第3話

 □■□■


『絢爛なる魔王暗殺!? またしても白無垢の仕業か』

『夜の帝王ついに崩御する』

『豪華絢爛の夜王ブライトネス氏、散り際は密やかに』

『「かの冷酷無比なる殺人鬼を我々は必ず逮捕してみせるだろう」国際警察の力強い声明』

『魔王一派の目に余る輝き(・・)。激化する跡目争い』

『魔王殺しの謎に迫る~白無垢と呼ばれる暗殺者~』

『やはり白無垢は暗殺集団だった! 10の証拠から正体を暴く!』


 などなど。

 ちらりと視線を巡らせるだけでも『シロムクガー』『ケンランガー』とやかましく騒ぎ立てる見出したち。人目をひくためのインパクトも、興味がないうえに足の踏み場がないほど散らばっていると目が散って目障りでしかない。

(うーん。今回はやっぱりいつもよりすごいなぁ)

 アパートメントの2LDKを埋め尽くす紙面と紙面と冊子と紙面とを見て女はしみじみと思う。

 黒髪に赤い瞳の女だ。ちょっと前に魔王を殺した、白無垢などと呼ばれる暗殺者。

 名をセブンスという。

 彼女の自宅はいま、その所業を伝える記事によってところせしと埋め尽くされていた。はたして山脈と呼ぶべきか海と呼ぶべきかそれとも森と呼ぶべきか―――ともかく未開拓の自然さながらに支配されていた。

 それらは今朝がたからひっきりなしに届いていて、ひと段落したいまでさえ数分おきに郵便受けが喉を鳴らしている。盛況時など配達人が家の外に並んでいたせいで他の住民からの苦情さえ届かなかったほどだ。


 がしょん。

 と、しみじみ呆れているうちにまた鳴った。


 いっそ開きっぱなしの郵便受けから滑り落ちてくる新聞をキャッチすれば、そのとたんに音を聞きつけた同居人がやってきて勢いよく紙束を奪い去った。あまりの勢いで長いライトブラウンの髪が残像を残すほどの早業だ。

 一般人であるはずの同居人マリーが見せた超スピードにセブンスは苦笑する。

 そんなことはお構いなしの同居人はまずその新緑にきらめく瞳が見出しに触れてしまうほど顔を近づけた。そして舐るように見出しを読み、読み直し、読み返し、さながら言論統制の敷かれた国の検閲官のごとき鬼気迫る綿密さでもって記事を追い立て、その内容をじっくりと咀嚼(そしゃく)したのち、ようやく感情を思い出したかのように満面の笑みで咲き誇る。

「さすがねタイムズストリート! ひゅう! やっぱり一面大見出しよ!」

「それはよかった」

 同居人の心からの笑みに、セブンスはつられてにっこにこ。

 かなり乱暴かつおざなりに扱われた冷酷無比なる暗殺者。けれども文句の一つもないし、むしろ幸福そうに同居人の頭をなでなでなどする。冊子を手に小躍りする同居人を見るだけで嬉しいと表情が語っていた。

 それどころかしみじみと。

(ちゃんと殺せてよかった)

 そんなことをさえ思う始末。

 冷酷無比どころの騒ぎではなく、魔王の命をものとも思っていない。魔王も草葉の陰で泣いているだろう。

 けれどこれこそが、彼女が暗殺者などという物騒な生業(なりわい)で生計を立てる理由なのだ。


 ①『白無垢』という有名人が『絢爛なる魔王』を殺して話題をさらう。

 ↓

 ②スクラップ収集を趣味とする同居人が喜ぶ。

 ↓

 ③自分も嬉しい。


 そんな極めて個人的な理由のために、自分の持つ殺しの能力を存分に活用している。

 恋人の笑顔のためなら魔王だって殺すし、暗殺者のくせに名前も売る。なんなら毎回死体に自分のトレードマークとでも呼べる短剣だって残す。そもそも『白無垢』とはその短剣からつけられた異名だ。

 最近なにかと巷で騒がれる彼女の実態は、おおむねそういうものだった。


 そんな彼女にまつわる記事の見出しを六度は見返して感涙を流す同居人は、感動のあまり記事をぎゅーっと抱きしめる。じたばたと足を鳴らしてあふれそうになるなにかを必死に発散するが、それでも我慢ならずにセブンスへと思い切り顔を近づけた。

「ああどうしましょう! クラップブックは足りるかしら! 魔王殺しなんて始めてだったけれどこんなことになるなんて! 今回はきっと十冊でも足りないわね!」

「有名な魔王だったみたいだからねえ」

 にこにこと笑ってあいづちを打つセブンスに、マリーは心底から誇らしげに笑う。

「うふふ! 半分はあなたのことを書いてるのよ? もぉー! 大好き!」

 改めて口にしたことで感謝の気持ちがあふれたのかむぎゅーと抱き着いてぐるぐるとはしゃぎまわるマリー。

「オカルト雑誌なんかは完全にあなたのおかげじゃないの白無垢さん♪ ほらこれもこれもこれもこれも!」

 床から拾い上げてはあれこれと見せつけられる記事たちは、白無垢が被害者たちへの怨念の集合体だとか別の世界からの刺客なのだとか自信満々なフォントで訴えていた。

 そんな荒唐無稽(こうとうむけい)な記事でも彼女は心の底から喜んでいるようだ。

 恋人である白無垢の記事を収集するのが趣味だという彼女からすれば、届く記事はすべてラブレターのようなものなのだ。

(絢爛(けんらん)殺しなんて依頼を拾えたのはほんとにラッキーだったわ♪)

 白無垢への依頼を取捨選択している彼女は、その依頼を知ったとき夢のように思ったものだ。それがいまこうして記事として手元にやってくるとようやく事実という実感が沸いて、朝から大興奮しっぱなしだった。いざ苦情をと乗り込んできた近隣住民が裸足で逃げ出すくらいの歓喜っぷり。

「ふふ。マリーが喜んでくれるならよかったよ」

 セブンスが笑って抱き返せば、マリーはそれはもう熱烈なキスをくれる。

 けれどうっかりその気になれば同居人はあっさりと拘束を抜け出してまたまた紙の束にダイブしてしまった。記事を貪り読んでは見出しを切り取り、偏執的なまでの正確さでスクラップブックに貼り付けるという重大な作業にとりかかるのだ。

 その趣味の前では愛欲は二の次だった。セブンスの仕事の後はいつもそうだ。

 セブンスは目の前で好物が売り切れてしまったような憤りにも似た残念な気持ちになったが、彼女が楽しそうなのでまあいいかと笑った。

 ふたりの力関係は、おおむねそのようなもの。


 同居人にして恋人であるマリーの、セブンスは愛の奴隷だ。


 マリーの前にあってはセブンスは忠実な犬になってしまうのだ。

 おあずけを命じられたのなら尻尾を振ってそれに従うばかり。惚れた弱みというやつだろう。そうすることさえ心地いいと思えるセブンスにとって、おあずけはご褒美みたいなものだった。


(さて、マリーにはたっぷり楽しんでもらわないとね)

 そしてセブンスはとてもお利口な犬なので、待っている間はマリーのお世話もする。

 なにせ彼女は本気で集中しているとそれ以外のことをすっかり忘れてしまうのだ。

 空腹ものどの渇きも忘れるので、こぼれにくいパウチ入りのミネラルウォーターやレーションの飲み口をくわえさせてやらないと自分からはなにも摂取しない。

 さらに自分が二足歩行の人類だというのも忘れてしまうので、記事を泳ぐ以外に動かないうえに、目当ての記事を見つけたのならどんな体勢にあってもすぐに読まなければ気が済まない。だから適度に体向したりストレッチやマッサージで身体を痛めないようにしてあげる必要がある。

 もちろんシャワーなど浴びようとしないので、記事を濡らさないようにと細心の注意を払いながら清拭や洗髪もする。

 睡眠リズムを保ってあげるために意識を失わせるのはちょっぴり気分が悪いが、マリーのためなのでせめてなるべく痛くない方法でしてあげている。


 まるで介護でもしているかのような大変な奉仕だが、セブンスはこの時間がとても大好きだった。マリーのために人生を使っているという確かな実感があって充足する。

 今回はとくに大きな話題だったので実に三日にもわたる長丁場となったが、セブンスは見事にマリーの世話をしきった。


 ―――そんなおあずけ期間があるからこそ、そのあとにもらうご褒美は格別というもの。


 四日目はそのご褒美を堪能するだけで一日が蒸発して。

 そして境目なくやってきた五日目。


「しばらくはお休みにしたらどうかしら」

 セブンスの腕を枕にしながらマリーがこぼす。

 眠たげに緩んだ視線はぼんやりと愛おしい人に向けられている。たっぷりと礼をしてされて、満足に浸った穏やかな表情はいまにも眠ってしまいそうだ。

 セブンスはそれに笑みで返し、恋人の柔らかくもちっとした頬をそっとなぞった。

「そうだね。マリーとのんびりしたいな」

「わたしもよ、セブンス。愛してるわ」

 幾度となく聞いたマリーの言葉。何度聞いてもまた聞きたくなる心地よい響き。

 セブンスが口づけで応えれば、彼女はくすぐったそうに笑った。


 やがてマリーは目を閉じて、その吐息が寝息に変わるのはそれからほんの数十秒後。

 どうやらずいぶんと疲れているらしい。なにせついさっきシャワーを浴びさせているときも半分くらい眠っていたくらいなのだ。しばらく眺めていても寝言のひとつもないほどに熟睡してしまった。

(ちょっとやりすぎちゃったかな。なんだかんだ二週間くらいしてなかったし)

 セブンスはあくびをして、マリーを抱きながらすこしだけ眠ることにした。

 細くしなやかに鍛え上げられたセブンスとは対照的に、たまにジムに通ったり通わなかったりするマリーの身体はふわふわだ。だからこうして抱きしめるととても心地よい。ほどよい疲労感に加え最高の抱き枕があって、今日はひさびさに心穏やかに眠れそうだった。


 眠ろうと思ったとたんにやってくる眠気にうつらうつらとしながら、セブンスはそっとマリーの額に口づける。

「愛してるよ、マリー。死がふたりを別かつまで―――ずぅっと」

 愛の祝詞を口にして、それから彼女は深い眠りへと沈んでいった。


 ―――殺しも奉仕も夜も朝も、愛する人のためにだけある。


 彼女の望みはただひとつ、愛する人に永遠に愛されること。

 

 それがセブンスという女の全てだった。

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