第3話 ピクニックとは

 レフィは悪魔だ……

 ピクニックの約束をちらつかせ、時には甘いデザートでご機嫌を取りながら、連日の勉強漬け。結局、ピクニックどころか近所の森にも行けていない。

 かと思えば夜中に突然起こされて、夜逃げのようにこっそり町を出ることになっている。

 わたし、とうとう地獄に連れ去られるのかしら。

 眠気で上手く回らない頭の隅でそんなことを考えるけれど、ぼんやりしすぎて特に恐怖は感じなかった。


「不服そうですね? 念願のピクニックですよ?」

「ピクニックは夜中に行くものではないわ」


 悪魔は笑みを深めるだけ。わたしは諦めて目をつぶる。


「着いたら起こしてちょうだい」

「すぐですよ」


 嘘だった。

 それとも、レフィにとっては丸二日馬車で移動するのも「すぐ」なのだろうか。

 三日目、ヨレヨレになっている私を出迎えたのは、潮の香りと、目つき鋭い日に焼けた男だった。お日様はもうとうに高いというのに、髭の手入れは忘れられているようだ。

 何かの作業の合間だったのか、上着は脱いで袖なしのシャツ一枚。頭に布が巻かれてはいるが、秋風にショールを巻き付けているわたしには、見ているだけで寒くなる格好だった。

 挨拶もそこそこに、男はわたしの荷物を両手に抱えて黙って踵を返す。


「彼について行ってください。宿に案内してくれます」

「えっ……レフィは……」

「私は手続きや面倒な雑用を片付けてまいります」


 思わずその袖を掴んで「行かないで」と懇願しそうになったわたしに、アイスブルーの瞳が細められる。


「大丈夫ですよ。目つきは悪いですが、信用できる人間です。お部屋でお待ちください。すぐに戻ります」


 レフィの「すぐ」など信用できるわけがない。それでも、レンズの向こうの冷ややかな瞳に逆らえない。我儘と思われていても、愚かと思われたくはなかった。


「エルチェ、よろしく頼みます」


 アイスブルーの視線の先で、半身で振り返った男が黙って頷いた。




 渋々と、距離を取り、男について行く。

 坂をしばし上った場所に小さな丸太の家が見えてきた。前庭は花壇になっていて、青や紫のアスターが揺れている。白いのはカルーナだろうか。木陰を作るカエデや、小さなチェリーの木の赤く色づいた葉は、不安だった気持ちを少しだけ明るくしてくれた。

 家の中は清潔で明るく、ただ、宿というには誰もいないようだった。カーテンやクッション、テーブルクロスにいたるまで様々なレースが目につき、わたしはしばらくの間、男がいるのも忘れてそれらに見入っていた。


「気に入ったか」


 ぼそりとかけられた声に我に返る。

 慌てて振り向いたわたしの目に、入口で手斧を持った男の姿が映った。思わず息を飲んで一歩引いてしまう。

 口元を歪ませる男に、声まで奪われた気持ちになる。


「……薪を割るんだよ。もう中には入らねぇから。まったく……レフィめ……」


 ぶつぶつ言いながら男は出て行った。ドアが閉まると、どっと疲れがやってきた。

 ソファに座り込み、クッションに身を預ける。よく見れば、荷物は隣(寝室だろう)の部屋の入口に置いてあった。

 失礼だったかもしれない。あとで謝らないと……

 一応そう決心したものの、一度腰を下ろした身体は根を張ったように動かない。やがて聞こえてきた、リズミカルに薪を割る音を聞いているうちに、いつのまにか眠ってしまったのだった。


 *


「お嬢様。リラお嬢様。お疲れでしょうが、起きてください」


 肩を軽く揺すられて、まだ重い瞼をむりやり持ち上げる。アイスブルーの瞳が近くて、心臓が飛び跳ねた。目がぱっちりと開いたのを確認すると、ソファの前に膝をついていたレフィはやれやれというように立ち上がった。


「出かけますよ」

「え? ……え? これから? どこに?」

「ピクニックでしょう?」


 まだその設定は崩さないのね?

 いつの間にかテーブルの上に置いてあったバスケットを手に、レフィは早く、とわたしを急かした。

 宿(?)を出て、裏手の丘の上へと登っていく、途中でバスケットの中に手を突っ込んで、レフィはサンドイッチを取り出した。目の前に突き出されて面食らう。


「お、お行儀が悪いのではなくて?」

「時間がもったいありません。臨機応変ですよ」


 私は今一度問いたい。ピクニックとは。

 けれど、普段はマナーにもうるさいレフィのそういう態度は新鮮だったので、わたしは少し楽しくなってサンドイッチを頬張った。

 丘を登り切ると、左手奥側に海が広がっていた。正面から右手には畑が広がっている。少しの間立ち止まって、レフィから水筒のお茶を受け取った。


「ここから直接は見えませんが、あちらの山の方に炭鉱があります。ずっと南に行けば、森林地帯が広がっていて、そちらでは果樹栽培が盛んです。そちらの海沿いを行けば製鉄所も見られるでしょう。平地では酪農も行われているので、この土地で飢えることはないと言われています」


 指を差しながら、ぐるりと駆け足で解説をして、レフィはじっとわたしを見つめる。

 ピクニック……これはピクニック……


「わぁ。川が横切ってる。とても絵になる風景ね」


 いささか棒読みの自覚はあるけれど、レフィが少しだけ口角を上げたので、まずまずの反応だったのだろう。


「ええ。水運が使えるので内陸部や、外国との交易も盛んです」

「豊かな土地なのね」

「ですから、隣国にも狙われたりします。国境を接していますから。どちらにつくのが有利か、いつでも揺れていると言っていいでしょう」


 風に揺れる金色の穂波の向こうをレフィは見ていた。きっとその先に隣の国があるに違いない。


「実は、石炭の産出量は落ちてきています。いつかは、採れなくなるのかもしれません」

「採れなくなるとどうなるの?」

「製鉄業も縮小するでしょうね」


 日が傾いてきて、海から風が吹き上げる。いつもきっちり整っているレフィの髪も、少し乱された。それを撫でつけるレフィの仕草が物悲しく見えたのは、気のせいだろうか。


「わたしの執事はこんな離れた土地のことも詳しいのね。調べたの?」

「実は、生まれ故郷なのです。エルチェは幼馴染で……風が冷たくなってきましたね。戻りましょう」


 上着を脱いで私の肩にかけると、レフィはそっとわたしの背中を押した。

 話を聞いても、どうしてレフィがこの場所をピクニックに選んだのか、わたしにはさっぱり理解できなかった。

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