは正確には吊り下げられているのだ。不可視のロープによって身体を固定し、男は宙づりとなっている。
セブンスからすればそれは不可解な行動だった。
視線的に上位に立って優位を示そうなどという人間臭いプライドを、彼女は欠片も理解しない。
それでも男は、憎らしい相手を見下ろしたことで生来のどう猛さを取り戻していた。
自分の魔法を揺るがしかねない相手への無意識の怯えはすでにその胸中にない。
「バカがよォッ! もうとっくにテメェはブチ終わってんだよッ! このオレサマと向かい合った時点でよぉぉおぉぉおおッッッ!」
ずぉ、とローブがうごめく。
次の瞬間ブチまかれる種々多様な武器の数々―――それらは銃口を切っ先を先端を刃をセブンスへと向けて整列し、男の哄笑(こうしょう)に合わせてあざ笑うように震える。
「言っとくがよぉッ! こんなもんはただのオマケだッ! ちゃんとテメェがビビれるようにしてやってんだよッ! 分かるか! あ゙ぁ!? なんたってオレサマのインビンシブルは究ッ極に不可解だからよォッ!」
ビッ!と男が人差し指を立てると同時、セブンスの胸中に生ずる不快感。
先ほどからやかましい男を、一応なにかの情報でも漏らしてくれないかと生かしていることについては極めて不愉快ではあったが―――それだけではない。
即座に全周囲を切り裂いたとたん消失するそれは、気分ではなく物理的なものだった。
(体内に侵入できるのか)
体表をすり抜け臓器そのものを拘束されたという事実をひどくあっさりと理解するセブンス。なるほどと納得していると再度生じた不快感を即座に切り裂く。
「無駄なんだよッ! どんだけテメェがブチ切ろうがオレサマのインビンシブルは尽きやしねえッ!」
そして男は、セブンスを仕留めるために腕を振るう。
一方のセブンスも、そろそろ男が不快なので黙らすことにした。
「は、ぁ? んっだ、テメッ、」
淡々と歩み寄るセブンスに男は困惑する。
腕を振るい振るい不可解の攻撃を仕掛けるのに、セブンスの歩みは一歩たりとも止められないのだ。それならばと武器を振るったところで結末は同じ。
なんということはない。
見えないのなら周囲すべてを切ればいいし、もちろん見えるのならそれを切ればいい。
そんなひどく単純な力技で歩み寄ったセブンスは、トンっと軽やかに飛び、銃撃や刺突や斬撃の尽くを弾いて、男の右胸にあっさりと短剣を突き刺した。
「ぁ、が、」
―――心臓の対に、魔臓という臓器がある。
それは人の体内に血液のように魔力を循環させるためのものだ。
短剣は、その最大の管を寸分たがわず切断していた。
あふれだした魔力が傷口から吹き出し、そして男はセブンスとともに落ちていく。
着地したセブンスの前に、受け身さえ取れず男は墜落した。
がしゃがしゃとやかましい音を立てて降り注ぐ武器たちの中でセブンスは呆然とする男を見下ろす。わずかに香る血液の、イヤに鉄臭い匂いが彼女には不快だった。感知できない攻撃と相まって、顔を見ているだけで胸中に不快感が生まれる。
男の不可解など、悲しいことに、セブンスにとってはただの不快どまりでしかない。
男はしばし呆然とし、しかしやがて嘲笑を浮かべた。
「くはっ、だ、だがオレサマぁなにも喋らねえぞ……どのみちブチ死ぬんならなんにも
なにげなく蹴り飛ばした男の手首が切断される。
「―――ぐっ、ぅうおぉおおおおッ!!?」
腕を失ったという事実を一息遅れて理解した男が身じろぎもできず絶叫を上げる。
どくどくとこぼれ落ちる血液に靴が汚れるのを厭(いと)うセブンスが片足を男の心臓に乗せた。
「いまからお前の腕はハムだ。分かるか? 縄で縛られてスライスされるのを待つただの肉だ。死にたかったらコレについて知っていることを喋れ」
「だ、だれガァッ!!?!?」
追加のひと蹴りで、男の腕が指先くらいの厚さだけ切断される。
セブンスは拷問のやり方をあまり知らないので、かつて見たことのある拷問をセリフごと再現しているのだ。
(ちゃんと断面を見せるのが大事なんだっけ)
そんなことを思いながらセブンスは男の胸に体重をかける。
「喋れ」
「ぐっ、く、くぐ、ぅぎぃッ!」
返答が遅いのでさらにもう一切れ、ついでにもうひとつ。
「悪いな。おまえがあまりにもグズのノロマだからこっちが急いてしまった」
「テメェッ! テメェエエぃいぎぃあぁああっっっ!?」
やはり答えないからと肘のところまでを三枚におろせば、男はまた大きく絶叫をあげる。
やかましいので肘から先を切り落としてやった。
(なかなか吐かない。やっぱりこういうのは苦手だ)
それでも最後まで試してみようと、その後男の片腕がなくなるまで繰り返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます