第7話
ふたりがアパートの真下にたどり着いたときには、すでに少女は屋上に辿り着いていた。
(つい来てしまった)
白昼夢の光景が思い浮かぶ。
それは不思議とその先に続いた。
少女は飛び降りて、そしてセブンスは避ける。
少女は真っ逆さまに地面に叩きつけられて、へし潰れた頭からはどくどくと血液が広がっていく。漂う血液の匂いに、瑞々しい果実のような甘酸っぱい芳香が混ざっていた。
(まただ。なにか既視感みたいな―――まるで思い出みたいな)
不可解な感覚があった。
白昼夢のようなものを見ている感覚。錯覚に違いない。けれどほんとうにそれを経験したことがあるような気がする。
既視感に似ているが、そんな異様な光景を見たことがあるはずもなかった。
そして匂い。嗅いだことがあるのなら忘れようもないほどにいい香りだ。
セブンスはわずかに視線を細めて少女を見上げていた。
通行人たちも次第にその異様に気がつく。
視線の中、少女は屋上でなにかまごついている。
そしてまた落ちた。
またセブンスは避けた。
それなのに少女はまだ屋上でまごついている。
(……? 違う、タイミングを計っている?)
少女の瞳には戸惑いも恐れもなく、彼女はただ理知的にストリートを見下ろしているようだった。
不可解な心地だった。
どんなタイミングでも自分は受け止めないのだとセブンスは知っていた。
だから何度も少女が落ちて死ぬのを見たような気がしていた。
それなのに少女はいったいなにを計っているのか。
(それとも違うなにかを待っている? どのみち落ちたら死ぬだけのはずなのに)
セブンスは自分の胸の中に興味が芽生えるのを自覚していた。
少女の狙いを知ってみたいとそう思った。
―――少女はまた、飛び下りる。
それが現実であるとセブンスは即座に理解した。
何通りもの少女の死に様を知っていた彼女は、けれどそのあと少女がどうなるのかを知らなかった。
「セブンス! ちょっと!」
少女は真っ直ぐにセブンス向けて落ちてくる。
マリーが腕を引いて逃れようとするが動こうとは思わなかった。
そうする必要がないことを知っていた。
そう、いつの間にかセブンスは知っていた。
―――少女が空中で停止する。
「かぴゅっ……!」
セブンスの目と鼻の先で。
落下の衝撃で唾液を吐き出しながら、それでも生きて止まる。
透明な髪が陽光に透き通って虹色をまき散らした。
まるで身体になにかが絡みついているかのような跡が少女の全身に生じていた。
目視できないなんらかの力によって拘束されている。
そして少女は、そのなんらかの力に引きずられて路地の向こうに消えていくのだ。
(分かる。そう。このままこの子は連れ去られていく)
暴れる少女を戒めるかのように締め付けが強くなる。
「ぅうううううっ!」
皮膚が絞られる痛みに少女は食いしばる。
わずかに血がにじみ、手術着のような服がまばらに染まっていく。
この直後だ。この直後に少女は連れていかれる。
かといってセブンスは動かない。
少女に興味があった。
飛び降りのタイミングを計ったのはこのためだ。
セブンスをして補足できないなんらかの力による拘束、それを狙って飛び降りたのだ。
そんな芸当をして、それなのにこの状況を打破する力のなさそうな少女に興味があった。
次に彼女はなにをするのかと、見開かれた真珠色の瞳を見つめた。
少女の指がぴくりと動いた。
絶叫を噛み締め、涙とともに言葉を吐いた。
「たす……け……て……」
セブンスはその言葉を百回は聞いた気がしていた。
しょせんは気のせいだったし、セブンスは知っている。
なんど請われようが自分の返答は無言だ。
―――ずり。
と、そのとき少女がわずかにズレる。
身じろぎと傷に滲む血液のせいで拘束が滑った。
それでも逃げることはかなわない。
しかしその行為によって、セブンスの目に見えるようになったものがあった。
少女のまとう衣がズレて、ささやかな膨らみがすこしだけあらわになる。
その真ん中。
心臓を上塗りするように刻まれた特徴的なタトゥ。
膨張する輝き―――絢爛(けんらん)なる魔王を象徴する印。
そしてそれを見たのは、セブンスだけではなかった。
「―――セブンスッ! 救いなさい!」
(楽しそうなことになってきたじゃない!)
歯をむき出し、獰猛(どうもう)でさえある笑みを浮かべながらマリーは吠える。
つい最近お世話になったばかりのセンセーショナルな題材に関連する少女。
上手くすればまた話題をさらえるに違いないと彼女の欲望が閃いた。
(マリーが言うなら仕方ないか)
指示に従い、セブンスはすでに少女に到達している。
軽やかな跳躍(ちょうやく)とともに舞う閃(ひらめ)き。
一息の間に少女は拘束から解放され、セブンスの腕の中にある。
「よくやったわセブンス。とりあえずウチに運びましょうかしら」
「いや。まだイヤな感触がある」
(どこからかは分からない……けど、まだ終わってない。それは確か)
視線をめぐらすセブンスの腕の中で少女がまた声を上げる。
「あぐっ」
もがく少女の手が、首を絞めつける痕をかきむしっていた。
セブンスがまた切り裂けばあっさり痕はなくなったがやはり安堵はできない。
(まただ。なにも感じられないのにそこにある)
少女を拘束するなにかの正体がセブンスにはまだ理解できていなかった。
常人よりも鋭いセブンスの感覚でさえ、少女に触れるまで気がつくことができない。
(間違いなく―――魔法。それも追跡と拘束に特化した)
魔法―――ある個人だけが有するかもしれない超常の法則。
未知で希少で不可解で、そして等しくありえない(・・・・・)能力。
つまりいまの状況はまさしくそれであり、
「まず敵を始末する。マリーは離れてて」
セブンスという人間はそんな状況を数えきれないほどに踏み越えてきた歴戦の者だ。
だからこそためらいなく告げる彼女にマリーはあっさりと頷く。
「あらそう。じゃあカフェの席を取っておくわ」
圧倒的な信頼にセブンスは笑い、彼女の頬にくちづけた。
「奥の方がいいな。飲み物は後でいいや」
「分かったわ。あまり待たせちゃやあよ」
応援のくちづけを返してマリーはゆうゆうと去っていく。
それを見送らず、セブンスは建物の奥の路地に視線を向けた。
こんな目立つ格好で走る少女に注目が集まっていなかったということは、恐らく少女は目立たない場所から現れた。それに該当するのが建物の隙間の路地だ。先ほど引きずられていくのもその方向だった。
「あ゙ぅっ!」
また少女を拘束が襲う。
即座に切り裂くが、このままだと少女の身がもたない可能性もあった。せっかくのマリーとのデートなので、見知らぬ少女をわざわざ病院に連れて行くのはごめんだ。
(形状からして鎖かロープのようなもの。根元を追いたいけど感知できないとそれも不可能か。……いや)
セブンスの瞳が深紅に閃き、見通せぬ先の魔法使いを睨みつけた。
(コレは確かにどこかへと連れて行こうとされていた。もしもこのロープが魔法使いを中心にしているのなら―――どこかなんて、決まってる)
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