裏の顔
風呂での迫間の胸の事を、迫間と共に部屋に戻った後も考えていると、迫間が備え付けの机に何かの本を広げて、読み書きを始める。
「七加瀬くんから聞いてると思うけど、私は寝ないから、寝るなりなんなり好きにしなさい」
「あ、ああ。分かった」
そう答えた私は、電波の繋がらないスマホを立ち上げて、オフラインでも出来るテトリスを始めようとしていたのだが、違和感を感じてその手を止める。
ん?何かおかしい。
迫間は、こんな話し方の女性であっただろうか。
違和感を覚えた私は、目を丸くしながら、迫間を横から眺める。
そんな私に気づいた迫間は、本に書き込む手を止める。
「なに、興味あるの?」
やはり、日中の迫間とは明らかに態度が違う。目つきも少し悪いし、言葉に少し棘がある。
「あ、ああ。な、何やってるんだ?」
しかし奥手な私に本人に態度が違うなどの話も出来る訳もなく、お茶を濁す。
「これは、アイヌ語の教本よ。まだ、マスター出来ていないから勉強しているの」
「あ、アイヌ?な、何でまた・・・。つ、使うことがあるのか?」
「貴方は質問ばかりね。まあ良いわ。逆に聞くけど、貴方は勉強しなくて良いの?」
「あ、アイヌ語をか?」
「そうよ。それに限った話ではないけど、例えば英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語。貴方は出来るの?」
「で、出来ないけど・・・別に良いじゃないか、出来なくても」
「そう、怠慢ね」
「そ、そこまで言わなくても良いじゃないか」
「そうかしら?例えば、貴方は七加瀬くんにアイヌ語を教えてくれ、と言われた時にどうするの?直ぐに答えられないわよね?もし、それが一分一秒を争うタイミングだったら?不勉強の貴方のせいで七加瀬くんは死ぬのよ?貴方は七加瀬くんに命を救われたのよね?それで良いの?」
迫間は、捲し立てる。
「た、確かに、七加瀬には恩を感じているが・・・」
いくら恩を感じているとはいえ、私にはそこまでストイックに生活はできない。
「そ、それじゃあ、そのアイヌ語も七加瀬の為に勉強してるのか?」
「勿論よ。アイヌ語だけじゃないわ。七加瀬くんに何かを求められて、それを差し出せない様じゃ、私は生きている意味が無いもの」
「ど、どうしてそこまで七加瀬に尽くすんだ・・・?」
「・・・七加瀬くんも交月も、過去の話はしてないのよね?」
その質問に私は相槌を打つ。
「なら、私も過去については教えない。私にそんな権利は無い。ただ、貴方の質問には答えられるわ。何故、七加瀬くんに尽くすのか?何故なら私は・・・七加瀬くんの人生を壊してしまったのだから」
「じ、人生を、壊した?」
「そうよ、完膚なきまでに、再生不能な所まで叩き壊した大罪人、それが私。だから、七加瀬くんが何かを調べろと言えば、答えが出るまで調べるし、何かを教えてと言われれば、全てを放り出して、その何かについて勉強する。そして七加瀬くんが私の死を心から望むならば、私は喜んで死ぬわ」
人生を壊した。
現在、七加瀬は普通に生活している様に私には見える。
しかし、過去に何かあった事は、七加瀬の言葉や有利の態度により、明らかだ。
迫間の言っていることは、恐らくそれに関係しているのであろう。
「も、もしかして、昼間と今では態度が違う事も、それに関係してる・・・?」
この言葉が迫間の地雷では無いことを祈りながら、私は何度目かの質問を迫間に投げかける。
「勿論よ。単純に、七加瀬くんと一緒だからテンションが上がるっていうのもあるけど、こんな暗い姿なんて、七加瀬くんに見せられるはずがない。こんな・・・昔の私を想起する様な姿をね」
「そ、そんな、暗いなんて事、ないと思うが」
「いいえ暗いわ。こんな暗い私は、私が許さない。そして、地味な私を許さない。思った事を口に出さない私を許さない。天才であろうとしない私を許さない。怠惰な私を許さない。メガネをかけてる私を許さない。髪が黒くてバサつく私を許さない。・・・昔の私を、私は絶対に許さない」
その言葉は、最上の恨み辛みを乗せた言葉であった。
「だから、私に寝る時間なんてないの。私の人生は七加瀬くんの為の時間。一分一秒を無駄にすることなんて許されない」
「で、でも、週に1日だけ寝るって七加瀬が言っていたけれど」
「別に寝てる訳じゃないわ、気絶してるだけ」
「き、気絶・・・」
「その程度で気絶するなんて、自分の凡庸さに本当に腹が立つ。恥ずかしくて死にたいわ」
そう言い頭を抱える迫間。
その顔は、悔しさに溢れており、自分の事を凡庸といった言葉に、嘘偽りがないことが分かった。
しかし、こんなに努力できる人が凡庸など、私からしたらあり得ない話だ。
そんな言葉をかけようと口を開こうとするが、迫間に先を越される。
「そういえば斑井幸子。貴方、昼間より良く話すわね?普通逆じゃない?何でなの?」
「しょ、正直、昼の態度はテンションが高すぎて、話し辛い」
「本当に貴方って陰気の権化みたいな思考してるわよね。まあ別に良いけど」
そう言い机にまた向き合う迫間。
もうこれで話は終わりという事なのであろう。
私も手に持っているスマホのテトリスを始めようとするが、一つ気になった事があった。
「そ、そういえばなんだが。な、七加瀬を1日拉致して一緒に添い寝させたっていうのも、何か意味があったのか?」
私の言葉に、迫間の動きが止まる。
「あれは・・・」
「あ、あれは?」
「性欲が、爆発しただけ」
そういう迫間の顔は真っ赤に染まる。
「せ、性欲が・・・爆発・・・」
「文句あるのかオラァ!!!!」
どうやら、しっかりと私は地雷を踏んでしまった様だ。
南無三。
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